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第三十三話「基板の裏の日記」

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第三十三話「基板の裏の日記」

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 道具が一通り揃ったところで、渉は帰還装置の本格的な分解清掃に入った。


 第七層の壁から取り出した装置を、工房の作業台に置いた。


 外装パネルから順番に外していく。


 まず全体の損傷を把握する。修理の手順を組む。それが先だ。



 メインの基板を慎重に外した。


 精密ドライバーで、固定ネジを一本ずつ外す。


 三本目のネジが、妙に固かった。


 渉は力をかけた。


 ドライバーが滑った。


 ネジ頭の溝が、少し崩れた。


「……なめた」


 渉は手を止めた。


 溝が崩れたネジは、普通のドライバーでは外せなくなる。


 渉はバッグからネジザウルスに近い構造のプライヤーを出した。バラムに作ってもらった特注品だ。頭の側面を掴んで回す。


 三回転かけて、ようやく外れた。


「……錆びてた。浸透剤を先に吹くべきだったな」


 渉はラスペネを取り出して、残りのネジ全てに少量吹いてから、改めて外した。


 手順を一つ飛ばしたツケだ。



 基板を外した。


 表面を、ヘッドライトで照らした。


 予想通りの損傷が三か所。断線が二か所。端子の腐食が四か所。


 渉はノギスで各部を計測して、メモ帳に書き込んだ。


 それから基板を裏返した。


 裏面の確認をしようとして、手が止まった。



 基板の裏に、何かが貼り付いていた。


 紙だった。


 和紙に似た薄い紙で、基板に密着して貼られていた。経年で黄ばんでいるが、破れてはいない。


 渉はそれを慎重に剥がした。


 日本語で、びっしりと書かれていた。


 万年筆の筆跡。細かく、丁寧な字だ。


「……日記だ」



 渉はそれを光に当てて読み始めた。


 日付が書いてあった。


 最初の日付は四十年以上前だった。


『ここに来て五年が経った。最初の年は何もわからなかった。言葉が違う、文字が違う、道具が違う。それでも機械だけは同じだった。錆は錆で、固着は固着で、オイル切れはオイル切れだった。機械は嘘をつかない。どこの世界でも同じだ』



『ダンジョンの正体がわかったのは、三年目だった。浄化設備だとわかった時、少し笑った。俺が向こうでやってきた仕事と、原理が同じだったから。汚れたものを綺麗にする。詰まったものを通す。それだけだ』


『守護者たちに整備を教え始めた。言葉が通じなかった最初は、手で示した。やって見せた。それで伝わった。技術というのは言語より古い』


 渉は少し顔を上げた。


 ゴールドが工房の庭に立っているのが見えた。


 また読み続けた。



『故郷に帰りたいと思わなかった、と言えば嘘になる。ただ、帰るより先にやることがあった。この機械は、俺が手を入れなければ誰も直せない。そのことが、俺をここに繋ぎ止めた』


『装置の設計は終わった。帰還用の座標も記録した。しかし完成する前に、体が限界になった。年だ。二十年以上、無理をしすぎた』


『後継者が来るはずだ。このシステムは、必要な時に必要な人間を引き寄せる。俺がそうだったように』



 最後のページに来た。


『この日記を読んでいるということは、俺が果たせなかった仕事を引き受けてくれたということだ』


『お礼を言う。ありがとう』


『一つだけ伝えたいことがある』


『帰ることと、残ることは、どちらが正しいわけではない。俺は最終的に残ることを選んだ。でも、それはお前に勧めるものではない』


『ただ、どちらを選ぶにしても、後悔しない選び方をしてほしい』


『道具を大切にしてくれれば、それでいい』



 渉は日記を読み終えて、しばらくそのまま座っていた。


 ネジを一本、なめてしまった。


 それが少し、頭に引っかかっていた。


 手順を省いた自分のミスだ。


 次からは気をつける。


 それと同時に、日記のことも考えていた。


 この人は、最後まで機械と向き合った人だ。


 三十年以上、一人で。


 そして帰らなかった。


 渉には、それが正解かどうかわからなかった。


 ただ、ちゃんとした仕事をした人だということは、わかった。



 渉は日記を丁寧に折りたたんだ。


 バックアップ室のマニュアルの間に、挟んで保管した。


 それからネジを一本、ラスペネで拭いた。


 なめてしまったネジだ。


 もう使えないが、捨てる気にならなかった。



 工房に戻ると、リーニャが来ていた。


「どうでした、装置の分解は」


「損傷の把握ができました。ネジを一本なめてしまいましたが」


「……大丈夫ですか」


「修理への影響はないです。手順を一つ省いた俺のミスです」


「他には何か……?」


「設計者の日記がありました」


「……読みましたか」


「読みました」


「どんな……内容でしたか」


「引き継ぎのメモと、個人的なことが書いてありました」渉は少し考えた。「帰らずにここに残った理由と、後継者への言葉です」


「……佐藤さんは、どう思いましたか」


「ちゃんとした仕事をした人だと思いました。最後まで」



 その夜、メイが来た。


 日記の内容を話すと、メイは手帳を出さなかった。


 ただ聞いていた。


「……その人が最後まで残ったのは、機械のためだったんですね」


「そうだと思います」


「佐藤さんは……どうですか」


「俺は帰還装置を直そうとしています」


「帰るためですか」


「壊れてるから、直したい。それが最初にある」


 メイはしばらく黙っていた。


「……わかりました」


 メイは帰り際に言った。


「何があっても、私たちは一緒にいます」


 渉は「ありがとうございます」と答えた。


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           〈第三十三話 了〉

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【次話予告】

 道具リストに、最後の一行が残っていた。

 「導電性ペースト(特殊素材が必要)」

 調べると、高難度エリアの深部にいる魔物の核を使うしかないとわかった。

 リーニャが「私が行きます」と言った。

 フィオナが「私も」と続けた。

 渉は「二人だけで行かせたくないな」と言った。

「ネジをなめる」という、全整備士が胃を痛める大失態を入れました。

設計者の日記というエモーショナルな発見の直前に、自分の未熟さでネジ山を潰してしまう。この落差が渉らしいなと思います。前任者の「道具を大切にしてくれればいい」という言葉が、なめたネジを前にした渉の心にどう響いたのか。技術継承の重みを感じる回になりました。

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