第二十四話 戻れない海
次の日の朝。日光は穏やかなのに、宮廷の空気は張り詰めていた__会議が行われているからだろう。
謁見の間ではなく、小会議室が使われている時点でそれが重要な議題だということは明らかだった。重厚な扉は固く閉ざされ、窓もかろうじて日光が差し込むほどしか開いていない。
重鎮の貴族、護衛の騎士。その場の全員が顔を曇らせていた。
報告役は__フォルティだった。
彼女は普段から王国に滞在して、外交の役も務めているらしい。こちらに来てすぐに会議が始まったので、挨拶もまだできていない。
フォルティは、一度だけ息を整えてから口を開いた。
「緊急報告です。沿岸を警備していた騎士団員数人が、違法捕獲の現場を押さえました。」
「対象は。」
エディアスは短く聞いた。フォルティは一瞬だけためらいを見せ、言葉を詰まらせていた。
「……人魚です。」
室内の空気が一気に重くなった。紙をめくる音さえも止まり、皆が動くことをやめた。
「証拠は確かなのか。」
「はい。現場で人魚一名を保護、網と輸送箱を押収しましました。」
フォルティはそこまで言うと、間を空けてから話を続ける。
「密漁者は、ほぼ全滅でした。人魚の歌により精神干渉、幻覚や意識混濁などの症状が見られました。」
「保護した人魚は生存しているのか?」
「衰弱していますが、命に別条はありません。現在は医療区画で隔離中です。」
(よかった……生きているのね。)
私はひとまず安心して、小さく息を吐いた。
「医療区画の警備は。」
「二重に配置、外部とは完全に遮断済みです。」
「密漁者の所属は割れたか?」
「それが……統一された印がありません。複数の港の装備が混在しておりました。」
エディアスは短く舌打ちをして、眉間を軽く押さえる。貴族や騎士たちは、彼の様子に肩をすくめていた。
雨粒が降る日のような、重くじっとりとした空気が小会議室を満たしていた。
「寄せ集めか……あるいは、雇われか。」
「……後者の可能性が高いかと。」
フォルティの一言に、重い空気がざわ、と揺れた。貴族たちは小声でそれぞれ話している。
皆が考えていることは一つ__誰かが意図的に動かしているということ。
「……目的は、なんなの?」
「生体輸送の形跡があります。研究か……もしくは」
「売買、ということでしょうな。」
一人の貴族が声を張ってそう言った。そのひと言に、私は机の下で拳を握る。
(……まだ、続いているの?)
展示会での出来事が、蝕むように頭を支配していく。平静を保つために、もっと拳に力を込める。
すると、隣に座っていたエディアスの指先が、私の拳に優しく触れた。
「力を抜け。」
低く、私にしか聞こえないほどの小さな声でそう言われ、ハッとして拳を解く。下を向いて手のひらを見ると、赤い痕が残っていた。
「血が出てしまう。」
「あ……失礼しました。」
「謝らなくていい。」
__いつも無表情のエディアスが、私に微笑みかけていた。少しぎこちないそれに、涙が出そうになる。彼はすぐに無表情に戻り、雰囲気を変えた。
「いずれにせよ、背後がいる。」
エディアスは先ほどの声とは違い、とても冷たい声で話を再開した。
「単独犯ではないな?」
「はい、網の質や輸送箱の加工……資金が動いています。」
「港を洗え、出入りの記録も調べろ。」
「承知しました。」
会議は確実に収束へ向かっている。やっと解放される、という安堵の見える表情をしている者が多い。しかし、空気はまだ晴れていなかった。
「保護個体との面会はできるか?」
エディアスがフォルティに問いかける。予想外の質問だったのか、彼女は少し戸惑いを見せていた。
「……はい、医療責任者の許可があれば可能です。」
一瞬の沈黙。この場の全員が口を閉ざした。そんな中、エディアスはゆっくりと立ち上がっていた。
「俺が行く。」
「で、殿下自ら?」
「皇族が関心を持っていると示せば、牽制になるだろう。」
__視線が私に向いた。
何を考えているのか、どうして私を見たのか。私には答えがわからない。
「……同行するか?」
胸が跳ねて、それからきゅっと痛む。
「え……」
「無理にとは言わない。」
その言葉の裏にあるものがなんなのかを、少しだけ感じ取ってしまった。
(確かめたいの?それとも__守ろうとしているの?)
◇◇◇
会議の後、私達はすぐに医療区画へ向かった。重そうな鉄の扉ノ前で、入室許可が出るのを待っている。
「殿下、こちらへどうぞ。」
扉がゆっくりと開かれ、白衣を着た研究員が出てきた。彼は前を歩いていき、区画の中を案内する。
そうしてたどり着いた一つの扉。研究員が施錠魔法を解除すると、中にいる人魚は力いっぱい叫び始めた。
『私を殺さないで、海に戻らせて!』
人魚の言葉だった。人間にはわからない言語で、彼女は海を求めている。
扉が完全に開かれると、辺りの温度が一気に下がっていく。
魔法による結界の先に大きなバスタブが置いてある。水が張られたその中に、彼女がいた。
「現在、治療を試みています。が、手に負えないほど暴れてしまい……」
「……そうか。」
そんな会話をよそに、私と彼女は目を合わせたまま黙っていた。
(……やっぱり、わかるのね。)
同族として感じ取ったのだろう。私が、人魚だったということを。
「……少し、下がっていてもらえるか?」
「はい。」
エディアスの一言に、研究員は後退する。
バスタブの水面が揺れて、水がこぼれる。
『海に……帰りたい……』
人魚は荒い呼吸を繰り返し、震える声でそう呟いていた。
私は、結界の手前までゆっくり歩み寄る。触れられない距離だが、十分に近い。
『大丈夫よ。』
とても小さく、人魚の言葉で囁いた。
研究員には聞こえていなかったらしいが、エディアスは眉を少しだけ動かしていた。
人魚の彼女は驚いたようにこちらを見て、美しい瞳を揺らしていた。
『姫の末裔……?』
私は息を呑んだ。彼女に自分の素性を明かしていないのに、人魚姫の末裔だと勘付かれたから。
『あなた、海の音がする……戻れるの?』
(戻れるなら、私はここにいない。)
何も言えなかった。彼女の瞳には、同族と会えた喜びと、人間となった私への軽蔑。どちらも宿っていたから。
『……生きて。』
私はそれだけ言い残して、結界のそばから離れた。これ以上は怪しまれてしまう。
「もう、大丈夫です。」
「そうか。」
エディアスは研究員に帰るという旨を伝え、私をエスコートしながら連れて行く。
道中、不意にこんなことを聞かれた。
「聞こえたのか。」
問いではなく、それは確認作業のようなものだった。私は前を向いたまま、短く答える。
「何も。」
短い沈黙の後、エディアスは『そうか』とだけ言い、それ以上踏み込まなかった。




