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第三十一話 和解と影



まだ状況がはっきり分かっていない。私とレベリオ王妃はその場に座り込んで動けないでいた。情報が多すぎて処理が追いつかない。


「セレン、さん。」


 小さな声で、私の名を呼んだ。


「……何ですか?」


 王妃は俯く。顔を銀糸のカーテンが遮っており、表情が全く見えない。小刻みに震えながら、ぽつりと呟いた。


「私は、貴女にたくさんの……ぶ、無礼を……」


 締まった喉から絞り出したような震える声。まるで、初めて陸に上がった人魚みたいな、呂律の回らない舌。やがて声は途切れて、辺りは静かになる。


「あの時、あんなことを……違う、私は……」


 手の震えを抑えるように硬く握り、膝を抱えるように体をすくめる。彼女の見つめる地面には、ぽたぽたと大きな水滴が落ちていく。


 私はそっと息を吐いて、王妃の震える肩に優しく手を置いた。子供をあやすように、柔らかい声で語りかける。


「王妃、大丈夫です。落ち着いてください。」


 私の言葉に王妃はゆっくり顔を上げる。紫の瞳は涙で揺れていたが、そこには確かな感情があった。


「私は……私は、何をしてしまったのかしら……」


 言葉がやっと形になる。でも、それはまだ自分の感情と行動の整理をつけるための、ただの呟きにすぎなかった。


 ふと、扉の軋む音がして、王妃と私は部屋の入り口の方を向く。そこには__息を荒げるエディアスが立っていた。


 王妃が彼の名を呼ぼうとした。淡い声色で、『エディアス』と。しかし、それは叶わなかった。


「セレン!」


 エディアスが、王妃よりも先に私の名を呼んだから。彼はこちらへ駆け寄って、私の前に膝をついた。瞳が熱を持っていて、揺れながら私を見つめている。


「怪我はないか、痛むところは……!」


「だ、大丈夫で__」


 体に走った少しの衝撃、少し速い鼓動の音。きつく包まれる感覚。私はエディアスに強く抱きしめられていた。


「よかった……」


 少し速い鼓動の音と震える吐息が、急いで駆けつけてきたことを伝えてくれた。存在を確かめるように、隙間がないように、お互いに抱きしめ合う。


 ああ、安心する。あたたかくて、心地よくて__私の大好きな温もり。


 彼の腕の中で少しずつ息が整う。彼の温かさが心を落ち着かせていく。そんな中、ただ私達を見つめていた王妃が、ようやく口を開いた。


「エディアス……私、操られていたの……!!」


 それはとても美しい泣き顔だった。柔らかな頬に涙が伝って流れていく。エディアスは王妃に顔だけを向けた。

 

「私は間違っていたの。感情に流されて、貴方やセレンさんに……」


 そこで、エディアスが場の空気を切るように言い放つ。


「俺に許しを乞うのは違う。そうだろう?」


 鋭い一言だった。王妃は言葉を詰まらせて、私と目を合わせる。それから、再度口を開いた。


「……セレンさん。今までの非礼、そして__貴女のお姉さんのこと。本当にごめんなさい。」


 声は震えていた。しかし、その言葉に迷いはなく、揺るぎないものだった。確かにこちらに届いた。


 王妃は自分の手を見つめ、鱗を触れた感触をそっと思い返しているのかもしれない。

 

 エディアスは私を抱きしめたまま、そっと王妃に手を差し伸べる。王妃は一瞬ためらったが、やがてその手を取った。指先が触れ合うだけで、心に静かな安心が流れ込んだような、安らかな表情をした。


 私は深く息を吸って、吐いて。それから顔を上げた。


「……もう大丈夫です。王妃が正気に戻ったのなら、私は前に進めます。過去のことは少しずつ整理していけばいい。」


 王妃は小さく頷く。紫色の瞳に、少しだけ光が戻る。


 「……ありがとう、セレンさん。」

 

エディアスはまだ私を抱いたまま、王妃をじっと見つめる。幼馴染として、守るべき相手としての目だ。


 王妃もまた、その視線に応えるように小さく頭を下げる。過去の確執が、ほんのわずかだけ解けた瞬間だった。


 王妃は頭を下げたまま、肩を揺らして深く息をつく。紫色の瞳はまだわずかに震えていて、涙のあとが頬に残っている。

 

 私とエディアスはその様子を静かに見守っていた。部屋の外、遠くの海が静かにざわめいた気がした。


 まるで__姉様の声がそっと届いたかのように。私たちはそこで少しの沈黙を共有した。

 

 エディアスの腕の中で感じる温もり、王妃の緊張が解けた瞬間の柔らかさ__そのすべてが、胸に深く刻まれる。


「さあ、今日はもう寝ましょう。明日に響いてしまいますから。」


 私がそう言うと、体に押し寄せるような疲れが襲ってきた。緊張が解けて安心したのだろうか。王妃もエディアスも表情に疲れが見える。


「……そうですね、おやすみなさい。」


「ああ……おやすみ。」


 三人で控えめに笑った。お互いの表情を見て、なんだか笑わずにはいられなかった。エディアスは私を離して立ち上がり、王妃は部屋の入り口へ向かう。


「……お二人とも、おやすみなさい。」


 そうして、私は二人に手を振って見送ろうとした。しかし__ふと、耳元で声が聞こえる。


「おやおや、随分と仲がよろしいようで。」


 私のすぐ後ろ。男の声。目の前のエディアスと王妃が目を見開いている。一秒、それだけ固まって、彼の声が部屋に響いた。


「……ッセレンから離れろ!!」


 

  


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