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第三十六話「土足の特務部と、重いバール」

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第三十六話「土足の特務部と、重いバール」

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 朝の六時。


 渉が工房のシャッターを開けると、二人が立っていた。


 どちらも三十代半ばか。体格がいい。立ち方が、軍人か暗部の人間のそれだった。顔に表情がない。目だけが動いている。


 片方が一歩前に出た。


「佐藤渉か」


「そうです」


「王国特務部より来た。帰還装置の件で話がある」


「話なら聞きます」



 渉は工房の入り口に立ったまま、二人を見た。


 特務部の男が書類を取り出した。


「王命により、帰還装置の接収、もしくは破壊を執行する。装置のある場所へ案内しろ」


「第七層です」


「では案内しろ」


「その前に確認があります」


 男が眉を動かした。


「何を確認する」


「装置の状態についてです。接収するにしても破壊するにしても、現状を把握しないと安全に作業できません。少し説明させてください」


 男が少し考えた。


「……手短に」


「工房の中で話します。入ってください」



 男が一歩、踏み出した。


 泥のついた靴のまま、シャッターを越えようとした。


 渉は手を上げた。


「待ってください」


 男が止まった。


「靴を脱いでください」


「……何?」


「ここは作業場です。精密部品を扱っています。床に泥が入ると、部品に混入する可能性がある。土足禁止です」


 男の目が細くなった。


「我々は特務部だ。王命を……」


 渉はバールを手に取った。


 持ち上げて、床に叩きつけた。


 ゴン、という重い金属音が、工房に響いた。



 二人が止まった。


 渉は床のバールを見下ろしてから、二人を見た。


「そこから先は土足禁止だ」


 声のトーンは変わらなかった。


 怒鳴ってもいない。凄んでもいない。


 ただ、事実として言った。


 カルロスの右手が動いた。


 腰の剣の柄に、触れた。


 鯉口を切る一歩手前の動作だった。


 渉はそれを見た。


 そして棚の一点を指した。


「その鯉口を切った瞬間の振動で、あそこの精密天秤が狂います」


 カルロスの手が止まった。


「あれは〇・〇一グラム単位で計れる天秤です。バイパス回路の素子の重量管理に使っています。狂ったら、また一から調整しなおしです。半日かかります。弁償できますか」


 カルロスが棚を見た。


 小さな金属製の天秤が、棚の端に置いてあった。


「……剣を抜けと言っているわけではない。ただ確認が……」


「確認したいなら、靴を脱いで中に入ってください。立ち話より、座った方が正確に説明できます」



 沈黙が続いた。


 カルロスの手が、柄から離れた。


 二人が顔を見合わせた。


 先に動いたのは、後ろに立っていた方だった。


 黙って靴を脱いだ。


 カルロスは少し間を置いてから、脱いだ。


 渉は「ありがとうございます」と言って、工房に入った。


 二人がついてきた。



 渉は作業台の前に椅子を二脚出した。


 自分は作業台に向かったまま、インパクトレンチのビットを一本ずつ確認しながら話し始めた。


 シュッ、シュッ、という布で拭く音が、静かな工房に響く。


「帰還装置は現在、修復が完了した状態です。座標照合が進んでいます。接収しようとする場合、いくつか問題があります」


「問題?」


「装置は第七層の壁に組み込まれています。取り外すと、壁のエネルギー経路が一部損傷します。それが何を引き起こすか、あなたたちは把握していますか」


 男が黙った。


「破壊する場合はさらに問題が大きい。装置は第七層のコアと接続されています。不適切な破壊を行うと、コアの制御系にフィードバックが返ります。どうなるか、わかりますか」


「……把握していない」


「街に影響が出る可能性があります」



 渉はビットの確認を終えて、ケースに戻した。


 カチッ、カチッ、という留め金の音。


「俺が言いたいのはこれだけです。王命がどうこうより先に、現場の状態を把握しないと、あなたたちの命令を実行すること自体が危険です」


「……それは、装置を守るための詭弁では」


「違います。あなたたちが安全に仕事を終えるための話をしています」


 男がじっと渉を見た。


「証明できるか、その話を」


「明日、第七層に一緒に降りれば、目で確認できます。コアと装置の接続は、見ればわかります」



 二人が再び顔を見合わせた。


 先ほどより、長い沈黙だった。


「……明日、案内しろ」


「わかりました」


「今日のところは、ここで待機する」


「工房の隣に休憩室があります。田所さんに言えば、お茶を出してもらえます」


 二人が立ち上がった。


 出口で靴を履き直しながら、先に来た方が振り返った。


「……さっきのバール。本気で叩くつもりだったか」


 渉は少し考えた。


「靴を脱いでもらえれば、叩かなくていいんで」


 男は何も言わなかった。


 出ていった。



 その夜、リーニャが工房に来た。


「特務部が来ましたよね」


「来ました」


「大丈夫でしたか」


「靴を脱いでもらいました」


 リーニャが少し固まった。


「……それだけですか」


「明日、第七層に案内します。見せれば、わかることがあるんで」


「危なくないですか」


「あの二人は、俺が何を言っているかわからない状態です。わからない人間に、無理に動かれる方が危ない。まず見せます」



 渉は棚のバールを手に取った。


 ウエスで丁寧に拭いた。


 床に叩きつけた時についた、わずかな傷を確認した。


 大したことはなかった。


 戻した。


「……見てて怖かったです、さっきの話」とリーニャが言った。「バールを床に叩きつけた、というのを田所さんから聞いて」


「靴を脱いでほしかっただけです」


「でも……あれで止まらなかったら、どうするつもりでしたか」


「もう一回叩こうかと思ってました」


 リーニャが額に手を当てた。


「……それで止まる保証は……」


「重い音がする方が、軽い音より伝わります。経験則です」


「でも最終的に止まったのは……バールじゃなくて、天秤の話でしたよね」


「そうですね」


「どうしてあれが効くとわかったんですか」


 渉は少し考えた。


「剣を抜こうとした時、天秤を見てたんです、あの人。目線が行ってた。気になってる物に話を持っていけば、手が止まります。工場でも、作業中に別のものを見始めた人間は、そっちに引っ張れる」


 リーニャが額に手を当てた。


「……武道でも魔法でもなく、視線の管理と損害賠償で特務部を止めた」


「靴を脱いでもらえれば、それでよかっただけです」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

           〈第三十六話 了〉

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


【次話予告】

 翌日、第七層へ。

 コアと装置の接続を確認した特務部の男が、青ざめた。

 「……これを壊せば、街が」

 「そう言いました」と渉は答えた。

 「では、なぜ王命はこの事実を知らずに……」

 「あなたたちに聞いてください」

【次話予告】

 翌日、第七層へ。

 コアと装置の接続を確認した特務部の男が、青ざめた。

 「……これを壊せば、街が」

 「そう言いました」と渉は答えた。

 「では、なぜ王命はこの事実を知らずに……」

 「あなたたちに聞いてください」

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