1001_明日への帰り道.log
4月13日(月) 朝
「ちょっと、いつまで寝とるんや。学校、進級早々遅刻していいんか」
うるさい。
今日は休みを取ったはずだ。
響と話す。
仕事は後にする。
そう決めて、寝る前にスマホを伏せた。
スマホは、どこだ。
手を伸ばしかけて、ようやく目を開ける。
天井。
角の欠けた蛍光灯カバー。
高専生の頃、欠けたところが妙に気になって、寝る前に何度も見ていた。
結局そのまま卒業して、上京して。
待った。感想はそこじゃない。
身体を起こそうとすると、妙にすっと上体が起きた。なんだこの軽さ。
45歳の身体で身についた「よいしょ」の予備動作が要らない。
違和感は天井以外のも周り中にある。
小さいころからそのままの学習机。
漫画と小説だらけで下の段に少しだけ技術系の本が並んでる本棚。
ブラウン管からようやく卒業した20型液晶テレビ。
その下には、分厚い初期型プレステ3。
お袋が選んだ窓際のカーテン。
どれも知っている。
実家だ。
しかも、匂いまで同じ、昔の俺の部屋だ。
「……何で」
声がおかしい。というか、40越えてから感じてた朝の喉の窮屈さが解消されてる。
下を見ると右手の甲が視界に入る。
皺がない。最近増えた小さな染みもない。
鏡を見る。
「おいおい、マジか」
17歳の俺がいた。
45歳の顔じゃない。
髪が多い。いや、別にそこまで減ってるわけじゃないし、白髪も少ないほうだと思ってた。
「夢にしては、よくできてるな」
最初に出てきた感想がそれなのは、我ながらどうかと思う。
今度は左手を見る。薬指の指輪がない。
「美良?」
返事はない。
「響」
当然、ない。
じゃあ、さっき目が覚める前に聞こえてた声はなんだ。
胸の奥が急に冷えた。
スマホを探す。
ない。
代わりに、銀色の折り畳み携帯が充電台に立っていた。
見覚えがある。
俺が高専3年の頃に使っていたやつ、若い子がガラケーなんて呼ぶやつ。
当時でもiPhoneは出ていたが、十分現役だった。
俺は、電話とメールができれば十分だと言って、この折り畳みを使い続けていた。
携帯の機械っぽさが好きで、しゃれた板を持つのも嫌だった。
今は、スマホより便利なものを俺が発明しようとAIに相談していた。
親指で上半分を押し上げ、そのまま手首を軽くスナップさせる。
ぱちん、と開く。
「200......9年?」
そこに表示された4桁の数字に軽く脳がフリーズする。
閉じる。まあ、当時電源切ってたらそのままか。問題は俺はこれを2011年くらまで使ってたってことだが。
もう一度開く。
2009年4月13日、月曜日。
「日付はちゃんと今日じゃないかよ」
年数だけが、部屋に合わせてある。
机の端に学生証。
久里川工業高等専門学校。
本科3年。
平野恒一。
俺の名前だ。
いったん座る。
分かっていることを、頭の中だけで抱えるのをやめた。
「これが、一応、夢じゃないとしてだ」
机の上にあったノートに目をやる。ありふれたキャンパスノートにマジックで「作業ノート」と書いてある。俺は思いついたこと、やったこと、やるべきことを昔からノートに書くのをクセづけていた。
そのノートを開いてみる。数ページ使ってあるが、まだ真新しい。その新しいページにペンを走らせる。
〈今のところ〉
・俺は17歳
・2009年
・場所は実家
・記憶は2037年まである
・美良と響がいない
ここまでなら、説明は1つだった。
2009年へ戻った。
そう考えるのが、妥当だと思う。
ただ身体まで17歳になったとしたら、いわゆるタイムスリップではなくタイムリープというやつか。
45歳の記憶と意識が、2009年の体の中にいる。
原因は分からない。
書き出したノートの、最後の1行だけもう一度見た。
いない。
その感覚だけが、急に現実感を帯びる。夢の、中のはずだ。
俺は25年前にこの高専を卒業している。
そのあと東京へ出た。
仕事をした。
都会を離れ、久里川へ戻った。
そこで美良と出会った。
響が生まれた。
あっちが夢で、こっちが現実だとか?
俺は、昨日ここで寝て、やたら長くてリアルな夢をずっと見てたっていうのか。
そんなわけがない。
そう思いたくない。
携帯の電話帳を開く。
美良。
ない。
当たり前だ。
2009年の俺はまだ美良と会っていない。
未来で使っていた番号を思い出して打つ。
つながらない。
響の番号も。
つながらない。
分かっていたのに、膝から力が抜けた。
どこか、誰かに助けを求めるか。
警察。
病院。
駅。
家。いや、2037年の家が建っている場所はまだ宅地造成もされてない。
どこへ行けばいい。
そもそも、ここだって家だ。
「恒一、いつまで寝とんの?」
ドアが開いた。
お袋が立っていた。
若い。
髪が黒い。
声にも張りがある。
2037年のお袋より、ずっと若い。
お袋は、俺の手の携帯を見る。
「起きとるのに返事もせんと、朝から誰に電話しとるん」
「……家族」
「ここにおるやろ」
そうなんだよな。
ここにもいる。
「わざわざ電話で返事する気やったん?」
笑いそうになった。
笑えなかった。
「なんか顔色悪いくない? 具合悪いん?」
「変な夢見ただけ」
夢じゃない。そのはずだ。
じゃあ、今のこれが夢か?
「熱あるんやない?」
額へ手が伸びる。
反射的に避けかけて、なんでかそれをやめた。
お袋の手だ。この手の温度を覚えている。
これが、夢か?
「熱はないみたいやけど、朝ご飯、食べられる?」
「……うん」
「しんどかったら、ちゃんと言ってや」
お袋が出ていく。
ドアが閉まる。
お袋がいる。
美良と響はいない。
どっちを喜んで、どっちを怖がればいいのか、自分でも分からない。
ノートへ1行足した。
・お袋はいる
それだけ書いて、ペンを置いた。
制服へ着替えていると、ベッドの下から黒いケースが見えた。
ギター。
「ああ……」
買った。
初心者セット。
小さいアンプとコード表と教本もついてたはずだ。アンプは一緒にベッドの下に押し込んであるが、教本はどこだ。
結局まともに1曲も弾けないまま、忘れ去ってたやつだ。
3日でやめたわけじゃない。1か月くらいは触った。
誰に言い訳してるんだ。
響がギターを始めた時、自分が昔持っていたことなんて、ほとんど話さなかった。
ほとんど?
いや、まともには一度も話してないかもしれない。今の今まで忘れてたくらいだ。
なんで音楽の話をして思い出せなかったんだろう。
弦に触れる。
細い、緩んだ情けない音が鳴る。
響から送られてきた動画の音とは全然違う。
あいつのは、もっとピンと張って、生きてて、叫んでた。
『明日の余白』。
4分12秒。
俺が1分24秒で止めた曲。
その先を、まだ聴いていない。
「最低だな」
ギターに言っても仕方ない。ケースを閉じて押し戻す。
立ち上がって机とは別の作業台の上を見た。作業台といってもプラケースにベニヤを貼っただけのものだけど。
「こいつも、懐かしいな」
作業台の上には、白くて角の丸い三角形のロボットがある。
三角ボディに短い脚。
白いボディに黒いカメラ窓。
できあがった形から名前を付けた。
おむすび。
高専に入ってから作り始めて、この頃にはちゃんと歩くようになっていたロボットペット。
2037年の自宅で使っている自作AIにも、同じ名前をつけた。
こいつが元だった。そこは覚えている。
「いや、違う。なんだこれ?」
ただ、三角ボディの背中にある四角いケースは覚えていない。
覚えていないというか、おむすびに何かを外付けはしていない。卒業までに簡単な音声対話機能までは付けたはずだが、外見はそのまま、今は実家の押し入れに眠っているはずだ。
初めて、記憶にないものが現れた。
平らな背面に、本体とは質感の違う角張ったケースが金具で固定されている。
作業台の上にはドライバーとか一通りの工具も揃っている。
開ければ何か分かるかもしれない。この状況を説明してくれる何かが。
だが、さっきのお袋が頭に浮かんだ。
変な話だが、今のこの姿に相応しい考えが浮かんできた。
今からやったら学校に間に合わない。
さっきの作業ノートを開いて前のページを見てみる。
〈背面ケース装着。斜面で転倒。足の形状を変えるより、外装パーツを作って取り付ける〉
俺の字だ。
何のためのケースなのかは書いていない。更に足を改造しようとしているらしい。
単に過去へ戻っただけなら、俺の知らない改造を17歳の俺自身がやっていることになる。
その俺は、どこに行ったんだ。
「誰だよ、お前」
開けなくても、とりあえず電源を入れてみるか。
電源ボタンを押して数秒経つと、4本の脚が小さく動き、白い本体が少し持ち上がった。
『観測モードを開始します』
古い合成音声。声は記憶にあるが観測モードってなんだ。
「おむすび」
『音声入力に対応していません』
「返事してるけど」
『音声入力に対応していません』
少し笑った。
2037年のおむすびじゃない。俺が知ってる2009年時点のものとも違う。
でも、名前は同じだ。
ノートへ足す。
・おむすびはいる。俺が知っているのは歩く程度のロボットペット。ただし目の前にいるのは謎の箱が付いた昔の機体。
・記憶と違っている以上、単純なタイムスリップ、タイムリープではない。
書いてみると、少しだけ頭の中が空く。
・違う世界?
「なわけないよな」
ノートを閉じて、居間へ降りる。
朝食は白飯、味噌汁、卵焼き。
父さんが新聞を読んでいる。
「寝不足か」
新聞から目も上げずに言ってきた。やっぱり俺の父親だ。
「たぶん」
「夜中までパソコン触っとるからや」
2037年でも通用しそうな説教だった。
父さんも、2037年の俺が知っている姿よりずっと若かった。
なのに2人とも、目の前の俺を普通に17歳として扱っている。
テレビでは天気予報が流れている。お天気キャスターも懐かしい人だ。
「山間部では、依然げんそう干渉強度が高めとなっています。入山の際は、携帯用けっかいきを忘れず、また事前に正常に作動するかどうかも確認を忘れないようにしてくださいね」
味噌汁を飲む手が止まる。懐かしい人が急に知らない人になった。
「……今、何て言った?」
げんそう。
けっかいき。
ありふれた天気予報から知らない言葉が2つも来た。
音だけ聞いても字も意味も分からない。
幻想とか結界だったら、そんなの漫画で使う言葉で天気とは関係ない。
「山、シキ高いって。こないだからずっとやろ」
父さんは新聞から目を上げない。そこだけまだ知ってる通りだ。
でもまた、知らない言葉が出てきた。
「シキ?」
士気が高いって天気予報と関係あるか? 天気予報なら四季か? 四季が高いってなんだ?
言葉2つで混乱してた直後に、もう増えた。
テレビ画面の端に数字の横にShという文字。単位だろうか。
あれのことか? ShiKi?
ガキの頃にミリバールがヘクトパスカルに変わったと思うけど、また変わったとか?
父さんがついに新聞を下して、こっちを見た。
「お前、学校でやっとるやろ。中学でやるやつやぞ」
やっぱりヘクトパスカルか? でも気圧はまた別で画面に出てきた。
じゃあ、やっぱり知らない数値を表す知らない単位だ。
お袋が湯飲みを置く。俺の顔をいぶかしげに見ている。
「ほんとに寝ぼけとるだけ?」
寝ぼけてたら物理量が1個増えるわけないもんな。中々鋭い。
ニュースへ切り替わる。
「昨夜、住宅地で確認されたクマについて、県警では、へんじょう個体の可能性があるとみて――」
画面下の字幕に〈変生個体〉。
「これで、へんじょう?」
また増えた。
情報量が多いな、この世界。
「この、世界」
この世界、そう、やっぱりここは俺の知ってる2009年じゃない世界だ。
もう夢とか、寝ぼけてるでさすがに自分を誤魔化すのも限界に来た。
画面には山間部の家屋と田舎道に張られた規制線が映っている。
クマが出たらよく見る映像ではある。
山道。
警察官。
腰に刀。
「……刀?」
身を乗り出した瞬間、画面が変わった。
「次のニュースです。先月から制限の続いていた海外渡航について、一部地域への一般渡航許可が今週から再開されました。対象地域は、げんそう安定度を確認しながら順次拡大される予定です。なお、一部旅客機で新開発の計測機器の実験がーー」
再開。
つまり、最近まで普通には海外へ行けなかったらしい。
それも知らない。
思いつくとこでいったらSARS、コロナの渡航制限か。でも、SARSはそこまでじゃなかったし、コロナはもっと後だったろ? げんそうってのは、とんでもない感染症ってことか。
「嫌な世界だな」
思わず呟いた直後、次の映像へ切り替わる。
さっきまでのニュースどこいったってくらいの、カラフルな映像。
巻き髪のツインテールがくるくる回りながら現れた。
黒と紫のフリル衣装。ツインテールの上に小さな帽子。アイドル。
どこか凶器っぽい意匠が気になるけど、普通に可愛いアイドルだ。
満面の笑顔で、元気に客席へ両腕を回している。
「まだ回ってない人、いるよー!」
歓声。1万人は入りそうなアリーナにペンライトが隙間なく揺れている。
「みんながやるまで、ぐるぐる〜!」
ペンライトがぐるぐる回る。
「何だこれ」
「せーのっ、ドリルビーーーム!」
「ドリルなのにビームって何だよ」
お袋が吹き出した。
「そこ気になるん?」
「気になるだろ」
「天童リルやから」
説明になってない。今まで気になってた単語がぜんぶドリルとビームに持ってかれたんだぞ。
ただ、その名前は2037年でもたしか聞いたことがある。
未来側でも活動している有名人だ。
ソロでアリーナを埋めてるとしても、俺はアイドルにはそんなに興味がなかった。そんな俺でも知ってるってことは、紅白とか歌番組にも出てたんだろう。
知らない言葉ばかりの中で、なぜかこのアイドルは知ってる存在だった。
「ドリルでビームは、よく分からんけど」
そういえば、美良も昔は芸能関係の仕事をしていたって言ってたな。ちらっと聞いたけど、辞めた仕事のことをあんまり追求しようとはしなかった。
そこまで考えて、やめる。
今は情報が多すぎる。その上、美良のことまで出てくる。
俺がこんなに苦悩してるのに、テレビは勝手に先へ進む。
俺だけが追いついていない。
「なあ、さっきの警官、刀みたいなの持ってなかった?」
お袋の眉がハの字になった。俺が変なこと言ってないのに、変なことと受け取った時にやる、あれだ。口はへの字だから、俺はハへモードって呼んでた。本人に言ったことはないが。
「怪異の可能性あるんやろ。専門の人が来るやから、刀くらい当たり前やろ」
「怪異」
また1つ増えた。
いや、この世界、廃刀令なかったやつか。剣道少年見て乱暴者って言ってたあのお袋が、刀くらい当たり前って。
お袋が俺を見る。ハヘモードがレベル2くらいになってる。
「学校、休んだ方がいいがんない?」
行きたくない。17歳の俺なら、よっしゃきたこれって言って風邪のフリでもしただろう。
でも、行っていいのか分からないが、ここは調査範囲を広げておきたい。
「行くよ」
「大丈夫なん?」
「マジで具合悪くなったら帰るから」
「なら途中まで送ったげるわ」
お袋が言った。
父さんが新聞を畳んだ。
「げんけんも今日は山入るなよ」
げんけん。
いい加減にしろよ。まだ、知らない言葉あるのか。
「……げんけん?」
やめとけばよかったと思うが聞いてしまう。父さんとお袋が揃ってこっちを見る。
ハハへモードが未知のレベルに到達している。
仕方がない。意味も字も分からない言葉が多すぎる。怖いとかより、気になる。それが俺の性分なのに、この両親は俺が大人になってもその辺を理解してなかった。
こんな状況でも、これはまだ日常の範囲だ。
朝食をかき込んで、部屋で鞄にノートを詰める。階段を駆け降りて、玄関で靴を履く。
身体が軽い。
45歳の時より、立ち上がるのも階段を降りるのも速い。
なのに、手には金属の鍵。玄関の鍵と自転車の鍵をまとめたキーホルダーはゲームのモンスターフィギュア。よく分からない世界でも、俺が好きだったゲームもちゃんとある。
財布をポケットに入れるのも久しぶりだ。中には現金と学生証が入っている。
2037年では日常的に持たなくなったものばかりだ。あっちでは腕につけた端末で事足りるのに。
肉体は速くなったのに、生活道具は昔へ戻っている。
変な感じだった。
「道具が不便になった分を、若さで補えってか」
小声で言う。
「何か言うた?」
お袋が車の鍵を振っている。自分で毛糸で編んだ人形が黒くなってるから、いい加減交換しろよと何度も言ったやつだ。車の鍵っていうのも随分久しぶりに見る。
「何でもない」
車へ乗る前に、もう一度家を見る。
実家。高専生の俺が帰る場所。
でも、2037年の45歳の俺が帰る家はこれじゃないんだ。
この家は、2024年の地震でかなりやられて、俺の金で改築した。
俺は俺で、東京から帰って、結婚して家を建てた。娘が産まれて、3人で暮らしていた家だ。
美良。
響。
俺は4分12秒ある響の曲を、1分24秒で止めた。
もう、そのことは絶対に忘れない。こればかりはノートに書く必要もない。
本気で後悔して、何十回も打ち直したメッセージを響に送った。おむすびに相談しなかったから時間がかかった。それを自分でもやばいと思った。
父親をやり直さなきゃいけないって思って、スマホを置いた。
明日、話そうと思った。聞こうと思った。俺のことを。響のことを。
明日、あの曲を一緒に聴く。
明日、娘が学校から帰るまでに、美良と一緒に準備をする。
明日、俺の家族3人で。
その明日が、よく分からない今日になってしまった。
知らない明日に、2人がいない。
鞄の中には、分からないこと羅列したノート。そして、分からない箱が付いているおむすびも入れたせいで重みがずしっと肩にかかる。
まずは、分かることを増やす。
分からないことは、分からないまま書いていけばいい。昔からそうやって、それを辿って前に進んできた。
振り返るより、前に進んで、帰る方法を探す。
美良と響がいる場所が、俺の帰る場所だ。そこに帰るべき明日があったはずなんだから。




