第3/13話 火事場で姿勢は低くして
火災系イベントには、夢がある。
炎の中から子どもを抱えて脱出。
崩れ落ちる梁を背中で受け止める。
最後の一人を救い出したところで建物が倒壊。
燃え盛る炎の中、安堵の笑みを浮かべながら息絶える。
完璧だ。
異世界転生イベントとして、非常に完成度が高い。
しかも火災には、転生後の派生先が多い。
火属性耐性。
炎魔法適性。
炎熱耐性。
危機察知。
救助技能。
《不死鳥の加護》。
そして――
炎の精霊、イフリートとの親和性。
「これは、かなりいい!」
俺は朝食を食べながら、一人で頷いた。
火災で人々を救い、その末に炎の中で命を落とす。
炎に焼かれながらも最後まで他者を守った実績。
女神がそれを評価すれば、火属性関連の初期ボーナスが付与される可能性は高い。
場合によっては、
『あなたは炎の中でも人を救い続けました。その魂は火の大精霊にも認められるでしょう』
などと言われるかもしれない。
そのままイフリートとの契約適性獲得。
序盤から高位精霊使いルート。
「……あるな」口元が自然と緩む。
非常にある。
問題は一つ。
火災は、思ったより危険だ。
いや。
死にたい俺が言うのもおかしいが、正確には――狙った死に方をするのが難しい。
炎そのものより、煙のほうが早い。
一酸化炭素。
酸素欠乏。
視界不良。
高温の煙を吸えば、気道熱傷もある。
せっかく最後まで人を助けても、途中で意識を失って床に転がれば格好がつかない。
死に際の台詞も言えない。
女神面接で、
『最後まで諦めず人々を救いましたね』
ではなく、
『煙を吸って廊下で倒れていましたね』
になる可能性がある。
それは困る。
火災系イベントでは、死ぬ場所まで選ばなければならない。
俺は《異世界転生イベント対策ノート》を開いた。
『火災系イベント最重要事項』
一、姿勢を低くする。
二、煙を吸わない。
三、避難経路を確保する。
四、救助対象を全員避難させる。
五、最後に自分だけ炎の中へ残る。
完璧だ。
四までは生存行動。
五で死ぬ。
メリハリが重要である。
俺は満足してノートを閉じた。
そのとき、スマホが震えた。
会社の同僚からだった。
『今日、駅前のショッピングモール行かない?』
休日に同僚と買い物。
通常なら断る。
だが、駅前。
大型商業施設。
飲食店多数。
厨房設備多数。
電気設備多数。
人流、多。
火災発生時の救助対象、多数。
『行く』
即答した。
すぐに返事が来た。
『珍しいな』
失礼な。
俺だって人付き合いくらいする。
転生イベント発生確率が高そうならな。
◇
「お前さ」
昼過ぎ。
俺は同僚とショッピングモールの三階を歩いていた。
「最近、妙に有名人だよな」
「そうか?」
「そうだろ。トラックから子ども助けて、通り魔倒して」
「たまたまだ」
「二回続いたら、たまたまじゃなくない?」
「たまたまが二回続いただけだ」
「それを世間では偶然とは言わない」
面倒なので聞き流す。
俺はそれより、館内設備を見ていた。
非常口。
消火器。
屋内消火栓。
煙感知器。
スプリンクラー。
防火シャッター。
避難誘導灯。
かなり安全な施設だ。
つまり、火災系転生イベントとしては弱い。
俺は少し残念だった。
「なんで非常口ばっか見てんの?」
「癖だ」
「どんな癖だよ」
その瞬間だった。
ぷつん。
館内照明が、一斉に落ちた。
「お?」
すぐに非常灯が点く。
ざわめき。
数秒遅れて、どこかで女性の悲鳴。
そして。
鼻を刺す、焦げ臭い匂い。
俺は立ち止まった。
樹脂。
電線。
それだけではない。周囲に漂う臭い。
油。
厨房。
直後、館内放送が流れた。
『ただいま館内で火災が発生しております。係員の指示に従い、落ち着いて――』
来た。
俺の心臓が跳ねる。
火災。
大型商業施設。
休日。
多数の避難者。
条件としては申し分ない。
そして何より。
イフリート。
炎の大精霊との親和性。何を隠そう俺の推し精霊なのだ。
今日ここで綺麗に散れれば、一気に精霊使いルートまで見えてくる。
だが、浮かれてはいけない。
まず救助。
そのあと死ぬ。
順番を間違えてはいけない。
「外出るぞ!」
同僚が俺の腕を掴んだ。
「先に行け」
「は?」
「俺は少し確認してくる」
「何を!?」
俺は手近な館内案内図を見る。
出火地点は、おそらく二階の飲食店区画。
煙は階段と吹き抜けを上がる。
三階には子ども向け施設。
高齢者も多い。
人の流れが一つの非常階段へ集中している。
危ない。
いや。
転生イベントとしては最高だ。
頭を振る。
今は救助が先。
「反対側の非常階段も使えます!」
俺は声を張った。
「一か所に集中しないで! 小さい子と高齢者を先に!」
近くでオロオロしていた店員が俺を見る。
「え、あ、はい!」
「吹き抜け側は煙が上がります。できるだけ離れて誘導してください!」
「分かりました!」
なぜか店員が俺の指示に従った。
違う。
俺は客だ。
まあいい。
人の流れが分かれる。
俺は逆方向へ走った。
「おい! どこ行くんだよ!」
同僚の声が背中から飛んでくる。
「人が残ってないか見てくる!」
「消防に任せろよ!」
もっともな意見だ。
だが、それでは俺の異世界転生チャンスが消える。
言えるわけがない。
煙が少しずつ濃くなっていた。
「誰かいませんか!」
声を張る。
子どもの泣き声。
いた。
母親らしい女性が、二人の子どもを抱えて動けなくなっている。
「大丈夫ですか?立てますか?」
「足が……」
右足首を見る。
捻挫だろう。
俺は片方の子どもを抱き上げ、女性に肩を貸した。
「口元を服で覆って。できるだけ姿勢を低くしてください」
「は、はい……!」
「煙を吸わないように。慌てなくて大丈夫です」
そのまま非常階段まで運ぶ。
係員へ引き渡す。
「この三人をお願いします」
「あなたは?」
「まだ人が残っていないか確認します」
「危険です!」
「分かっています」
むしろ危険でなければ困る。
俺は静止を振り払って中へと戻った。
煙がさらに濃くなっている。
ここからだ。
そろそろ最後の救助対象が欲しい。
子どもでもいい。
高齢者でもいい。
足の悪い人でもいい。
誰でもいい。
最後の一人を助ける。
そのあと俺だけ残る。
崩落。
炎。
自己犠牲。
そしてイフリート。
完璧だ。
「誰かいませんか!」
返事はない。
「いたら声を出してください!」
小さな咳が聞こえた。
俺は音の方向へ走った。
通路の奥。
倒れた商品棚の下で、一人の男がもがいている。
「大丈夫ですか!」
「足が……抜けなくて……!」
「今、持ち上げます」
棚へ手を掛ける。
重い。
だが持てる。
腰を落とす。背筋を伸ばし固定する。
重いものを持ち上げる時は、脚を使う。
「今です!」
「う、うわっ!」
男が脚を引き抜いた。
俺は棚を戻す。
「歩けますか」
「何とか……」
「この先を真っ直ぐです」
俺は煙の向こうを指差した。
「突き当たりを右へ曲がると非常階段があります。そこまで行けば下へ避難できます」
「あなたは……?」
「まだ人が残っていないか確認します」
「でも――」
「大丈夫です。姿勢を低くして、壁沿いに進んでください。口元も覆って」
「わ、分かりました」
男は足を引きずりながら歩き始めた。
遅い。
だが、自力で歩けている。
俺はしばらく、その背中を見送った。
煙の向こうへ姿が消える。
「……よし」
今度こそだ。
避難経路までは伝えた。
非常階段まで辿り着けば、あとは下へ降りるだけ。
これで救助対象はいない。
俺だけが残る。
火災。
煙。
炎。
崩落の危険。
条件は完璧だった。
俺は逃げずに、その場へ立った。
煙が天井から垂れ込めてくる。
熱い。
呼吸が少し苦しくなる。
いい。
このまま最後まで残ればいい。
問題は死に際の台詞だ。
『燃え尽きても、守るものがある』
火耐性。
庇護。
自己犠牲。
悪くない。
『この程度の炎で、俺の意志は焼けない』
精神耐性。
不屈。
炎耐性。
こちらもなかなか。
さらにイフリートとの親和性まで意識するなら――
『炎よ。この魂を試すがいい』
炎魔法適性。
精神耐性。
精霊親和。
かなり強'カッコイイ。
「いや……少し偉そうか」ついでに厨二病臭いな。
イフリートが気難しい性格だった場合、初対面から関係が悪化する可能性がある。
もっと謙虚に。
『炎よ。俺の命で、誰かの未来を照らせるなら――』
長い。
途中で死ぬ。
「難しいな……」
俺が真剣に考えていた、そのときだった。
煙の向こうから、鈍い音がした。
どさっ。
「……?」
非常階段の方向だ。
嫌な予感がする。
俺は走った。
「おい!」
十数メートル先。
さっきの男が、通路の途中で倒れていた。
非常階段までは、あと少し。
本当に、あと少しだった。
俺は駆け寄り、男の呼吸を確認する。
浅い。
意識も朦朧としている。
顔色が悪い。
一酸化炭素中毒か。
「くっ! 姿勢を低くと言ったのに!」
肩を叩く。
「聞こえますか!」
「……う……」
駄目だ。
自力では無理だ。
俺は非常階段の誘導灯を見る。
すぐそこ。
そして振り返る。
煙。
炎。
待ち望んでいた転生イベント。
「……仕方ない」
本当に仕方ない。
放っておくわけにはいかない。
俺は男を背負った。
「せっかく……」
口から漏れかけた言葉を飲み込む。
危ない。
これは社会的に非常に危ない。
俺は非常階段へ向かった。
背負っている以上、姿勢は高くなる。
煙を吸わないよう呼吸を浅く調整する。
足元確認。
一段ずつ。
急ぐ。
だが転ばない。
もしここで階段から転落して二人とも死んだら、火災系なのか転落系なのか判定が曖昧になる。
イフリートとの親和性に悪影響が出るかもしれない。
それは困る。
一階。
出口。
外光が見える。
あと少し。
俺は男を背負ったまま、扉を押し開けた。
外気が顔を打った。
「出てきた!」
大声が飛んだ。
「人背負ってるぞ!」
「うわ、マジか!」
何だ。
人が多い。
多すぎる。
消防車。
救急車。
警察。
避難客。
そして。
大量の野次馬。
スマホ。
スマホ。
スマホ。
どこを向いてもスマホ。
「……ちょっと待て」
俺は立ち止まりそうになった。
だが背中の男を先に渡さなければならない。
「救急! 一酸化炭素中毒の可能性があります!」
救急隊員が走ってくる。
「こちらへ!」
俺は男を担架へ下ろした。
「中に他の人は?」
「確認できた範囲ではいません」
「あなたも診ます!」
「俺は大丈夫です」
「煤だらけですよ!」
「大丈夫です」
そのとき。
「駅前の英雄だ!」
聞き覚えのない声が飛んだ。
「え?」
「ほら! トラックの子ども助けた人!」
「通り魔倒した人だろ!?」
「マジ!?」
「撮れ撮れ!」
「今度は火事かよ!」
最悪だ。
気づかれた。
誰かが叫ぶ。
「駅前の英雄、火事場でも大活躍じゃん!」
「人背負って出てきたぞ!」
「これ絶対バズる!」
やめろ。
バズらせるな。
俺は異世界へ行きたいだけだ。
だが、もう遅かった。
何十台ものスマホが、煤だらけの俺を映している。
背後では煙を吐くショッピングモール。
前では救急隊員に囲まれた救助者。
そして、その中央に立つ俺。
客観的に見ると、最悪なほど絵になっていた。
◇
その日の夜。
俺は自宅で《異世界転生失敗反省会》を開いた。
ホワイトボードには、大きく書いた。
『火災系イベント失敗』
一、最後の一人を救助。
二、自分だけ現場に残ることに成功。
三、救助対象が非常階段へ辿り着く前に一酸化炭素中毒。
四、再救助。
五、生還。
「惜しかった……」
今回は本当に惜しかった。
あと少し。
あと少しだったのだ。
救助した男が、言われた通り姿勢を低くして進んでいれば。
せめて、あと十数メートル。
非常階段まで辿り着いてくれていれば。
俺は今頃、白い空間で女神と対面していた可能性が高い。
炎の中で人命救助を成し遂げた実績。
火属性耐性。
炎魔法適性。
自己犠牲。
場合によっては《不死鳥の加護》。
そして何より――
「イフリート……」
俺は目を閉じた。
惜しい。
実に惜しい。俺は悲しみの余り目頭が熱くなるのを感じた。
炎の精霊との親和性を獲得する絶好の機会だった。
だが、問題点は見えた。
『救助対象は、完全に安全圏まで運ぶ』
これだ。
避難経路を教えただけでは不十分。
最後まで責任を持って、完全に外へ出す。
そして全員の安全を確認したあと、俺だけ火災現場へ戻る。
これなら失敗しない。
俺は赤ペンで大きく丸をつけた。
次に、火災系イベント用の死に際の台詞候補を書く。
『この命が燃え尽きても、誰かの未来が残るなら』
庇護。
炎耐性。
自己犠牲。
悪くない。
『炎よ。この魂を試すがいい』
炎魔法適性。
精神耐性。
精霊親和。
イフリート契約狙いなら、こちらか。
「うーん……」
まだ弱い。
もっとこう。
女神の心に刺さる何か。
英雄的でありながら、下心を悟られず、なおかつ初期ビルドに有利な一言。
難しい。
スマホが震えた。
嫌な予感がする。
画面を見る。
『駅前の英雄、今度は火災現場で大活躍!!』
動画。
再生回数、二百三十万。
「……」
別の投稿。
『炎の中から男性を背負って生還 あの“駅前の英雄”だった』
百八十万。
さらに。
『火事場で人命救助! 駅前の英雄、またも大活躍!!』
三百十万。
「……」
再生する。
俺が男を背負って外へ出てくる。
野次馬の歓声。
救急隊員へ男を引き渡す俺。
別角度。
さらに別角度。
「何人撮ってるんだよ……」
コメント欄。
『この人またかよ』
『ガチの英雄じゃん』
『映画みたい』
『自分も死にそうなのに人助け優先してるのヤバい』
『駅前の英雄で定着してて草』
『聖人だろこの人』
違う。
全部違う。
俺は死にたかった。
死ぬ予定だった。
むしろ最後まで残るところまでは成功していた。
「……また、やってしまった」
スマホを伏せる。
天井を見る。
蛍光灯。
魔法陣はない。
荘厳な鐘の音もない。
白い空間もない。
もちろん女神もいない。
俺は椅子から立ち上がった。
窓際へ行く。
夜空を見上げる。
「女神よ……」
両手を組んだ。
「見ているのなら、どうか聞いてほしい」
返事はない。
「俺は本気なんだ」
トラックも駄目。
刃物も駄目。
火災も駄目。
それでも諦めるつもりはない。
「女神よ。どうか俺を――」
一度、深く息を吸った。
「異世界へ転生させてくれ!」
◇
遥か上。
人間には決して知覚できない場所。
白い空間の一角。
机。
椅子。
積み上げられた書類。
飲みかけの茶。
そして、その中央に浮かぶ大きな水晶板。
そこには、窓際で夜空へ祈る一人の男が映っていた。
『女神よ……』
水晶板の前に座っていた男神の眉が、ぴくりと動いた。
『見ているのなら、どうか聞いてほしい』
「……」
『女神よ。どうか俺を――』
男神のこめかみに青筋が浮かぶ。
『異世界へ転生させてくれ!』
ばんっ!
男神が机を叩いた。
積み上げられていた書類が跳ねる。
「女神女神うっさいのぉ!」
勢いよく立ち上がり、水晶板の向こうにいる男を指差す。
「男神だっつーの!」
もちろん。
その声が、地上の俺へ届くことはなかった。




