第三十話「一ミリの宇宙、ノギスの製作」
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第三十話「一ミリの宇宙、ノギスの製作」
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街の鍛冶師を探すのは、思ったより簡単だった。
管理棟の田所に「精密な金属加工ができる職人を知りませんか」と聞くと、「一人だけいます。ただし、ちょっと癖のある人ですが」という答えが返ってきた。
「どんな癖ですか」
「気に入らない依頼は断ります。気に入った依頼は相場の三倍かかります。ただし腕は確かです。特務部隊の特注装備も全部あの人です」
「わかりました」
「……佐藤さん、断られても気にしないでください。あの人、Sランク探索者の依頼でも断ったことがあるんで」
◆
バラムの鍛冶場は、街の端にあった。
石造りの小屋で、煙突から煙が出ている。扉は重い鉄製だ。
開けると熱気が押し出してきた。
炉、鉄床、各種ハンマー、砥石、万力。工具が所狭しと並んでいる。渉には懐かしい空気がした。
奥に男がいた。
六十代か七十代か。背が低く、肩幅が広い。白髪交じりの髭。腕が太い。腰が少し曲がっているが、動きが速い。
男は渉を一瞥して、また鉄床に向かった。
「依頼か」
「そうです。図面があります」
「置いて帰れ。後で見る」
「一緒に見てほしいです。説明が必要な部分があるので」
男が手を止めた。振り返った。
「……珍しいな、食い下がる客は」
◆
渉は図面を広げた。
A5メモ帳のページを破いて貼り合わせた、手書きの図面だ。
まず一枚目。ノギス。
各部の寸法が細かく書き込まれている。
バラムが図面を手に取った。
最初は流し見る顔だった。
次の瞬間、眉間に皺が寄った。
「……なんだこれ」
「ノギスです。寸法を測る道具で……」
「そんなことはわかる」バラムが図面から顔を上げた。「0.05ミリって書いてあるが……こんな寸法、神様でもなきゃ出せねえ」
◆
渉は少し考えてから言った。
「0.05ミリというのは、髪の毛一本の、さらに半分以下の厚みです」
「……それがどうした」
「指の腹で金属面を撫でた時に、『段差』として感じるんじゃなくて、『なんか変』という違和感として感知する、その限界あたりの厚みです」
バラムが黙った。
「脳が段差と認識できないのに、指は何かを感じている。その領域の話です」
「……お前、自分でそれを感じ取れるのか」
「二十五年やれば、なんとか」
◆
バラムは図面を持ったまま、しばらく動かなかった。
それから鉄床に近づいて、そこに置いた図面と自分の手を見比べた。
親指の腹を、鉄床の表面に静かに押しつけた。
ゆっくりと滑らせた。
それだけだった。
「……俺の手は、どのくらいまで感じ取れるんだろうな」
独り言のように言った。
「砥石で仕上げた面なら、十分の一ミリまでは感じ取れると思いますよ」渉は答えた。「バラムさんが六十年仕上げてきた手なら、もう少し細かいかもしれない」
「確かめたことがない」
「俺も、計測器で確認するまでは確かめ方がわからなかったです。だからノギスが必要なんです」
バラムは図面を見た。
「……つまりこれは、自分の手を確認するための道具か」
「そうとも言えます」
◆
バラムが受けると言った。
「ただし、作業は一緒にやれ。俺が全部引き出す」
「わかりました」
◆
翌日から、毎朝渉はバラムの工房に通った。
素材の選定から始めた。
バラムの在庫を一つずつ、渉が確認する。
硬度。熱膨張係数。加工性。ノギスの本体は、精度を保つために熱に対して安定している素材が必要だ。
「これは膨張が大きい。これは硬度が足りない」
渉は迷わず選別した。
「……早いな、判断が」
「工場で廃材の素材確認を毎日やってたんで。失敗すると工具が傷むんで、早めに覚えた」
「失敗したことがあるのか」
「最初の頃は何度も。固すぎる素材に無理な加工をして、バール一本ダメにしました」
「……それで学んだか」
「そうです」
◆
素材が決まると、成形に入った。
バラムが叩く。渉が冷却して確認する。また叩く。
一日目は、形を出すことだけに集中した。
二日目に入ったところで、問題が出た。
スライド部分の嵌合が、きつすぎた。
渉がスライドを動かすと、引っかかる。
「……削りすぎたか」
「どのくらいきつい?」
「動かないほどじゃないですが、スムーズじゃない」
バラムが渉からノギスを受け取って、スライドを動かした。
「……確かに。どこが引っかかってる」
「ここです」渉がスライドの一点を指した。「ここだけ、わずかに盛り上がってる」
バラムが指の腹でその箇所を触れた。
長い沈黙があった。
「……感じるか感じないかのところだな」
「でも引っかかりの原因はここです」
「……お前の指、化け物か」
「慣れです」
◆
修正は砥石で行った。
問題の箇所を、極めて薄く削る。
削りすぎたら、今度は逆に緩くなって精度が出ない。
バラムが砥石を当てた。
五ストローク。
渉がスライドを動かした。
まだ少し引っかかる。
三ストローク。
また確認。
今度は滑らかだった。
「……ここで止めてください」
「止まれるもんか、こんな細かい」
「止まれます。バラムさんの手なら」
バラムが渉を見た。
それから砥石を置いた。
◆
三日後、ノギスの初号機が完成した。
渉はそれを手に取り、スライドを動かした。
滑らかだった。
引き出しで自分のインパクトレンチのビット径を測った。
数値を読んだ。
既知の数値と照合した。
一致した。
「……精度が出ています」
バラムが受け取った。
スライドを動かした。
長い沈黙があった。
「……俺、六十三年鍛冶やってきた」
「はい」
「こういう道具は初めて作った」
「どうでしたか」
「面白かった」バラムはノギスを渉に返した。「面白くて、腹が立った」
「腹が立った?」
「もっと早く知りたかった。こういう道具のことを」
◆
渉はバラムの横顔を見た。
六十三年分の手がノギスを持っている。
渉の二十五年とは別の、しかし同じ方向を向いた時間が、その手に刻まれていた。
「次の図面を出せ」とバラムが言った。
「精密はんだごてです」
バラムが図面を受け取った。
また顔を近づけた。
「……また細けえ」
「温度を調整できるコテ先が必要なんです」
「温度を調整……面白いな」
バラムが炉に向かった。
「やってみよう」
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〈第三十話 了〉
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【次話予告】
「温度を制御する道具」の製作が始まった。
一度目の試作で、導電合金のコテ先が自重で曲がった。
「……融点が低すぎる。素材の調合が違う」
バラムが「失敗か」と言った。
渉は「調整です」と答えた。
プロの道具作り回です。
「指が違和感を覚える限界」という描写を加えましたが、実際、熟練の整備士や加工職人は、目で見えない歪みを指先の「滑り」だけで言い当てたりします。バラムのような超一流の職人に、現代の「数値化する道具」を渡した時の、あの何とも言えない敗北感と高揚感が混ざった表情、書けていたら嬉しいです。




