ノートの修理より、あんたの神経修理したほうがいいと思う。
怒っている女子の連れらしい。まるで見知らぬ二人だ。少なくとも部員ではない。
佑白はあくびをしながら身を起こし、裸眼の目を細めて仁王立ちの子を見上げた。
「どうしたの、いきなり」
「ちょっと話があるから、外に出てくれないかな」
剣呑な態度にも動じず佑白はおもむろに眼鏡をかけると、二人の乱入者を交互に見る。
「ああ……藍ちゃんと友達? 外は寒いしここで話そう。こたつ、あと二人入れるし」
仁王立ち子は一瞬絶句し、力の入った眉間に一層皺を寄せた。
「関係者だけで話したいの」
言いながら仁王立ち子は私を一瞥する。
悪意はないのだろうけど、気張った目で見下ろされては居心地が悪い。
「俺と藍ちゃんの話なら、君も部外者じゃない?」
「あの子どんな子か知ってるでしょ。思ってる事が言えなくて辛くて、でもあんたに言いたいことがあるから頑張ってきてるのよ」
「言いたいことがあるんだ?」
佑白は仁王立ち娘を無視し、扉の外にいる女子――『藍ちゃん』に手招きする。
「おいでよ。寒いでしょ?」
「ちょっ――」
血気ばむ仁王立ち娘を無視して、佑白は眉尻を少し下げてこちらを見る。
「佐紅、ちょっと邪魔するよ」
「いいよ。共用の場所使ってるのは私のほうだし」
私が快諾すると、藍ちゃんは佑白に勧められるままおずおずとコタツに入ってきた。
「し、失礼します……」
彼女は私に小さく会釈する。
「どうぞどうぞ」
仁王立ち子も不承不承コタツに入り込む。
一気に冷気と冷たい足が四本入ってきて、私は寒気に身震いした。
「で、俺にどんな話?」
切り出した佑白に対して、藍ちゃんではなく仁王立ち子のほうが口を開いた。
「藍とどうして別れたの」
「……」
佑白はじっと仁王立ち子を見つめる。
「なによ」
「君も俺に興味があるの?」
「は?」
「だって、藍ちゃんじゃなくて君ばっかりしゃべるし」
仁王立ち子の頬が怒りに火照る。
「冗談じゃないわよ! 誰が、あんたみたいな」
理性がなければすでに殴りかかっていたであろう拳を握りしめ、仁王立ち子は唇を震わせる。
一方的に煽る側の余裕なのか、佑白は淡々となだめる。
「わかったわかった」
「あ……あのね、佑白君」
随分と蚊帳の外だった藍ちゃんがおずおずと口を開く。
「どうして、私と別れたの? それが気になって……」
「付き合ってた?」
首をかしげる佑白に仁王立ち子はますますヒートアップする。
「あんた、とぼけないでよ」
「君は黙ってて」
佑白は鼻白んで仁王立ち子を見やる。
「部外者の自覚あるなら、佐紅みたいに大人しくしててくれないかな」
こいつ扱いをしながら指さしてくるので、私はコタツの中でジーンズの足を蹴ってやった。
痛そうな顔をしたが文句は言わず、佑白は藍ちゃんの目をまっすぐ見つめた。
藍ちゃんは決心した顔をして、仁王立ち子を一瞥する。
「ごめん。私がきちんとしなきゃいけない話だから。佑白くんの言うとおりにして」
「……」
友達に言われては言い返せず、不服げに仁王立ち子は口を真一文字に結ぶ。
「じゃあ、お話しようか。藍ちゃん」
佑白が静かに切り出した。
「どうして、付き合ってたと思うの?」
「え、ええっと……」
一つ一つ記憶を辿るように、藍ちゃんは語る。
「一緒に帰ったし……」
「うん」
「一緒にお昼も食べたし、もちろん私のうちで、カレーも一緒に食べたし」
「ごちそうさま」
「そのあと……その……そ、その」
「何かしたっけ?」
藍ちゃんが恥ずかしそうに唇を噛む。
化粧っけのない彼女の照れた頬に、思わず私が酔わされそうになる。かわいい。
彼女が落としたい相手である佑白は、しらっとした凪の眼差しをしているというのに。
黙り込んだ彼女に佑白は何の助け舟もしない。
「……あの、あのね?」
沈黙に耐え切れず、彼女は絞るような声を出した。
「……私のこと、嫌いになったの?」
「嫌いになってないよ」
「じゃあ。……あそんだ、の?」
「遊んでもいないし、嫌いでもないよ」
静かに答える佑白が、どこか優しげに感じるのは柔らかな声質のせいだろうか。
彼女は今にも泣きだしそうだった。
「じゃあ、どうして。なんで、付き合ってないって言うの?」
「それはね」
佑白はあくまで冷静だった。
「付き合うって話を一度もしてないからだよ」
「え」
「確かまだ君から付き合おうって話もされてないし、俺もしてない。だから付き合ってるとは思っていなかったんだ。……まだ、ただの女友達だと思ってたけど。違う?」
藍ちゃんの顔色が、別の意味で赤く染まっていく。
仁王立ち子も狼狽を隠せない。
「え? ……あ、確かに、そう、だけど……でも、そんな……」
「俺としては友達のつもりだったんだ。家でご飯を食べたり、一緒に帰ったりするのもね」
「待ってよ」
口を挟んだのは仁王立ち子だ。
「そんな女友達ってあるわけ? 信じらんない」
とんでもない負け戦に飛び込んでしまったのに気付きかけているのか、声に先ほどの張りはない。
「君は他人の男女の友情をジャッジできるくらい、経験豊富なんだ?」
「っ……! 常識の問題よ! 常識!」
「そう」
「そうよ!}
「ねえ、例えば、俺とこいつ……佐紅は友達だけど」
佑白はいきなり私を話に巻き込む。やめてくれと目で訴えるものの、彼は無視して話を続ける。
「二人で呑みに行ったり家に送ったり、ついでに一晩一緒に過ごしたりもしたけど、別に付き合ったり、ましてや恋人だったりなんてしないし」
仁王立ち子と藍ちゃん、二人の視線が一斉に私へと向く。
「佐紅は俺と付き合ってると思ってる?」
「……まさか」
私も正直に答えるしかない。一晩一緒に過ごしたこと。まあ、ある。それは、たしかにある。
藍ちゃんは熱くなった頬を抑え、身を縮めて独り言を言う。
「私、まさか……やだ、一人で……」
「誤解させてしまったのは本当にごめんね」
佑白は心から申し訳なさそうに詫び、窺うように首をかしげて見せる。
その表情に藍ちゃんは一瞬目を奪われ、思い出したように慌てて頷く。
「ううん、その、ごめん。私が誤解しただけだから……」
「ちょ、ちょっと、ねえ、それでいいの」
困惑するのは仁王立ち子だ。
彼女は藍ちゃんと私と、佑白を見てはおろおろしている。
「そういうこと」
佑白は彼女に向かって肩をすくめてみせた。「ね? 俺は悪くないでしょ」と言わんばかりに。
すっかり藍ちゃんは佑白のペースだ。
「ごめんね。佑白君はただみんなに優しいだけなのに、勘違いして」
「みんな誰も悪くないよ。ただ全員が思い違いを、少しずつしていただけってこと」
――白々しい!
私は心の中で叫んだが、ここで引っ掻き回すのも得策ではない。
だからこそこの男は、こういう風に話を持っていっている。私が話を合わせると分かってるから!
「……」
「……」
乗り込んできた二人は顔を見合わせ沈黙する。
気まずい時間が数秒ながれ、結局彼女たちは逃げるようにそそくさと部室を後にした。
威勢のいい出だしとは対照的な、尻すぼみな決着だった。
完全に彼女たちが去った後、また寝入り始めた佑白を私は睨んだ。
「何が女友達よ。私とあの子は決定的に違うところがあるじゃない」
「どこ?」
「あの子には手を出してる」
「手を出したんじゃなくて、向こうが誘って来たの」
この期に及んでしらっとそんな事を言う。
「好きな人が部屋に入ってきて、ご飯まで食べてくれて、更にいいムードになってまだ部屋に居座ってたら、そりゃあ女の子だって――あ、あれ?」
「ね」
佑白はむかむかする程さりげなく片目を閉じる。
「そういうこと。俺からは絶対手を出さないって決めてる」
「……」
「何か因縁つけられたときのための、同意の音声聞く?」
「最ッ低!!!」
絶対的な悪は叩きやすい。
けれど、中途半端にこちらに負い目があると強く出られない。
大学生の交友関係は広いようで案外狭い。
「女に勘違いされて一方的に責められた男」
と、
「優しい男を勘違いして友達ツレで吊し上げた女」
どちらの外聞のほうが悪いか、おおよそ明白だ。
「……そんなにヤりたいの?」
私の質問に答えずに、佑白は遠い目をする。
「がっかりしない子っているのかな」
「……どういう意味?」
「少し親切心を見せれば、こっちが下心を出す前から懐いてくる女子ばっかりで。家まで送ったり、ノート貸したり、重い物運んでやったり、それだけすぐしなをつくってくる。真面目な子なら勘違いしないでくれるかなって期待するけど、結局気付いたら縋りつかれてんだよね。それを無視すれば無視したで、思ってたのと違うだとか、思わせぶりにしないでなんて言われたりね」
「それなら……もう、女の子に、優しくしないといいじゃない」
「佐紅がそれ言う?」
「……まあ……」
言いながら私は佑白との出会いを思い出す。
合コンで悪酔いしたところを佑白が助けてくれたのだ。
思えば彼の優しさがあったからこそ、私は無事に貞操を守れているのだ。
彼の親切をやめろという資格は私にない。
「まあ、勘違いされないように気を付けるのも大事なんじゃないのかなあ」
「勘違いしない女の子を探したいんだ。すぐに発情しない子ってゆーか」
「発情って」
私は呆れて見せたけれど、寝転がった黒々とした凪いだ瞳からは、確かに心から失望しているのが感じられた。
モテる人にしかわからない地平があるのだろう。
――だとしても。
「あんた、いつか絶対痛い目みるからね」
「痛い目はもう見てるよ」
佑白は既に眠りかけていた。あんな事があったばかりなのに。
ため息を吐こうとしたところで、遠くの方でチャイムが鳴り私は我に返る。
「佑白。講義に行くから。また定例会でね」
「うん。……あ」
佑白が目をぱちりと開き、首をこちらへと向けた。
「ノートはどうする?」
問われて私は困った。
ノートは私のキャリーケースに入れているが、持出騒ぎの渦中にあるこのノートを、たった一講義だけとはいえ部室から出していいものか。
「俺、定例会議まで部室にいるから。預かっておこうか」
「お願いできる?」
ノートを手渡すと佑白は満身創痍のノートをひらひらと示した。
「じゃあこれ、なおしとくよ」
「よろしくね」
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