第三十三話「基板の裏の日記」
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第三十三話「基板の裏の日記」
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道具が一通り揃ったところで、渉は帰還装置の本格的な分解清掃に入った。
第七層の壁から取り出した装置を、工房の作業台に置いた。
外装パネルから順番に外していく。
まず全体の損傷を把握する。修理の手順を組む。それが先だ。
◆
メインの基板を慎重に外した。
精密ドライバーで、固定ネジを一本ずつ外す。
三本目のネジが、妙に固かった。
渉は力をかけた。
ドライバーが滑った。
ネジ頭の溝が、少し崩れた。
「……なめた」
渉は手を止めた。
溝が崩れたネジは、普通のドライバーでは外せなくなる。
渉はバッグからネジザウルスに近い構造のプライヤーを出した。バラムに作ってもらった特注品だ。頭の側面を掴んで回す。
三回転かけて、ようやく外れた。
「……錆びてた。浸透剤を先に吹くべきだったな」
渉はラスペネを取り出して、残りのネジ全てに少量吹いてから、改めて外した。
手順を一つ飛ばしたツケだ。
◆
基板を外した。
表面を、ヘッドライトで照らした。
予想通りの損傷が三か所。断線が二か所。端子の腐食が四か所。
渉はノギスで各部を計測して、メモ帳に書き込んだ。
それから基板を裏返した。
裏面の確認をしようとして、手が止まった。
◆
基板の裏に、何かが貼り付いていた。
紙だった。
和紙に似た薄い紙で、基板に密着して貼られていた。経年で黄ばんでいるが、破れてはいない。
渉はそれを慎重に剥がした。
日本語で、びっしりと書かれていた。
万年筆の筆跡。細かく、丁寧な字だ。
「……日記だ」
◆
渉はそれを光に当てて読み始めた。
日付が書いてあった。
最初の日付は四十年以上前だった。
『ここに来て五年が経った。最初の年は何もわからなかった。言葉が違う、文字が違う、道具が違う。それでも機械だけは同じだった。錆は錆で、固着は固着で、オイル切れはオイル切れだった。機械は嘘をつかない。どこの世界でも同じだ』
◆
『ダンジョンの正体がわかったのは、三年目だった。浄化設備だとわかった時、少し笑った。俺が向こうでやってきた仕事と、原理が同じだったから。汚れたものを綺麗にする。詰まったものを通す。それだけだ』
『守護者たちに整備を教え始めた。言葉が通じなかった最初は、手で示した。やって見せた。それで伝わった。技術というのは言語より古い』
渉は少し顔を上げた。
ゴールドが工房の庭に立っているのが見えた。
また読み続けた。
◆
『故郷に帰りたいと思わなかった、と言えば嘘になる。ただ、帰るより先にやることがあった。この機械は、俺が手を入れなければ誰も直せない。そのことが、俺をここに繋ぎ止めた』
『装置の設計は終わった。帰還用の座標も記録した。しかし完成する前に、体が限界になった。年だ。二十年以上、無理をしすぎた』
『後継者が来るはずだ。このシステムは、必要な時に必要な人間を引き寄せる。俺がそうだったように』
◆
最後のページに来た。
『この日記を読んでいるということは、俺が果たせなかった仕事を引き受けてくれたということだ』
『お礼を言う。ありがとう』
『一つだけ伝えたいことがある』
『帰ることと、残ることは、どちらが正しいわけではない。俺は最終的に残ることを選んだ。でも、それはお前に勧めるものではない』
『ただ、どちらを選ぶにしても、後悔しない選び方をしてほしい』
『道具を大切にしてくれれば、それでいい』
◆
渉は日記を読み終えて、しばらくそのまま座っていた。
ネジを一本、なめてしまった。
それが少し、頭に引っかかっていた。
手順を省いた自分のミスだ。
次からは気をつける。
それと同時に、日記のことも考えていた。
この人は、最後まで機械と向き合った人だ。
三十年以上、一人で。
そして帰らなかった。
渉には、それが正解かどうかわからなかった。
ただ、ちゃんとした仕事をした人だということは、わかった。
◆
渉は日記を丁寧に折りたたんだ。
バックアップ室のマニュアルの間に、挟んで保管した。
それからネジを一本、ラスペネで拭いた。
なめてしまったネジだ。
もう使えないが、捨てる気にならなかった。
◆
工房に戻ると、リーニャが来ていた。
「どうでした、装置の分解は」
「損傷の把握ができました。ネジを一本なめてしまいましたが」
「……大丈夫ですか」
「修理への影響はないです。手順を一つ省いた俺のミスです」
「他には何か……?」
「設計者の日記がありました」
「……読みましたか」
「読みました」
「どんな……内容でしたか」
「引き継ぎのメモと、個人的なことが書いてありました」渉は少し考えた。「帰らずにここに残った理由と、後継者への言葉です」
「……佐藤さんは、どう思いましたか」
「ちゃんとした仕事をした人だと思いました。最後まで」
◆
その夜、メイが来た。
日記の内容を話すと、メイは手帳を出さなかった。
ただ聞いていた。
「……その人が最後まで残ったのは、機械のためだったんですね」
「そうだと思います」
「佐藤さんは……どうですか」
「俺は帰還装置を直そうとしています」
「帰るためですか」
「壊れてるから、直したい。それが最初にある」
メイはしばらく黙っていた。
「……わかりました」
メイは帰り際に言った。
「何があっても、私たちは一緒にいます」
渉は「ありがとうございます」と答えた。
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〈第三十三話 了〉
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【次話予告】
道具リストに、最後の一行が残っていた。
「導電性ペースト(特殊素材が必要)」
調べると、高難度エリアの深部にいる魔物の核を使うしかないとわかった。
リーニャが「私が行きます」と言った。
フィオナが「私も」と続けた。
渉は「二人だけで行かせたくないな」と言った。
「ネジをなめる」という、全整備士が胃を痛める大失態を入れました。
設計者の日記というエモーショナルな発見の直前に、自分の未熟さでネジ山を潰してしまう。この落差が渉らしいなと思います。前任者の「道具を大切にしてくれればいい」という言葉が、なめたネジを前にした渉の心にどう響いたのか。技術継承の重みを感じる回になりました。




