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想心の引き金 ~たとえ何百年、何千年かかったとしても――わたしが彼を止めてみせる~  作者: Observer_365
2_監獄編

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第四章「敵に回す」 6/8

 取調室に残された私は、ひとり静寂の中で、さきほど彼に言われた言葉を反芻していた。


 ――ロウガーデンのクソ親子の丸見えな悪行を、恩義って煙でごまかして、目をそらしてねぇか。


 ぐうの音も出ない正論だった。

 私はセバスト様に恩があるからと自分に言い聞かせてジェイクさんを放置している。それが間違っていることくらい、分かっている。


 ただ、未熟な私にはどうすることもできず、論点をすり替え、関係のないジュリアさんとウィン君を引き合いに出して――彼に八つ当たりをしてしまった。


 あれは、貴族としての振る舞いではなかった。

 一人の人間としての、ぬくもりある居場所を持つ彼への僻みでしかなかった。


 結局、自分がどうすればいいのか答えも出ないまま、私は定例どおり業務をこなすしかなかった。


* * *


 このモーニア監獄には主に窃盗や暴行といった罪を犯した者たちが多く収監されている。そのぶん人数は多く、座学講習・仕事実習・戦闘訓練をいくつかのグループに分け、ローテーションで回しているのが現状だ。


 本日、私が任されているのは仕事実習。

 囚人服の洗濯と、乾いた服の折り畳み作業を監視することだ。


 作業場に移動すると、ちょうど彼――ケントさんが黙々と手を動かしていた。


 その姿を目にした瞬間、どうしても先ほどのやり取りが頭をよぎる。

 どうすればいいのか。どこから向き合うべきなのか。

 そんな答えを探している最中――事件は起こった。


 バシャッ、と水のはねる音がして、思わずそちらへ視線を向ける。

 ケントさんが、全身びしょ濡れになって立っていた。


「おおっと、すまねぇな。足が滑っちまった」


 そう言ったのはジェイクさんではなく、別の囚人だった。

 けれど、その男がジェイクさんの息のかかった者であることは、その態度だけで十分に察せられた。


 雑にあおられた桶の水で、せっかく畳み終えた囚人服まで丸ごと濡れてしまっている。ケントさんは、濡れた衣類をまとめてかごに入れると、こちらへ歩いてきた。


「刑務官、畳んでいた衣類が濡れちまった。乾燥想具(ドライ・ソア)を借りてもいいか」


「は、はい。こちらへどうぞ」


 私は乾燥想具が設置されている一角まで彼を案内しつつ、声をひそめて問いかける。


(……いつも、こんなことをされているんですか?)


(ああ。ジェイクとの一件以降は埒が明かないくらいにはな)


 周囲に聞かれないよう、必要最低限のやり取りだけを交わすと、ケントさんは何事もなかったように元の持ち場へ戻っていった。


 そこへ先ほど水をかけた囚人が、にやつきながら話しかける。


「おいおい、ずいぶんおとなしいじゃん? ジェイク様に逆らったときの威勢はどうしたよ?」


「今は仕事実習中だ。話しかけんじゃねぇ」


「ナマいってんじゃねぇよッ!」


 男の拳が、容赦なくケントさんの腹部にめり込む。

 ケントさんはその場にうずくまり、苦しそうに息を吐いた。

 思わず止めに入ろうと一歩踏み出した、そのとき――。


「おいおい、クレリアさんよぉ~。久しぶりだなぁ? 貴族会以来かぁ?」


 人をおちょくるような声音とともに、視界の端から現れたのはジェイクさんだった。


「どいてください。こんなこと……見過ごせるわけが――」


「何言ってんだよ。そこのキンパツ君が勝手に転んだのを助けてやっただけだよなぁ?」


 さきほどの囚人が、白々しくこちらへ歩み寄りながら肯定する。

 その姿勢は、横暴という言葉すら生ぬるいほどだった。

 さらにジェイクさんは、私のすぐそばまで歩み寄ると、耳元に顔を寄せて囁いた。


「俺のクソ親父に“恩義”があるんだろ……?

 なら見逃せよ。目ぇそらすのは、得意だろ?」


 その一言が、心のいちばん痛む場所を、正確に突き刺した。


 分かっている。

 ここで止められない私は、きっと間違っている。

 それでも――覚悟を決めきれていない私は、その場で一歩を踏み出すことができなかった。


* * *


 ただ見ていることしかできなかった私に、昼休憩を告げる鐘の音が響いた。

 囚人たちがぞろぞろと食堂へ向かう中で、その場に一人だけ残っている影がある。


 囚人番号0131――ケントさんが“泥女”と呼んでいた人だ。

 彼女は冷めた目のまま、じっとこちらを見据え、口を開いた。


「なんで、キンパツのこと助けてくれないのよ」


 素朴で、あまりにも単純な問い。

 それなのに私は、喉が詰まったようになって答えることができず、思わず視線をそらしてしまう。


「例の戦闘訓練では、助けてくれたじゃない。

 なのに相手がジェイクになった途端だんまりって……。

 アンタ、他の刑務官と違って偉い貴族様なんでしょ。

 ――なら助けなさいよッ!!」


 まっとうな怒りだった。

 それを、私は正面から受け止めることすらできなかった。


「私は……」


 どうにか言葉を探そうとした、その瞬間。


「……結局アンタも、周りの奴と同じなのね」


 短くそう言い放つと、彼女はもう私に興味をなくしたように背を向ける。

 私は、その小さな背中が作業場から出ていくのを、ただ黙って見送ることしかできなかった。


 ――今の私を見て、お父さん、お母さん、お姉ちゃん、それにウェラちゃんは……どう思うのでしょうか。


* * *


 ――ったく勘弁してくれよ。

 なんでオレが、こんな危険を冒さなきゃなんねぇんだ。

 そう心の中でブツブツ文句を言いながらも、可愛い女囚たちから持ち運びできるパンや残飯を、こっそりかき集めていく。


 そもそもだ、オレは最初に言ったはずだ。

 “手は出すな”って。


 泥女はすぐ噛みつくし、キンパツはすぐ手が出るし。

 まぁ、アイツらと一緒にいると楽しいのも事実なんだけどよ……その分、問題ごとに巻き込まれる身にもなってほしいもんだ。


 そんなことを考えているうちに、どうにか二人分の食料がそろった。

 オレはいつもの合図で、第三男子トイレに集合と指示を飛ばす。


「刑務官、用便願います」


「よく腹を壊すな、お前は」


「え!? あー……まぁ、生まれつきなんで……」


 テキトーな言い訳を口にしながら、前かがみで腹を押さえるフリをして、第三男子トイレへと向かおうとした――そのとき。


 最悪の客人と、もろに鉢合わせした。


「よぉ~チャラ男くん。そんなに慌てて……どこ行くんだよ」


 言わずもがな、ジェイクだった。

 声色も、表情も、仕草ひとつひとつまで怒っていた。


 人生最大のピンチが、今ここに到来している。

 返答一つ間違えたら、本気で殺されかねない。そう覚悟しつつ、声を震わせながら答えた。


「ト、トイレっすよ! オレ、生まれつき腹の調子が悪くなりやすくて!」


「俺は貴族だ。だから市民(カス)にチャンスをくれてやる。

 ――俺はな、嘘が大嫌いなんだ」


「さっきのは嘘です。健康です」


 即答で白状しながら、その場で両手を上げて降参ポーズを取る。

 抱えていたパンやら残飯やらが、袋ごと床に転がり散らばった。


 もう言い逃れなんてできやしない。

 だったらせめて、生き延びるために自首を選ぶしかないだろ。

 今のオレを――誰が咎められるってんだ。


「おいおいおい……俺が前に出した命令、忘れたわけじゃねぇよなぁ?」


「きっちり覚えております!」


「素直でいい子だなぁ? なら――ちょっとツラ、貸してもらおうか」


 さらばだ、まだ見ぬ美少女たちよ。

 オレの人生は――どうやらここで、いったん幕を下ろすらしい。


* * *


「ったく、おっそいわね。腹減ってしょうがないわ」


 第三男子トイレの個室前で、泥女が俺に向かって配給担当への愚痴をぶつけてくる。持ってきてもらう側が、なんでここまで強気で文句言えるのだろうかと思いつつフォローする。


「アイツにもタイミングってもんがあるんだろ。

 にしても、さすがに遅ぇな。何かあったのかね」


「……せっかく個室あるんだし、アンタちょっと外出ててよ」


「嘘だろ。こっから女子トイレ近いだろ、そっち行けよ」


 図太いんだか、図々しいんだか分からない神経に半分あきれつつも、

 俺は追い出され、トイレの外でたらし野郎を待つことにした。


 壁にもたれ、廊下の先を何度かちらちら見やる。

 しばらくすると、階段の影から、ようやく人影が一つ現れた。


「よぉ、今日はいつもより遅かった――な……」


「おぉ~この俺のこと、そんなに待っててくれたのかぁ?

 嬉しいなぁ、キンパツ君?」


 出てきたのは、たらし野郎じゃない。

 階段の影からニタニタ笑いながら姿を見せたのは――ジェイクだった。


 しかも、合図でなきゃバレないはずの集合地点に、だ。

 それが意味していることを、俺は嫌でも悟る。


「……アイツは、無事か?」


「それはテメェ次第ってとこだな。

 今すぐ倉庫裏まで来てもらおうか。

 ――そこの扉の向こうで聞いてるマゾ女も、一緒にな」


 くそ。トイレの中に隠れててもお見通しってわけかよ。

 お前は出てくんな、と心の中で願った瞬間――。


「いるのは分かってんだよ。さっさと出てこい。

 じゃねぇと、チャラ男の命はないと思え」


 扉が、ギィ……と音を立てて開く。


「ほんっと、悪趣味よね。アンタ」


 泥女が舌打ち混じりに出てきたところを、ジェイクの手下どもがすかさず押さえつける。俺も同様に、後ろからがたいのいい囚人二人に両腕を固められた。


「ちょっとッ! やめてよ!」


「騒ぐんじゃねぇっての。――まぁ、騒いだところで誰も助けちゃくれねぇけどなぁ?」


 ジェイクは楽しそうに笑いながら、先頭を歩き出す。

 俺たちは両脇を固められたまま、半ば引きずられるようにして歩かされる。


 ジェイクの思い通りに、俺たちは――

 たらし野郎が拉致されているであろう倉庫裏へと連行されていった。

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