サンキューお前ら
お前ら、配信に来てくれてありがとな
桜の開花宣言があってから数日と経っていない夜二一時頃。
画面の向こうにはハンサムショートの男子高校生SINが無機質なコンクリートの壁を背景に今日もメロディーを奏でていた。彼のアコギがバイオレッドの光を艶めかしく発している。
「何処かのOL」と名乗ったリスナーがリクエストしたとされる『桜吹雪』という曲をSINは目を瞑り力強く弦を弾きリスナーに響かせていた。
SINの事前の口上で語られた、いくつも春夏秋冬を歩んできた恋人が、今は隣にいない「何処かのOL」のそんな物語が、音に乗って私たちの空想を侵食する。
小さな、バックサウンドを彼の音色が上塗りするようにかき消す。
配信は彼のパトスに染まっていくように儚く散る桜が暴風のように浴びせられた。
咲き乱れるメロディーが私たちの心を叩いて壊す。
愛しい人の隣で過ごせなかった春夏秋冬が、涙の桜吹雪とともに吹っ切っていく。
画面には次々と文字が流れていた。
『安心しろ、俺たちが付いてるぜ!』
『私、すっごい共感できる! 元気出して!』
『そんな男俺が忘れさせてやる!』
『散る散るチルイんごぉ』
激しく鳴り響く速弾きのあと、最後にピュイーーーンと余韻を震わせ音が伸びていった。
そして歌を歌わない配信者の彼は演奏を終えた後、決まってこう言うのだ。
「サンキュー! オーディエンス!」
SINを通してみるのはリスナーである私たちがそれぞれ想起する過去の情景や物語。
私は浸っていた情景から現実の自室に引き戻された。
画面には彼が埋もれてしまうかのように喝采の弾幕が飛んでいる。
彼がオーディエンスと称したリスナーたちからだ。
『888888888』
『今日もカッコイイよぉぉぉ! お兄ちゃぁぁぁん!』
『お前は俺たちの誇りだ』
『うおおおおおおお』
『涙でティッシュが止まりません!』
私も埋もれるコメントを打った一人だ。
そのとき、ひと際目立つチャットが流れた。
何処かのOL【ありがとう。私の青春】
「何処かのOLさん、スパチャありがとうございます」
この間にも弾幕のようにチャットは流れていく。
「おう、お前ら、事前リクエストのストックが切れたからまたDMでギターの譜面とお前らの物語を送ってくれ! 簡単な奴なら即興で曲名だけでいいぜ!」
『アソパソマソ!』
「あれ、意外とむずいんだよ、楽譜はあるから明日の配信前に練習しておくぜ、また明日な!」
イカす親父【オリオン座の下で】
「イカす親父さんスパチャどうも、あんな恥ずかしい歌、俺は歌わないぞ?」
『俺らが歌うから大丈夫だよ!』
『セ!』『私も好き!』『魂を解放しろ!』
『SIIIIIIIIN!』
『君とセックス! 僕もセックス!』
『ハッスル! ハッスル!』
「じゃあ、今日はそれでしまいにするか。季節は春だけど、イカす親父さんのリクエストに応えてオリオン座の下で」
『年中いい曲なんだよな~』『この曲は卑猥すぎる!』『あーあー』『したいよ』『セックス!』『同士よ』『んごぉ』『畜生どもめ』『豚さんたちが臭そうですわ』『卑猥じゃない悲哀やで』『お嬢様が紛れてた』『女?』『マ?』『女?』
大魔王の沙汰【まったく、お前らは見境ねえな、チンコ!】
『馬鹿ばっか』『もっと罵ってくれ』『やれやれだぜ』『ドッコイ正一。僕は明日から小1』『入学おめ』『学校は楽しいぞ~』
人それぞれの思いを乗せた言葉が次から次へと流れていく。
カオスを生み出すリスナーは百人を超えていた。
世界のどこかで私と同じように彼の曲に期待を寄せている。
SINが弦を撫でた。
川風が俺の首筋を撫でた。
春とはいえ、日が落ちると風はまだ冷たい。コンクリートの橋脚に背中を預けたまま目を瞑る。指先のピックで弦を弾くと最初の一音が橋の下に響いて、川面に溶けていった。
耳を撫でるアルペジオ、ピュアな青年が遠い夜空を見上げているかのような、優しく切ないトーンで演奏はしっとりと始まった。
何度かリクエストされたことのある曲だった。この歌詞は直接的な性の願望だ。
ああ、俺もこのピュアな青年の歌と共に悲痛を夜空に向けて叫びたい。
だが、それと同時に俺の言葉はノイズであることを知っている。この完成されたメロディーに色を付けるのはリスナーたちだ。
俺から見えない画面の向こうのリスナーたちは歌ったり踊ったり想いを文字にして昇華していたりする。
中盤を超えてからこれまで綺麗だったアルペジオに敢えて外す音階が一節だけあった。
そこを区切りに変調し、音楽の温度がガラリと変わった。
ここからの曲調は打って変わってシャウトだ。
さあ、すでに世界へ浸っているソウルメイトたちよ!
この曲で心の限り狂ってくれ!
激しく響く音色と共にリスナーたちの魂の叫びが聞こえてくるような気がした。
ああ、人目を気にせずに素直な言葉を発せられるお前たちが俺は羨ましい。
俺はお前らとの気兼ねなく過ごせるこの距離感がたまらなくちょうどいい。
慟哭に応えるように、強く掻き鳴らしていく。
最後はピックで弦が切れんばかりしつこくジャカジャカと鳴らし、少しのタメのあと、ひと際大きくジャカジャンっと音を切るように終えた。
静寂に大きく一息を吐く。
瞳を開くとスマホ越しの観客。やり切った俺は思わず不敵な笑みを抑えられない。
「サンキュー! オーディエンス!」
弾き終えた後にあったのはチャットの嵐だった。リスナーの声にならない声に包まれる。
『アンコール』『ウンコ!』『アンアンコール』『ソウレッ!』『アンコール』『アンアンアーン!』
心に響いたという気前良い人たちから、スパチャやチップも入ってくる。
「お前ら、聴いてくれてありがとう。だが、今日のところはそろそろお開きだ」
『残念』『ンチャあ!』『無念』『オネンネ』『次のライブは?』
「配信はまた明日の七時から九時過ぎくらいまでの予定だから、えーっと、お前らのリクエスト待ってるぜ! そいじゃあアディオス!」
『アディオス!』『グッバイ』『オッパイ』『チッパイ』『ノシ』『乙』
ブツりと配信を切って、一息ついた。
目の前には雄大な利根川。向こう岸に掛かるトラス橋を支える屈強な柱が二本。
四月の少し冷たい夜の風が水面を撫でる。
見ているだけで心の中の靄は流れていくように感じた。
配信用の機器をギターバッグに仕舞い立ち上がると、遠くから近づいてくる電車のリズムに俺は踏み鳴らされた。




