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第四十話「現場の裁量、帰還の権利」



 翌朝。


 カルロスとディルクが帰る準備をしていた。


 馬が管理棟前に用意されていた。


 渉が工房のシャッターを開けていると、カルロスが来た。


「少し、いいか」


「どうぞ」


「一つ頼みがある」


「何ですか」


 カルロスは腰の剣を外した。


 渉に差し出した。


「……この剣の、調子が悪い。見てくれるか」



 渉は剣を受け取った。


 鞘ごと受け取って、まず重さを確認した。


 鞘から抜かずに、柄を握ってみた。


 少し動かした。


「柄の部分ですか」


「そうだ。抜く時に、引っかかりを感じる。半年前からだ」


 渉は鞘の口の部分を見た。


 内側を指で触れた。


「ここが少し変形しています。鞘の素材が湿気で歪んだか、あるいは当たり続けて摩耗した。剣を抜く時に、刀身の一部がここに触れている」


「直せるか」


「俺の専門外ですが、バラムさんに頼めばすぐ直ります」



 バラムを呼んだ。


 バラムが鞘を見て、「十分で直る」と言った。


 変形した箇所を専用の工具で押し広げて、内側を研磨する。


 渉はバラムの作業を横で見ながら、カルロスに言った。


「こういうのは早めに直した方がいいです。放置すると刀身が傷む」


「……特務部では、装備の整備は専任の者がいる。しかしこういう細かい不具合は、見落とされることが多い」


「定期的に自分で確認するのがいいです。使う人間が一番、変化に気づける」


「あなたは、自分の道具を自分で整備するか」


「全部、自分でやります」



 バラムが鞘を渉に返した。


「終わった」


 渉がカルロスに渡した。


 カルロスが剣を抜いた。


 すっと、音もなく抜けた。


 カルロスが少し目を細めた。


「……きれいに動く」


「当然だ」とバラムが言った。


 カルロスは剣を鞘に戻した。


 渉を見た。


「礼を言う」


「バラムさんに言ってください」


「あなたにも言う」



 カルロスが少し間を置いた。


「……報告書を書き換える。装置の状態と、接収・破壊が困難な理由を正確に記載する。渉殿が安全な管理を行っているという評価も入れる」


「ありがとうございます」


「上がどう判断するかは、わからない。しかし少なくとも、現場の事実は伝える」


「それで十分です」


「……あなたは、なぜそれで十分なんだ」


「事実を伝えてもらえれば、あとは上の判断です。俺にできることは現場を正確に管理することで、上の判断に介入することじゃない」



 ディルクが馬の横で待っていた。


 カルロスが向かおうとして、足を止めた。


 振り返った。


「一つ聞いていいか」


「どうぞ」


「帰還装置は、使う気があるか」


 渉は少し考えた。


「直したことは後悔していません。壊れていたから直した。それが最初の理由です」


「使うかどうかは」


「まだ決めていません」


「なぜ」


 渉は管理棟の方を見た。


 田所がガラス越しにこちらを見ていた。


 視線を感じたのか、コーヒーを持ち上げて目をそらした。


「今の現場を離れる理由が、まだない。それだけです」



 カルロスは何も言わなかった。


 馬に乗った。


 ディルクも乗った。


 カルロスが手綱を持ちながら、最後に言った。


「……良い現場を」


「ありがとうございます」


 二人が去っていった。



 その夜。


 渉はリーニャ、メイ、フィオナと夕食を食べた。


 バラムも珍しく来た。


 田所が「今日は特別に私も」と言って、席に加わった。


 ゴールドは庭に立っていた。


 食事が進んで、話がひと段落した頃、渉は工房に一度戻った。


 棚のナンバープレートを手に取った。


 品川 530 あ 12-34。


 ウエスで一度拭いた。


 帰ることを諦めたわけじゃない、と思った。


 ただ、帰る時に「あの頃より腕が落ちた」では話にならない。


 バラムの工房で教わったこと。メイと何度も失敗して作ったはんだごて。ゴールドの関節の感触。帰還装置の基板に流したハンダの手応え。


 全部、向こうに持って帰れる技術だ。


 帰るためにも、今の現場で腕をなまらせるわけにはいかない。


 だから今はまだ、ここにいる。


 それだけだった。


 渉はナンバープレートを棚に戻した。



 帰還する権利が手に入った。


 バイパスを解除すれば、装置は動く。


 鍵は自分が持っている。


 しかし今夜は、それだけでいい。


 食卓に戻ると、バラムがメイに何かを言っていて、メイが困った顔をしていた。フィオナが笑っていた。リーニャが渉を見て、少し表情を緩めた。


「どうでした」


「ナンバープレートを拭きました」


「……それだけですか」


「それだけです」



 食後、渉は工房で道具の手入れをした。


 バールを磨く。


 インパクトレンチを確認する。


 精密はんだごてのコテ先を清掃する。


 帰還装置は、壁の中で静かに待機している。


 鍵は、ポケットの中にある。


 渉はトルクレンチを手に取った。


 カチッ。


 いつもの音が、工房に小さく響いた。


 今の現場を離れる理由が、まだない。


 それだけだった。


 それだけで、今夜は十分だった。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

           〈第四十話 了〉

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現在全話を修正中のため、41話の更新は3月29日の9時以降になります。

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