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第三十四話 皇太子の決意



◆◆◆

 

 開いた窓から見下ろした、二人の姿。最後に見えたのは、瑠璃色の瞳だった。闇に紛れていくのを、見つめることしかできなかったという悔しさが襲う。


 ふと、振り返った。割れた花瓶と水差しの破片が散らばり、水が月光で淡く光っている。そして――まっすぐこちらを見る、レベリオ。


 風の音しかしない、足音がやけに響くこの部屋は、こんなに広かっただろうか。


 月に手を伸ばしては、届かないままぐっと握る。一度深く呼吸をしてから、レベリオに向き直った。


「……レベリオ、あいつは――アレスは、何をしようとしている。」


 その問いかけに、レベリオは肩を小さく震わせた。しかし、意を決したように目を合わせて、ゆっくり口を開いた。


「……私も全容は知らないわ。でも、知っていることはある。」


「全て、教えてくれないか。」


 彼女を――セレンを取り戻したいという気持ちが、体を突き動かす原動力となっていた。レベリオは目をそらさず、一つずつ話していく。


「まず、アレスは人魚の研究者なの。彼は人魚に執着しているわ。」


「何故だ?」


「彼は――人魚の血を飲んで、不老不死になったの。」


 思わず目を見開いた。不老不死になったのなら、もう人魚に用はないはず。なのに、どうしてそこまで執着するのか。


「……詳しくはわからない。けれど、彼はもう人間じゃない。」


「……そうか。」


「それと、もう一つ。彼は"誰か"を蘇らせたいみたいなの。」


 死者蘇生。それは魔法という力にもなし得ないことだ。それを求めるのは禁忌だ、死んだものは決して戻らないから。


「リッテ。彼女の病気は、アレスが仕組んだことなのよ。世話係を操って、薬を飲ませていた。」


 息を呑んだ。つまり、彼は人魚姫を殺した皇室の人間に恨みを持っている。原因不明の病だったリッテも、彼の被害者だった。


 セレン、リッテ、レベリオ。大切な人を次々に奪おうとしているアレスに、腸が煮えくり返りそうだった。


「……大丈夫?」


「大丈夫だ、まだ話せることがあったら全て話せ。」


 レベリオは小さく息をついてから、また話す。彼女にはもう迷いなど見えなかった。


「人魚姫の血筋は、特別らしいの。血を飲めば不老不死に、鱗は万物を治癒し、その歌声は何者をも魅了する。」


 文献を思い出した。今レベリオが言ったことは、普通の人魚の能力と何らかわりないことだった。


「何が違う?」


「……普通の人魚は、あくまで"生き物"なのよ。」


 レベリオは言葉を選びながら、ゆっくりと話す。


「人魚姫は違う……あれは、存在そのものが特別なのよ。」


「特別、とは?」


「戻す力を持っているの。」


 息が詰まった。冷えた空気が肌を痛いほど刺している。先ほどのアレスの言葉の意味がわかった気がした。


「本来あるべき姿に戻す力……壊れたものも、失われたものも。」


「……死んだ者もか。」


「ええ、そうよ。」 


 迷いなく、レベリオははっきりと頷いた。それを見て、心臓が絞められるような痛みが胸に走った。


「でも、それは奇跡なんかじゃないわ。必ず代償がいるの。」


「代償……?」


「何かを戻せば、何かが失われる。命か、記憶か、体かもしれない。最悪の場合……その力を使った本人が――」


 言葉が止まった。レベリオは耐えきれずに決壊し、涙をぽろぽろと流している。


「……消える、のか。」


 自分でも驚くほどに掠れた声だった。ぎり、と奥歯を噛み締めて、拳が白くなるほど握る。今は、酷い顔をしているだろう。


「……誰だ、誰を蘇生しようとしている。」


「ごめんなさい、そこまでは知らないの……」


 どうすれば、セレンを取り戻せる。皆を守ることができる。考えれば考えるほど、答えが遠くなっていく気がした。


「……エディアス。私は、セレンさんのお姉さんを殺してしまった。」


 空気がまた一段冷えた。震える手を押さえながら、レベリオはぽつぽつと話す。


「彼女は、アレスに同情を引かれて無理やり人間にされたの。それから、美しい人魚を欲しがっていた夫に……イリオスに監禁させた。」


「監禁……王子を後ろ盾にしていたのか。」


「そう……操られていた私は、それに酷く嫉妬して彼女を殺めてしまった。その後に、海に捨てたの。」


 罪の告白。操られていたとはいえ、罪が消えるわけではない。それをわかっていても尚、レベリオは贖罪を続けようとしている。


「……それで、セレンが変わりに?」


「これは私のせい。だから、私もできることは何でもするわ。」


 ふと、手の中にある小瓶を見つめた。中には薄い青色に紫のグラデーションがかかった鱗。それが二枚だけ入っていた。その鱗が、忘れないでと言っているようだった。


 最後のあの表情。瑠璃色の瞳が、濡れたように輝いていた。それは――童話の人魚姫が、愛する者を守ろうと自ら泡になるような。そんな表情だった。


「必ず連れ戻す。」


 そう呟いてから、レベリオに向き合った。


「王国の裏を探ってほしい。」


「わかりましたわ。」


「それから、王子も抑えてくれ。頼んだ。」


 レベリオは深く頭を下げた。その姿を一瞥してから、踵を返す。


 足元で、水を踏む音がした。冷たいはずなのに、何も感じなかった。胸の奥にあるものの方が、ずっと熱かったからだ。

 

 握りしめた小瓶の中で、鱗がかすかに揺れる――忘れるな、とでも言うように。それから、セレンが連れ去られた方角へ向かって光を伸ばし始めた。

 

「……待っていろ、セレン。」

 

 今度は、届かせる。伸ばした手を、離さない。

 

 たとえ何を失おうとも――必ず、お前を取り戻す。

  



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