第二十九話「帰還用の座標と、足りない道具」
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第二十九話「帰還用の座標と、足りない道具」
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「フラッシング完了」とゴールドが言ったのは、作業開始から九時間後だった。
ちょうど日が傾き始めた頃だった。
ダンジョンの各入り口から漂っていた黒い霧が、いつの間にか消えていた。代わりに、淡い光が漏れてきていた。
地上に出た渉は、空を見上げた。
いつもと同じ夕空だが、どこか透明感が違った。
気のせいかもしれない。
でも、違う気がした。
◆
「ゴールド、全系統の確認を頼む」
「了解。各層、正常稼働。浄化効率、現状比三百四十パーセント。コア温度、安定域。冷却経路、正常」
「よし」
渉はメモ帳を取り出した。
工程表の最後の欄、「完了確認」にチェックを入れた。
その下の行、「完了後:設計者への報告(マニュアル記録欄に記入)」。
これもやらないといけない。
渉はバックアップ室に向かった。
◆
マニュアルの最終ページ、記録欄を開いた。
前の担当者の字でびっしりと書かれた整備記録がある。日付と、作業内容と、所見が几帳面に並んでいる。
最後の記録は、三十年前の日付だった。
「冷却系の洗浄実施。スケール多量。次回要注意。フラッシングは未実施のまま。後継者に要引き継ぎ」
渉はその下に、今日の日付を書いた。
「フラッシング実施。全詰まり解消。浄化効率三百四十パーセント回復。スラッジ出現、洗浄液で対処。完了」
それだけ書いた。
ボールペンを置いた。
◆
帰ろうとして、棚の奥に目が止まった。
マニュアルが並んでいる棚の、一番端。
他の冊子より薄い、小さな本があった。
見落としていた。
渉はそれを取り出した。
表紙に、日本語で書いてあった。
「帰還用座標記録および装置操作手順」
◆
渉は三秒、その表紙を見た。
それから開いた。
中には、座標らしき数値の羅列と、図解があった。装置の図だ。
そしてメモ書きがあった。前の担当者の字で。
「この座標は向こうに戻るためのもの。装置は第七層の壁に埋まっているはず。ただし、当方の退去時には装置が損傷していた。修理には専門知識が必要。後継者に委ねる」
渉は装置の図をもう一度見た。
構造は複雑だったが、どこか見覚えがある感じもした。
機械だ。
◆
翌朝、渉は第七層の壁を調べた。
ゴールドに「帰還装置の場所を知っているか」と聞くと「知っている」と言った。
案内されたのは、コア室の手前の壁の一角だった。
壁に埋め込まれた、金属のパネル。
他の壁より少し出っ張っている部分。
渉がパーツクリーナーで表面を拭くと、継ぎ目が現れた。
パネルを外すと、内部に装置があった。
◆
損傷していた。
前の担当者のメモの通りだった。
配線が二か所、断線している。端子が三か所、腐食で消えかけている。基板の一部が熱で変形している。
渉はヘッドライトで一通り照らした。
直せるかどうかを、見極めた。
一分ほど、黙って観察した。
「……直すには、まだ道具が足りないな」
◆
ゴールドが横で聞いていた。
「足りない道具とは」
「基板の修正に精密はんだごてが要る。端子の作り直しに、この素材に対応した金属ペーストが要る。配線の引き直しにも、適切な素材が必要だ。今の俺の道具では、精度が出ない」
「では……」
「時間はかかるが、道具を揃えれば直せます」
ゴールドはしばらく黙っていた。
「マスターは……帰りたいか」
◆
渉は少し考えた。
日本に帰る手段があるかもしれない。
それがわかった。
しかし渉が今感じているのは、焦りでも、喜びでも、悲しみでもなかった。
「……わからないです。今すぐ決める必要はないと思ってます」
「なぜか」
「道具を揃えないと、直せない。道具が揃っても、ちゃんと動くか確認しないといけない。どちらにしても、すぐには無理だから」
「それは……答えを先送りしているのでは」
「工程の話をしてるんです」
◆
その夜、三人が工房に来た。
渉がお茶を出すと、全員が静かに座った。
誰も最初に話さなかった。
渉が先に口を開いた。
「帰還装置を見つけました」
三人が、揃って息を止めた。
「損傷していて、今すぐは使えません。直すのに必要な道具が、今の俺にはない」
「……いつか、直るんですか」と、リーニャが静かに聞いた。
「道具と時間があれば、直ると思います」
沈黙があった。
フィオナが言った。
「道具は、一緒に探します」
メイが「私も」と言った。
リーニャは黙っていた。
渉はリーニャを見た。
リーニャは視線を受けて、少し間を置いてから言った。
「……道具が揃ったとしても。帰るかどうかは、佐藤さんが決めることですよね」
「そうです」
「なら……揃えます。選択肢を持っていてほしいから」
◆
渉はお茶を一口飲んだ。
旨かった。
「……ありがとうございます」
三人が、それぞれに少し表情を崩した。
渉は工程表の新しいページを開いた。
一番上に書いた。
「帰還装置修理工程表(案) 必要道具リスト→別紙」
まず道具のリストから作らないといけない。
工程は、いつもそこから始まる。
◆
その夜遅く、渉は一人で工房に残って道具リストを書いていた。
精密はんだごて、金属ペースト、適合配線材……。
この世界で手に入るか、代替品で対応できるか。
ひとつひとつ確認しながら書いていった。
設計者が三十年かけてできなかったことを、渉はいつかやるかもしれないし、やらないかもしれない。
でも、工程表は作っておく。
道具のリストは作っておく。
それが、職人の仕事だ。
機械は嘘をつかない。
道具も、嘘をつかない。
ならば、まず道具を揃えることから始める。
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〈第二十九話 了〉
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【次話予告】
道具のリストを持って、渉は街の鍛冶師のもとを訪ねた。
「こういうものを作れますか」
老鍛冶師が図面を見て、唸った。
「……見たことのない設計だが、原理はわかる。やってみよう」
渉は「ありがとうございます」と頭を下げた。
そしてその鍛冶師の工房の壁に、見覚えのある工具が掛かっているのに気づいた。
第二十九話「帰還用の座標と、足りない道具」あとがき
「帰れるかもしれない」という希望より先に「道具が足りない」という絶望(?)が来るのが渉です。
精密はんだごて、この世界にあるんでしょうか。なければ作るしかない。
次回からは、異世界の技術と渉の知識がぶつかり合う「道具製作編」が始まります。
バラムという頑固な鍛冶屋が出てきますが、職人同士、話は早そうです。
続きもブックマークして待っててください。




