7.暗闇と政治
アシュリーの手を引いて、トットは走る。
騒然とする店内では、割れた食器が床に散乱している。高いヒールを履いたアシュリーが足をくじかないよう、トットは食器の破片を蹴散らしながら走る。
「どこへ行く気だ! アシュリー!!」
店主の怒号が飛ぶ。
たったそれだけで、アシュリーがびくりと体を固まらせるのがわかった。
「止めろ! 何をへばってる!?」
店主は続いて、倒れ伏す黒服たちを怒鳴りつけてけしかける。
男たちがふらふらと苦しそうに立ち上がる様子を見て、トットは底知れないゾッとした感覚を覚える。
(どいつもこいつも、このオッサンに支配されてる……)
言葉だけで人を動かせるのは、常日頃から逆らってはならないと教え込んでいるからだ。
この酒場の裏に潜む暴力の気配を感じ取って、トットの胸は痛んだ。
アシュリーを、こんなところに三年間も。
握った手の向こうから、彼女の震えが伝わってきていた。
「大丈夫だ、俺が守ってやる……!」
出口の方へ向かうトットとアシュリーに、黒服の男二人が立ちはだかる。
トットは即座に、アシュリーの体を姫抱きにして持ち上げた。
「待て!!」
どうにか二人を捕らえようと突進してくる男たちを、店のテーブルやソファを障害物にして避けながら、トットは出口へと走る。
けしてトットから攻撃をすることはなく、あくまで逃げに徹した。アシュリーを不用意に危険に晒さないためだ。
扉が目前に近づき、逃げおおせたとアシュリーがほっと息をつく。
トットも同じく安心して、アシュリーを降ろして扉を開けようと動き出した。
次の瞬間。
「させるか――!!」
店主が咄嗟の機転で投げた酒瓶が、アシュリーの足めがけて飛んでくる。
(くそっ……最後まで、自由を奪うようなことばっかり……!)
回避は間に合わない。
トットは咄嗟に体をひねり、床に降ろしかけていたアシュリーの足を抱えなおす。そして、自らの背中で酒瓶を受けてアシュリーを庇った。
ガラスの破片が背中に突き刺さり、燃えるような痛みが広がる。
「――っ!!」
それでも、トットはアシュリーを抱える手を離さず、転がるように走った。
酒場の重い扉を蹴り飛ばし、突き破るように通り抜ける。
外では、アンリが扉を抑えるための丸太を抱えて待っていた。
アンリを捕まえて外に引きずり出したはずの男たちは、すっかり野原に伸びている。アンリがやったのだろう。
……怪我しないように、捕まったら抵抗するなと言い含めておいたはずなのだが。
「大丈夫か、トット!?」
閉じた扉をすぐさま丸太で外から抑えて、中の追っ手を一時的に閉じ込める。
その作業を終えたアンリが、振り返ってトットの背中の傷に気づき、ぎょっとして尋ねた。
トットは肩をすくめて答える。
「あんまり。とにかく逃げよう」
「ああ。アシュリー嬢も無事だね。近くに馬車を待たせてある、急いで――」
トットは抱えていたアシュリーの体をそうっと地面に下ろす。
すると、予想外にもアシュリーが、トットの腕を強く引いた。
「待って!」
「……どうした?」
トットはアシュリーの顔をまじまじ見つめる。どうした、と聞いてはみたものの、彼女の顔を見るだけで言いたいことはなんとなくわかっていた。
アシュリーには自分の強い芯がある。それはつまり、責任感が強いということだ。
変わらない彼女の性格を懐かしく思いながら、トットは言葉を待つ。
「私以外にも、この店には買われてきた子がたくさんいるの。私だけ逃げるなんてことできない!」
「…………」
「トットは強いし、王太子様もいる。なんとかできるでしょう!?」
予想した通りのアシュリーの言葉に、トットは無言で首を振る。
歯噛みしたのはアシュリーだけでなく、アンリもだった。
「トット、僕はいけるぞ。こいつらだって倒したし、まだ――」
「ダメだ」
言いかけたアンリをぴしゃりと遮る。
トットの瞳には、強い決意の色があった。
「なんで……?」
アシュリーが、目に涙を浮かべて問う。
丸太を噛ませて閉じた酒場の扉から、ドンドンと物のぶつかる音がしていた。
黒服たちが、中から扉を開けようと試行錯誤しているのだろう。
トットはまっすぐな瞳でそれを睨みつけながら、答えた。
「こんな店、潰そうと思えばすぐだ。でもそれで何になる? 隣の店は清廉潔白か? 次にこの場所に立つ店は?」
「それは……」
「暴力は連鎖するだけだって、お前も知ってるだろ。俺じゃなんの解決もできねぇよ」
「だからって諦めるの!?」
アシュリーはトットに詰め寄るが、トットは動じない。
ただ一度小さく首を振ったあと、アンリの方を見て小さく口角をあげた。
「そういうときの王太子サマだろ? アンリならなんとかできる。アシュリーはその証人になるために、俺たちと一緒にまずここを出るんだ」
一人だけ逃げるわけじゃない。
そうトットが言い切ると、アシュリーとアンリは顔を見合わせる。
数秒の沈黙のあと、アシュリーがふてくされた顔をしながらも、「わかった」と小さく呟いた。
その声を聞き、三人は改めて馬車に向けて歩き出したのだった。




