第三十九話「オーバーホールと、新たな回路」
現在物語の矛盾点の修正を行っております。
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第三十九話「オーバーホールと、新たな回路」
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翌朝、六時に全員が第七層に降りた。
渉、バラム、メイ、ゴールド、カルロス、ディルク。
リーニャとフィオナは地上で待機した。何かあった時の連絡役だ。
帰還装置のパネルを開けた。
基板が露出する。
渉はヘッドライトで照らして、今日の作業箇所を確認した。
「バイパス回路を追加します。既存の起動信号ラインから分岐させて、信号を逃がす経路を作ります」
カルロスが隣で聞いていた。
「……説明してもらえるか、わかる言葉で」
「水で言えば、川に別の流れを作るようなものです。本流はそのままで、増水した分を別の方向に逃がす。装置が起動しようとしても、信号が本来のルートに行かない」
「……なるほど」
「ただし、流れを作るには、精密な作業が必要です」
◆
渉は精密はんだごてを取り出した。
メイに渡した。
「準備をお願いします」
「はい」
メイがグリップを両手で持って、エネルギーを安定させ始めた。
コテ先がかすかに光った。
渉はノギスでバイパス用素子の位置を計測した。
「……ここに、〇・八ミリの隙間があります。そこを通します」
「〇・八ミリ」とカルロスが繰り返した。「……指先で感じ取れる数字ではないのでは」
「感じ取れます。慣れれば」
「人間に、それができるのか」
「二十五年やれば、なんとか」
◆
渉は導電性ペーストをノズルから出した。
〇・八ミリの隙間に向けて、極細の線を引いた。
息を止めていた。
空気も動かさない。
線が引けた。
メイがコテ先を当てた。
一秒。
ペーストが静かに溶けて、流れた。
冷えた。
渉はルーペで確認した。
「……一か所目、完了」
◆
カルロスが口を開かなかった。
ディルクも黙っていた。
バラムだけが「ふん」と言った。満足そうだった。
メイは黙っていたが、手帳を出していた。
作業を見ながら、何かを書いていた。
「……メイさん、何を書いてますか」
「並列回路の構造と似てるんです」メイは手帳から目を離さずに答えた。「渉さんが今やったこと、エネルギーの経路設計で同じ問題があって……一本の回路ラインに負荷が集中すると、途中で焼き切れる。だから経路を分岐させる。でも分岐の接合点の精度が甘いと、逆に干渉が起きて全体が落ちる」
「それが、どう……」
「渉さんのハンダ付けを見ていたら、接合点の精度の出し方が……回路設計にも応用できそうで」
メイはそこで顔を上げた。
「教えてもらえますか、後で。接合部の設計の考え方を」
「俺の知識でよければ」
「十分です」
メイが手帳に戻った。速記の音が続いた。
カルロスが小声でディルクに言った。
「……あの者は、何をしている」
「学んでいる、と思う」ディルクが答えた。「現場で」
渉は次の箇所に移った。
同じ作業を繰り返す。
計測。ペースト。加熱。冷却。確認。
四か所、終わった。
◆
五か所目で、渉が手を止めた。
「メイさん、少し温度が下がっています」
「……すみません」
「休憩しますか」
「……三分だけ」
「どうぞ」
三分の間、渉はバラムと部品の状態を確認した。
カルロスが近づいてきた。
「……聞いていいか」
「どうぞ」
「なぜ、そんなに細かい作業ができる」
「必要だったからです。工場で、細かい部品を扱う必要があった。最初はできなかった。だんだんできるようになった」
「最初はできなかった、のか」
「当然です」渉はバラムが削った素子をノギスで確認しながら言った。「最初から何でもできる人間はいないです。必要に迫られて、失敗して、覚えていく」
「……あなたのような人間でも、失敗するのか」
「先週、ネジを一本なめました」
◆
カルロスが少し黙った。
「……我々の仕事は、失敗が許されない」
「そうですか」
「命令は完遂しなければならない。失敗すれば、責任を取る」
渉は手を止めずに言った。
「現場では、失敗しない人間より、失敗から立て直せる人間の方が信頼されます」
「……どういうことか」
「失敗しないためには、リスクを取らないことが最善になる。でもそれは、何もしないことと同じです。現場で必要なのは、リスクを見極めて、それでも進む判断です」
◆
メイが戻ってきた。
「続けます」
「お願いします」
残り三か所。
渉は同じ手順を繰り返した。
〇・八ミリの隙間に、導電性ペーストの線を引く。
コテ先を当てる。一秒。
冷える。
確認する。
◆
全部で八か所、バイパス回路が追加された。
渉は装置全体を見回した。
「……ゴールド、信号の流れを確認してほしい」
「了解。……確認した。バイパス経路、正常。起動信号はバイパスに逃げる。コアへの伝達、遮断」
「完璧です」
渉はパネルを閉じた。
固定ネジを締めた。
カチッ、カチッ、カチッ。
一本ずつ、規定トルクで。
「バイパス回路の組み込み、完了です」
◆
それから鍵を作った。
バラムが金属の筒を二本用意していた。
渉が内部の機構を組み込んだ。
一本を渉が持つ。一本をカルロスが持つ。
両方が揃わないと、バイパスを解除できない。
カルロスが受け取った。
「……これが、我々の合意の形か」
「そうです」
「信頼の道具、ということか」
「物理的なロックです。信頼は別の話です」
カルロスが少し笑った。
初めて笑ったのを、渉は見た。
◆
帰り道。
バラムが渉の横に並んだ。
「うまくいったな」
「ありがとうございました」
「礼はいらん。ところで」
「はい」
「あの特務部の男、さっき笑ったな」
「そうですね」
「お前は気づいていたか」
「気づきました」
「どう思った」
渉は少し考えた。
「仕様書のない命令を実行してきた人間が、現場を見て変わった。それだけです」
バラムが鼻で笑った。
「お前は感慨がないのか」
「明日の作業の段取りを考えていました」
「……職人だな、やっぱり」
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〈第三十九話 了〉
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【次話予告】
翌朝、特務部が帰る準備をしていた。
カルロスが渉の工房に立ち寄った。
「一つ頼みがある」
「何ですか」
「……この剣の、調子が悪い。見てくれるか」
【次話予告】
翌朝、特務部が帰る準備をしていた。
カルロスが渉の工房に立ち寄った。
「一つ頼みがある」
「何ですか」
「……この剣の、調子が悪い。見てくれるか」




