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第三十五話「よし、やるか」

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第三十五話「よし、やるか」

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 翌朝、渉は早起きした。


 まず工房を片付けた。


 作業台の上を全部いったん下ろして、パーツクリーナーで拭いた。表面の油汚れが落ちて、木の地が出た。


 道具を並べ直した。


 使う順番に左から右へ。精密ドライバーセット、ノギス、精密はんだごて、導電性ペースト、配線材、ボルト・ナット類。


 順番が決まると、作業の流れが見えてくる。


 照明を確認した。ヘッドライトのバッテリーが満充電。工房の魔法光も問題ない。


 渉は作業台の前に立って、一度全体を見回した。


 準備できている。



 朝の八時に、全員が集まった。


 リーニャ、メイ、フィオナ、ゴールド、田所。


「帰還装置の修理を始めます。各自の役割は先日の通りです」


「田所さんは?」とフィオナが聞いた。


「お茶と、緊急時の連絡役です」と田所が答えた。「……緊急時とは何が起きるんでしょう」


「わからないです。でも何かあった時に、外との連絡ができる人が必要なんで」


「……了解しました」



 道具をバッグに収めた。


 全部、定位置に収まった。


 渉は工房の鍵をかけた。


 歩き出す前に、ふと振り返った。


 棚に、ナンバープレートが立ててある。品川ナンバー。


 渉はそれを見て、口の端を少し上げた。


「よし、やるか」


 小声で言った。



 第七層に降りた。


 壁の装置の前に、道具を広げた。


 まず損傷の確認。先日のマッピング通りの状態。想定外はない。


 精密ドライバーを取り出した。


 基板の固定ネジに当てた。


 今日は最初からラスペネを吹いた。前回なめた反省だ。


 ゆっくりと回した。


 全部のネジが、素直に外れた。



 一か所目の断線修復。


 導電性ペーストをノズルから細く出して、断線部分に沿って塗る。精密はんだごてで加熱する。


 メイがエネルギーを安定して供給する。


 コテ先の熱が、適温で保たれた。


 ペーストが流れた。


 渉はコテ先を離して、仕上がりを確認した。


「……一か所目、完了」



 二か所目に差し掛かった時、渉は手を止めた。


「メイさん、少し温度が下がっています」


「……気づきませんでした、すみません」


「集中が途切れかけてる。休憩しますか」


「大丈夫です」


「無理しないでください。こういう作業は、集中が切れた時にミスが出ます」


 メイが少し間を置いた。


「……五分だけ」


「どうぞ」



 五分後に再開した。


 メイのエネルギーが、さっきより安定していた。


「ありがとうございます。言ってくれて」


「俺も途中で止めることがあります。無理して一発でやるより、確実な方がいい」


「それは……帰還装置についても、ですか」


「全部そうです」



 三時間後、修復が全て終わった。


 端子の清掃。接点復活剤の塗布。ボルトの全数確認。


 カチッ、カチッ、カチッ。


 一本ずつ、規定トルクで締めた。


 最後に全体を一周確認した。


 問題なし。


「装置の修復作業、完了」


 ゴールドが「全系統起動確認。座標照合、開始」と言った。



 渉は道具を片付けながら、田所の持ってきたお茶を受け取った。


 一口飲んだ。


 旨かった。


 リーニャが隣に座った。


「……終わりましたね」


「修復は終わりました。座標照合待ちです」


「照合が終わったら……」


「装置が動くかどうか確認します」


「……実際に使うかどうかは、まだ決めていないんですよね」


「装置が動くと確認してから、考えます」



 その夜の遅い時間。


 管理棟に早馬が来た。


 田所が書状を持ってきた。


「JDA本部からです。佐藤さん宛てに」


 渉は封を開けた。


 差出人は「王国特務部」。


 内容は短かった。


「帰還装置の修復を確認した。同装置の起動を阻止するため、特務部の者を派遣する。装置は国家の安全保障上、起動させてはならない」



 渉は書状を一度折りたたんだ。


 また開いた。


 もう一度読んだ。


 内容は変わらなかった。


 渉が最初に感じたのは、恐怖ではなかった。


 怒りだった。


 静かな、しかし確かな怒りだった。


 三日かけて作ったコテ先の試作を。一本なめたネジの反省を。メイと五分の休憩を挟みながら丁寧にやった断線修復を。


 それを、素人に「起動させるな」の一言で台無しにされる。


 「起動させるな」は勝手にしろ。


 しかし俺の仕事場に踏み込んで、俺が精密に組み上げた装置をガチャガチャ触るなら、話は別だ。



 渉は書状を畳んで、田所に返した。


「明日、来るんですか、その人たちは」


「早馬で来たくらいなので、急いでいると思います。明後日には着くかもしれません」


「わかりました」


「……どうするつもりですか」


「話を聞きます。起動を止めるだけなら、別に構わない。装置に触るなら、バールで叩き出します」


 田所が少し固まった。


「バールで……特務部を……?」


「俺の仕事場に許可なく入って、俺の道具に触るなら、誰でも同じです」


「……それは、かなり問題になりますよ」


「問題になるのは向こうが先に触った時です」



 その夜、渉は工房で道具の手入れをした。


 バールを磨く。


 インパクトレンチを確認する。


 精密はんだごてのコテ先を清掃する。


 帰還装置は修復した。


 壊れていたから直した。


 それは終わった。


 次に何が来ても、まず道具の手入れをする。


 それが、渉の始まり方だ。


 機械は嘘をつかない。


 道具も嘘をつかない。


 そして、丁寧に仕上げた仕事も、嘘をつかない。


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           〈第三十五話 了〉

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【次話予告】

 翌朝、工房の前に二人の人物が立っていた。

 顔が見えない。装備が見えない。気配が、ない。

 渉はバールを持って外に出た。

 「帰還装置に触るなら、作業の邪魔になります」

いよいよ修理完了、そして不穏な影。

「特務部」という巨大な権力からの警告に対し、渉が抱いたのが「仕事場を荒らされることへの怒り」だったのが今回の肝です。せっかく適温で流したハンダや、トルク管理したボルトを、事情も知らない役人に弄ばれる。それは職人にとって、宣戦布告と同じ意味を持ちます。

次話、バールを持ったおっさんと、特務部の対峙にご期待ください。

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