11.夜の木乃香
たまたま、河川敷で出会った女の子。
詩織さんとは駅のエスカレーターの前で別れた。
結局、明日またくるのかどうかは分からないが、なんだかとても楽しい時間だった。
いつもより少し遅くに家へ着くと、うっすらとカレーの匂いが漂っていた。今晩は俺んちもカレーなのかもしれない。腹をすかしながらもリビングに直行するのを耐えて、自室に荷物を置きに階段を上がる。紬の部屋の前には食べ終えた盆に乗った二つの白い皿があった。
毎日、部屋に食事を運んであげるなんて、聡子さんも紬に甘すぎる気がする。
俺は自室に荷物を置きあえた後、お盆を持って電気の付いていないリビングに入った。
すでに、聡子さんも木乃香も紬も皆自室に籠っている。別に不仲という訳ではない。大体九時以降は各々のプライベートな時間を過ごしているだけだ。
リビングでカレーとサラダを黙々と食べていると、二階から誰かが下りてきた。
多分、紬だ。彼女は一人でご飯を食べる俺の話し相手になってくれることが多い。
ガチャリと扉が開いた。
しかし、いつもの彼女の第一声「お兄ちゃん、お疲れ様」が無かった。
訝し気に左後ろを振り返ってみると、そこにいたのは青いジャージ姿の木乃香だった。
「よお」
「うん」
この時間に木乃香がくるなんて、何だか珍しいな。まあ、お茶を飲みに降りてきたりはまれにあるが、それも基本的にはマグカップに入れて部屋にもっていっているはずだ。
「どうした?」
入り口あたりで突っ立っている理由がわからない。
彼女の目的が定かでなくて、意識がなんだかうろうろしている感じがする。
「ちょっと、今日学校で変わったことがあったの、聞いてくれる?」
「うん、まあ」
食いながら聞くなんてわけもない。
木乃香から話を聞いてなんて言われるのも久しぶりな気がする。
「そう」
彼女はそう言って、俺の隣の席を引いて座った。
「え、何で隣なの」
「斜め前だと話しづらいじゃない」
「まあ、そっか」
いつもと違うことされると、なんだか落ち着かない。
「私、今日告白されたの」
「ちょ、え……ぅ、ま……え?」
ギュッと心が締め付けられ、上手く言葉が出なかった。
鼓動が強く早くなっていく。
「ふ、ふーん」
目を逸らし努めてゆっくりと、カレーライスを口に運ぶが味がしない。
そうか、木乃香の学校にも俺と同じような考えのやつがいたのか。
「なんでコクってきたと思う?」
「クラスが……あ、いや」
俺とは少し違うな、木乃香の学校は総合学科だ。席なんて決まってない。クラス替え自体もないって話もした。
そんなことより仲良い男の話なんて聞いてないぞ。俺も木乃香に守谷さんの話なんてしてないけど。
「そんなのコクられたときに言われただろ?」
「好きです。付き合ってくださいって言われただけなのよね」
神妙な顔つきをしているが、それが答えでそれ以外にねえだろうが。馬鹿。
「好きなのは当たり前じゃん、好きじゃないのに告白するのは罰ゲームの類いだろ」
「それって答えになってなくない?」
咎める様ないつもの態度に少し安心する。
「ごめん、木乃香がコクられたことに、ほんのちょっぴり動揺したんだと思う」
「そ、そう。別にいいけど」
あ、あれ、木乃香ってこんな可愛かったっけ。
ツンとそっぽを向いているが、もっと俺に攻撃的で、俺の言動に無関心な奴のはずなんだが。
「で、そいつが、木乃香にコクった理由だっけ? 関わりは皆無だったのか?」
「皆無って訳じゃないわ、世間話をフラれたら当たり障りなく応えたり、挨拶されたら返したり」
まあ、木乃香って見た目は可愛いもんな。それに関わってみると芯があって実は優しいってわかるし、つい間違って告白してしまうのも頷ける。
「木乃香はそいつに関心がなく、そいつだけが木乃香に関心があったってことだな?」
「コクられたから、今は意識してるけどね」
うぎゅあぅあ。なんか悲鳴にならない悲鳴が心で鳴った。
俺は困ったような照れたような、誰かを意識している木乃香の顔なんて見たくなかった。
「な、なるほど、だけど、木乃香からしたら青天の霹靂だったわけなんだな?」
「あんた、小難しい言葉使うわね。そうよ」
そいつは何とかして木乃香と接点を持とうと努力しているんだ。リスナーに鍛えられた恋愛マスターの俺には簡単に分かる。
「そんなの、簡単だぜ」
「へぇー、どう言うことなの?」
「そいつは俺みたいにな、木乃香に一目惚れして関わりたいと思っちまったんだよ」
「え、ちょ、あんた。いまなんえ!?」
あ、やべ。これは最古参のリスナーくらいしか知らない情報だった。
「ち、違う。変な誤解するな。俺のは家族愛ってやつだ。そこんとこ勘違いするなよ!?」
「そ、そう。紛らわしいこと言わないでよね!」
木乃香は少し顔を紅潮させているが、強い口調で俺を窘める感じはいつもの木乃香だ。
たぶんセーフ。睨まれてもちっとも怖くない。
「おう、気を付ける」
それにしても、今日の俺は気分がどこか緩んでるな。
守谷さんと隣同士になったり、木乃香と登校したりとイレギュラーが多かったのもあるが、一番の原因はリアルリスナーの詩織の影響だと思う。心の壁とか距離の機能がマヒしている感じがある。気を引き締めなければ。
「ねぇ、あんたって私のこと好きだったの?」
「……当たり前だろ、家族だぜ?」
聡子さんも木乃香も紬も、血は繋がっていないが同じ屋根の下で暮らす俺の家族だ。
「いつもツンケンしているくせに?」
「ツンケンしてるのは木乃香だろ」
俺へのあたりが強くて名前ですら呼んでくれるないけど、根はやさしい奴だってことくらい俺だってわかってる。
「ねぇ、真一」
何だそのしおらしい表情は……嫁入り前の娘かよ。いつもと違って何故か名前呼びだし、それに――。
「私のこと……女として好き?」
なんなんだよ。いったい。
それだと、紬が傷つくだけだ。家庭内にあいつの居場所が無くなっちまう。
「……悪い冗談はよしてくれ」
「そうよね、ごめんね」
儚げな笑みでそう言い残して、木乃香はリビングを出て行った。
いったい俺はどんな顔をしていたのだろうか。
彼女が去った後、ようやく口にしたカレーに味が戻った。何だかしょっぱい気がする。




