既読:キスから相手の本気を思い出せるのなら、ついでに相手の名前と住所も思い出せるといいのにね。これは皮肉。
アトラス・シトラスの夜から四日目。
そしてノート持出から三日目。
私と佑白は部室のコタツに入り、タイミングを揃えたように同時に溜息を吐いた。
「やっぱりあの三人の中の誰か、かあ」
「面倒だね」
言いながら、佑白は大きな欠伸を噛みつぶす。
その時、部室に他のサークルメンバーたちが入ってきた。
「あれ?」
彼らはきょろきょろと棚を見回す。
「なあ佑白、ノートまだ帰って来てねえの?」
男子学生の一人が、ノートの定位置だったフックを指さす。
佑白は眠たげに答えた。
「そうみたい」
ノートの盗難疑惑は、今のところ役員と佑白の間でしか共有されていない。
他人事のように答える佑白の言葉に、男子学生たちは口々に不満を漏らす。
「次回作で使う、エキストラのメアド書いときたいのになー」
「あのノートに書いとかないと、副部長がクソうるさいからなあ」
「ネットで共有ファイルにすりゃあいいのに」
「――!!!」
瞬間、私の頭に電流が走る。
彼らが去った後、私は急いでスマートフォンを出した。
「どうしたの、何か思いついた?」
眠そうな眼差しを向ける佑白。私は答えた。
「ノートが必要な人はイコール作品を作る人じゃない。部長に今申請している監督予定者の名前、聞いてみるの」
私は部長にその旨をメッセージで送信した。
間を開けずに、丁寧な長文メッセージが帰ってきた。
「部長さいっこう!!」
送られてきたのは、三月の卒業イベントに合わせた監督予定者の名簿だった。
氏名・予定締切・作品の内容等、具体的な情報がきちんと整理されている。
そこには鈴木乱と甲原義隆――ランランと副部長の名があった。
「へえ、ランラン監督予定あるんだ」
佑白も横からスマートフォンを覗き込んでくる。
「もしエキストラが必要な作品を作るなら、ノートが必要となる……と」
「でも、ランランはノートを持ってないって言ってたじゃない」
「嘘かもしれないよ」
佑白はさらりと言う。
「副部長に黙って持ち出したんだとすれば、それはよっぽど深刻な事情があってのことだよ。俺たちが証拠もなしに聞いたくらいで、正直に言うとは思えない」
淡々と説明され、私は何も反論も思いつかない。
ランランの真面目さを思い返せば、確かに気軽に決まりを破れない性格なだけに、もし破ったのだとすれば相当の覚悟だ。
「もしかして、だから昨日――」
佑白はスマートフォンの画面、副部長の名前をつついた。
「次に副部長だけど。副部長がノートを隠し持っているとしても、よっぽどでない限り認めないだろうね。ノート持出騒ぎが起きたら一番やり玉に挙げられるのは、管理責任がある副部長だ」
「じゃあみすずさんはどう?」
「監督の話はないみたいだね。彼女は俺が今日探ってくるよ」
頼もしい限りの佑白の言葉に私は頷く。
三人の中で一番不可解な存在といえばみすずさんだった。
ふわふわとした女の子らしい子と言うだけで、私は勝手に身構えてしまう。
トラウマのせいで、率直に言えばただそこで笑っているだけでも勝手に悪意を感じてしまうのだ。
それが偏見なのも分かっているけれど――だから余計本質が見えない。
彼女の調査は佑白に任せるに限る。
思い出したように、佑白が話題を変える。
「アトラス・シトラスの情報、昨日から少しは進展した? まだランランの情報だけ?」
「進展したら報告してるよ」
私は大げさに肩をすくめる。
「飲み会に参加してた人たちに片っ端からメッセージ送ってるけど、今の所、ちっとも」
「もうあきらめたら?」
真面目な眼差しで佑白が私を射る。
窓から入る午前の日差しを受けても彼の瞳は、常と変らない無風の夜の海を湛えていた。
「遊びだったんだよ」
「遊びだとしても……忘れられないよ」
佑白は微かに眉を寄せ、何かを言おうと口を開く。
「あのね、」
彼の言葉を私は遮る。次の言葉を言うのは、少し照れ臭かった。
「キスされちゃったし、さあ」
「…………………………」
佑白は吐き気を催さんばかりの顰め面を作った。
難癖をつけられる前に急いで、私は言葉を付け加えた。
「わかってるって。単純だってわかってるよ。でも遊びのキスじゃない、ちゃんと感情こめてキスしてくれた感じだったんだよ。なんかさ、唇からそういうのが通じたっていうか」
「うわぁ」
佑白は呆れとも困惑とも嫌悪とも言えない微妙な顔をした。
強いて言うなら嫌悪が強い。
食材の感覚が違う文化圏の食事を眺めるような、根本的から同意しかねる表情だった。
頬が熱くなるのを誤魔化すように、私は演技がかった仕草で胸を張る。
「ま、佑白は恋したことないからわかんないんだよ」
「そんな風にバカになれるものなら、別にしなくてもいいよ」
佑白はそっけない。
「バカになれるのが恋よ」
奇妙な表情をしばらく続けたのち、佑白は考えるのに飽きたらしく目を閉じ、コタツに突っ伏した。
「アトラス・シトラス、早く出てくればいいね」
佑白を部室に残し、私はカフェテリアへと急いだ。
昨夜連絡をつけておいた先輩から話を聞くためだ。
副部長の映画作品のカメラを担当した四年書記――望月先輩という女性だ。
そしてアトラス・シトラスの貴重な目撃情報を持つランランも同席してもらう。
私は約束の時間より十分早く来たのだが、ランランは既に席に座って待っていた。
四人掛けの席に一人座る背中は音楽に合わせているのか僅かに揺れている。カジュアルなパーカーに短く切った黒髪なので、イヤホンのショッキンググリーンが良く映えていた。
「ランラン」
テーブルをとんとんと叩いて話しかけると、彼は露骨にビクッとしてイヤホンを外し、スマートフォンを裏返す。
「こ、こんにちは!」
「待たせちゃってたみたいだね。ゲームしてたの?」
「あ、……ああ、はい」
ランランはぎこちなく笑う。
「育成ゲームを、ちょっと」
私はすぐに彼の顔が少し腫れぼったいのに気付いた。目元も少し赤い。
「ランラン、具合悪いの?」
「え、えっ、どうしてですか」
「なんだか顔色悪いからさ。具合悪いなら、帰ってもいいよ?」
ぱっと頬をおさえランランはうろたえる。余程慌てたのかみるみる顔が赤くなって行く。
「た、たぶん昨日夜遅くまでレポートを書いてたせいだと思います。先輩の人探しにはお役に立ちたいですし、大丈夫です」
「無理しないでね」
ランランは何度も小さく頷き肩を縮こまらせる。
挙動不審なのはいつものことだけれど、ここまで狼狽するランランは珍しい。
眼差しは寝不足のように見えるし、具合が悪いのは明白だった。
なるべく早く切り上げてあげないと。
そう思っていた所で私はこちらに近づく先輩に気づいた。
テーブル席を縫うようにしながら来る書記――望月先輩は、可憐な白いスカートをひらひらさせて現れた。
後ろにはリクルートスーツ姿の副部長を率いている。そういえば二人は付き合っていたのだった。
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