38.未来を見据えて
三年前、ある下町の孤児院で起こった人攫いと放火の事件は、無事解決を迎えた。
攫われて行方不明になっていた三人の男女は無事発見され、それぞれ新しい人生を歩みはじめた。
事件の元凶は解明され、獄中のマウフェルがそれ以上新しい罪に問われることもなかった。
もっとも、主犯である孤児院の管理人、マザー・フィローネはもう亡くなっている。
彼女にだけは真っ当な裁きを受けさせることができなかった。
トットにとっても、アンリにとっても大きな心残りだ。
アンリは動かしていた手を止めて、天井を仰ぐ。
執務室にはアンリ一人。彼はトットのおかげでむき出しになった問題に直面していた。
政治家が裏で孤児院を襲っていた。
海軍が海賊から賄賂を受け取り癒着していた。
どちらも国の信頼を揺るがす不祥事だ。
アンリをはじめ政府の上層部は、他の貴族や国民への説明責任を果たし、再発防止に努めなければならない。
ここで手を抜いたり隠蔽に走ったりしていては、いつまで経っても同じような不幸は消えない。
「結局は……10年以上前から、僕たちは失敗ばかりだったんだろうな」
マウフェルのことも海賊のことも、元を辿れば10年前だ。
最初に港に海賊が現れはじめたとき、責任を隣国と押しつけあうことに夢中になって、完璧な対策ができていなかった。
隣国との関係が悪化するだけ悪化して、海賊もいなくならず、事態は表向きの沈静化を迎えていたわけだ。
そしてそもそも海賊が生まれたのは、海の女神カトアへの信仰が禁じられたから。
もしかしたら、そこから間違っていたのかもしれない。
アンリはマザー・フィローネのことを惜しく思う。
もし彼女に会えたなら、彼女はなんというだろうか。
彼女から神様を奪ったうえで失敗した、国や王を責めるだろうか。
トットたち兄弟を孤児から信念ある大人たちに育てあげた彼女に、話を聞いてみたかった。
きっとこの国はなんと情けないかと、叱られてしまうことだろう。
10年経つまで、アンリはこの国の歪みに気づいていなかった。
トットの孤児院を襲った事件は一つの歪みの表出だ。たまたまそれを目にして助けたいと思ったから、気づけただけで。
(こういうことを見つけさせるために、父上は僕をあそこに行かせたんだろうか)
六年前、国王からの直々の命で下町を見学しにいったことを思い出した。
机に向かって帝王学を学ぶだけではわからないこともあるだろうと言われて、特に目的も任務もないまま下町に放り出された。
馬車を降りると王都とは違う匂いがして、王都とは違う人の熱気を感じた。
優雅に、見たくないものにはフタをして生きる王侯貴族たちとは違って、下町の人々はがむしゃらで懸命に目の前の日々を生きている。
そんなことを思って呑気によそ見をしながら歩いていたアンリにぶつかってきたのが、幼い日のトットだ。
ぶつかられたことも、服をアイスでべとべとにされたことも気にならなかった。
子どもがアイスを親にねだって手に入れるのではなく、自分の手で盗んで逃げる光景が珍しかった。
そう思うと彼の持っていたバニラアイスが妙に美味しそうに見えて、好奇心が疼いたのだ。
(あの頃の僕はまだ未熟で、アイスの美味しさくらいしか感じられなかったけれど……)
でも、おかげで下町の人々に寄り添う心がある。
十五歳になって軍隊に帯同するとなったときに、迷わず大陸軍を選んだのもそのおかげだ。
だからトットに再会できたし、トットを騎士にすることができた。
一緒に事件を解決して、アンリは国の未来を考えるきっかけをもらった。
(将来、僕は民に寄り添える王になろう)
どうすれば、トットのような思いをする人がいなくてよくなるか。
どうすれば国から不幸をなくせるか。
一生考え続けるのがアンリの役目であり宿命だ。
アンリは目の前に広げていた書類に、再び羽ペンを握って向き合った。




