既読:昨日はありがとう!気づいたら玄関で寝ててびっくりした
「佑白、ランラン脅えてたじゃない」
講義も終了した時刻、学内から散る学生の足並みに合わせながら私と佑白は歩いていた。
佑白に先ほどの事を咎めると、彼はしらっとした態度で返事する。
「佐紅がランランの味方になるからちょうど良かったでしょ」
私たちは、昨日定休日だった、打ち上げに利用した件の居酒屋まで向かう。
二次会で連れて行かれた店は覚えていないので、あの日の私とアトラス・シトラスとの足跡はここだけしか辿れないのだった。
引き戸を開くと威勢よく「らっしゃい!」との掛け声が入る。
中は学生グループと大学関係者と、その他近所のおじさんたちで埋め尽くされていた。
入口手前はカウンター席で、奥にテーブル席が幾つかあるごく普通の居酒屋だ。
「うう、今日の焼き魚も美味しそう……」
もくもくと煙る焼き鳥の炭火が体にまとわりつくようで生唾が出る。
この店は安いので平日も客足が途切れない。
運よく空いていたカウンター席の隅に私たちは座る。
大将がカウンターの中から声をかける。
「珍しいね、佐紅ちゃんが彼氏連れでくるなんて」
「はは、そういうのじゃないですって」
本日特価の鳥皮をお願いしつつ、私は打ち上げの日の事を尋ねた。
「常連さんならともかく、団体客のうちの一人なんて、いちいち覚えてないからねえ」
網の上の鯖を焼きながら、大将は太い眉を寄せる。
「ほら、佐紅ちゃんのサークルは特に、連れて来る人の入れ替わり激しいだろ? 写真でもあるならともかく、口頭であれこれ説明されてもなあ」
「あ、画像なら」
私はすかさず、スマートフォンを準備する。
隣で佑白が小さく「止めなよ」と言うが構わず、ランランから譲り受けた画像を大将に見せる。
「こんな人です!」
大将は見るなり一瞬ぽかんとして、口角をぐんにゃりと下げ、呆れた眼差しを向けた。
「佐紅ちゃーん、これアニメキャラじゃないのー」
「その人すごく似てるんです!」
「まあ……見つかるといいねえ」
苦笑いしながら大将は鳥皮を出す。私はタレで佑白は塩だ。
「いっただきます!」
焼きすぎの一歩手前の絶妙な固さに焼き上げられた皮を噛みしめると、弾力ある内側から熱い肉汁と甘みが染みる。
あち、あちと言いながら食べている横で、佑白も黙々と口にしていた。
酒を呑みだすと頭が回らなくなるので最初からウーロン茶を飲む私の横で、佑白は最初から芋焼酎をロックでちびちびとやっていた。
「たまに渋い趣味よね、佑白って」
「タダだからね」
佑白はガラスのロックグラスを揺らし、カラカラと氷を鳴らす。
「教授が入れてくれてる酒は、ゼミ生は勝手に呑んでいいって」
「いいなあ」
「佐紅は呑めないもんね。焼酎」
「そうなんだよね。ああ、そういえばアトラス・シトラスも焼酎を呑んでたよ。彼女はお湯割りだったけど」
「へえ。誰かさんと違って強いんだね」
「うう……」
カウンター席は炭火の煙がモロに来て実に煙たい。
しかし私も佑白も焼き鳥は煙くないと、という感性に関しては一致していた。
続いて出された焼き鳥をかじりつつ振り返ってみれば、今日も今日で繁盛していて騒がしい。
カウンターの大将は私たちではなく、他のおじさんたちの客と豪快な声を上げて話し始めた。
佑白とさりげなく秘密の話をするにはちょうどよいタイミングだった。
「なんでノート、なくなっちゃったんだろう」
副部長、みすずさん、ランラン――結局、ノートを持ち出した人の検討すらつかない。
「エキストラに連絡先を書いてもらう為だったら、副部長に断わって持ち出せばいいし、副部長に断りを入れたくないなら、一旦自分で聞き出して部室で書き写してもいいし。黙って持ち出す理由ってなんだろう。……誰にもバレたくない目的があったとか?」
「そうなると」
グラスに視線を落としながら佑白が口を開く。
「盗難や流出って方向に行くね」
「いっそ夜の間に鍵が壊れてたりしてたら、犯人捜しもしやすかったのにね。このままじゃあの日朝からいた三人を疑わなきゃいけないし。嫌だなあ」
「嫌だとしても疑うしかないね」
狭いサークルの人間関係にヒビを入れたくない。
できれば穏便に済ませたいものだった。
佑白は手酌で焼酎を注ぐ。
「うう、ロックなの……?」
「悪い?」
「いや、強いなあ、って」
見ているだけでも酔いそうだが、佑白は顔色一つ変わらない。
強いんだなと思うと同時に、彼の顔色が変わるところを一度も見たことがないと気づいた。
ブロウフレームの奥の眼差しは常に凪いでいる。
どんな女の子を引っかけているときも、サークルの男子たちとバカ話をしているときも、常にどこか達観しているような静けさがある男だった。
無表情とは違うけれど、一定のライン以上に感情を表に出さない。
怒りや悲しみといったネガティブなものだけでなく、楽しそうにしている時も同じで。
その奇妙な静けさに、私は佑白の瞳に夜の海を思い出すのだろうか。
態度は優しい癖に瞳の揺れない様に、女の子たちは深みに嵌められてしまうのだろうか。
佑白は私の視線に気づく。
「俺に見とれてるの?」
こういう事を言うときも佑白はあくまで平然としている。
童顔のせいか実績のせいか、嫌味が無いのが嫌味だ。
「お酒強いなあとか、この目で女だましてるのかとか考えてた」
「だましてないって」
「その魅力でひとつ、みすずさんを探るのもよろしく」
「確かに、友達いない佐紅より俺のほうが適任そうだしね」
「ひっどい」
「本当のことの癖に」
「じゃあそろそろ私も呑もうかな。それ、薄くしてくれる?」
「大丈夫?」
「大丈夫大丈夫」
そこからは適当に二人で盛り上がった。
前回の映画祭での作品の評判、次回作の構想、佑白はなぜ役者として、カメラの前に出ないのかどうか。
ペースの速い佑白に巻き込まれながら酒と焼き鳥と〆のお茶漬けを平らげ、私はスキップをしながら店を後にした。
お勘定はいつもの喫茶麝香堂でカツサンドとコーヒーセットを頼み、おかわりまで頼んだくらいの金額だった。
「佐紅、また酔ってる」
「はは、ふふふ。しょーがないじゃぁん。美味しかったんだからぁ」
ふらふらする私の二の腕を掴み、佑白は道の脇に強引に寄せる。
「危ないでしょ」
「あーりがとー」
佑白は私の腕を掴みながら歩かせる。
まるで、人ごみでちょろちょろする子供と、それの袖を掴む親のようだ。
私のアパートは大学から一駅程度なので、ちょっとした散歩にはちょうどいい距離だった。
佑白は私を引っ張りながら呆れ声でぼやく。
「そろそろ呑み方覚えないと、『また』お持ち帰りされそうになるよ」
「大丈夫だいじょーぶ、最近は佑白がいないところじゃ呑まないから」
佑白の言う『また』とは、私たちが親しくなるきっかけとなった出来事の事だろう。
大学生活に馴染めていない時分。
私は人数合わせに誘われた合コンでしこたま酒を呑まされてしまった。
二次会終了頃にはすっかり前後不覚となってしまい、そのままラブホへとお持ち帰りされかけていた所を、偶然通りかかった佑白が助けてくれた。
佑白いわく、
「明らかに合意ではなさそうな処女喪失が起きそうだったので助けた」
……とのことらしい。
当時の佑白とはまだ、サークルで顔見知り程度の仲だった。
彼氏と言い張り佑白は私の身柄を引き取ってくれた。
そして私をアパートまで送ってくれた上に、変な手出しも一切せず朝まで様子を見ていてくれた。
後日佑白は言った。
「親切にしても感謝をすぐに恋愛感情にはき違えないのは佐紅が初めてだった」
感慨深げに話された後日、彼のねじれた女癖の悪さを知る事となるのだが。
タチが悪いが、紳士には間違いない。
親しくしていくうちに私の性指向もばれ、結果お互いにとって、「惚れてこない楽な女友達」「性指向を知る貴重で安全な男友達」という有り難い関係となり今に至る。
私はお酒を傾けながら笑う。
「まあ、佑白が送ってくれるから大丈夫かなー、みたいな感じで、ちょぉーっと気が緩むところは、まあ、ありますかねーぇ」
「嘘。俺がいない時も呑んでたじゃない」
佑白はじっとりと非難めいた声音で言う。
先日の打ち上げを言いたいらしい。
「今回はしかも、お持ち帰りまでされちゃって。ほんっと馬鹿」
「馬鹿でもいいよ。アトラス・シトラスと出会えたんだもん、さいっこーじゃぁん」
酔った勢いでもなければ、私も好みの女の人に自分を打ち明けるなんて大冒険できなかった。
酒の力はたまには偉大だ。
気を良くした私はスキップしようとする。
一歩目からひっかかって、ぐらりと体が揺れた。
「馬鹿」
佑白がぐいっと腕を引っ張る。
友人として気楽すぎて彼の性別をたまに忘れてしまうけれど、こういうときはさすが男だなあと思い出す。
「カバン、鍵取るよ」
彼はアパートの鍵を開けると私を部屋に入れ、玄関に雑に横たえる。
瞼はもう上がらない。
跨って奥に入られた気配がした後、柔らかなものがかけられる。毛布を持ってきてくれたらしい。
「おやすみ」
鍵がポストに入り、カンカンと金属音を鳴らして去っていく音が聞こえる。
佑白は今日も優しい。
ありがたいと思いながら、私の意識は酩酊の沼にずぶずぶと沈んでいく。
私はそのまま眠りこけ、玄関先までアトラス・シトラスに送られる夢を見ていた。
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