1004_知らない顔の君を知る.log
2009年4月13日(月) 放課後
笑いが収まると、十和が俺の足元に置いた鞄を見た。
「で、それだけ忘れてて、おむすびは何で持ってきたの?」
今朝見た、昨日の俺が書いた作業ノートには続きがあった。
〈配線修理は完了。放課後、部室で確認する〉
朝飯を食った後に部屋に戻ってノートを見た俺は、急いでおむすびをタオルで包んで鞄に詰め込んだ。
「昨日の俺は、今日ここにこいつを持ってくるって決めてたから」
全員の顔が何とも言えない表情になる。まあ仕方がない。
鞄からおむすびを取り出し、作業台の空いている所へ置く。
背面のケースを見る。
千尋が窓際の机から作業台へ来て、機体の下にゴムマットを敷いた。
辰馬が工具箱を持ってきてくれる。
「開けていい?」
先に千尋へ聞いた。
「自分で作った機械ですよね」
「今の俺には半分他人の機械なんだよ」
絃先生にも目を向ける。
「蓋だけならいい。中を見て確認するだけ」
俺は頷き、電源が切れているのを確認してドライバーを持ち、ねじを外す。
辰馬が言う。
「そういうのは忘れてないんだな?」
「外から分からないなら開ける」
「それもいつも言ってるけど、忘れてないんだ」
やっぱり昨日の俺と今日の俺は全くの別人でもないらしい。
蓋を持ち上げる。机に置いたネジは千尋が部品皿に入れてくれている。
配線。
基板。
コンデンサ、トランジスタ、変圧器。
どれも知っている部品だ。
でも、これが何をする装置かは分からない。
センサーっぽいものがあるが、それが何のセンサーなのか分からないからだ。
記憶に残ってないのか、全く知らない部品なのか。
「配線は昨日、修理したっぽいんだけど、そもそもこれ、俺が組んだの?」
「部品の領収書は預かりました」
千尋が答える。
「箱はガク兄がどっかから持ってきてたな」
「中身は誰も知らないのか」
機械の動きを決めるソフトなら、東京で何年も書いてきた。センサーの入力を読んで、モーターを動かして、異常なら止める。そういう順番には慣れている。でも、何のために付けたか分からない部品を、見た目だけで知っていることにはできない。
「コウが昨日、自分で説明してたけど」
「先輩が忘れたせいでブラックボックス化しました」
「なんだよ、それ。怖いんだけど」
「機能自体は把握しています。ただ構造を私たちは知りません」
もっともな話だ。仕方なく自分で配線を目で追う。
分かる部品もあるから、回路自体はなんとなく分かる。
温度センサー、GPSモジュール。
おむすびからバッテリーを引いてる線と一緒にカメラ映像を取り込む線。
しかし、温度センサーの横にある部品が分からない。位置的には何かのセンサーだが、インダクタのようにも見える。
「このセンサーっぽい部品、何か分かる?」
「Sh計測センサーだ」
後ろから覗き込んだ絃先生が教えてくれた。
「なるほど、おむすびを移動観測装置にしようとしたわけか」
「思い出したの、コウ?」
日向が少し嬉しそうに言う。
「いや、理解し直しただけでしょ」
十和が代わりに説明してくれた。
「俺たちのこと忘れるのに、回路基板は読み解けるってこと? 悲しくね?」
「記憶喪失にも色々ある。怪異の成りすましって可能性が低くなっただけでも喜ぼう」
「低くなっただけですか……」
どうやら絃先生は人を慰めるのが下手らしい。
「中に異常はなさそうだし、今日はそこまでにしておけ。明日、昨日の観測ログを取り出す」
先生に言われて、中の写真だけ、携帯で撮って蓋を戻す。
開ければ分かると思った。
分かったのは、今の俺がどこから分かっていないかだった。
ねじを1本ずつ締めた。
「ログを見る時は、私も一緒に見ます」
「頼む。昨日までの俺より、今はそっちが頼りだ」
「昨日もそういう時ありましたよ」
「昨日だけじゃないだろ、それ」
そこは忘れたままでよかったかもしれない。
俺はノートを開く。
今日のページへ書く。
〈現研〉
・絃先生=顧問
・千尋=2年。機械・記録
・十和=怪異対処の家。木刀
・ガク兄=小津岳人。5年。電話だけ
・零=十和の姉。怪異対策部
・俺自身も怪異影響の候補。まだ不明
最後に少し迷って、
〈おむすびの背面に、俺の知らない箱。中にも見覚えのない部品あり〉
と書いた。
メモにすると、怖いことが消えるわけじゃない。
でも、どこが怖いのかは分かる。
朝から携帯に残してきたメモも、あとでこのノートに写しておこうと思った。
片方だけに残すより、その方がまだましだった。
携帯が震えた。
お袋からだった。学校の前に着いたという。
おむすびを朝と同じタオルで包み、鞄へ戻す。
「無理するなよ」
辰馬が扉を押さえた。
「今日はもう、帰って寝る」
口にしてから、美良と響のことが浮かんだ。
寝る前に、調べたいことがある。
実習棟から本館の昇降口へ戻り、外に出ると、朝と同じ車が待っていた。
助手席に座り、鞄を足元で押さえる。
「どうやった?」
お袋に聞かれた。
「分からんこと、増えた」
「学校行って?」
「でも、聞ける人も増えた」
お袋は一度こっちを見てから、車を出した。
夕飯を済ませて部屋へ戻ると、机の上にノートを広げた。おむすびは作業台の上に置いてある。
「帰って寝る」と言ったけれど、まだ寝る気にはなれなかった。
昼間、蓋を開けても背中の箱のことは全部分からなかった。けれど、美良の昔のことなら手掛かりを探せるかもしれない。
「……調べるか」
パソコンの電源を入れると、ファンが低く唸り始めた。
遅い。しかも、やたらうるさい。
画面が出るまで待って、また待つ。
17歳の身体は驚くほど軽くなったのに、身の回りの道具は28年分戻ってしまった。
「うわ、懐かし」
Windows XP。タスクバーが青い。Vistaにした人たちが悲鳴を上げてたのも懐かしい。
「ここから、また遅いんだよな」
誰に文句を言っているんだ、俺は。
ようやくブラウザが開いた。2037年なら大抵のことは声で済ませていたのに、この時代はここに文字を打ち込まなきゃならない。
夏倉美良。
妻の旧姓だ。昔、芸能関係の仕事をしていたとは聞いている。2009年の活動なら、何か記事や写真が残っているかもしれない。
検索窓へ名前を打ち込む。
結果が出た。
「……マジか」
思ったよりずっと多い。
雑誌、テレビ、イベント。写真も次々出てくる。グラビアの画像に水着姿の美良を見つけ、思わずマウスを止めた。
昔、芸能関係の仕事をしていたとは聞いていた。グラビアもやっていた、はずだ。
知っているつもりだった。
でも、10代か20歳そこそこの美良が、知らないカメラに向かって笑っている写真を見るのは、まったく別の話だった。
「若っ」
俺と出会った頃より、ずっと若い。
それに、何というか。
目の置き場に困る。
「いや、違うぞ」
誰に言っているのか分からない言い訳が出た。
「俺は別に、グラビアアイドルの体に惹かれて美良と結婚したわけじゃないからな」
返事はない。古いパソコンのファンが唸っているだけだ。
余計に恥ずかしくなった。
俺の知っている美良は、タレントを辞めて、親の地元に移り、金沢でオムライスの店を始めた美良だ。久里川で暮らしていた彼女と出会い、結婚した。
店では客の名前を覚えるのが早かった。業者と話す時だけ声が少し低くなる。忙しいと自分の昼飯を忘れるくせに、俺が食べ忘れると怒る。
そういうところなら、いくらでも思い出せる。
画面の写真をもう一度見る。
同じ顔だ。間違いなく美良なのに、俺に向けたことのない笑顔をしている。
「……まあ、可愛いな」
自分の妻に言うのも妙だが。
そう思ったら、今度は結婚式のことが浮かんだ。
小さな式だった。俺は東京から久里川へ戻ってきた身で、美良も移住してきた身。お互いの家族と、本当に親しい友人だけを呼んだ。
俺の友人は杉浦とガク兄の2人。
会社の同僚と飲みに行ったことくらいはある。でも、わざわざ石川まで来てほしいと思える相手を考えたら、結局その2人だった。
友達が少ないと言われれば、そうだろう。
ただ、あの日は2人とも来てくれた。
ガク兄はスーツ姿でも大きくて、他の誰より目立っていた。杉浦は俺の顔を見るなり、妙に感慨深そうな声を出した。
「平野が結婚かあ」
「なんだよ」
「いや、お前がなあ」
「何だよ、それ」
最後まで何が言いたかったのか分からなかった。
でも、嬉しかった。
今日、学校で会った杉浦も、部室から電話をかけてきたガク兄も、俺の記憶の中では結婚式に来てくれた2人だ。
なのに、2人にとってはまだ何年も先のことだろうし、そもそも同じ未来になるのかも分からない。
あの日、美良はよく笑っていた。
綺麗だった。
いや、2037年だって綺麗だったぞ。
また誰に言い訳してるんだ。
結婚式の写真は家のどこに飾ってあったっけ。リビングだったか、寝室だったか。
ドレス姿ははっきり覚えているのに、そんなことが曖昧だ。
俺は、覚えていることと覚えていないことの境目を、ずっと自分に都合よく決めてきたのかもしれない。
もう一度、画面を見る。
この写真の頃、美良は俺を知らない。
少なくとも、俺の記憶ではまだ出会っていない。
その頃の美良がどう暮らして、何を好きだったのか。今、検索結果を見て初めて知ることばかりだ。
妻なのに。
いや、妻だから全部知っていると思う方がおかしいのか。
俺だって、美良に話していないことはいくらでもある。
画面を下へ送ると、プロフィールの1行で指が止まった。
〈元「ふぁんたじ★ふぁんたじぃ」メンバー〉
「……何で2回言うんだよ」
思わず突っ込んでから、もう一度読む。
元メンバー?
グラビアをやっていたのは、なんとなく知っていた。だけど、アイドルグループにいたなんて聞いた覚えがない。
グループ名を検索する。
愛称は、ふぁんふぁん。
集合写真を開くと、若い美良がいた。
そして、その隣には見覚えのある巻き髪のツインテール。
「ドリルの人じゃん!」
朝のテレビで、客席に向かって腕をぐるぐる回せと叫んでいた天童リル。
この2人、同じグループだったのか。
写真の中では、2人ともこちらを見て笑っている。今朝は名前しか知らなかったアイドルが、気づけば妻の昔の仲間になっていた。
「世間って狭いな……いや、俺が知らなさすぎるのか」
たぶん後者だ。
美良が昔の仕事を隠していたとは思わない。俺が詳しく聞かなかっただけかもしれない。出会った頃には別の仕事をしていたから、それで知った気になっていた。
響にも同じことをした。
娘のバンド名を、今も思い出せない。何度か聞いたはずなのに。代わりに『明日の余白』が4分12秒あることと、俺が1分24秒で止めたことだけは、嫌になるほど正確に覚えている。
娘が何をしたいのか聞く前に、自分の知っている将来の苦労を並べた。そして、先に送られてきた曲を途中で止めた。
聞こうと思えば聞けたことが、いくつもあった。
今になって検索しても、画面の向こうにいる美良が俺へ答えてくれるわけじゃない。
「……会いに行くか?」
口に出してみた。
東京。
今すぐとはいかなくても、行こうと思えば行ける。北陸新幹線はまだ金沢まで来ていないが、東京への行き方がないわけじゃない。
ただ、俺は今17歳の高専生だ。学校もある。両親だって、今朝から様子のおかしい息子を心配している。
それ以前に、会ってどうする?
俺にとっては妻でも、向こうにとっては見知らぬ高専生だ。
未来では結婚します。娘もいます。
そんなことを言われたら、俺でも逃げる。相手が人気タレントならなおさらだ。
「……完全に不審者だな」
笑おうとして、笑いきれなかった。
画面の美良に会えたとしても、俺が帰りたい相手は、あの写真の中にいるわけじゃない。
2037年の美良と響は、どうなったんだろう。
あの夜の続きを、2人はまだ待っているんだろうか。
考えても答えは出ない。
今日は、画面の中に美良を見つけられただけだ。
それでも、何もしなかったわけじゃない。俺はノートを開き、検索して確かめられたことだけを書いた。
〈2009年4月13日 夜〉
・響――『明日の余白』をまだ最後まで聴いていない。バンド名は思い出せない。
・美良――この時代では芸能活動中。元「ふぁんたじ★ふぁんたじぃ」。天童リルと同じグループ。
・未来側の2人がどうなったのかは、分からない。
・ここにいる理由も、戻る方法も、まだ分からない。
少し迷って、余白に1行足す。
〈美良の過去を、俺は思ったほど知らなかった〉
そんなものまで調査結果に入れるなよ、と自分でも思う。
でも、今日分かったことには違いない。
机の端で、おむすびが短く鳴った。
『充電を開始します』
古い合成音声。
「お前は分かりやすくていいな」
『音声入力に対応していません』
「会話くらい付き合えよ」
2037年なら、何か返ってきた。
響のことも美良のことも、もっと詳しい記録を持っていたはずだ。今朝、目が覚めるまでは、いつでも話しかけられる相手だった。
目の前の機体は、俺が高専生の頃に作ったおむすびだ。背中には記憶にない箱があるけれど、それでも未来のAIそのものではない。
ノートの最後へ書く。
〈おむすび=2009年の機体。2037年のAIとは別物に見える〉
書き終えてから、もう1行。
〈ただし、名前は同じ〉
何の手掛かりになるのか、今は分からない。
それでも、その1行は消さなかった。




