23.この国の過ち
ちょうど、今から10年ほど前。
隣国・コーストランドの港と、このシュタリス王国の港。
交易で賑わう二つの都市の間の海に、海賊が台頭しはじめた。
コーストランドとシュタリスの間だけでなく、他の国の船も多く入ってくる、豊かな町同士だった。
しかしあるときから、交易船が襲われる事件が頻発しはじめた。
ただの一件や二件ではない、組織的な海上の犯罪。
真っ黒な旗を掲げた海賊たちの小舟が、神出鬼没に港の周りに台頭しはじめた。
各地から持ち寄られた特産品や、取引のための金銀硬貨が略奪されるようになり、二国の港は治安が悪いと他国から敬遠されるようになる。
最初は、コーストランドもシュタリス王国も、海賊を取り締まり、元の平和な港町を取り戻そうと協力して動いていた。
しかし、外国からの船が来なくなると、港は活気を失い人々の心は荒んでいく。
遠くから情報だけを仕入れている政府の人々が気づいたときには――もうすでに港町の人々は、互いの国を憎しみあっていた。
『海賊はコーストランドの方角から来たらしい』
『シュタリスの海軍は賄賂をもらって、海賊を見逃している』
『俺たちの悪い噂を流して、海賊の罪を押し付ける気だ!』
『そもそもちゃんと調査や取り締まりをしていれば、海賊がこんなに多くなるはずはない!』
『そっちの国の貧乏人たちが、うちの国の船を襲ってるんだろう!』
噂が飛び交い、尾ひれがついて大きくなっていく。
船の国籍を鑑みず、手当たり次第に略奪行為を行なっていた海賊が、どちらかの国の国民ばかりに偏った組織であるとは考えにくい。
しかし、冷静に事実だけを見つめなおそうとする余裕は、少なくとも港町の人々にはなかった。
外国の船が来なくなった町はどんどん活気を失い、廃れていく。
そうなれば、当然そこで商売をして暮らしていた人々の心もすさんでいった。
国交が断絶する半年ほど前から、港町の商人や交易船のオーナーたちの自己判断で、二国の間の交易はほとんど途絶えていると言ってよかった。
それでも国交は続いており、マウフェルのような外交官や駐在大使が二国の橋渡しに粉骨砕身していた。
水面下ではコーストランドの妹姫エリザベートと、シュタリスの王太子アンリの婚約が進められ、二国の友好関係を復活させるための希望だともてはやされていた。
それなのに。
「アンリさま。……噂に、聞いたのですが、」
ある日。婚約者同士の、年に一度のお茶会の日。
会うやいなや、勧められた席にも着かずにエリザベートは切り出した。
唇が真っ白になるまで噛み締めて。真っ赤になった拳を握りしめて。
肩を震わせて、青白い顔で言った彼女は、きっと誰かに指示されて、脅されてでもいたのだろう。
「――海賊の本を、楽しく読まれていたというのは本当ですか?」
「え……」
はい、とも、いいえ、とも答えなかった。
どちらか答えていたならば、彼女のせいにはしなくて済んだだろうか。
次の日には、婚約破棄が決まっていた。
新聞の一面には黒々と露悪的な見出しが踊る。
『コーストランドの姫君 海賊の嫌疑を我が国に』
『王太子に向けて表明か』
エリザベートはそんなこと一言も言っていないのに。
気づけば彼女がアンリに向けて、海賊が現れたのはシュタリス王国のせいだと指を突きつけたことになっていた。
エリザベートがそれをどう思ったかは知らない。
後悔しているのか、それともこれでよかったと思っているか。
知る術はない。あれ以来一度も会えていないのだから。
アンリにはただ、王の意向通りに、彼女のことを忘れることしかできなかった。
「……そもそも親の決めた婚約者だ。それが普通なのかもしれないけれど」
話し切ったアンリは、ため息交じりにそう締めくくった。
馬車の外は、見慣れた王都の風景に差し掛かろうとしている。
「なんで、読んでる本を聞いただけで国交が断絶するんだ」
トットは呆れたようにそう呟いて天を仰ぐ。アンリも、「本当にね」と言いながらまた大きなため息をついた。
「しかし海賊か。聞いたこともなかったな……」
「俺たちは孤児院で、数字の数え方とか、字の書き方とかを必死に覚えてたころだ。国際情勢なんて知るはずないしな」
「というか、お前はなんで知ってたんだ?」
「マウフェル様から聞いた。あの方もあの方で当事者だ」
カストルは淡々と答え、それからアンリの方をちらりと見た。
「しかし……すみません。俺はマウフェル様に聞かされて、てっきりエリザベート姫様がたいそうな悪女だったのだろうかと」
「世間はそういう風向きだった。向こうの国なら僕が悪者かもね」
諦めたようなアンリの声音に、トットの心の中では何か引っかかるような苛立ちが生まれていた。
もちろん、アンリに苛立っているわけではない。隣国のエリザベートとかいう姫様に対してでもない。
強いて言うなら、新聞の記者や港町で噂話をした人に対する苛立ちだろうか。
それでいて、少しだけアンリにも何か言い返してやりたいような気分になっている。
「……納得いかねぇ。なあ、今からでもその海賊ってやつの正体がわかって、この国とは無縁でしたってなったら、なんとかなると思うか?」
「どうかな。我々は国交断絶までの過程で、いろいろな問題に見ないふりを重ねてしまったから」
「少なくとも、リーシェナ様に関しては……マウフェル様が服役を終えて戻ってくる方がずっと早いんじゃないか」
曖昧な答えを返す二人に、トットは頭を抱える。
「そうかよ。でも、いつかは解決しないと……ずっと言われっぱなしは、嫌だろ。誰でもさ」
悔しそうにそう呟いたトットに他の二人が言葉を返せないでいると、ゆっくりと馬車が停車した。
王都についた、と御者の声がする。
「……ついたってさ」
「行こう、トット」
「ああ……」
しんみりとした雰囲気で、三人は馬車を降りる。
難しい顔をして考え込むトットの肩に、アンリが腕を回した。
アンリの方から肩を組んできたことなんて今までなかった。
驚くトットに、アンリは面映そうにはにかみ顔を向ける。
「考え込んでくれてありがとう、トット。今はまず、目の前のことをしようよ」
あと一人だろ、と元気づけるようにアンリの手がトットの肩を叩く。
そう――トットの探す兄弟はあと一人。
三年前、マザーとともに、マウフェルの元からも姿を消したという妹・ニナだけだ。
「……そうだな」
丸まっていたトットの肩が、少しだけ元に戻った。
二人はそれぞれ王城と宿屋のある北側に向かい、カストルだけが住宅街のある南に向かう。
兄弟を探しつづけるトットと、それを手助けするアンリの力強い背を見送って、カストルは恭しく頭を下げた。




