第二章「目醒め」 3/5
「あの忌々しい若造め、このワシに手を上げるとは……」
ここは、首都アーサットにある高級住宅の一室。
豪奢な寝台の上で、セバスト・ロウガーデン様は布団を頭までかぶり、ぶつぶつと愚痴をこぼしていた。初めて他人から殴られた恐怖が、まだ生々しく身体にこびりついているのだろう。その側で、私は背筋を伸ばしたまま、その愚痴を黙って聞いていた。
「……あの男は、モーニア監獄に収監されたのだろう!? ならばウェラミーナ副隊長、戦闘訓練では例のモノを使え」
「……え? あれは、まだ完成していないのでは」
思わず顔を上げる私に対して、目の前の男はギロリと睨みをきかせる。
「口答えをするな、いいからやれ。あの男に、嫌というほど恐怖を思い知らせてやるのだ」
「ですが……それは、あまりにも……」
言いよどむ私の肩に、男の声がねっとりと絡みつく。
「何を迷っている。貴様は監獄の刑務官でもあるのだぞ?
犯罪者ごときがいくら死のうと、世間は知ったことではない。
それにな……上手くいけば想弾師を生み出すことができるのだ」
その男は布団から顔だけを出し、いやらしく口元を歪めた。
「まもなく獣人との戦争は近い。少しでも戦力が補強できるなら御の字だろう。
……貴様の父親の仇を取るためにも、これは必要なことなのだ」
「……」
私はぎゅっと拳を握りしめる。目の前の男はさらに追い打ちをかけるように、冷えた声で告げた。
「それにな……もしやらなければ、ワシの権力で貴様を騎士団から除名してやる。覚悟しておけ」
「それは――ッ!」
言葉を詰まらせたところで、男は興味を失ったように手を振った。
勢いよく扉が閉まり、重たい沈黙が私を襲った。
セバスト様から告げられた、父の仇と騎士団の除名。
その言葉が、私の原動力である“執念”を煮え立たせ、心を黒く塗りつぶしていくのを感じた。
* * *
それはある日の昼休憩。
たらし野郎と泥女、そしてこの俺キンパツの三人は、いつものように同じ席で飯をつついていた。他愛もない話の中で、俺の頭の片隅には今日のカリキュラムのことが引っかかっていた。
「そういや今日の午後って、まるまる戦闘訓練なんだよな。なんで仕事実習なくなったんだろ」
「さあね。でも食べた後にすぐ運動させるとか、やってらんないわよ」
泥女が露骨に顔をしかめる。
まぁその気持ちも分かる。
戦闘訓練でやらされるのは、そこそこの大きさの犬型や狼型の想喰を、追い回したり追い回されたりしながら無力化するって内容だ。
運動量はかなりのもので、ただでさえキツいメニューを腹が膨れた直後にやらされるのは、もはや嫌がらせの域だ。
「ほんとにな……オレ、間違いなく吐くわ……」
「ちょっとやめてよ。今食べてんだから」
たらし野郎が絶望的な顔をして愚痴り、それを泥女が睨みつける。
そんな賑やかな空気に、昼食の終わりを告げる鐘の音が重なった。
俺たちは食器を片付け、整列してからモーニア監獄内にある訓練場へと足を運ぶ。
その訓練場は二階建ての構造になっていて、一階が実際の訓練場、二階がそれをガラス越しに見下ろせる監視スペースになっていた。まずは全員で二階へ向かうと、そこには既に鬼の副隊長ことウェラミーナが、いつも通りムスッとした顔で立っていた。
「全員、揃ったな。これより今回の戦闘訓練の概要を説明する」
ウェラミーナは片手で映像想具を指し示しながら続ける。
「例によって、この画面に映されたグループごとに想喰との戦闘訓練を行う。
戦闘方法は問わない。あらかじめ用意している訓練用想具を使ってもいいし、自信のある者は素手でも構わない」
画面には、前半と後半、二つのグループ分けが映し出されていた。
俺とたらし野郎は後半組。泥女は前半組に振り分けられている。
「よぉし! 今回はオレたち、同じグループだな。貴族ぶん殴った実績があるんだ、期待してるぜ?」
実績というより汚名だが、まあ格闘には自信がある。
なので、一応冗談交じりに返しておく。
「任せておけ。いざとなったら、盾になってもらうけどな」
「そしたらお前を呪い殺す」
小声でやりとりしていたが、特に咎められることもなく、淡々と説明を続けていた。
「戦闘において優秀な成績を収めた者は模範囚へ一歩近づくことができる。
各員、手を抜かず、心してかかるように」
その言い方にかすかな違和感を覚えて、俺はたらし野郎に耳打ちする。
「なぁ、ウェラミーナのやつ、なんか今日はいつもと違くねぇか?」
「え? そうか?」
「『もし戦闘訓練で逃げるような愚か者が出てみろ、私が叩き直してやる!』とか言わなかったしよ」
「ははっ、解像度高けぇな。でも確かに、いつもより覇気がない気はするな。
……まぁ、そういう日もあるんじゃね?」
気のせいならそれでいい。
だが、仕事実習がなくなって戦闘訓練だけになったことも含め、胸の奥にモヤッとした違和感が残った。そうしているあいだに、前半グループが階段を降り、一階の訓練場へと移動していった。
* * *
さっき食べた昼飯が逆流しないよう祈りながら、アタシは階段を下り、訓練場に足を踏み入れた。ざっと見渡すと、男女比は四対六くらい。女性のほうが少し多い。
正直言えば、キンパツやたらし野郎と同じグループなら心強かったが、贅沢は言っていられない。そんなことを考えていた矢先、前列に陣取った男がこれ見よがしに声を張り上げた。
「おいおい、今回のグループは女が多いなぁ? 模範囚への道、決まったようなもんだぜ」
自信満々に指をポキポキ鳴らしている。
風の噂じゃコイツも窃盗犯で、しかもキンパツにボコボコにされたとかなんとか。そのいきがってる姿勢がムカついたので、アタシはつい一言、本音が出てしまった。
「想弾師でもないくせに、偉そうにしてんじゃないわよ」
「んだとぉ!?」
「ひ、ひぃっ……け、喧嘩はやめてください!」
気の弱そうな年上の女に慌てて止められ、アタシは肩をすくめて前に向き直る。
やがて、上から聞き慣れた刑務官の声が響いた。
「これより戦闘訓練を開始する」
その声を合図に、訓練場奥――巨大なゲートが、ギギギ……といやな音を立てながら開き始めた。いきり立った男どもは前へとにじり寄り、早く出てこいと言わんばかりに構える。
ゲートが全開になり、闇の奥から姿を現した影。それは――熊型想喰だった。
いつもの訓練で使われる個体とはまるで違う。
ひと回りもふた回りも大きく、目は血走り、牙をむき出しにしながら泡混じりの涎を垂らしている。
(なに、あれ……? あんなのと戦えっていうの?)
思わず息を呑む。
ここにいる全員がかかっても勝てるかどうか怪しい代物だ。怪我人どころか、死者だってふつうに出る。
「待て待て待て!? 今までの想喰はもう少し小さくて、首輪もついてただろ!? 放し飼いされてんじゃねぇか!」
「いや……戦いたくない! ムリムリムリ!」
前列から悲鳴じみた叫びが上がる。
その時、開いたゲートとは反対側の床が、ゴウン、と音を立てて開いた。
そこからせり上がってきたのは、何かの機械装置。
全員が非常停止ボタンと思って駆け寄るが、よく見ると、腕を通す穴だけがついた、用途のわからない想具だった。
「ルールはいつも通りだ。時間経過か想喰の戦闘不能、それ以外の要因では本戦闘訓練は終了しない」
二階から彼女の声が響き渡る。
「それと今回は特別ルールとして、覚醒想具を導入する。今お前たちが見ている機械だ。腕を通せば、心の底に眠る原動力を無理やり引きずり出し、想弾師として覚醒する。
だが、確実ではない。その成功率を上げるために、あえて凶暴な想喰を投入している。極限状態になれば、想いが高まるからな。――それでは、健闘を祈る」
ガァア――――ッ!!
咆哮と共に、想喰が突進してくる。
アタシや他の囚人たちは悲鳴を上げて左右に散るが、一部の男どもは我先にと覚醒想具に腕を突っ込もうとしていた。
その中でも人相の悪い一人が、他人を押しのけて無理やり腕をねじ込む。
電撃音が走り、覚醒想具がまばゆい光を放った。
そして――
「あ"あ"あ"あ"ぁぁ、俺の腕がぁぁぁああ!!」
一瞬で、男の腕が焼けただれていた。
「言い忘れていたが、たいした想いを持たない半端者は、このように腕が焼ける。
完治するのに半年程度はかかるだろう。覚悟しておくことだな」
彼女の冷たい声が降ってくる。
何が起こったのか、信じたくても信じられない。焼け焦げた腕から血を噴き出しながら、男は這うようにして逃げ出した。
その血の匂いを頼りに、想喰はゆっくりと距離を詰める。
ガルァ…………
唸り声をあげながら、獲物をいたぶるように近づいていく。
「来るな、来――」
「てやッ!」
アタシは近くに転がっていた訓練用想具を掴み、全力で想喰の顔面めがけて投げつけた。らしくないことをしてしまった。けど……どんな奴でも目の前で見殺しにしたら、きっと寝覚めが悪くなると心に言い聞かせた。
想喰の視線が、じわりとこちらに移る。
「痛てぇ……痛てぇよ……」
「泣き言言ってないで、さっさと止血しなさいッ!」
時間稼ぎにも限界がある。
せめて自分の足で逃げられる程度には応急処置してもらわなきゃ困る。
というか、アタシ以外もフォローしなさいよ。
「いやぁぁあ! 助けて――ッ!!」
「おい、お前! 模範囚の権利は譲ってやるから、なんとかしろよッ!」
「バカ言ってんじゃねぇ! テメェがなんとかしろよ!」
こんな状況でも言い争いを続ける連中に、心底腹が立つ。
アタシは、自分が生き残り、かつ被害を最小限に抑える方法を必死に模索するしかなかった。
* * *
二階のガラス越しに、地獄みたいな光景を見せつけられながら、俺たち後半グループは言葉を失っていた。中には、直視できずに顔を背けて泣いているやつもいる。
そりゃそうだ。
あれが終わったら、次は俺たちの番なんだから。
そんな中で、ウェラミーナだけは氷みたいな目で訓練場を見下ろしていた。
「ちょっと待てよ……今日はこんなに激しいのかよ!? 腕焼かれてる奴いたぞ!?」
たらし野郎も、さすがにパニック状態だ。
けど、俺の中で膨れ上がっていたのは、恐怖よりも怒りだった。
あんなバカげた訓練を平然とやらせているウェラミーナに対する、どうしようもない怒りだ。
「おい、ウェラミーナ。これはどういうことだ」
俺の問いに、こいつは表情ひとつ変えずに答える。
「見ての通りだ。戦闘訓練を行っている」
「これは訓練じゃねぇ。ただの虐殺だッ! 今すぐ止めろ!!」
幸い、まだ死者は出ていない。だが、このまま放っておけば時間の問題だ。
あの想喰が下の連中を食い散らかす前に、何とかしなきゃならない。
だが、こいつはいつもの調子で俺を睨みつけた。
「貴様、誰に向かって命令している!」
「お前以外に誰がいるってんだよ! このままじゃ、あそこにいる全員が死んじまうだろうが!」
引き下がってる場合じゃない。
どうにかして、この女を説得する必要があるため声を荒げる。
「それがどうした。お前たちは揃いも揃って犯罪者だ。死んだほうが、よほど治安維持につながるんじゃないか?」
「……本気で言ってんのか?」
その返答に、怒りがぐつぐつと煮えたぎる。
「……ああ、本気だ。それに、生き残る術はある。想弾師になれば、あの想喰を倒すことも不可能ではない」
「そんな一か八かの可能性に、人の命賭けてんじゃねぇよ!」
言い争っている時間すら惜しい。
俺は別の切り口から攻めることにした。
「百歩譲って、たらし野郎や俺ならまだいい。
けど、あそこで今も踏ん張ってる泥女……じゃなくて囚人番号──0131!
あいつは自分の犯した罪と向き合って、償うために自首したんだ。そんな奴まで、お前は見捨てるってのか?」
だが、こいつの声は冷えたままだった。
「囚人番号0131、罪状は薬草の窃盗だったな。
それで生計を立てている者たちが、奴のせいで被害を受けている。
真っ当にルールを守って生きている者が、ルールを逸脱した者に虐げられ、損をする。そんな世の中を正すためには、ルールを逸脱した者を排斥する他ないだろう」
「だからッ!その罪を償うのがこの監獄だろうがッ!!
その機会をお前が奪っていいわけねぇッ!!!
……もう一度聞くが、助ける気はないんだな」
「……無論だ」
もう話している時間はない。
こいつとは、これ以上やり合っても平行線だと悟った俺は腹を括る。
「……俺はお前を誤解していた、ウェラミーナ・フォスタ。
口調は厳しいし、ウマが合わない奴や犯罪者には強く当たり散らす。
それでも、それがアンタなりの“向き合い方”なんだと思ってた。
けど、てめぇは――自分の裁量で罪人を裁くだけの自分勝手な人でなしだッ!」
「なんだと……?」
ウェラミーナの手に、いつの間にか斧槍が握られていた。
何もない空間から顕現したそれを、俺に向けて構える。
だが俺は一歩も引かず、その目をしっかり見据えて続けた。
「これがてめぇの考えた罪人との向き合い方ってんなら否定はしねぇ。
けどお前、それをクレリアに面と向かって言えんのか?
今のこの現状が正しいって、あいつの目を見て、胸張って言えんのか?」
「――――ッ!」
クレリアの名前を出した途端、ウェラミーナの表情が揺れた。
俺にはわからんが何かあったのだろう、だが今それは知ったことではない。
「訓練がどうとか言ってる場合じゃねぇからな。――俺は俺のやり方で、やらせてもらうぜ」
ウェラミーナから視線を外し、目の前のガラス越しに惨状を見下ろす。
そして俺は叫んだ。
「来い、たらし野郎ッ!! 下の奴らを助けに行くぞ!」
いきなり名前を出されたたらし野郎は、ぽかんと口を開けたまま固まった。
「――は? いや、なんでだよ!」
「冷静に考えろよ。あんなもん、俺一人で突っ込んだところでどうにかできるわけねぇだろ」
できる限り端的に説明したつもりだったが――
「アホかッ! 二人でもどうにもなんねぇよ!!」
至極真っ当な意見で返してきた。
だが、こんな緊迫した状況で正論は俺の耳に届かない。
考えるより先に、たらし野郎の腕をつかんで駆け出していた。
「こっから飛び降りんぞ!!」
「やめろ、バカッ!離せッ!」
相方の叫びもむなしく、俺は全力でガラスに蹴りを叩き込む。
鈍い衝撃と共にガラスが粉々に砕け散り、そのまま俺たちは一階へと飛び降りた。
「うぉぉおおおああああああ!?」
叫び声を上げつつも、たらし野郎はちゃんと受け身を取って着地していた。
もちろん、その大きな音を聞きつけて、標的はギロリとこちらを振り向く。
「お前お前ッ!! マジで殺す、呪い殺すッ!!」
胸ぐらを掴まれ、恐怖と怒りを全力でぶつけられる。
「それは俺じゃなくて、あの想喰にぶつけてくれって。――ほら、貸し二の件、これでチャラな」
「割に合わねぇんだよッ!」
半泣きで必死に抗議してくる様子に、さすがに申し訳なさが勝った。
なので、俺なりの追加報酬を提示する。
「悪かったって。――出所したら、良い女紹介してやるから。それで手を打ってくれ」
「………………ほう」
気休め程度のつもりだったが、たらし野郎には思いのほか効果があったらしい。
いつになく真剣な表情になった彼は、コキコキと肩を鳴らし、前に一歩踏み出した。
「その言葉、絶対忘れんなよッ!!」
「ああ、約束する」
誰一人、ここで死なせはしねぇ。
このクソみたいな訓練を、俺達がひっくり返してやる――そう心に決めながら、熊型想喰と向き合った。




