序章
「あぁッ!! クソがッ!! カスの分際でッ!!」
胸の奥にこびりついた苛立ちが、いくら時間が経ってもまったく収まらない。
あの日――この俺に牙を剥いた、クソみてぇな四人のツラが、脳内をぐるぐる回っていやがる。
ふと視線を横にずらすと、ハゲ男がおどおどと俺の顔色をうかがっていた。
その存在そのものが、今は癪に障る。
「ふごぉッ!?」
苛立ちのままに、ハゲの頭部を殴り飛ばす。
「俺の視界に映んじゃねぇ。ぶっ殺すぞ、テメェ」
情けない声を上げて倒れるハゲを横目に、俺は舌打ちを噛み殺した。
――その瞬間、追い討ちみたいに監内放送が流れる。
内容は、この俺を面会室へ呼び出すもの。
こんなときに呼び出しかよ、と一瞬無視を決め込みかけたが……呼び出し主は、クソ親父らしい。
あの忌々しい金髪に殴られて以来、自室に引きこもってたって話だ。
ようやくノコノコと顔を出してきた――ってわけだな。
(――文句のひとつやふたつ、ぶつけてやらなきゃ気が済まねぇ)
俺は苛立ちを引きずったまま面会室へ向かった。
勢いよくドアを蹴り開ける。
分厚いガラスの向こうで、クソ親父がふんぞり返って座っていた。
「おぉ! 元気そうで良かったぞ、ジェイクよ」
「今の俺が元気そうに見えんのかぁ? あぁ!?
おちょくってんのかよ、クソ親父ィ!!
なんでこの俺が、一年以上もここにいなきゃなんねぇんだよ!!」
怒鳴りながら、備え付けの椅子を蹴り飛ばす。
ガシャンと嫌な音が響き、クソ親父の目がわずかに泳いだ。
「……刑期延長だけは、どうしても避けられなかったのだ。悪かった。
あのクレリアが、まさかここまで恩知らずだったとは……このワシに泥を塗るなんて……」
泣き言をだらだら垂れやがる。
今聞きたいのは、そんな言い訳じゃねぇ。
「そんなことはどうでもいいんだよ。
例の“選抜試験”で、俺を引き上げる準備はできてんだろうなぁ?」
「もちろんじゃ。必ずお前を監獄から出してやる。
それと……ワシとお前を追い詰めた、あの金髪の男には――必ず痛い目を見せてやることを約束しよう」
クソ親父なりに、やることはやってるらしい。
だが最後の一言だけは、どうしても聞き捨てならなかった。
「……あのよぉ。これ以上、俺をイラつかせんじゃねぇよ」
「え?」
「この俺が、あんなカスごときに追い詰められただと? 口の利き方には気をつけろよ、ボンクラ親父。三大貴族のくせに想弾師になれなかった能無しのお前と、俺を一緒くたにすんじゃねぇよ」
ガラス越しでも分かるくらい、親父の顔色がさっと変わる。
「……そうじゃな。悪かった」
「分かりゃいいんだよ。――次はねぇからな?」
釘を刺すように低く言い放つ。
俺は最後にもう一度、わざとらしくドアを蹴りつけて、面会室を後にした。
* * *
私は、海の見えるアーケガッタ地方の街へと、公共の交通機関を乗り継いで向かっていた。彼女が今どうしているのか――それが、どうしても気がかりでならなかったからだ。
やがて目的地に到着し、教えられていた住所の家の前に立つ。
小さく息を吸い、ゆっくり吐いてから、意を決してチャイムを鳴らした。
少しして扉の向こうから足音が近づき、おっとりとした雰囲気のおば様が顔を出す。私はすぐに姿勢を正し、名乗った。
「お初にお目にかかります。
私、想導騎士団五番隊隊長のクレリア・ブレイズロットと申します」
「あら、あなたが噂の隊長さんね。あの子からよく話を聞いているわ。自慢の隊長さんだって」
思いがけず自分の評価を他人の口から聞かされ、頬が少し熱くなる。
照れを誤魔化すように、私はすぐ本題に入った。
「今、ウェラちゃんはお部屋にいらっしゃいますか?」
「ごめんねぇ、今は出かけてるの。多分、レーメ海岸にいると思うわ。
その……あの子がやってしまったことについては、いろいろ聞いていてね……。母親としても謝らせてちょうだい。本当に、申し訳ありませんでした」
ウェラちゃんのお母様――セレナさんは、深々と頭を下げた。
「どうか、頭をお上げください。
その件については、セバスト様も絡んでいますから……一概にウェラちゃんだけが悪いとは言えません。そのあたりも含めて、本人の口から聞きたいと思っているんです。体調も心配ですし、私のほうから直接、様子を見に行きますね」
そう告げ、私は軽く会釈をして家を後にした。
海の匂いを含んだ風に背中を押されるように、海岸へ向かって歩き出す。
時刻は夕暮れ。
空は茜色に染まり、海面にも赤い光が揺れている。
まだ少し肌寒い季節のせいか、砂浜に人影はまばらだった。
その広い海岸の一角に――一人座り込み、海を眺めている少女の姿が見える。
私は声をかけるより先に、その隣へ歩み寄っていた。
言葉を交わす前に腰を下ろす。砂がさくりと音を立てた瞬間、少女が大きく肩を跳ねさせた。
「え……!? クレリア隊長ッ!?」
「ふふっ、お久しぶりです。
それと今日は、騎士団の隊長としてではなく、ただのクレリアとして来ています。
昔みたいに"リア姉"って呼んでもらって大丈夫ですよ」
「よっ呼べませんよ、いつの話をしてるんですかっ……」
照れくさそうに視線を泳がせるウェラちゃんに、私も小さく笑みを返す。
それからしばらくは、他愛もない話をした。
ここ最近の体調、家での過ごし方、近所の噂話――どこにでもあるような会話。
言葉の端々から心が少しずつ落ち着いてきていることが伝わり、私は胸を撫で下ろした。来る途中で買ってきた餡菓子の包みを開け、二人で分け合いながら赤く染まる海を眺める。
「クレリア隊長……少し、明るくなりましたね」
「え、そうですか?」
「はい。前よりも、自然な笑顔になっている気がします。
私はどちらの隊長も好きですけど……どちらかと言えば、今の隊長のほうが好きです」
「ふふっ、ありがとうございます。
……ほんの少しだけですが、肩の荷が下りたからかもしれませんね」
柔らかな潮騒が、会話の合間を埋めていく。
私はウェラちゃんが謹慎処分になってからのモーニア監獄の出来事をかいつまんで話して聞かせた。暴発事件の被害者、ジェイクさんの横暴、それに対する私たちの敵対宣言――その何もかもを。
「そんなことが……。大変でしたね」
「ウェラちゃんから見て、私の行動って……どう思いますか?」
自分でも少し意地悪な質問だと思う。
それでも、彼女の率直な意見が聞きたかった。
「正しいかどうかで言うと、私には分かりません。
私自身、間違った行動をして謹慎処分になっているので……それを判断する資格もないのかなって」
ウェラちゃんは一度視線を落とした。
だがすぐに顔を上げ、真っ直ぐな瞳でこちらを見る。
「でも……私の尊敬する隊長らしい判断だったとは、断言できます」
その言葉が、夕焼けよりも温かく胸に染みた。
尊敬してくれる後輩がいる。だからこそ――今度は私が、彼女の力になりたかった。
「そう言ってもらえて、嬉しいです。
……ウェラちゃん。一つ聞いてもいいですか? あの“戦闘訓練”について」
その言葉を口にした瞬間、ウェラちゃんの表情がわずかに曇る。
それでも、ここで聞かなければならない。彼女が尊敬してくれる隊長として。
「あの件に関しては、全て私の独断で多くの囚人を危険に晒してしまいました。到底許されることではありません」
「その行為自体は……たしかに、そうかもしれません。
でも、セバスト様にそうしろと指示されていたんですよね?」
問いかけると、ウェラちゃんはしばし沈黙したのち、ゆっくり顔を上げた。
覚悟を固めたような、真剣な眼差しでこちらを向いた。
「クレリア隊長に……嘘はつきたくないので、正直に言います。
父の仇と、騎士団の除名。その二つをちらつかせて、命令されました」
やはり――調べていた情報と一致する。
本人の口から事実を聞いた瞬間、私の中で何かが決定的に切り替わった。
セバスト様への“恩義”など、もうどうでもよくなった。
ブレイズロット家を利用するだけなら、まだ耐えられたかもしれない。
けれど――可愛い後輩を追い詰めたのなら、話は別だ。
それでもウェラちゃんは、自分の罪から逃げずに言葉を続けた。
「ただ、それでも最終的にあの戦闘訓練をやると決めたのは、私です」
「……分かりました。教えてくれてありがとうございます。
おかげで、私がどうするべきか――決意が固まりました」
潮風に混じって、砂の匂いが鼻をかすめる。
私はひとつ息を吸い込み、問いを返した。
「ウェラちゃんのほうはどうですか?
今後どうするべきか……もう、決まりましたか?」
「それは……すみません。まだ決められていません。
騎士団に戻るべきか、責任を取って辞めるべきか……。
隊長は――どちらが正しいと思いますか?」
その問いは、かつて迷っていた頃の私自身を見ているようだった。
だから私は、あのとき――ある人からもらった言葉を、そのまま口にした。
「それは、ウェラちゃんにしか判断できません。
それを決める権利も資格も、私にはありません。
ですから今は、悩み抜いてください。
それで納得のいく答えが見つかったら――そのとき、私に教えてください」
「……分かりました。
ただ今の台詞、ちょっとだけ――説教垂れてくるケント・ベルウォードが言いそうですね」
「えっ!?」
あまりにも鋭い指摘に、思わず間の抜けた声が出てしまう。
慌てて咳払いをして話題を変えながら、その場はなんとかごまかした。
そうしてひとしきり言葉を交わしたあと、私はウェラちゃんと別れた。
そして――ブレイズロット家の次女として。
ロウガーデン家と正面から向き合う覚悟を、改めて胸に刻んだ。
* * *
あれから、ひと月が経ち――ついにこの日が来た。
長きにわたる懲罰房生活に終わりを告げる、待ちに待った選抜試験当日だ。
俺は刑務官に拘束想具をかけられたまま引っ張られ、長い廊下を歩かされる。
久しぶりに外の空気を吸い込むと、冷たい風と一緒に眩しい光が目に刺さった。
暗闇で過ごしていた時間が長すぎたせいか、ただの朝日ですら染みる。
やがて、モーニア監獄の外に停めてある四輪想駆の前まで連れて行かれる。
そこで――見慣れた二人の姿を見つけて、思わず声が出た。
「たらし野郎! 泥女! 久しぶりだな。元気そうで良かった……!」
あの一件以来、一度も顔を合わせることはできなかった。
命に別状はないと聞かされてはいたが、それでもずっと心配だったのだ。
真っ先に俺の言葉を否定したのは、たらし野郎だった。
「元気なわけあるか!!
あんな、灯りひとつない狭い部屋に閉じ込められて……。
孤独死するかと思った……」
文句を垂れるたらし野郎に、泥女が呆れ顔で口を挟む。
「アンタは相変わらずそうね。それよりも……いつまでそのあだ名で呼んでんのよ。もう名前、知ってるでしょ?」
そうだった。自己紹介は、あの地獄みたいな拷問部屋で済ませてある。
今日向かうのは監獄の外の試験会場――今さら遠慮する必要もない。
ということで、試しに口にしてみる。
「あぁそうか。えっと、ルビイリスとアレクシード――」
「ルビィでいい」
「オレもレックスって呼んでくれ。地元じゃ、みんなそう呼んでる」
「そうか。んじゃ……ルビィ、レックス。よろしくな」
名前を口にしてみると、なんとなく気恥ずかしい。
その微妙な空気のせいか、そこで会話がぷつりと途切れた。
「……なんだよ、この間」
「いや、アンタの名前なんだっけ? キンパツしか出てこなくて」
「ケント・ベルウォードって、あの時ちゃんと叫んだだろ! もう忘れたのか!?」
「必要ないことは覚えない主義でね」
「オレも忘れてたわ! 女の子の名前以外、興味ねぇし!」
なんて薄情な奴らだ、と心の中で毒づきながらも――
どこか懐かしいこのやり取りに、思わず笑みがこぼれた。
「そこ、うるさいぞ。さっさと乗り込め」
後ろから刑務官に注意され、俺たちは四輪想駆の後部座席へと押し込まれた。
拘束想具の冷たさと、揺れ始めた想駆の振動が――これから始まる選抜試験の現実味を、嫌でも高めていくのだった。




