表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/87

第六十五話「二つの世界、最後の一締め」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第六十五話「二つの世界、最後の一締め」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 全ての作業が終わった翌朝。


 渉は工房を片付けた。


 使った道具を全部拭いた。


 定位置に収めた。


 ラスペネ、パーツクリーナー、ラチェットセット、バール(大・中・小)、インパクトレンチ、精密はんだごて、ノギス、トルクレンチ。


 一つずつ、丁寧に。


 工房の棚が、整然と並んだ。



 全員が工房に集まった。


 リーニャ、メイ、フィオナ、勇馬、ゴールド、バラム、田所、石倉。


 今日、石倉がここに来たのは初めてだった。


「来てもいいと言ってもらったので」と石倉は言った。


「どうぞ」と渉は言った。



 渉は全員を見た。


「最終確認をします。帰還装置の起動条件は全て満たされています。振動吸収も取り付けました。地上側の田中との同期も準備できています」


 全員が静かに聞いていた。


「帰還装置を使います」



 リーニャが少し前に出た。


「……渉さん、一つ聞いてもいいですか」


「どうぞ」


「帰ったら、どうするんですか」


 渉は少し考えた。


「品川に戻って、田中と焼き肉を食べます」


 リーニャが「それだけですか」という顔をした。


「それから、仕事を探します」


「解体の仕事ですか」


「できれば、そうしたいです」



 メイが手帳を閉じた。


「……一つ、頼みがあります」


「なんですか」


「バックアップ室のマニュアルを、もう一冊書いてもらえませんか。次に誰かが来た時のために」


「俺が書くんですか」


「先代が書いたように。渉さんが整備した内容を、全部」


 渉は少し考えた。


「向こうに帰ってから、送ります。田中が届けてくれます」


「ありがとうございます」



 勇馬が渉に近づいた。


「……最後に、一つ教えてください」


「なんですか」


「俺が、一人前の整備士になるには、あと何年かかりますか」


 渉はしばらく考えた。


「整備士に一人前という区切りはないです。二十五年やっても、まだわからないことがある」


「じゃあ、どうすれば」


「毎日、現場に出てください。道具を手入れしてください。音を聞いてください。それだけです」


「……それだけですか」


「それだけです」


 勇馬がメモ帳に書いた。


 渉はその姿を見た。


 自分が若い頃、先代に言われたことをメモした、あの頃の自分に少し似ていた。



 田所がコーヒーを渡した。


「……最後に飲んでいってください」


「ありがとうございます」


 渉はコーヒーを受け取って、一口飲んだ。


 旨かった。


 いつも田所が入れるコーヒーは、旨かった。


「田所さん、空調のフィルターは来週換えてください。今週交換時期が来ます」


「……そんな話をしてる場合ですか」


「大事なことです」


「わかりました。やります」


「冷媒の量も確認してください。先月少し下がってた」


「わかりました。それも」


「以上です」


 田所が少し笑った。


「……渉さんらしい遺言ですね」



 バラムが渉の前に来た。


「お前と作業して、面白かった」


「俺もです」


「もし向こうで困ったことがあれば、どうにかして来る」


「向こうには来られないですよ」


「来る方法があるかもしれない。それを探すのが楽しいかもしれない」


 渉は少し笑った。


「バラムさんなら、見つけそうですね」



 ゴールドが最後に近づいた。


「マスター」


「なんですか」


「我は、ここにいる。マスターが帰った後も、ここの現場を守る」


「頼みます」


「任せろ」


 ゴールドが頭を垂れた。


 渉はゴールドを見上げた。


 最初に見た時から、この三メートルの金属の巨人は変わっていない。


 でも渉の見え方が変わった。


 最初は「整備対象」だった。


 今は、「仕事仲間」だった。



 渉はスマートフォンを取り出した。


「田中、最終確認をします。準備はできましたか」


「できてる。手が震えてるのはいつものことだから大丈夫」


「地上側の装置は異常ないですか」


「昨日確認した。問題なし」


「ヒューズの予備は」


「三本持ってる」


「わかりました。俺がカウントを出します。三で同時に引いてください」


「……わかった」



 田中が少し間を置いてから言った。


「佐藤さん」


「なんですか」


「……また会おうな」


 渉は少し間を置いた。


「また会います。焼き肉の約束が残ってます」


「忘れるなよ」


「忘れません」



 渉は品川ナンバーを手に取った。


 品川 530 あ 12-34。


 ウエスで、一度だけ拭いた。


 それから、工房の棚に置き直した。


 ここに、残していく。


 次に誰かが来た時のために。


 先代が残したように。



 渉は帰還装置のレバーの前に立った。


 バールを一本だけ持っていた。


 二十五年使い込んだやつだ。


「いきます」


 渉は全員を見た。


 全員が、渉を見ていた。


「三、二、一」



 レバーを引いた。


 地上で、田中がスイッチを倒した。


 装置が唸り始めた。


 コイルスプリングが振動を吸収した。


 第八層が、青白い光に包まれた。


 渉は目を細めた。



 その時、スマートフォンから田中の声が聞こえた。


「佐藤さん! 業者がドアをぶっ壊して入ってきた! でもまだレバーは離さねえぞ!」


「よくやった。もう五秒持たせろ」


「五秒ならいける!」



 五秒後。


「今だ、引け!」


 田中がレバーを引き切った。


 装置の光が、最大になった。


「田中、離れてください!」


「離れた! 佐藤さん、ちゃんと帰ってこいよ!」



 光の中で、渉はバールを握り締めた。


 工房が、仲間の顔が、ゴールドの黄金色が、遠くなっていった。


 リーニャが「また……」と何か言った。


 その先が聞こえなかった。


 メイが手帳を持ったまま、目を閉じていた。


 勇馬がメモ帳を握り締めていた。



 光が、消えた。



 暗い。


 次に、空気が変わった。


 コンクリートの匂い。


 埃の匂い。


 機械油の匂い。


 懐中電灯の光が当たった。


「……佐藤さん」


 田中の声だった。


「来たよ。お前、来たよ!」


 渉は目を開いた。


 品川の廃工場の床下だった。


 天井が低い。コンクリートの床。


 田中が懐中電灯を持って、渉を見ていた。



 渉は起き上がった。


 手にバールを持っていた。


「……来ましたね」


「来た! 本当に来た!」田中が声を震わせた。「どうだった、向こうは」


「良い現場でした」


「どのくらいいたんだ」


「一年半くらいです」


「……一年半」



 渉は立ち上がった。


 腰を叩いた。


 ちょっと痛かった。


「床下は腰に来ますね」


「佐藤さん、帰ってきて最初の一言がそれか!」


「事実です」


 田中が笑った。


 渉も、少しだけ笑った。



 床下から出ると、外に田中の車があった。


 秋の空が広がっていた。


 品川の空だった。


 渉はしばらく、空を見た。


 向こうでも、同じ空を見た。


 薄い膜一枚を挟んだだけの、同じ空だ。


「……腹が減りました」


「焼き肉、今夜でいいか」


「今夜でお願いします」


「一番いい店を予約してある」


「ありがとうございます」



 田中の車が走り出した。


 品川の街が流れていった。


 渉はシートに背を預けて、目を閉じた。


 向こうの工房の棚に、品川ナンバーが立ててある。


 バックアップ室のマニュアルの隣に、コクヨのノートがある。


 ゴールドが庭を守っている。


 勇馬がメモ帳を持って、現場に出ている。


 メイが論文を書いている。


 リーニャが探索者として、今日も働いている。


 田所がコーヒーを飲みながら、報告書を書いている。


 石倉が書類で現場を守っている。


 バラムが次の依頼品を削っている。


 全部、現場だ。


 全部、続いている。


「……いい現場だったな」


 渉は小声で言った。


 車が品川の街を走り続けた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

           〈第六十五話 了〉

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


        第二部「二つの品川・同期編」完


【次話予告】

 第三部「黒い工務店とJDA内乱編」開幕。

 品川に戻った渉の元に、勇馬からメッセージが来た。

 「渉さん、JDA本部から業者が来てます。前より悪いやつです」

 渉はコーヒーを一口飲んで立ち上がった。

 「……また現場が荒れてるのか」



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【あとがき・第六十五話特別版】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 第六十五話、最後までお読みいただき、ありがとうございました。


 第二部「二つの品川・同期編」、これで完結です。


 今回の最大の見せ場は「田中、業者がドアをぶっ壊して入ってきた!でもまだレバーは離さねえぞ!」という叫びでした。渉より技術はない。プロの探索者でもない。でも信じて、離さない。それが田中という人間の強さです。そしてそれが、渉の帰還を可能にした。


 品川ナンバーを「ここに残していく」という決断。先代がノートを残したように、渉も次の誰かのために、自分の痕跡を置いていく。これが職人の仕事の継承です。


 「いい現場だったな」という最後の言葉。渉がダンジョンをそう呼んだのは、この一言が初めてです。最初は「仕事の場所」でした。それが一年半かけて「現場」になった。その変化を、最後の一言に込めました。


 帰還直後の「腰に来ますね」というセリフも、渉らしい一言だと思っています。世界を救って帰ってきた直後に、腰の痛みを言う。それが佐藤渉です。


 第三部では、ダンジョンに戻った渉と、品川から支援する渉の両軸で物語が動きます。次もお付き合いいただければ幸いです。


                   (作者)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ