星の継承者19
「あぎゃぱ」
外に跳び出したダリウスは、天井に叩き付けられて間の抜けた悲鳴を上げる。そして宇宙服に守られていない顔が、どろりと焼け爛れた。
高熱による影響だ。片目も焼かれ、白濁している。
ただし致命傷ではない。恐らく強化外骨格が、焼き殺される前にダリウスを吐き出したのだろう。とはいえ余程急いでやったようで、出し方はかなり粗雑。八メートルもの高さの天井にぶつかった後、自由落下で床に落ちた。
死なずに済んだのは、ダリウスが着ている服(宇宙服とは違う薄っぺらい服装だ)が特殊で、衝撃を吸収する性質があるからか。しかしそれでも大きな打撃を受けたのは間違いなく、床に落ちたダリウスは四肢をおっぴろげた状態で動かない。どうやら気を失ったようだ。
情けない姿だが、生きているのだからまだ良い。シェフィルの攻撃を直に受けた強化外骨格に至っては、溶けるどころか一部が気化。最早原型を留めず、どろっとした液体金属と化している。人類の技術力に詳しくないシェフィルには断言出来ないが、ここまでやれば流石に再起不能だろう。
さて。今ならダリウスに止めを刺すのは難しくない。
難しくないが、吹っ飛んだ彼はシェフィルからざっと十メートルは離れている。今の身体能力でも、向こうまで駆け寄り、頭を叩き潰して確実に殺そうとすれば一秒は必要か。
そんな事に時間を費やすぐらいなら、最愛の人に一秒でも早く触れたい。
「アイシャ!」
「シェフィル!」
シェフィルはアイシャがいる鉄格子の前へと向かう。アイシャも喜びを露わにし、鉄格子など見えていないかのように駆け寄ってきた。
アイシャでは曲げる事も叶わなかった障害物だが、今のシェフィルにとっては脆い棒だ。手を近付けるだけで溶解し、掴めば簡単に潰れてしまう。人一人が通れるだけの『隙間』を作るなど造作もない。
シェフィルが抉じ開けた檻からアイシャは走り出し、その勢いのままシェフィルに跳び付く。シェフィルは両手でアイシャを抱き締め、強く、強く抱擁した。
二度と会えないと思い絶望した。もう殺されているかも知れないと不安にもなった。だけどアイシャは今、自分の腕の中にいる。間違いなく生きていて、こうして温もりを確かめ合う事が出来ている。
母の手助け、戦いを決意した人間達の選択、ダリウスの思惑……様々な幸運があったから、アイシャはまだ生きている。一つでも何かが違っていたら、ダリウスを打ち破ったこの力でも取り戻せなかっただろう。実力だけでは守れない、尊くて、掛け替えのない、愛しき人。
もう二度と離さない。
「あ、きつ、キツい! ギブギブギブ! つか熱い! 火傷する!?」
その気持ちを伝えようと強く抱き締めたところ、アイシャはシェフィルの背中をバシバシ叩いて拒絶した。
どうやら抱き締める力が強過ぎて(それと体温の熱さも加わって)苦しかったらしい。アイシャだからこの程度で済んでいるが、普通の人間なら跡形もなく蒸発している。
申し訳ない事をした、と思いはする。しかしシェフィルとしてはこちらの気持ちを無下にされたようでちょっと不服だ。抱き締める力を緩めつつ、ぷっくりと頬を膨らませて気持ちをアピール。アイシャは「なんで不貞腐れてんのよ」と言いたげな顰め面を見せたが、すぐにくすりと笑みを零す。アイシャの微笑みにつられて、シェフィルも笑ってしまう。
離れ離れになっていた時間は、恐らく数時間もない。その数時間で生きていく意欲すら失った事もあった。再会により反転した感情は、シェフィルでさえコントロール出来ない嬉しさを生む。
その嬉しさのまま、シェフィルはアイシャにキス。アイシャもシェフィルのキスを受け入れる。互いの唇の温もりを確かめるように、二人は何時までも離れず――――
「は!? こんな事をしている場合ではありません!」
といきたかったが、重要な事を思い出したシェフィルの方から顔を離す。
キスを突然止め、しかもこんな事呼ばわり。アイシャが(先程向けてきたものより明らかに攻撃的な)顰め面と冷ややかな視線を向けてきたが、今回は流石に笑っている場合ではない。
「のんびりしていては、この船が爆発するかも知れませんからね!」
今、この船の周りでは母達と人間達が戦いを繰り広げていて、何時落ちるか分かったものではないのだから。
「……え!? ど、どどどどどういう事!?」
「説明は後です! 兎に角急いで船から脱出しましょう!」
「いや、そうは言うけどどうやって!?」
混乱した様子のアイシャからの問いは、極めて真っ当なもの。船が爆発するかも知れないと言われても、そこから逃げ出す方法がなければどうしようもない。
仮に逃げ出しても、外に広がるのは無限に思えるほど広い大宇宙。適当に飛び出したところで、待っているのは果てのない虚空だ。宇宙空間でもシェフィル達は生きていけるが、生きていく事と自由に活動出来る事は別問題。自分達の住処である星に辿り着けなくては、ただの投身自殺である。
アイシャが抱いているであろう懸念は、どれも正しい。しかしシェフィルには考えがある。
「外に出るのは問題ありません。今の私なら、ほら、もう穴が開き始めています」
「穴?」
シェフィルの言いたい事が分からないようで、アイシャは首を傾げる。彼女に対し、シェフィルは視線を自分の足下に向ける事で答えとした。
視線を追い、アイシャもシェフィルの足下を見る。一目見れば、シェフィルの意図は理解しただろう。そうでなければ驚きを露わにする筈がない。
シェフィルの足下の床は今、どろどろに溶け出していた。微かにだが白煙も漂っている。
「私の体温で床が溶けるのは、さっき戦っている時に分かりましたからね。これなら外に出るのは簡単ですよ!」
「あ、ああ、そういえばそうだったわね。ナノマシン装甲を体温で溶かすとか、もう完全に化け物じゃないの」
「そうは言いますけど、理屈の上ではアイシャもこの技は使える筈ですよ。むしろなんで今まで大人しく捕まっていたのです?」
「出来る訳ないでしょ、こんな滅茶苦茶なことっ!」
心底不思議に思ってシェフィルが尋ねると、アイシャは真っ向から否定する。
成程、これが原因かと納得した。
シェフィルが放つこの力は、端的に言えば体温維持のエネルギーを戦闘に流用しただけ。つまり理論上は起源種シェフィルのエネルギー吸収に適応している、惑星シェフィルの生物全てが使える技だ。当然アイシャにだって使える。
しかしアイシャは人類文明出身の身。身体は惑星シェフィルに適応しているとはいえ、まだ常識面では人間寄りなのだ。だから全身から一万度の熱を出す事は出来ないと思い、身体の力を無意識に抑え込んでいるのかも知れない。
頑張ればアイシャは自力で脱出出来た、という可能性は、この調子だとなさそうだ。本当に危ないところだったと安堵した反面、自分の手で取り戻した実感がシェフィルの中に更なる喜びを生む。
この愛しい人を、もっと愛したい。
そのためにも、さっさと家に帰らなければ。
「さぁ、船の外に出ましょうか!」
シェフィルの掛け声に合わせるように、ついに足下の床が溶解。シェフィルとアイシャは揃って下に落ちていく。
落ちた先にあったのは、小さな部屋。人間の兵士達が大勢いて、大慌てで駆け回っている。何やら混乱している様子で、そこにシェフィル達が落ちてきて更に驚いたようだ。アイシャも驚いたのか、一層強くシェフィルに抱き着く。
悲鳴と怒号が飛び交っているが、今のシェフィルにとっては興味のない鳴き声でしかない。床が溶けたらそのまま落ち、シェフィル達は更に船の下層へと向かう。
それを三度ほど繰り返したところで、辿り着いたのは今までよりも遥かに分厚い床だった。
恐らくこの床が宇宙空間と船内の境界線……船体装甲なのだろう。船体装甲はシェフィルの足に触れても、中々溶け出さない。どうやら熱伝導に優れており、シェフィルから伝わった高温を素早く拡散させているようだ。いくらシェフィルが恒星以上の熱量を有していても、その熱を薄く広めれば金属は溶けない。
このままでは外に出られない。しかし対処法は簡単だ。熱の拡散が早いというなら、それ以上の速さで加熱すれば良い。
足裏にエネルギーを集めるようにイメージすれば、シェフィルの身体はそのように働く。足裏の温度が急激に上昇し、拡散するよりも早く床を加熱していく。これには船体装甲も処理が間に合わず……ついに溶解。小さな穴が空いた
瞬間、猛烈な風が穴の外へ向かって流れ始める。
宇宙空間は真空だ。そして気体というのは、より気圧の低い方へと流れる性質がある。真空の宇宙空間と宇宙船内が穴によって繋がった事で、船内の空気が一気に宇宙に向けて移動を始めたのだ。
小さな穴は暴風と言える勢いで流れる空気により抉じ開けられ、人が通れるぐらいの大穴へと成長。シェフィルとアイシャはその流れに乗り、共に『外』へと飛び出す。
出た時の勢いで、シェフィル達の身体はぐるんぐるんと回転。今まで感じていた重力はない。周囲に広がるのは人工的な明かりや無機質な壁ではなく、数多の星明かりと黒一色。
間違いなく、此処は宇宙空間だった。
「脱出成功ぉーっ! やったー!」
ついにシェフィルはアイシャを、人間達の手から取り戻したのだ。電磁波の歓声を上げ、シェフィルは『勝利』を喜ぶ。
対して、当のアイシャは酷く不安げだ。
「で、出たはいいけど、こっからどうするのよ!?」
アイシャは泣きそうな顔でシェフィルを問い詰める。
確かにこのまま宇宙空間を漂っていても、運良く惑星シェフィルに流れ着く可能性は低い。なんらかの方法で移動しなければ、待っているのは餓死だけだ。
それに今、周りでは無数の光が飛び交っている。母達と人類の戦いはまだ続いているのだ。いくらシェフィルの身体能力が向上していると言っても、母達の電磁波ビームや、それに匹敵する戦闘艦の砲撃に耐えられるほどではない。不運にも流れ弾が直撃すれば、塵一つ残らないだろう。
可能な限り迅速に此処から離れ、惑星シェフィルに帰った方が良い。それを理解しているからこそ、シェフィルは自信満々に胸を張る。
「今の私であれば、何も問題はありません!」
自信に満ち溢れた宣言と共に、シェフィルが行ったのは目の神経系にエネルギーを注ぎ込む事。
母は言っていた。人類達が集結したのは、惑星から百五十万キロ離れた位置であると。戦闘中に多少は移動したかも知れないが、精々数万〜数十万キロ程度だろう。ならばシェフィル達の住処である惑星シェフィルは、此処から百万〜二百万キロ圏内にある筈だ。
惑星シェフィルはエネルギーを吸収しているので、非常に暗い星である。普通なら発見は困難だろう。しかし今のシェフィルであれば、視神経に多量のエネルギを投入する事で視力を強化可能。強化された目は宇宙空間にぽつんと浮かぶ(真っ黒過ぎて逆に目立つ)惑星シェフィルを発見する。
次の問題は推進力。地面も空気も液体もない宇宙空間では、手足をバタつかせても推進力は生まれない。だがこの解決方法もシェフィルは考えてある。
血液を高速で体外に排泄するのだ。排出時の反作用を推進力にして前に進む。ちなみに射出場所は皮膚から。筋肉を絞り、意図的に血管を破裂させる事で血を噴き出す。量は僅かで良い。真空の宇宙空間に空気抵抗はなく、小さな力でも、一度動き出せばもう止まらない。これを繰り返せば加速すらしていく。
地面も何もない宇宙空間では、自分が移動している事を認識し辛い。しかし段々加速し、慣性が掛かるようになると、アイシャも自分達が真っ直ぐ動いていると気付いたのだろう。困惑と不安に満ちていた顔が、希望に満ち始めた。
今の速度はざっと秒速百キロほど。百万キロ先の星まで辿り着くのに必要な時間は一万秒……凡そ二時間四十六分。
その間、二人を邪魔する者はない。
「アイシャ……」
「シェフィル……」
広い宇宙で二人きり。
感情の昂り、再会の喜びを抑えきれなくなった二人は、また口付けを交わす。
何時までも、何処までも。
離れていた分の寂しさを埋めても、溢れてしまいそうなほどの愛を込めながら。
……………
………
…
夢中になって愛を確かめていたシェフィルとアイシャ。二人は気付けば、惑星シェフィルの傍までやってきていた。
懐かしき住処。愛しき家のある場所。
人間達の攻撃により、惑星のあちこちにクレーターが出来ていた。変わり果てた姿だが、だからこそ分かりやすいとシェフィルは思う。爆撃を受けた場所のどれかが、自分達が暮らしてきた平原だ。加えて周辺の、爆撃を受けていない地形を見れば元々の環境は凡そ想像出来る。そこにいる生物の姿を確認出来れば、更に高い精度で絞り込む事が可能だ。
アイシャと一緒なら、何処を住処にしてもシェフィルは気にしない。しかし星に帰れば何時もの生活、即ち食うか食われるかの生存競争が再開する。食べ物も敵も分からない環境で生き残る事は、不可能とは言わないが、その程度の確率でしかないだろう。今まで暮らしていた土地に戻れるのなら、それが最善だ。
幸いにして、それは難しくなかった。エネルギーを注ぎ込んだシェフィルの視力は、星の地表面を事細かに観測出来たからだ。惑星シェフィルには大気という『不純物』がないのも観測する上で好都合。自分達が住んでいたと思われる、広大な平原を発見出来た。
星に辿り着き、住んでいた場所も見付けられた。やっと家に帰れると安堵しながらシェフィルとアイシャは星に向かって進み、
「落ちるぅううううううう!?」
「あばばばばばばばばばばば!?」
「そういえばこの高さから落ちたら普通に死ぬのでは?」という問題に今になって気付き、狼狽しながら惑星に降下していた。
惑星シェフィルには大気がない。即ち落下時間が長ければ長いほど、どんどん加速していく。高度数万キロからの落下となると、シェフィルの身体能力でも流石に耐えられない勢いだ。
つまり、このままだと二人揃って死ぬ。
「ここ、これはちょっと、忘れ、て、ました、ねぇぇぇぇ!」
「どどど、ど、どうすんのよぉ!? はっ!? そ、そうだわ! 宇宙を飛ぶ要領で減速すれば!?」
妙案だと言わんばかりに、アイシャが一つの案を叫ぶ。
成程素晴らしい作戦だ。シェフィルは宇宙空間を横断するのに、血を外に噴射した際の反作用を利用していた。今回はそれを減速に使えば、安全に着陸出来そうだというのは自然な考えである。
シェフィルもそう思う。そう思うという事は、やれるならとっくにやっている。
「いやー、もう星が近くなって、エネルギーの殆どが吸われちゃってます。あんな力はもうないです」
残念な事に惑星シェフィル――――起源種シェフィルに近付いた事で、シェフィルは生み出すエネルギーの大半を体温として消費していた。宇宙船内で見せたパワーアップ状態は既に終了済み。今のシェフィルはただのシェフィルである。
噴射によって宇宙を飛べたのは、膨大なエネルギーで血を高速射出したから出来た事。あのエネルギーなしで血を噴射しても、ちょっと派手な出血で終わりだ。減速には至らず、加速度をちょびっと減らすのがやっとだろう。
「ど、どうすんのよぉぉ!?」
「ううーん……ちょっとまた無茶をしますが、仕方ありませんねっ」
考えてみても名案は出ず。ならば仕方ないと、シェフィルは奥の手を使う。
とはいえやる事はアイシャの案そのもの。血を噴射し、その勢いで速度を相殺する。なんだかんだ言っても、結局のところ減速する方法はこれしかない。
ただ、エネルギーがないので噴射速度が圧倒的に遅い。
このままでは全く減速出来ない。そこでシェフィルは身体中の血液を一旦肺に集め、水分を抽出して溜め込む。肺の中が水で満たされたが、元より呼吸に使っていないので問題ない。
更に身体の熱のほんの一部を肺に集結させる。ダリウスとの戦いで、身体のエネルギーを操作する術は覚えた。今のシェフィルは体温を局所的に上げる事など造作もない。消費するエネルギー量は体温のほんの一部であるが、シェフィルは秒間一万度以上の熱量を生成可能な生物だ。肺の中の水を数百度まで加熱するなど造作もない。
加熱された水は沸騰し、気体へと変化。気化した液体は体積が数百倍に増加する。つまりより少ない量で、大きな『圧力』を生み出す。
「ぶふううぅううううっ!」
この高圧蒸気を、シェフィルは渾身の力を込めて吐き出す!
口から出た白い蒸気が、シェフィル達の身体を押し返す。ほんの少しだけ落下速度は低下した、が、あくまでもほんの少しだけ。まだまだ致死的な速さであり、何より吐息を止めると再び重力により加速してしまう。
絶え間なく身体の水分を蒸気にし、吐き出して加速を打ち消す。体重五十キロのシェフィルが持つ水分量は約三十キロ。無論全て使うと干からびて死んでしまう。生命活動を維持出来る消費量は精々三キロ程度だ。その三キロギリギリの水を使う。
身体の水分量が減るほど、目眩や吐き気などの体調不良が生じる。が、これは数学的情報処理により無視。身体の水分量も数値だけで計測し、極限まで身体の水を利用した。更に身体の中の老廃物も吐き出し、推進力獲得と減量による運動エネルギーの低下を試みる。地上に近付くほど、シェフィル達の速度は落ちていき……
着地の瞬間、どうにか足の骨が粉々に砕ける程度まで減速出来た。
「うぐうぅっ!」
「うぎっ!?」
掴んだままでいようとしたが、物理的衝撃には敵わず。シェフィルとアイシャは着地の衝撃で離れ離れになってしまう。とはいえ離れた距離は精々数メートル。殆ど怪我をしていないアイシャは立ち上がるや、すぐにシェフィルの下に駆け寄ってきた。
「シェフィル! 大丈夫!?」
倒れて動かないシェフィルを見て、心配しているのか。アイシャは不安そうに呼び掛けてくる。
その呼び掛けに応えようと、シェフィルは身体を起こすが……力が入らない。
水分の欠乏だ。生命活動を維持するのに必要な分は残せたが、活動的に動き回るには全然足りない。代謝などで刻々と水を消費しているため、その生命活動の維持も間もなく覚束なくなるだろう。
急いで水分を摂取しなければ。そこでシェフィルは渾身の力を込めて立ち上がり、近くにいるアイシャの下へと歩み寄る。不安そうなアイシャと見つめ合ったシェフィルは、素早く愛しい人との口付けを交わす。
――――というより口内の唾液を吸い上げた。
「んぶぅ!? ん、んんんんんんんぅー!?」
舌に絡まっている唾液も全部吸い取ろうとすれば、アイシャは藻掻く。藻掻くが、すぐに大人しくなった。顔を赤くし、光悦としているように見える。
理由は分からないが、吸わせてくれるなら遠慮は無用。じゅるじゅるずぼぼじゅぶるるるると口内をねぶり、舌や頬どころか喉奥まで蹂躙して、全ての水分を吸引し……
「ぷはぁー……どうにか回復出来ました。ありがとうございます、アイシャ」
「あひぃ……」
何故か幸せそうに蕩けた顔をしているアイシャに、シェフィルは感謝を伝えた。
……それから、小さくため息を吐く。
どうにかアイシャと共に星に帰ってくる事が出来た。周囲をぐるりと見渡してみれば、爆撃によって出来た更地が何処までも広がっているが……地平線近くにトゲトゲボーの林が見える。いずれあのトゲトゲボー達が繁殖し、この辺りもトゲトゲボーに覆い尽くされるだろう。競争相手がおらず、爆撃により積み重なった死骸も豊富だ。恐らく森の再生にそこまで時間は掛からない。生命の姿も、併せて回復するだろう。
問題の多くは解決し、残る問題も時間が解決してくれる。
強いて言うなら野放しの人間達がまた来ないか心配だが、そちらは母達がどうにかしてくれる筈だ。きっと大丈夫――――と思い、シェフィルはようやく気が緩んだ
瞬間、見計らったかのように背後で爆発が起きた。
「はい?」
一体何が起きた? 混乱から、シェフィルは無意識に背後を振り返る。
爆発の衝撃によるものか、粉塵が濛々と舞い上がっている。しかしそれらはすぐに落ちていく。大気がないこの星で、物質は何時までも浮かんでいる事は出来ない。
全ての粉塵が落ちた時、姿を現したのは一人の『人間』。
ダリウスだ。その身体には強化外骨格を纏っており、船内で戦った時と同じ様相に見える。尤も、ヘルメット内にあるダリウスの顔は焼け爛れ、片目が白く濁っている。彼自身は間違いなく傷付いていて、即ち彼は船内での戦いの後、治療も受けずに此処までやってきた事を物語っていた。
何故彼は此処に来たのか。その理由は、考えるまでもない。アイシャをまた奪いに来たのだろう。
問題は、どうやって此処まで来たのかだ。
「だ、ダリウス……!? 嘘、追ってきた、の……!?」
「どうやってこの星に来たのです? 母さま達と戦っている時に、この星まで来る余裕なんてないと思うのですが」
「は、はははははっ! 軍用強化外骨格の中でも特に性能に優れたものは、単独での宇宙航行と惑星降下を可能とするんだ! お前達の後を追うなど造作もない!」
高笑いしながら、どれだけ余裕だったかをダリウスは態度で示す。つまるところ彼は単身、母達の戦いを放置してアイシャを追ってきたのだ。
恐るべき執念。口で言うほど宇宙航行は簡単ではあるまい。下手をせずとも死ぬ可能性もあるだろう。一体何処からその執念が湧くのか、シェフィルには理解出来ない。
「どんだけアイシャが欲しいんですか、あなた……」
あまりのしつこさに、シェフィルは怒りどころか呆れに近い感情を抱く。アイシャも恐怖よりも不快感を覚えているようで、軽蔑の眼差しを向けている。
しかしシェフィル達の向ける感情にダリウスは怒りを見せるどころか、喜々とした様子だ。
「素晴らしいぞ! 不老不死に加え、強化外骨格さえも上回る無敵の戦闘力! 最早賛同者による軍隊すら必要ない! 俺だけが超越者になれば良い! 俺だけで、全てを得られる!」
大声で、捲し立てられる数々の言葉。
シェフィルには彼の物言いに一層呆れてしまう。不老不死? 猛獣に襲われたら普通に死ぬし、冬になれば毎度死にかけている。無敵の戦闘力? 母達どころかそこらの猛獣の方が余程強い。賛同者云々なんて、最早なんの事やら。
人類文明出身であるアイシャは意味が分かるかも知れないが、彼女も呆れている様子だ。言葉もない、と言いたげ。要するに、彼の妄言には一考する価値さえもないのだろう。
「なんとしても欲しい! いただくぞ、二人共!」
気にするべきは、欲に塗れたこの言葉だけ。
「さぁ、第三ラウンドを始めようじゃないか!」
臆した様子のないダリウスは、強化外骨格を纏った身体で戦いのための構えを取る。
……勝ったところで、ダリウスはどうするつもりなのか。単身で突入して、果たして迎えは来るのだろうか。後の事を考えているとは到底思えない。
非合理な行動と言わざるを得ない。しかしシェフィルからすると、彼の行動は非常に厄介だ。先程強化外骨格を倒せたのは、惑星シェフィルから離れた事で自分自身が創り出すエネルギーを思う存分活用出来たため。惑星シェフィル上ではそのエネルギーを吸われてしまい、大きな力を出せない。
しかも今のシェフィルは未だ水分不足気味で、少なからずパフォーマンスが落ちている。アイシャがいるので数的有利はあるが、武器を持たない彼女が加わっても戦力的には微増でしかない。このまま戦っても勝ち目は薄いだろう。
「(作戦を練ろうにも、向こうは私の事を解析済みの筈。不意をつくのは難しそうですね)」
搦手も、散々戦った後では難しいだろう。何か利用出来るものはないか周囲を見回すが、焦土化した大地に『何か』なんてある訳もなく。
状況は極めて不利。それでも、二度とアイシャを手放したくない。全力で思考を巡らし、打開策を考えるシェフィルだったが――――その思考は中断しなければならなかった。
突如として、大地が激しく揺れ始めたがために……




