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第二十九話「帰還用の座標と、足りない道具」

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第二十九話「帰還用の座標と、足りない道具」

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  「フラッシング完了」とゴールドが言ったのは、作業開始から九時間後だった。


 ちょうど日が傾き始めた頃だった。


 ダンジョンの各入り口から漂っていた黒い霧が、いつの間にか消えていた。代わりに、淡い光が漏れてきていた。


 地上に出た渉は、空を見上げた。


 いつもと同じ夕空だが、どこか透明感が違った。


 気のせいかもしれない。


 でも、違う気がした。



 「ゴールド、全系統の確認を頼む」


 「了解。各層、正常稼働。浄化効率、現状比三百四十パーセント。コア温度、安定域。冷却経路、正常」


 「よし」


 渉はメモ帳を取り出した。


 工程表の最後の欄、「完了確認」にチェックを入れた。


 その下の行、「完了後:設計者への報告(マニュアル記録欄に記入)」。


 これもやらないといけない。


 渉はバックアップ室に向かった。



 マニュアルの最終ページ、記録欄を開いた。


 前の担当者の字でびっしりと書かれた整備記録がある。日付と、作業内容と、所見が几帳面に並んでいる。


 最後の記録は、三十年前の日付だった。


 「冷却系の洗浄実施。スケール多量。次回要注意。フラッシングは未実施のまま。後継者に要引き継ぎ」


 渉はその下に、今日の日付を書いた。


 「フラッシング実施。全詰まり解消。浄化効率三百四十パーセント回復。スラッジ出現、洗浄液で対処。完了」


 それだけ書いた。


 ボールペンを置いた。



 帰ろうとして、棚の奥に目が止まった。


 マニュアルが並んでいる棚の、一番端。


 他の冊子より薄い、小さな本があった。


 見落としていた。


 渉はそれを取り出した。


 表紙に、日本語で書いてあった。


 「帰還用座標記録および装置操作手順」



 渉は三秒、その表紙を見た。


 それから開いた。


 中には、座標らしき数値の羅列と、図解があった。装置の図だ。


 そしてメモ書きがあった。前の担当者の字で。


 「この座標は向こうに戻るためのもの。装置は第七層の壁に埋まっているはず。ただし、当方の退去時には装置が損傷していた。修理には専門知識が必要。後継者に委ねる」


 渉は装置の図をもう一度見た。


 構造は複雑だったが、どこか見覚えがある感じもした。


 機械だ。



 翌朝、渉は第七層の壁を調べた。


 ゴールドに「帰還装置の場所を知っているか」と聞くと「知っている」と言った。


 案内されたのは、コア室の手前の壁の一角だった。


 壁に埋め込まれた、金属のパネル。


 他の壁より少し出っ張っている部分。


 渉がパーツクリーナーで表面を拭くと、継ぎ目が現れた。


 パネルを外すと、内部に装置があった。



 損傷していた。


 前の担当者のメモの通りだった。


 配線が二か所、断線している。端子が三か所、腐食で消えかけている。基板の一部が熱で変形している。


 渉はヘッドライトで一通り照らした。


 直せるかどうかを、見極めた。


 一分ほど、黙って観察した。


「……直すには、まだ道具が足りないな」



 ゴールドが横で聞いていた。


「足りない道具とは」


「基板の修正に精密はんだごてが要る。端子の作り直しに、この素材に対応した金属ペーストが要る。配線の引き直しにも、適切な素材が必要だ。今の俺の道具では、精度が出ない」


「では……」


「時間はかかるが、道具を揃えれば直せます」


 ゴールドはしばらく黙っていた。


「マスターは……帰りたいか」



 渉は少し考えた。


 日本に帰る手段があるかもしれない。


 それがわかった。


 しかし渉が今感じているのは、焦りでも、喜びでも、悲しみでもなかった。


「……わからないです。今すぐ決める必要はないと思ってます」


「なぜか」


「道具を揃えないと、直せない。道具が揃っても、ちゃんと動くか確認しないといけない。どちらにしても、すぐには無理だから」


「それは……答えを先送りしているのでは」


「工程の話をしてるんです」



 その夜、三人が工房に来た。


 渉がお茶を出すと、全員が静かに座った。


 誰も最初に話さなかった。


 渉が先に口を開いた。


「帰還装置を見つけました」


 三人が、揃って息を止めた。


「損傷していて、今すぐは使えません。直すのに必要な道具が、今の俺にはない」


「……いつか、直るんですか」と、リーニャが静かに聞いた。


「道具と時間があれば、直ると思います」


 沈黙があった。


 フィオナが言った。


「道具は、一緒に探します」


 メイが「私も」と言った。


 リーニャは黙っていた。


 渉はリーニャを見た。


 リーニャは視線を受けて、少し間を置いてから言った。


「……道具が揃ったとしても。帰るかどうかは、佐藤さんが決めることですよね」


「そうです」


「なら……揃えます。選択肢を持っていてほしいから」



 渉はお茶を一口飲んだ。


 旨かった。


「……ありがとうございます」


 三人が、それぞれに少し表情を崩した。


 渉は工程表の新しいページを開いた。


 一番上に書いた。


「帰還装置修理工程表(案) 必要道具リスト→別紙」


 まず道具のリストから作らないといけない。


 工程は、いつもそこから始まる。



 その夜遅く、渉は一人で工房に残って道具リストを書いていた。


 精密はんだごて、金属ペースト、適合配線材……。


 この世界で手に入るか、代替品で対応できるか。


 ひとつひとつ確認しながら書いていった。


 設計者が三十年かけてできなかったことを、渉はいつかやるかもしれないし、やらないかもしれない。


 でも、工程表は作っておく。


 道具のリストは作っておく。


 それが、職人の仕事だ。


 機械は嘘をつかない。


 道具も、嘘をつかない。


 ならば、まず道具を揃えることから始める。


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           〈第二十九話 了〉

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【次話予告】

 道具のリストを持って、渉は街の鍛冶師のもとを訪ねた。

 「こういうものを作れますか」

 老鍛冶師が図面を見て、唸った。

 「……見たことのない設計だが、原理はわかる。やってみよう」

 渉は「ありがとうございます」と頭を下げた。

 そしてその鍛冶師の工房の壁に、見覚えのある工具が掛かっているのに気づいた。

第二十九話「帰還用の座標と、足りない道具」あとがき

「帰れるかもしれない」という希望より先に「道具が足りない」という絶望(?)が来るのが渉です。

精密はんだごて、この世界にあるんでしょうか。なければ作るしかない。

次回からは、異世界の技術と渉の知識がぶつかり合う「道具製作編」が始まります。

バラムという頑固な鍛冶屋が出てきますが、職人同士、話は早そうです。

続きもブックマークして待っててください。

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