第四章「敵に回す」 3/8
目の前の男が発している殺気は凄まじかった。
今まで相手にしてきた熊公や暴発男が、小さく見えるほどの脅威――それが、ジェイク・ロウガーデンだ。
あんだけ色んな奴に手を出すなと釘を刺されていたのに、足が勝手に前に出た。そして今、俺はそいつと真正面から対峙している。
――けど、後悔はない。
あそこで動かない俺なんて、ケント・ベルウォードじゃない。
遅かれ早かれ、こうなっていた。だったらせめて――囚人仲間に手を出したツケだけは、きっちり返させてもらう。
ジェイクが大鎌を構えた瞬間、我先にと囚人たちは距離を取り、刑務官ですら武力的にも権力的にも手出しできないのか、奥で縮こまっているだけだった。
その大鎌が、唸りを上げながら俺との距離を詰めてくる。
放たれる一撃を迎え撃つように、俺も剣の切っ先をぶつけた。
激しいつばぜり合い――最初に押し返したのは、俺だ。
泥女に手を上げた怒り。自分の罪を罪とも思わない、舐め腐った態度への怒り。
それらを全部、風の加護と一緒に剣へぶち込んで、刃に乗せて叩き込む。
風に押された俺の一撃が、ジェイクの体を数歩だけ後ろへ退かせた。
だが、奴の表情にはまだまだ余裕が浮かんでいる。
「この俺に喧嘩ふっかけたから、どんくらい強ぇのかと思ってみたがよぉ……」
ジェイクは心底つまらなそうに、肩をすくめる。
「そんなもんかよ。期待外れもいいとこだぞ、おい?」
「まだ始まったばかりだろ。今のやり取りだけで、俺の何がわかんだよ」
「今ので充分だっつってんだよ。
理解できねぇならその身に教えてやる――」
奴の目つきが変わる。
「この俺を倒すことなんざ、到底できねぇってなぁ?」
瞬間、禍々しい黒い気がジェイクの全身を包んだ。
周囲の置物がカタカタと震え、壁際の窓ガラスが次々と音を立ててひび割れる。
――こいつの加護は“闇”。
それをこれでもかと見せつけるように、ジェイクは大鎌を肩に担ぎ、高らかに叫ぶ。
「強欲/装填、奪鎌ドミネードォッ!!」
闇が大鎌にまとわりつき、その刃を真っ黒に塗りつぶしていく。
クレリアが見せてくれた絶技――装填の瞬間が、脳裏によみがえった。
目の前のジェイクも同じように装填を行い、その大鎌の“真名”をあらわにした。
ジェイクは間合いを取ったまま、大鎌を振り下ろす。
飛ぶのは鎌ではなく、黒い斬撃だった。
避けきれないと悟った俺は、とっさに剣を盾にして受け止めた。
「ッ!? なんだ……力が抜ける!?」
腕から力がじわじわと搾り取られていく感覚が、俺を襲った。
それと同時に、斬撃自体の威力が受け止めた瞬間より増しているのがわかった。
まともに食らえば、即死まではいかなくてもただでは済まない。
俺は流抗を応用し、手首の関節を軸に斬撃の軌道をずらして横へ受け流す。黒い斬撃は飾り棚に突き刺さり、その上に並んでいた置物ごと木っ端みじんに吹き飛ばした。
「驚いたかぁ? これが俺の力だ」
ジェイクは唇の端を吊り上げ、楽しそうに続ける。
「この鎌の前じゃ、どんなもんも全部、俺の“貢ぎ物”になる。
お前がどんだけ力込めようが、加護をぶち込もうが関係ねぇ。
全部かすめ取って、俺の力に換わるんだよ。
――全て捧げろ、その命尽きるまでなぁああ!」
さっきまでとは比べものにならない速度で、一気に距離を詰めてくる。
再び打ち合いになるが――剣に力が入らない。
振り下ろされる一撃ごとに、俺の体力と腕力が吸われていく。
さっき言っていたことは間違いない。こいつは俺の力を――奪っている。
どうにか蹴りを叩き込んで距離を取るが、息はもう上がっていた。
「はぁ……はぁ……」
戦いはまだ始まったばかり――そう言い出したのは、他ならぬ俺自身だってのに。
先日のトレーニングを軽く上回る脱力感が、全身を重くする。
(長期戦は無理だ……短期決戦で叩き潰すしか――)
「『短期決戦で決めるしかねぇ』って顔だな。分かりやすすぎんだよ、お前」
「ッ!」
舌をぺろりと出しながら、ジェイクが挑発してくる。
けれど、その一言で嫌でも理解させられた。
――こいつが厄介なのは、力だけじゃない。
言葉遣いに品も学もないくせに、相手の思考と行動を読むのがやたらと上手い。
性格の悪さも含めて、完全に俺と同じタイプ――いや、その上位互換だ。
「おらぁッ! おらぁッ!! どうしたよぉ!? さっきの威勢はどこ行った!!?」
次から次へと振り下ろされる鎌の一撃を、俺は必死に受け流し続ける。
右へ左へ、ギリギリで軌道をずらすたびに、筋肉から力が抜け落ちていくのが分かる。
やがて、指先の感覚すら怪しくなってきた。
――耐えきれず、膝が床に落ちる。
「情けねぇなぁ。言ったよな? 俺を退屈させんなってよぉ」
「ははッ……何言ってんだよ。こっからだろ、本番はよ」
息を荒げながらも、無理やり笑って立ち上がる。
ジェイクが優勢に立ったのは、あの装填を使ってからだ。
なら俺も――まだ切っていないカードを切ればいい。
切り札は、最後まで取っておくもんだ。
右手の剣を握り締め、左手に風の加護を込めていく。
「見せてやるよ……こっからの“逆転劇”ってやつをなぁッ!」
ぶっつけ本番だ。だが、やり方は目の前の奴が見せてくれた。
そして何より――できる気がして仕方ない。そんな希望にすがるように、俺は声を張り上げる。
「守護/装填ッ!!」
……だが、その希望は、あまりにも脆かった。
風の加護はうまくまとまらず、剣を支えきれない。
俺の剣は、甲高いガラスの割れるような音を立てて床を転がった。
硬い床に跳ねる、乾いた金属音——
それはまるで、俺自身の未熟さを笑っているようだった。
「ケッハッハッハ!!!! こいつぁ傑作だなぁ?」
ジェイクが腹を抱えて笑い出す。
「今のがよぉ、お前の言う逆転劇か? 滑稽劇の間違いだろ」
「そんな……」
「あの絶技はなぁ、日々鍛錬を重ねて、想いを極めた奴だけが扱える代物だ。
テメェみてぇな想弾師のひよっこが、簡単にできると思ったら大間違いだぜ?」
ジェイクは自慢げに顎をしゃくる。
「もっともこの俺は――想弾師になってすぐ出来るようになったけどなぁ!?」
喉の奥が焼けるような悔しさが、こみ上げてくる。
装填——すぐにでも自分も辿り着けると思っていた絶技。
けれど現実は、そんなに甘くなかった。
未熟さを、これでもかと突きつけられる。
「この野郎……ッ」
歯噛みしたところで、ジェイクの笑みがさらに深く歪んだ。
「最後にお前に見せてやるよ――」
闇が、さらに濃く膨れ上がっていく。
「俺の切り札をよぉ?」
こいつにはまだ、奥の手がある。
自慢話を続けながらも、殺気だけは冗談抜きで増し続けていく。
「これはよぉ、そこらのカス共には絶対できねぇ。たどり着くことすら叶わねぇ領域だ。十年前、変な奴らがうようよしてたろ? あのときに着想を得て、俺なりに改良した技だ……」
大鎌が高く掲げられ、周囲を取り巻いていた闇が、その刃の一点に吸い込まれていく。
――直感で悟った。
あれを振り下ろされた瞬間、俺は死ぬ。
「クソがッ!!」
残っている風の加護を、背後の床めがけて叩きつけるように解き放つ。
俺の体は押し出され、一直線にジェイクのほうへ射出される。
振り下ろされる前に止めなければ――俺だけじゃない、周りの囚人ごとまとめて巻き込まれかねない。
ほとんど捨て身の突撃だった。
お互いの想具がぶつかり合い――殺意と殺意が交錯した、その瞬間。
「はい、そこまで」
乾いた声と同時に、俺の剣とジェイクの鎌は、いつの間にか割って入った何者かの二丁の片手銃に受け止められていた。
その銃身が、まるで棒切れでも受けるみたいに俺たちの渾身の一撃をあっさりと止めていた。
それは、クレリアと同じ白い隊服を羽織った男だった。
長い髪を後ろでまとめ、口元には無精ひげを生やしている。
どこか飄々とした雰囲気のおっさんだ。
「なっ!?」
驚きの声を上げる暇もなく、その男は、ふっと俺の視界から消えた。
次の瞬間、背中に衝撃が走る。俺は背後から蹴り飛ばされ、床を転がる。視界の端ではジェイクも反対側へ派手に吹っ飛んで転がっていた。
どうにか受け身を取り、顔を上げる。
前方には、さっき割って入ってきたおっさんが肩をすくめながら言った。
「こんなとこで本気でやり合ったら危ないじゃ~ん。せっかくの給料日が台無しだよ?」
軽口とは裏腹に、さっきまでの殺意をまとめて受け止めた男の余裕があった。
そこへ、丸まって隠れていた刑務官が慌てて駆け寄る。
「ありがとうございます、ブルーノさん! もうこちらでは……どうすることもできず……!」
「いいっていいって。今日はクレリアちゃん来れないみたいだしさ~。代理で様子見に来て、正解だったねぇ」
“ブルーノ”と呼ばれたその男は、周囲の惨状をざっと見回し、頭をがしがしと掻いたあと、今度は俺のほうへ歩み寄ってきた。
「へぇ、君が――旦那の言ってた問題児君か~」
「え? 俺?」
「そうそう、君。三大貴族のセバストさんをぶん殴ったらしいねぇ。
騎士団の中じゃ、もっぱら噂になってるよ~」
軽いノリでしゃがみ込みながら、俺が今話題の人物であることを告げる。
だが、そんなことより――今は後ろがヤバい。
俺は奥へと視線を向ける。
禍々しい闇の加護をまとったジェイクが、ゆらりと立ち上がっていた。
「……誰なんだよ、テメェはよぉ」
低く唸るような声が廊下に響く。
さっきまで俺に向いていた殺意が、完全にブルーノへと向けられている。
「せっかくのお楽しみを邪魔しやがってよ……」
「あら、自己紹介が遅れたね」
ブルーノは二丁拳銃をくるくる回しながら、どこか芝居がかった仕草で名乗る。
「想導騎士団二番隊隊長、ブルーノ・スタンフィード。よろしくぅ。年齢は今年で四十八、趣味は居酒屋巡りってとこかな。良かったらいい店紹介するよ?」
「知らねぇよ……どうでもいいことペラペラしゃべりやがってよ……」
完全に鎌の矛先はブルーノへと向いていた。
ブルーノもそれを悟ったのか、ふっと笑って二丁拳銃を構え直す。
「おっとっと。こりゃどうも……穏便には済まなそうだねぇ」
「邪魔すんなら――まずはテメェからだッ!!」
ジェイクが禍々しい闇をまとって突っ込んでくる。
普通なら、勝負になるはずのない速度と殺気。
けれど、ブルーノは――口元に笑みを浮かべたままだった。
「若いねぇ。威勢よし、心意気よし。だが――」
俺の視界から、ふっとブルーノが消える。
何が起きたのか理解できない。気づけばもう、ジェイクの横——鎌を振り下ろそうとしている、その懐へと入り込んでいた。
「相手は選びな」
そう低く囁き、ブルーノの右手の銃がジェイクのうなじを素早く小突いた。
――それだけで、ジェイクは崩れ落ちるように倒れた。
たった数秒。
数手も交わさないうちに終わった戦いを、俺は呆然と見つめるしかなかった。
ジェイクの戦闘能力は、さっきまでこの身で嫌というほど味わってきた。
それを一瞬で無力化してみせた相手を、俺は今この目で見届けた。
「おーい、誰かー。この子、医務室に運んであげて~」
ブルーノは手をひらひら振りながら、のんきに言う。
「俺はここら辺の後始末もしないとだしさ~。早く片づけないと、行きつけの店が閉まっちゃうんだよねぇ」
呆気に取られていた刑務官たちが、慌てて駆け寄り、気絶したジェイクを担いで運び出していく。またしても、波乱万丈な一日は……一人の隊長によって、あっさりと幕を下ろされた。
そして俺は、その場に膝をついたまま、拳をぎゅっと握りしめる。
二番隊隊長 ブルーノ・スタンフィード。
そして、ジェイク・ロウガーデン。
連続して強さを見せつけられたその果てで、俺は嫌というほど自分の無力さを思い知らされていた。




