第三十六話「土足の特務部と、重いバール」
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第三十六話「土足の特務部と、重いバール」
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朝の六時。
渉が工房のシャッターを開けると、二人が立っていた。
どちらも三十代半ばか。体格がいい。立ち方が、軍人か暗部の人間のそれだった。顔に表情がない。目だけが動いている。
片方が一歩前に出た。
「佐藤渉か」
「そうです」
「王国特務部より来た。帰還装置の件で話がある」
「話なら聞きます」
◆
渉は工房の入り口に立ったまま、二人を見た。
特務部の男が書類を取り出した。
「王命により、帰還装置の接収、もしくは破壊を執行する。装置のある場所へ案内しろ」
「第七層です」
「では案内しろ」
「その前に確認があります」
男が眉を動かした。
「何を確認する」
「装置の状態についてです。接収するにしても破壊するにしても、現状を把握しないと安全に作業できません。少し説明させてください」
男が少し考えた。
「……手短に」
「工房の中で話します。入ってください」
◆
男が一歩、踏み出した。
泥のついた靴のまま、シャッターを越えようとした。
渉は手を上げた。
「待ってください」
男が止まった。
「靴を脱いでください」
「……何?」
「ここは作業場です。精密部品を扱っています。床に泥が入ると、部品に混入する可能性がある。土足禁止です」
男の目が細くなった。
「我々は特務部だ。王命を……」
渉はバールを手に取った。
持ち上げて、床に叩きつけた。
ゴン、という重い金属音が、工房に響いた。
◆
二人が止まった。
渉は床のバールを見下ろしてから、二人を見た。
「そこから先は土足禁止だ」
声のトーンは変わらなかった。
怒鳴ってもいない。凄んでもいない。
ただ、事実として言った。
カルロスの右手が動いた。
腰の剣の柄に、触れた。
鯉口を切る一歩手前の動作だった。
渉はそれを見た。
そして棚の一点を指した。
「その鯉口を切った瞬間の振動で、あそこの精密天秤が狂います」
カルロスの手が止まった。
「あれは〇・〇一グラム単位で計れる天秤です。バイパス回路の素子の重量管理に使っています。狂ったら、また一から調整しなおしです。半日かかります。弁償できますか」
カルロスが棚を見た。
小さな金属製の天秤が、棚の端に置いてあった。
「……剣を抜けと言っているわけではない。ただ確認が……」
「確認したいなら、靴を脱いで中に入ってください。立ち話より、座った方が正確に説明できます」
◆
沈黙が続いた。
カルロスの手が、柄から離れた。
二人が顔を見合わせた。
先に動いたのは、後ろに立っていた方だった。
黙って靴を脱いだ。
カルロスは少し間を置いてから、脱いだ。
渉は「ありがとうございます」と言って、工房に入った。
二人がついてきた。
◆
渉は作業台の前に椅子を二脚出した。
自分は作業台に向かったまま、インパクトレンチのビットを一本ずつ確認しながら話し始めた。
シュッ、シュッ、という布で拭く音が、静かな工房に響く。
「帰還装置は現在、修復が完了した状態です。座標照合が進んでいます。接収しようとする場合、いくつか問題があります」
「問題?」
「装置は第七層の壁に組み込まれています。取り外すと、壁のエネルギー経路が一部損傷します。それが何を引き起こすか、あなたたちは把握していますか」
男が黙った。
「破壊する場合はさらに問題が大きい。装置は第七層のコアと接続されています。不適切な破壊を行うと、コアの制御系にフィードバックが返ります。どうなるか、わかりますか」
「……把握していない」
「街に影響が出る可能性があります」
◆
渉はビットの確認を終えて、ケースに戻した。
カチッ、カチッ、という留め金の音。
「俺が言いたいのはこれだけです。王命がどうこうより先に、現場の状態を把握しないと、あなたたちの命令を実行すること自体が危険です」
「……それは、装置を守るための詭弁では」
「違います。あなたたちが安全に仕事を終えるための話をしています」
男がじっと渉を見た。
「証明できるか、その話を」
「明日、第七層に一緒に降りれば、目で確認できます。コアと装置の接続は、見ればわかります」
◆
二人が再び顔を見合わせた。
先ほどより、長い沈黙だった。
「……明日、案内しろ」
「わかりました」
「今日のところは、ここで待機する」
「工房の隣に休憩室があります。田所さんに言えば、お茶を出してもらえます」
二人が立ち上がった。
出口で靴を履き直しながら、先に来た方が振り返った。
「……さっきのバール。本気で叩くつもりだったか」
渉は少し考えた。
「靴を脱いでもらえれば、叩かなくていいんで」
男は何も言わなかった。
出ていった。
◆
その夜、リーニャが工房に来た。
「特務部が来ましたよね」
「来ました」
「大丈夫でしたか」
「靴を脱いでもらいました」
リーニャが少し固まった。
「……それだけですか」
「明日、第七層に案内します。見せれば、わかることがあるんで」
「危なくないですか」
「あの二人は、俺が何を言っているかわからない状態です。わからない人間に、無理に動かれる方が危ない。まず見せます」
◆
渉は棚のバールを手に取った。
ウエスで丁寧に拭いた。
床に叩きつけた時についた、わずかな傷を確認した。
大したことはなかった。
戻した。
「……見てて怖かったです、さっきの話」とリーニャが言った。「バールを床に叩きつけた、というのを田所さんから聞いて」
「靴を脱いでほしかっただけです」
「でも……あれで止まらなかったら、どうするつもりでしたか」
「もう一回叩こうかと思ってました」
リーニャが額に手を当てた。
「……それで止まる保証は……」
「重い音がする方が、軽い音より伝わります。経験則です」
「でも最終的に止まったのは……バールじゃなくて、天秤の話でしたよね」
「そうですね」
「どうしてあれが効くとわかったんですか」
渉は少し考えた。
「剣を抜こうとした時、天秤を見てたんです、あの人。目線が行ってた。気になってる物に話を持っていけば、手が止まります。工場でも、作業中に別のものを見始めた人間は、そっちに引っ張れる」
リーニャが額に手を当てた。
「……武道でも魔法でもなく、視線の管理と損害賠償で特務部を止めた」
「靴を脱いでもらえれば、それでよかっただけです」
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〈第三十六話 了〉
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【次話予告】
翌日、第七層へ。
コアと装置の接続を確認した特務部の男が、青ざめた。
「……これを壊せば、街が」
「そう言いました」と渉は答えた。
「では、なぜ王命はこの事実を知らずに……」
「あなたたちに聞いてください」
【次話予告】
翌日、第七層へ。
コアと装置の接続を確認した特務部の男が、青ざめた。
「……これを壊せば、街が」
「そう言いました」と渉は答えた。
「では、なぜ王命はこの事実を知らずに……」
「あなたたちに聞いてください」




