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第三十話「一ミリの宇宙、ノギスの製作」

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第三十話「一ミリの宇宙、ノギスの製作」

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 街の鍛冶師を探すのは、思ったより簡単だった。


 管理棟の田所に「精密な金属加工ができる職人を知りませんか」と聞くと、「一人だけいます。ただし、ちょっと癖のある人ですが」という答えが返ってきた。


「どんな癖ですか」


「気に入らない依頼は断ります。気に入った依頼は相場の三倍かかります。ただし腕は確かです。特務部隊の特注装備も全部あの人です」


「わかりました」


「……佐藤さん、断られても気にしないでください。あの人、Sランク探索者の依頼でも断ったことがあるんで」



 バラムの鍛冶場は、街の端にあった。


 石造りの小屋で、煙突から煙が出ている。扉は重い鉄製だ。


 開けると熱気が押し出してきた。


 炉、鉄床、各種ハンマー、砥石、万力。工具が所狭しと並んでいる。渉には懐かしい空気がした。


 奥に男がいた。


 六十代か七十代か。背が低く、肩幅が広い。白髪交じりの髭。腕が太い。腰が少し曲がっているが、動きが速い。


 男は渉を一瞥して、また鉄床に向かった。


「依頼か」


「そうです。図面があります」


「置いて帰れ。後で見る」


「一緒に見てほしいです。説明が必要な部分があるので」


 男が手を止めた。振り返った。


「……珍しいな、食い下がる客は」



 渉は図面を広げた。


 A5メモ帳のページを破いて貼り合わせた、手書きの図面だ。


 まず一枚目。ノギス。


 各部の寸法が細かく書き込まれている。


 バラムが図面を手に取った。


 最初は流し見る顔だった。


 次の瞬間、眉間に皺が寄った。


「……なんだこれ」


「ノギスです。寸法を測る道具で……」


「そんなことはわかる」バラムが図面から顔を上げた。「0.05ミリって書いてあるが……こんな寸法、神様でもなきゃ出せねえ」



 渉は少し考えてから言った。


「0.05ミリというのは、髪の毛一本の、さらに半分以下の厚みです」


「……それがどうした」


「指の腹で金属面を撫でた時に、『段差』として感じるんじゃなくて、『なんか変』という違和感として感知する、その限界あたりの厚みです」


 バラムが黙った。


「脳が段差と認識できないのに、指は何かを感じている。その領域の話です」


「……お前、自分でそれを感じ取れるのか」


「二十五年やれば、なんとか」



 バラムは図面を持ったまま、しばらく動かなかった。


 それから鉄床に近づいて、そこに置いた図面と自分の手を見比べた。


 親指の腹を、鉄床の表面に静かに押しつけた。


 ゆっくりと滑らせた。


 それだけだった。


「……俺の手は、どのくらいまで感じ取れるんだろうな」


 独り言のように言った。


「砥石で仕上げた面なら、十分の一ミリまでは感じ取れると思いますよ」渉は答えた。「バラムさんが六十年仕上げてきた手なら、もう少し細かいかもしれない」


「確かめたことがない」


「俺も、計測器で確認するまでは確かめ方がわからなかったです。だからノギスが必要なんです」


 バラムは図面を見た。


「……つまりこれは、自分の手を確認するための道具か」


「そうとも言えます」



 バラムが受けると言った。


「ただし、作業は一緒にやれ。俺が全部引き出す」


「わかりました」



 翌日から、毎朝渉はバラムの工房に通った。


 素材の選定から始めた。


 バラムの在庫を一つずつ、渉が確認する。


 硬度。熱膨張係数。加工性。ノギスの本体は、精度を保つために熱に対して安定している素材が必要だ。


「これは膨張が大きい。これは硬度が足りない」


 渉は迷わず選別した。


「……早いな、判断が」


「工場で廃材の素材確認を毎日やってたんで。失敗すると工具が傷むんで、早めに覚えた」


「失敗したことがあるのか」


「最初の頃は何度も。固すぎる素材に無理な加工をして、バール一本ダメにしました」


「……それで学んだか」


「そうです」



 素材が決まると、成形に入った。


 バラムが叩く。渉が冷却して確認する。また叩く。


 一日目は、形を出すことだけに集中した。


 二日目に入ったところで、問題が出た。


 スライド部分の嵌合が、きつすぎた。


 渉がスライドを動かすと、引っかかる。


「……削りすぎたか」


「どのくらいきつい?」


「動かないほどじゃないですが、スムーズじゃない」


 バラムが渉からノギスを受け取って、スライドを動かした。


「……確かに。どこが引っかかってる」


「ここです」渉がスライドの一点を指した。「ここだけ、わずかに盛り上がってる」


 バラムが指の腹でその箇所を触れた。


 長い沈黙があった。


「……感じるか感じないかのところだな」


「でも引っかかりの原因はここです」


「……お前の指、化け物か」


「慣れです」



 修正は砥石で行った。


 問題の箇所を、極めて薄く削る。


 削りすぎたら、今度は逆に緩くなって精度が出ない。


 バラムが砥石を当てた。


 五ストローク。


 渉がスライドを動かした。


 まだ少し引っかかる。


 三ストローク。


 また確認。


 今度は滑らかだった。


「……ここで止めてください」


「止まれるもんか、こんな細かい」


「止まれます。バラムさんの手なら」


 バラムが渉を見た。


 それから砥石を置いた。



 三日後、ノギスの初号機が完成した。


 渉はそれを手に取り、スライドを動かした。


 滑らかだった。


 引き出しで自分のインパクトレンチのビット径を測った。


 数値を読んだ。


 既知の数値と照合した。


 一致した。


「……精度が出ています」


 バラムが受け取った。


 スライドを動かした。


 長い沈黙があった。


「……俺、六十三年鍛冶やってきた」


「はい」


「こういう道具は初めて作った」


「どうでしたか」


「面白かった」バラムはノギスを渉に返した。「面白くて、腹が立った」


「腹が立った?」


「もっと早く知りたかった。こういう道具のことを」



 渉はバラムの横顔を見た。


 六十三年分の手がノギスを持っている。


 渉の二十五年とは別の、しかし同じ方向を向いた時間が、その手に刻まれていた。


「次の図面を出せ」とバラムが言った。


「精密はんだごてです」


 バラムが図面を受け取った。


 また顔を近づけた。


「……また細けえ」


「温度を調整できるコテ先が必要なんです」


「温度を調整……面白いな」


 バラムが炉に向かった。


「やってみよう」


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           〈第三十話 了〉

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【次話予告】

 「温度を制御する道具」の製作が始まった。

 一度目の試作で、導電合金のコテ先が自重で曲がった。

 「……融点が低すぎる。素材の調合が違う」

 バラムが「失敗か」と言った。

 渉は「調整です」と答えた。

プロの道具作り回です。

「指が違和感を覚える限界」という描写を加えましたが、実際、熟練の整備士や加工職人は、目で見えない歪みを指先の「滑り」だけで言い当てたりします。バラムのような超一流の職人に、現代の「数値化する道具」を渡した時の、あの何とも言えない敗北感と高揚感が混ざった表情、書けていたら嬉しいです。

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