未送信:既婚者に手を出して裁判になった事例、一応見といたほうがいいんじゃない?
昨日、部室で他の男子学生らが私の噂話をしているのを佑白が聞いていた。
容疑者だという話に尾ひれが付き、より一層具体的なストーリーが出来上がっていた。
なんでも、ノートをアトラス・シトラスに貸してそのまま持ち逃げされたから、彼女を焦って探しているとかなんとか。
一旦そんな噂が流れてしまえばアトラス・シトラスの捜索さえ難しくなる。
実際、昨日監督をしていた先輩女子にエキストラについて尋ねた時、
「ところで、どうしてその人のことを探しているの? ノートに関係してる?」
と、警戒心丸出しで聞かれてしまった。
結局先輩女子の使っていたエキストラは全員知り合いで、その中にアトラス・シトラスに該当する人はいなかった。
――喫茶麝香堂にて。
カウンターに並べられたビームヒーターの灯りと照らされる佑白の腕を眺めながら、私は昨日判明したことを振り返る。
佑白がトイレに立った数分間、あの部室に入ることが出来たのは部室の鍵――ダイヤルロックの開け方を知る人間、つまり部員と思って間違いないだろう。
最初の持出事件は、あの日部室にいた副部長・ランラン・みすずさん、この三人のうちの誰かが犯人だと私は確信していた。
偶然か、二度目の事件が起きた昨日も三人は偶然大学内にいた。
副部長はカフェテラスのある本館の就職センター。
ランランは講義前の時間を屋上で暇つぶししていた。
みすずさんは友達とお喋りをしていたらしい。
三人とも、ちょっとノートを置くだけの時間も、もしくはちょっとノートを盗む時間も十分にある。
ただ、置く事と持ち出す事、両方を一人で実行するのは難しいだろうと思う。
部室が空になるチャンスなんて運に頼るしかない。
それによっぽど部室に張り付いていても失敗する可能性もある。
というわけで――私は一度目の犯人と二度目の犯人を同一人物とみていなかった。
「と、思うんだけど、佑白はどう思う!?」
「どうだろうね」
私の推理を聞きながら、佑白はヘラで手際よくフラスコの豆を撹拌する。
同時にケーキを四皿用意して、奥のテーブル席に座る御婦人方へと給仕した。
戻ってきたところでヒーターを切り、佑白は感想を口にした。
「同じって可能性もあるけど。可能性としてはね」
「というと?」
「俺たち『だけ』にノートを見せたかったんだとしたら?」
私たちだけに見せる理由。
出されたての珈琲に口をつけながら考える。
「ってことは佑白。つまり、ノートは処分された訳ではなく、ちゃんと存在するのだと知らせようとした。アトラス・シトラスの情報を探す私に同情して、一旦返してくれたのかもしれない――って事?」
「最後のは違うと思う」
佑白はつっこみながら、私が名簿を探していた一番の理由を思い出したようだった。
「そうだ。佐紅、名簿のエキストラには連絡とってみた?」
「女の人には全員メールを送ってみたよ。今返事と連絡待ち」
「そう」
佑白が給仕の為にカウンターを離れる。
私は珈琲の水面に映る自分を見つめながら、なぜ『ノートが一度返されたか』という意味を考える。
じっくり時間をかけて結論が出たころに佑白が戻ってくる。
私は彼にキッパリ言った。
「一度目と二度目は違う人だよ」
断定する私に、佑白は片眉を上げる。
「どうして?」
「最初に持ち出した人はなんとなく想像がついてるからさ」
あの三人の中で考えるならば、私の脳内では大体犯人の見当がついていた。
「そうなの?」
「でも、多分一度目の人は悪気あってじゃないから。だからちょっと、問いただす気が起きないだけ。本当はノートを返そうとしてくれたんだしね」
熱々のカップを両手で包むとじんと心地よい。私は温かな息を吐いた。
「うう……アトラス・シトラスも見つけなきゃいけないのに、もう頭がいっぱいだわ」
「もうアトラス・シトラスのほうは諦めなよ」
佑白はキッパリ言った。
「一週間も相手から連絡がないってことは、相手も遊びだった証拠でしょ」
言われるとじわりと涙がにじむ。佑白が驚いた顔を見せた。
「泣くほどのこと?」
涙が出るのが恥ずかしくて、私は大げさに顔を覆った。
「あんたには一生わかんないことよ……」
「よく処女には手を出すなっていうけど、なんかその意味が分かる気がする」
「ひどい」
佑白はさりげなく私から離れ、マダムたちの会計の為にレジに向かう。
お客さんを待たせない、かつ待ち構えて急かさない絶妙なタイミングだ。
マスターが奥に引っ込んで出てこなくなる理由が少しだけ分かる。
佑白は場の空気を読んで行動するのがとても上手い。
「いつもありがとうございます」
「今日も美味しかったわ。ごちそうさま」
頭からつま先まで、見るからに上品に作りこまれたマダム達が、佑白に微笑んで店を出る。
私の目にはちょうど四十代半ばから五十代ほどの団体に見えるけれど、持ち物の高級感からして、もしかしたらもっと年上なのかもしれない。
その時、最後にレジに立ったマダムが目に留まる。
まだ三十代ほどに見える彼女は、会計で出した千円札とは別に、『何か』を佑白の手のひらにそっと握らせた。
宝石のブローチが止められた帽子の陰で表情は見えない。
ただ笑んだ赤い口紅が印象に残る。
彼女はゆったりと店を出た。
「――」
ちらりと私に注がれた視線が冷たい気がしたが、貧乏そうな小娘がコバエのように見えたからだろう。
平然と仕事に戻る佑白に、私は椅子から立ち上がり、耳元で小さく尋ねる。
「さては客にも……?」
「……」
「おい。ねえ」
佑白は何も言わなかった。
ただその日の注文でカツサンド代を取られなかったことは、大体そういうことだ。
美味しいカツサンドで腹を膨らませ店を出て、私は店内を振り返る。
「インキュバスみたいなヤツ……」
昼時、人が増えてきた店内で佑白は忙しそうに袴を翻す。
その姿が様になるだけに、余計彼の主体性のない淫奔ぶりには呆れるばかりだった。
――その時、スマートフォンがバイブする。
私は急いで脇道に身を寄せ、通話ボタンを押した。
「もしもし、××大の最上佐紅ですが……」
名簿に書いてあった女性エキストラからだ。
声も話し方もアトラス・シトラスとは似ても似つかない。
私は連絡をくれた事に丁寧にお礼を言った後、通話を切る。
――また、駄目だった。
私は出そうになった溜息を飲み込む。
落ち込んでいる場合じゃない。一人駄目だったぶん、また一歩、彼女に近づいたんだと思おう。
---
それから。
アトラス・シトラスとの出会いから九日目。
そして、一度目のノート持ち出し事件から八日、
二度目から数えて二日。
ノートも、アトラス・シトラスも、何も見つからないまま日にちだけが過ぎていく。
打ち上げに参加していたメンバー全員への聞き込みも完了したが、アトラス・シトラスとの知り合いは一人もいなかった。
講義の合間を縫って、私はシアンと佑白と三人でカフェテリアにいた。
シアンはすっかり佑白を気に入ったようで、二人で映画の話に盛り上がっている。
「シアンちゃんがシックスセンス好きって、なんかちょっと意外だなあ」
「好きだよー。めっちゃ怖いけどさ、最後でうわーってなるじゃん? 騙されてたわー気付いてねーし! 最初からもっかい観よー! みたいな。あーいうネタバレされたらダメな映画マジ好き。セブンとか、」
「そういう系統なら、俺はバタフライエフェクトが好きだな」
「うわ、佑白っちってばめっちゃロマンチストじゃん」
「邦画なら――アフタースクールって知ってる?」
「アフタースクール? 何それ?」
「あ、まだ観てない? 自信もっておすすめできるよ。DVD持ってるから貸すし」
「わーマジで? 嬉しい! せっかくだしさー、三人で鑑賞会しようぜー!」
「いいね。じゃあ、シアンちゃんのうちで?」
「おいやめろ」
私は思わず口を挟んだ。
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