第二十六話 書簡
数日後の朝。城内はやけに騒がしく、皆が落ちつかない様子だった。
その理由は__王国から正式な書簡が届いたから。
私とエディアス、それから重鎮の貴族だけ集まり、再度会議を行っている。
「『学術振興計画への干渉を遺憾とする』だって……?」
「いいや、人魚を傷つけてまで進めるのは……」
貴族たちは書簡に対して、怒りを見せている。差出人がレベリオ王妃だということも大きいだろう。
「ロボス男爵への調査は内政干渉に……」
「研究対象は"海洋生物一般"と書かれているな……」
「この計画は、両国友好の象徴……だと!?」
貴族たちは声を荒げながら、書簡の内容に文句を言っていく。それを止めたのはエディアスだった。
「少し落ち着け。」
「は、はい……」
その一言で、会議室が静まり返った。
「……しかし、随分と早いな。」
エディアスは顎に手を当てて、深く考え込んでいる。貴族たちも、深刻そうな顔をして黙ったまま。
この状況から予想できること、それは__誰かが皇国の情報を流している可能性があるということ。
こちらが計画を知ってから、この書簡が届くまでが早すぎる。エディアスはそう言いたいのだろう。
「セレンはどう思う。」
「……私は、内部に耳がある可能性が高いと思います。」
「だろうな。」
いきなり話しかけられて少し驚きつつ、内通者がいる可能性をはっきりと宣言した。ざわ、と空気が揺れて不安定になる。
「王国と通じる者がいると……!?」
「断定はしない。ただ__早すぎる。」
彼は机上に置いてある書簡を指先で叩く。
「我々が資金の流れを掴んだのは三日前。通常の外交経路なら、王国が把握するには時間が足りないはずだ。」
沈黙。会議室に疑問が満ちて広がっていく。
(もし……もし、私の正体が知られたら?)
海洋生物一般、それはおそらく人魚も含まれている。実際に密漁があったのだから。
私は下を向いて呼吸を整えようとした。
研究、適応、生体。
私は、研究対象になり得る存在。
指先が冷えていく。それに反応するかのように、卓上の水差しの水面が、小さく揺れていた。
ふと、視線を感じて顔を上げる。私と目が合ったのは、エディアスだった。何も言わない、ただ静かにこちらを見ている。
私が視線を外すと、彼は貴族に向かって口を開いた。
「港湾管理局を監査対象に加える。」
「それなら……あちらに直接干渉しないで済みますな。」
一人の貴族が頷いたことにより、他の貴族も肯定の意を見せた。
「……友好は維持する。」
その一言は強かった。皆が安堵したような表情になり、わずかに緊張が緩む。
「だが。」
彼はもう一言、聞き間違いのないくらいはっきりとした声で、こう宣言した。
「皇国の民を害する研究があるなら、止める。」
「止める、とは……」
慎重な声色で、老侯爵が問う。エディアスはそれに淡々と答えた。
「証拠が揃えば、正式に抗議する。必要とあらば、王国に共同調査を提案する。」
「共同調査……ですか?」
「ああ。拒むのなら、それが答えだ。」
低い声だったが、迷いなど微塵もなかった。貴族たちは顔を見合わせる。
戦を望んでいるわけではない。だが、引く気もない。その意思表示としては、これ以上ない一手だった。
「では、王妃殿下には穏便な返書を?」
「文面は柔らかく。だが、含みを持たせる。」
エディアスは書簡を封筒へ戻した。
「内通の件は、水面下で進める。騒げば尻尾を隠されてしまう。」
「はっ。」
数名が静かに頭を下げた。
会議は終息へと向かい、椅子の軋む音が響いた。貴族たちは三々五々、退室していく。
そうして、広い会議室に残ったのは、エディアスと私だけになった。
その場から逃げ出したくなるような、重い沈黙。窓の外では、朝の光が中庭の池を照らしていた。魚が跳ねる音が、やけに大きく聞こえた。
「……怖いか。」
不意にそう問われ、胸が池の魚と同時に跳ねた。
「政治が、だ。」
そう言い直され、私は小さく息を吐いた。
「少しだけ。」
嘘ではない。だが、本当はそれだけじゃない。
__怖いのは、暴かれること。
視線を落とし手を握ると、指先がまだ冷たいままだった。
「君を矢面に立たせるつもりはない。」
不思議と安心する、静かな声。
「今回の件は、あくまで国家間の問題だ。」
国家間。その言葉が胸を抉るように刺した。
(私は……"人魚の私"は……)
復讐のためにここに来た。契約結婚をして、仮初の立場を手に入れた。
それじゃあ、この気持ちは__
「俺が守るから、心配はいらないと言っただろう。」
前触れもなく、あの日と同じ言葉が落ちる。思わず顔を上げると、彼はまっすぐこちらを見ていた。
「約束は違えない。」
アイスラベンダーの瞳に、打算はなかった。
胸の奥が酷く揺らいでいる。私の心だけが嵐に巻き込まれたみたい。嬉しいのか、苦しいのか、わからない。
窓の外で、風が吹いた。池の水面が波打つ。
__揺れているのは、水だけじゃない。
「……失礼します。」
これ以上そこにいられなくて、私は一礼してから会議室を出た。
廊下を歩きながら、無意識に胸元へ触れていた。衣服の下、隠された鱗が微かに熱を帯びていた。
まるで、何かを告げるように。
その時、背後で小さく扉を閉める音がした。私は振り返らずに前へ進む。
見られている。
問い詰めることなく、凪いだ水面のように。
嵐はまだ始まっていない。けれど、確実に潮は満ち始めている。水底で何かが動くように、国もまた静かに動き出していた。




