第四章「敵に回す」 5/8
運命の日がやってきた。
今日は刑務官として、クレリアがこのモーニア監獄にやってくる。
いくら顔なじみとはいえ、俺は囚人で、向こうは想導騎士団の隊長だ。
こっちから気軽に話しかけるのはさすがに礼を欠く。なので自分からは動かない。
――決して、日和ってるわけではない。
そんな言い訳を心の中で並べつつ、いつも通り仕事実習をこなしていると、朝っぱらから俺の囚人番号が呼ばれた。行き先はお馴染み、例の取調室だ。
もしここが監獄じゃなかったら、菓子折りの一つでも持っていくところだが――。
「……まぁ、怒ってるって決まったわけじゃねぇしな。変に取り繕わず、そのまま行くか」
自分にそう言い聞かせながら、長い廊下を歩く。
取調室の扉の前で一度深呼吸し、コンコンとノックしてから、ゆっくりと扉を開けた。
中では、クレリアがすでに席についていた。
いつもなら俺の姿を見るなり、どこか柔らかい笑顔を向けてくれるのだが――今日は違う。
俺の方を一切見ないどころか、声もかけてくれない。
ただじっと、真正面の席を見据えている。早く座れと言っているようだった。
そのときの俺の鼓動は――正直、ジェイクと一戦交えたときよりも早かった。
ぎこちなく対面の椅子に腰を下ろし、覚悟を決めて顔を上げる。
そこにいたのは、いつものように笑って怒るでも、困ったように眉を下げるでもなく――真っ向から感情を押し隠さない怒りの表情をした、クレリアだった。
「…………どうしてなんですか。手は出さないって、約束してくれましたよね」
静かな一言が、真正面から突き刺さる。
いつもの俺なら「出したのは足だ」なんて軽口の一つでも叩いていたかもしれない。けれどこんな状況で……いや真剣に俺と向き合ってくれる相手に対して、茶化したくはなかった。
「ああ、言い訳のしようもない。刑期も伸びちまったし、お前との約束を破っちまった。……悪かった」
素直にそう口にすると、クレリアの肩がわずかに揺れる。
ぎゅっと拳を握りしめ、机の上に置かれたその手が小さく震えた。
「結局……何も変わってないんですね、貴方は。
セバスト様を殴ったときと同じ。後先なんて考えずに、感情だけで動く。
貴方の帰りを待ってるウィン君やジュリアさんの気持ちを……少しは考えられないんですか!!」
バンッ、と机を叩く音が取調室に響く。
いつも冷静で穏やかなクレリアが、ここまで感情をあらわにしたのを見るのは初めてだった。正直、胸がちくりとする。だが――ウィンやジュリアさんを引き合いに出すなら、俺もおとなしくはできない。
「……だったら、こっちも言わせてもらうぜ」
思わず顔を上げ、クレリアを真正面からにらみ返す。
「そもそもだ。なんでお前たち刑務官どもは、ジェイクの横暴を野放しにしてるんだよ。話を始めるなら、まずそこからだろ」
「それは――」
「俺だって、アイツの横柄な態度くらい、最初は我慢してたさ。
椅子の代わりに人間使おうが、偉そうに踏ん反り返っていようが、見て見ぬふりくらいはできた」
「けどな……仲間に手ぇ出されたら話は別だ。
あのまま俺が動かなきゃ、泥女はもっとボコボコにされてたかもしれねぇんだぞ」
ブルーノのおっさんが来たから何とかなった。けどそんなもの、結果論だ。
「町の治安を維持して、市民の安全を守るのが想導騎士団の仕事なんだろ?
だったら……本来率先してジェイクを止めに入るべきなのは、騎士団に属していて刑務官も兼任してるお前だろ」
クレリアの喉が、ぎゅっと詰まったように動く。
「ここが罪を償う場所だってんなら、俺の行動はお前の言う通り、褒められたもんじゃねぇ。でもよ、そうせざるを得ねぇ状況を作ってんのは――どっちだよ」
「貴方に……何が分かるんですかッ!!
家柄の責任もなく、その日その日をテキトーに生きて、それでも帰る場所がある貴方にッ!」
今のは、さっきまでと違って、理屈じゃないただの感情の叫びだった。
クレリアの弱いところが、初めて顔を出した気がする。
前にも聞いたが、クレリアは親族を亡くしている。
いつも平然としてるから、全部吹っ切れてるもんだと勝手に思ってたが……全然そんなことはなかった。
そりゃそうだよな。俺だってウィンやジュリアさんがいなくなっていたら、今みたいに平然としていられる自信なんてない。
「っ――すみません、感情的になりました。今のは……聞かなかったことにしてください」
「嫌だ、忘れない。俺は性格が悪いからな。
ウィンやジュリアさんを引き合いに出した上に、俺の生き様をバカにしやがったな」
「ブレイズロット家の者として、あるまじき発言でした。すみません……」
「なら――代わりに教えてくれ、クレリアとロウガーデン家の関係を。
一人で全部背負い込んでるみてぇだからさ。ちょっとくらい、俺にも持たせてくれよ」
ここまで感情的になってるってことは、ロウガーデン家と何か因縁があるんだろう。なら、恨みつらみを口に出して話すだけでも肩の荷が下りるはずだ。それに……誰かの荷物を持つことは、俺の得意分野でもあるからな。
「……長くなってしまいますよ、大丈夫でしょうか」
「ああ、その分仕事実習サボれるからな」
さっきはきつく言い返しちまったし、少しでも空気を和らげようと軽口を挟む。
クレリアの表情が、ほんのすこしだけ緩んだ。そこから、ぽつりぽつりと言葉がこぼれはじめる。
「十年前に……私の両親と姉が獣人によって殺された話はしましたよね。
当時十一歳だった私は、家族を失ったショックが大きすぎて、ずっと寝込んでいました。目が覚めれば、またあの賑やかな日常が戻ってくるって、本気で信じていたんです。でも、現実は……そんなに甘くはありませんでした」
「共和国ゴーゼンメイヘムにおいて、ブレイズロット家は“三大貴族”と呼ばれる名門貴族です。当然、その影響力は政治、経済をも動かすほどに大きい。
そんなときに両親と姉が同時にいなくなったら――残された仕事や責務は、全部私に回ってきました」
「全部って……嘘だろ。十一歳なんて、普通はダチと遊びまわってる年だろ」
「当時の私は、本当にぎりぎりでした。傷心していることなんてお構いなしに、次から次へと仕事が流れ込んでくる。それに、右も左も分からない。
義兄もいましたが、姉との婚約を進めていた最中で……私以上に傷ついていて、とても頼ることなんてできませんでした」
そこで、クレリアは小さく息を吸う。
「そんな状況で私を助けてくださったのが――セバスト様なんです。
困っている私に手を差し伸べてくださって、山のようにあった案件をすべて代わりに引き受けてくださった。……彼は、私の恩人なんです」
他の刑務官たちがジェイクに逆らえないのは、貴族と一般市民っていう身分差があるからだろう。けど、同じ“三大貴族”って立場にいながら、なおロウガーデン親子を表立って咎めない理由――それが今、はっきりした。
セバストへの恩義だ。
だが、俺はセバストって人間を身をもって知っている。
自分の利益のために他者を平気で切り捨て、邪魔なら子ども相手でも容赦なく手を上げるクソ野郎だ。そんな奴が、当時のクレリアに手を伸ばした理由なんて――一つしかない。
「それはクレリアを……正確には“ブレイズロット家”って立場を、あいつが利用しようとしただけだろ」
「そんなこと、分かっていますッ!! でも私は……あのときの恩を、仇で返したくないんです」
クレリアだってバカじゃない。
ブレイズロット家の財産が勝手に使われていたことも、市民の納税額がブレイズロット家名義で無理やり引き上げられていたことも、全部把握していたらしい。
それでも、助けてもらったという事実だけは消えないから――裏切りたくない、というわけだ。
「話してくれてありがとな。クレリアがなんでアイツらに手を出せねぇのか、大体わかった」
「俺には貴族って肩書きもねぇし、おまけに記憶もない。日々テキトーに生きてるってのも、まあ否定はできねぇ。そんな俺が当時のクレリアや、今のクレリアの気持ちを理解も否定もすることなんてできねぇな」
そこで一度言葉を切り、真正面から問いかける。
「……けどよ。本当にそれでいいのか?」
クレリアの肩が、びくりと揺れた。
「ロウガーデンのクソ親子の丸見えな悪行を、恩義って煙でごまかして、目をそらしてねぇか?クレリアの原動力って“自誓”だろ。それってただの仇討ちだけじゃなくてさ、ブレイズロット家として、自分の生き方に恥じねぇようにって誓いも含まれてるんじゃねぇのか?」
もし仇討ちだけなら、もっとドロドロした恨みが前面に出る原動力になっていたはずだ。それでもクレリアの原動力が“自誓”になったのは、ブレイズロット家としての責任と自分自身の在り方、その両方を背負う覚悟があったからだろう。
だからこそ――俺の知っているクレリアらしさを見失ってほしくなかった。
「私は……どうすればいいと思いますか」
「どうするかはクレリアにしか選べない。俺が決める権利も資格もねぇよ。
だから今は悩み抜け。納得いく答えが見つかったら、そのとき教えてくれりゃいい」
そう言ってから、壁の時計にちらりと目をやる。
「……っと、だいぶ話し込んじまったな。そろそろ仕事実習に戻るわ」
椅子から立ち上がり、取調室の扉に手をかける。
背中にクレリアの視線を感じながら、その場を後にした。
そして――たらし野郎から“クレリアに試験の情報を聞き出してくれ”と頼まれていた任務のことを、すっかり忘れていたと気づいたのは、その日の夜になってからだった。




