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第二十三話 水はさみしさに応える

◆◆◆


  

 夜の庭園は静まり返っていた。昼間とは違い、噴水の音だけがやけに大きく響いている。


 エディアスは水盤の縁に手をかざした。ちゃぷ、と小さな音を立てて、水を撫でるように指を通す。


 水に異変は見当たらず、ただ静かに流れていた。


「殿下。」


 背後でローブの裾が擦れる音がする。エディアスが振り向くと、そこには老いた宮廷魔術師が立っていた。


「調査の結果は?」


「水そのものに異常はありません。ただ__」


 老人は言葉を選ぶように一拍置いた。エディアスの逆鱗に触れないように、慎重に。


 顎の髭に触れながら、口を開いて話し始める。


「水への共鳴反応が見られました。」


「共鳴?」


「そしてこの反応は、とても強いものでした。強い適性……もしくは、切っては切れない関係性の__」


 そこまで言うと、老人は口を閉ざした。エディアスの表情を見て、閉ざすべきだと判断したのである。


 眉をひそめ、口を硬く結び、目を細めている。老人はそれを『怒っている』と勘違いした。


 しかし、エディアスは怒ってなどいなかった。彼が思い出すのは、噴水の前で手をかざしているセレンの姿。


「……記録に、残すべきか?」


「通常なら。ですが、規模が小さいので"偶発"として処理することも可能です。」


 __偶発。


 飴玉をゆっくりと味わうように、その言葉を心の中で転がした。確かに、そうしてしまえば波は立たない。


「……今回は保留にする。」


「承知いたしました。」


 老人はそれ以上何かを問うことはなかった。


 エディアスは水面を見る。噴水は何事もなかったかのように満月を映していた。月光が水面をてらてらと輝かせている。


(怯えていた。)


 あの時の彼女の目は、罪を問われる者のそれだった。暴かれることを恐れていた。


(だが、あれは__)


 あの目は、隠そうとする者の目ではない。何かを守ろうとする者の目だった。


 エディアスは噴水から手を引いて立ち上がる。


「触れるなよ。」


「はい?」


「この噴水だ、しばらくは触れるな。」 


「心得ました、皆にも伝えておきます。」


 理由は言わない。言えば意味を持ってしまう。彼女に枷をつけるようなことはしたくなかった。


 老人を先に戻らせ、エディアスは一人夜空を見上げる。幾多もの星が暗い夜を彩り、月光が道を照らしている。


 満月に手をかざして、拳を握った。届きそうで届かない、近くにあるのにとても遠い。まるで__セレンのよう。


「……彼女は何を見て、どんなことを抱えている?」


 問いは胸に沈め、エディアスは答えを求めなかった。


 知ってしまえば、立場が変わる。変わってしまえば、もう元には戻らない。


 彼は誰よりもそれを理解していた。


 エディアスは満月から視線を外し、静かに踵を返した。



◆◆◆


 

 眠れなかった。瞼を閉じても、水の音が頭から離れてくれない。今もすぐ近くに噴水があるみたいだ。


 噴水のはずなのに、昼間のあれは違った。あの時、水は私の意思よりも先に動いていた。


 喉が渇く。飲みたいわけじゃないのに、全身が干からびそう__とにかく、水に触れたい。


 私はベッドから立ち上がり、部屋にある水差しへと近づいた。そして、確かめるようにゆっくりと手を伸ばす。


 指先が縁に触れたその瞬間、水面がわずかに波打った。


「……え?」


 私は思わず、水差しの縁から手を引っ込めた。触れていない。まだ触れていないのに。


 もう一度手を近づけた。水は手のひらに引かれるように、私の方へ寄った。まるで、呼吸をしているみたいに。


(違う。)


 これは偶然なんかじゃない。手を引くと静まり、近づけると水は波打つ。


 そして__私の鼓動に合わせて揺れている。


 どくん、どくん。ゆらり、ゆらり。


 まるで、私と同じ命を持っているみたいだ。


「私と……同じなの?」


 水に問いを投げかけるも、答えは返ってこない。ただ、静かな暗い部屋に私の声が響くだけ。


 その時だった__コンコン、と小さなノックの音が聞こえた。少し遠慮がちなその音に返事をすると、リッテの声がした。


「お姉ちゃん……」


 私は聞き慣れた声に息を止めた。こんな時間に、今のタイミングで訪ねてくるなんて、全くの予想外である。


「今、行くわ。」


 私は水差しから手を離す。水は揺らぎを落ち着かせていき、すぐに凪を取り戻した。縁を布で拭いてから、私は部屋の扉へと駆け寄った。


「リッテ、こんな時間にどうしたの?」


 扉をゆっくり開けると、寝間着姿のリッテが立っていた。ヒトデのぬいぐるみを抱えており、大きな瞳は涙ぐんでいる。


「怖い夢をみたの……」


「どんな夢?」


「水に呑まれてしまう夢よ。」


 心臓が跳ねて、一瞬だけ呼吸が乱れた。慌てて水差しを見る。もし、今も動いていたら__言い逃れはできない。だが、水は凪いだままだった。


「……そうだ、さっき水の音がしたのよ。」


「み……水の音?」


「うん。お姉ちゃんの部屋から聞こえたから、夢が本当になっちゃうんじゃないかって……」


 そこまで言うと、リッテは大粒の涙を零してしまった。夢と現実が混ざって、怖くなってしまったみたい。


「きっと、まだ夢うつつだったのよ。」


「そっかぁ……」


 リッテは安心したように笑った。その姿に心が痛み、思わず抱きしめてしまった。


 純粋なこの子には、知られてはいけない。巻き込みたくない。


「リッテ、もう大丈夫だからね。こっちへいらっしゃい。」


 私はリッテの手を引いてベッドへ連れて行く。それから、ベッドに寝かせるために彼女を抱き上げた。


 リッテは以前より肉付きが良くなっていて、健康的な重さになっている。


(……鱗を持ってきておいて、本当によかった。)


 残りは……あと三枚。


「ねえ、お姉ちゃん。」

 

 ベッドで横になっているリッテから、不意に話しかけられた。私は慌てて微笑みを携え、リッテに顔を向けた。

 

「なぁに?」


「水はね、さみしいと大きくなるんですって。人魚姫さまの本に書いてあったの。」


「そうなの?」


「うん……人魚姫さまは、水とつながってるのよ。だから……」


『きっと、人魚姫さまはとっても寂しいのね。』

 

 安心して眠気が襲ってきたのか、リッテはそこまで言うと眠ってしまった。


 水差しのぬるい水が、ちゃぷんと小さく音を立てていた。


 


  

 

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