33.狂ってる
教会の中に、朝日の光が柔らかく差し込む。
ニナは陽の当たる女神像を背に、トットの方を見て柔らかに笑った。
その笑顔は本当に女神の化身のようで、トットは小さく息を呑んだ。
「いいよ。女神様の前に、一つの嘘もつかないことを誓うわ」
そんな前置きをして、ニナは語りはじめた。
兄弟の中でいちばん聡明だった彼女が知る、これまでの自分たちのことを。
* * *
幼い頃、ニナはたまたま、夜中にマザーがこっそり女神像に祈りを捧げていることを知った。
寝付けなくてキッチンに水を汲みに行った帰りに、たまたまあの壊れた女神像の置かれた空き部屋を通りかかったのだ。
持ち前の好奇心でニナはマザーを問い詰めた。
マザーが言うには、その女神様の名前はカトア。海から生まれ、海を守る女神様だ。
しかし、ハウスができる少し前に、女神様を信じることは国の法律で法律で禁止になってしまった、という。
幼いニナには、神様を信じることが禁止になる、という意味がよくわからなかった。
だって、信じることはそう簡単に辞められることではない。現にマザーも、隠れてこうして祈っている。
不思議そうにするニナに、マザーは苦い声で教えた。
「そう言って、怒って海へ出た仲間がたくさんいたわ。それで彼らは、海賊という悪い人たちになってしまったの」
「カイゾク?」
「そう。海で船を襲って、お金や物を奪って暮らす悪党よ。女神様がそんなこと、望むはずないのに……」
海賊たちもまたマザーと同じく、女神様の信徒だ。
しかし、マザーは海賊のことをよく思っていないようだった。
海賊のせいで国が不利益を被ったことを持ち出して、汚点だ、罪だとよく嘆いていた。
マザーは女神様のことを他の兄弟には内緒にするよう、ニナにきつく言い含めた。
どうせ話しても歴史や宗教のことなんて真剣に聞きそうな兄弟はいなかったから、ニナは何の不満も疑問も持たず、女神様のことを誰にも言わず過ごした。
それからしばらくして、久しぶりに女神様の話を聞いたのは三、四年ほど前。
新聞を読んでいたマザーは、周りにニナ以外の子どもがいないことを確認してから、声をひそめて話し出した。
「最近、孤児院を狙った人攫いがいるんですって」
「へぇ……このハウスにも来たらどうしよう?」
「そのときはきっと女神様が導いてくださるわ」
マザーの方から女神様の話を出すことに驚いて、ニナは首を傾げた。
「女神様が? ……助けてくれるの?」
教えも何も知らないニナは、女神様が守ってくれるのかと思い目を輝かせる。
しかし、マザーは首を振った。
「助かるかどうか……幸せになれるかどうかは、私たちの日頃の行い次第ね」
喧嘩両成敗、という言葉があるように。
人に害を与えたものは報いを受ける、というのが、女神様の教えらしかった。
マザーに言わせれば、女神様を裏切る海賊なんかをこの世に排出してしまった、マザーたち女神の信徒には罪がある。
だからいつか報いを受けるはずだと、マザーは怯えて暮らしていた。
そしてあの日。
新聞に載っていた、孤児院を狙う人攫いの正体――マウフェルがハウスにやってきたとき、マザーは絶望した。
とうとう自分が報いを受ける日が来るのだと。
マザーの不幸はマザー自身が酷い目に遭うことではなく、子どもたちが傷つけられることだった。
そしてマザーにとって、女神様が与える不幸は受け入れなければならないことである。
だから、自ら子どもたちを差し出した。
そしてハウスに火を放ち、自分が人生を賭けてきたすべてを跡形もなく消し去ったのだ。
「ちょ、ちょっと待て」
「うん」
「いくら信じてるとか言っても、それは狂ってる……!」
トットは噛み付くようにニナの話を遮った。
ニナに怒りをぶつけてもどうしようもないとはわかっていたが、そう言うしかなかった。
だって、ただ三年間はなればなれになっただけの、売られた家族はまだいいとしても。
あの日、ハウスに取り残された他の兄弟は、火事に巻き込まれたのだ。
「あの火事で、死んだんだぞ!? ブランカも、ユートもダンも!!」
「……そうね。私も新聞で読んだわ。本当に悲しかったし悔しかった」
ニナは悲痛な面持ちで頷いた。
まだ小さかった妹弟たちを、マザーは人攫いに売ろうともせず、ハウスの一室に置き去りにしたのだ。
ニナは手足を縛られて荷車に積み込まれた状態で、その一部始終を見ていた。
トットの言う通り、狂っていると思った。
マザーはあのとき、何かおかしくなっていたのだ。
「だから、ついていったの。マザーを放っておけなかったし、原因である女神様のことは私だけが知っていたから」
王都に向かう馬車の中で、他の兄弟よりも先に目を覚ましたニナはマウフェルに懇願した。
手足をくくる縄を外そうと渾身の力を込めながら、マザーについていかせてほしいと頼み込むニナの姿を、マウフェルはひどく怪しんだようだった。
自分たちを裏切って、生活を破壊したマザーについていきたいなんて言ったら、不審に思われるのは当然だ。
ニナもそれはわかっていたが、それでもニナにとってマザーは大切な育ての母だった。
「昔、マザーみたいになりたいってよく言ってたでしょ。私」
「……うん」
「あの日から、そう思わなくなった。代わりに、マザーを元のマザーに戻したいと思うようになったの。何か変わってしまった理由があったんだ、って思いたかったのもあるわ」
淡々と、自分の心を分析するようにニナは言った。
トットは胸の中にくすぶるような苦い気持ちを噛み殺し、ニナを手招いた。
ニナは女神像の前を離れ、長椅子に腰掛けるトットの隣に自分も腰を下ろす。
何事もないように淡々と過去を振り返る彼女の肩は、小さく震えていた。
「ごめん。つらいこと話させて」
「いいの、私も誰かに聞いてほしかった。私はそれから、マザーと一緒にこの島に来た――」
ニナの話は、もう少しだけ続く。
太陽はすでに水平線からすっかり顔を出し、教会の中はトットたちの心とは裏腹にきらきらと明るかった。




