第三章「暴発と装填」 1/2
それからしばらくのあいだ、俺は医務室で体を休めていた。
その間は仕事実習も戦闘訓練も免除――とはいえ、ずっと寝ていられるわけじゃない。優しそうな爺さんと一対一の座学講習が、みっちり組まれていたのだ。
内容自体はけっこう面白い。
けど、欲を言えばクレリアに教えてもらいたかった。
そんな叶いもしない願望を胸の奥に押し込めながら、俺はボロボロの教科書をめくる。
例の九日血禍のページに差し掛かったとき、ふと気になる写真が目に留まった。
想喰とはまるで毛色の違う、真っ黒で気味の悪い怪物の姿。
その下には、神獣の文字がある。
「なぁ爺さん。この神獣って化け物はなんなんだ?
想喰と違って……きもいというか。こんなん食ったら腹壊すだろ」
「ふむ……そういえば、あなたは記憶がないのでしたね。知らなくても無理はありません」
爺さんは眼鏡をくいと押し上げると、俺にも分かるようにゆっくり説明してくれた。
想暦1200年前後――人と獣が本格的に戦争を始めたきっかけのひとつが、この神獣と呼ばれる存在だと言われている。
黒と紫を主な色とした、おどろおどろしい姿だった。突如として発生したらしいが、その生態は謎に包まれたまま。
人間側は「獣人がけしかけた」と主張し、獣人は「人間が放った」と応酬し――それが戦争の火種になったらしい。
もっとも、古い歴史書によれば、それはあくまで一つの引き金でしかない。お互い、戦争の準備自体はそれ以前から着々と進めていたそうだ。どのみち戦争は避けられなかった……と伝えられている。
「ふーん、なるほどなぁ……。
けどよ、この神獣って今はいなくねぇか?
見かけたことねぇんだが」
「いい質問ですね。次のページをご覧ください」
促されるままページをめくると、そこにはすらっとした体躯で、それでいて凛々しい男の写真が載っていた。
自分で言うのもなんだが、俺はそこそこイカしてると自負している。
だが、そんな自惚れを木っ端みじんにするレベルの美青年が、そこにいた。
「……誰だこいつ」
断じて嫉妬ではない。
……ないが、声はちょっと尖った。
「三大貴族の一つ、キングスフォード家の現当主――ライアード・キングスフォード様です。神獣の“親玉”に終止符を打たれたお方ですよ」
三大貴族、ブレイズロットとロウガーデン。
その最後のピースを埋めるように、こいつが出てきやがった。
話を聞くに、サングリア・ヒルに封印されていた神獣の親玉を、こいつがぶっ倒したらしい。そのおかげで、この世界から神獣は消失した……という筋書きだ。
(顔がいいくせに強くて、しかも身分まで上とか……ふざけんなよコイツ)
心の中で悪態をつきつつも、今の平和の一端がそいつのおかげだと思うと文句ばかりも言っていられない。
「さぞもてはやされて、いい暮らししてるんだろうなぁ……羨ましい限りだぜ。
ちなみにだが、今こいつは何してんだ?」
「想導騎士団に在籍していますよ。一番隊隊長として、ね」
クレリアが五番隊だから……それよりさらに格上ってことになる。
「うわぁ。マジで強いんだな、こいつ」
「それはもちろんです。この国……いえ、おそらくこの世界でただ一人、
全ての加護を宿した方ですからね」
思わず、言葉を失った。
クレリアは水、俺は風――想弾師はそれぞれ一つの加護を宿すと説明があったのに。天は二物どころか、全部を捧げたらしい。
「あーもういいや。なんか聞いてて腹が立ってきた」
そんな完璧超人の人生なんぞ聞いていたら、自分がどんどん惨めになるだけだ。そう思ったところで、昼休みを告げる鐘の音が鳴った。
爺さんが講義を切り上げて医務室を出ていき、俺はゆっくりベッドから立ち上がる。しばらく体を動かしていなかったせいで足取りはぎこちないが……もう復帰できそうだと感じた。
そのリハビリも兼ねて、今日は午後からクレリアと首都アーサットへ想弾師登録に行く予定になっていた。
いつものメンツ――たらし野郎、泥女と一緒に昼飯をかき込み、そのあとクレリアと合流する。そして俺は久々にシャバの空気を吸うことになった。
本来であれば解放感に満ち溢れていたのだろう。
空は雲一つない快晴。
隣には絶世の美女がいる。
……そんな幸せな空間を、俺の手にはめられている拘束想具と括りつけられた紐がぶち壊す。その紐を持っているのは言うまでもなくクレリア。さながら俺は愛玩想喰のようだった。
「それでは参りましょうか」
「『参りましょうか』じゃねぇよ! なんだこれは!?」
というか参っているのは俺だ。
てっきり四輪想駆で行くもんだと思っていたのに、この状態のまま歩いていくとか抜かすのだ。
「えっと……あはは。本日は騎士団用の四輪想駆が全て外に出払っていまして……。
でも大丈夫です! ここから役所まで、それほど距離はありませんから!」
「距離があろうがなかろうが、こんなん注目の的だろうが! 頼むから外してくれ!」
「逃走の前科があるんですから、絶ッ対に嫌です」
満面の笑みで断言しやがった。
こいつも別の意味で鬼かもしれない。
「はぁ……改めて、罪の重さを実感するぜ」
その後、すれ違う人々からじろじろと奇異の目線を浴び続けるという公開処刑に耐え抜き役所に到着して、一通りの手続きを済ませることになった。
* * *
面倒な書類の記入やら写真撮影やらを終えるころには、空はすでに夕暮れ色に染まっていた。抗議してもクレリアはまったく聞く耳を持ってくれず、拘束想具はつけっぱなしのまま。俺はイラつきを抱えつつも、スプラウト雑貨店へ歩いていた。
「はぁ、やっと終わった。結局ずっとコレつけたままだったな」
「そんなに見つめても、ダメなものはダメですよ」
「くそ……。ほら、あそこの角を曲がったら到着だ」
そう言って、今となっては懐かしさすら覚える店の扉を押し開ける。
「いらっしゃいま――……え!? ケント兄ちゃん!」
カウンター裏から顔を出したのは、義理の弟分――ウィンだった。
元気そうな顔を見て、ひとまず胸をなで下ろす。
「よぉ、ウィン。元気にしてたか?」
「う、うん! ちょっと待っててね、お母さんも呼んでくる!
お母さ~ん! ケント兄ちゃんが脱獄してきた!」
まあ、コレをつけたまま現れりゃそう見えても仕方ない。
そんな意味を込めて俺はクレリアを睨むが、当の本人はどこか気まずそうに目を逸らした。
奥から出てきたジュリアさんも、驚きで目を丸くする。
「ええ、ケント!? あんた、何やってるの!」
「色々事情があるんすよ。詳細はこの人に」
そう言い残し、状況説明をバトンタッチした。
「突然押しかけてしまい、申し訳ございません。
私、想導騎士団五番隊隊長のクレリア・ブレイズロットと申します」
丁寧に頭を下げるクレリアに、ジュリアさんはじろじろと視線を走らせる。
「あらあら……すごい別嬪さんねぇ。若いころの私とそっくりだわ。ケントのガールフレンド?」
ジュリアさんなりの冗談を入れてきたが「若いころの私と似てる」って情報、今いるか?……ツッコミは野暮だろう。俺は迷わず答える。
「まぁそんなところっす」
「適当なこと言わないでください。実は――」
そこからクレリアの口から、俺が想弾師になったこと、役所での手続き、
ついでに心配だったから様子を見に来たこと――などなど、一通りの経緯が語られた。
ジュリアさんとウィンは、その話を聞いて目を丸くする。
「ケント兄ちゃんが想弾師!? すごい、すごい!」
「用心棒として、また一段と頼り甲斐が出てきただろ?」
得意げに胸を張ってみせる。
「うん! ねぇケント兄ちゃん、さっそく想具出してみてよ!」
「任せろ――はっ!」
拘束されててやりにくいが、あのときのイメージをありありと思い浮かべ、右手に意識を集中させる。……が、俺の手には何も現れない。空をつかむ感覚だけが虚しく残った。
「あれ? なんでだ? 出ろっての!」
焦る俺の横で、クレリアが苦笑しながら補足する。
「役所でも説明があったでしょう?
あなたの原動力である“守護”の想いが高まらないと、想具を発現させることはできません。まだまだ修行が必要ですね」
あー、そういえば受付の人がそんなことを言っていた気がする。
今は誰かを守らなければならない状況じゃない――だから想具は現れない。そういう理屈らしい。
「マジかよ……意外と不便だな、これ。
悪ぃな、ウィン。今はまだ、できねぇみたいだ」
「そっかぁ……残念」
肩を落とすウィンの姿を見て、いつか自由に発現させられるようになってやると心の中で固く誓う。だがそれよりも、今は確認しておきたいことがあったのを思い出し、話題を切り替えた。
「それよりよ、あのあと大丈夫だったか?
あのクソデブから嫌がらせとか受けてねぇか?」
「う、うん。実はあれ以降、商店街のほうには全然来てないよ」
とりあえず一安心だった。
そこにジュリアさんが補足を入れてくれた。
「どうにもね、ケントに殴られたのが生涯初めてだったんですって。
それですっかり部屋に引きこもっちゃったらしくて、
今は側近や騎士団員にしか会おうとしないらしいわよ」
ウェラミーナの件もあったから心配していたが、どうやら俺の拳はそれなりに効き目があったらしい。
(……まぁ、これなら俺がいなくても、しばらくは大丈夫か)
そう胸を撫で下ろしたところで、ウィンの小さな声が震えながら届いた。
「ケント兄ちゃん……いつ帰ってこれるの?」
「三年。早けりゃ二年後だな」
「……そっか。グスッ……ごめん。僕のせいで――」
ウィンなりに、ずっと気にしていたのだろう。
俺は慌てて首を振る。
「なんで謝んだよ。ウィンのせいじゃねぇって。
俺が勝手にキレて、勝手にぶん殴っただけだ」
「でも……」
罪悪感ってやつは、そう簡単に消えるもんじゃない。
ましてや子どもなら、なおさらだ。
だから俺は、ウィンに一つ“任務”を託すことにした。
「じゃあウィン、一つだけ頼まれてくれ。
俺が戻るまで、この店を……ジュリアさんのことを支えてやってくれ。出来そうか?」
ウィンはぎゅっと拳を握りしめてから、こくりとうなずいた。
「……うん、分かった。僕、頑張るよ」
「よし。男と男の約束だ」
軽く拳をぶつけ合う。
ウィンになら任せられる。いや――ウィンにしか任せられないことだ。
ジュリアさんも続けて、柔らかく笑いながら言う。
「物置小屋ならいつでも空けてあるから、早く戻っておいで。分かった?」
「ありがとうございます、ジュリアさん」
帰る場所がある。
それは、記憶のない俺にとって何よりの支えだった。
そんな光景をクレリアは黙って、どこか優しげな目で見守っていた。
――と、その穏やかな空気をぶち壊すみたいに、スプラウト雑貨店の扉が勢いよく開いた。
「大変だっ、ジュリアさん!
よく分かんねぇ奴が急に暴走し始めやがった! ここも巻き込まれるかもしれねぇ、さっさと逃げな!」
息を切らして飛び込んできたのは、行きつけの肉屋の店主だった。
その慌てぶりに、俺たちの胸にもじわじわと焦りが広がる。
真っ先に声を上げたのは、クレリアだった。
「場所はどこですかッ!」
「この商店街の南口のほうだ!」
「分かりました、ありがとうございます。皆さまは北口へ避難してください!!」
そう言い残すなり、クレリアは俺を置いて駆け出していく。
「おいッ! 置いてくんじゃねぇ!!」
走りにくいことこの上ないが、文句を言っている暇はない。
俺も必死に足を動かし、クレリアの背中を追いかけた。
* * *
なんとかクレリアを見失わずに南口へたどり着いたとき、そこはすでに惨状と化していた。店の看板は壊れ、道は抉れ、悲鳴を上げる市民たちが我先にと逃げ惑っている。
その中心に、ただ一人――暴走の原因らしき男が立っていた。
年の頃は四十代後半か。
目からは生気が抜け落ち、虚ろな視線をさまよわせながら、石をまとった金棒をむやみやたらと振り回している。
「殺す殺す殺す殺す――アアァァッ!!」
「おいおい、なんだよありゃ……。イカれちまってんのか?」
クレリアは端的に、そして冷静に奴の身に起こっている現象を説明した。
「あれは……想弾師の原動力が強すぎるあまり、その感情に飲み込まれてしまう現象――暴発と呼ばれるものです」




