19.家族会議
その日、マウフェルは苛立っていた。
朝起きると家を任せている警備の者がどこにもいない。不穏に思いながらも迎えにくるはずの護衛を待つが、やってきたのは伝令を名乗る王太子の従者だけ。
『マウフェル様の身の危険は去りました』とだけ告げられて、護衛がもうつかなくなったことを知る。
同時に、そもそも命を狙われているなんて噂が嘘だったのではないか、とも彼は察していた。
つまり王太子の講じた何かしらの策略に嵌められたわけだ。
昨日までマウフェルのそばについていたあのトットという騎士も、王太子の息のかかった者だったのだろうと予想がつく。
げんなりしながらも一人、1日の仕事を終えたマウフェルは自宅に戻る。
やっと安心して息がつける、と思ったのもつかの間。
帰宅したマウフェルを待ち受けていたのは肩をいからせた娘と、昨夜から行方を眩ませていた警備の使用人。
そして、まさに渦中の王太子であった。
* * *
トットに謹慎を言い渡したあと、アンリは一人マウフェルの自宅へ向かっていた。
迎えの者が来ているというのは口から出任せだ。城を出るまでトットを謹慎に処することも決まっていなかったのに、そんな手を回せるはずがない。
では嘘をついてまで、なぜ一人で行動したかったかと言うと。
ああ言っておきながら、アンリもまたマウフェルたち家族の関係が崩壊することを懸念していたからだ。
リーシェナの心が折れてしまうとは思っていない。今日、ほんの数時間話しただけだが、彼女の人となりは十分にわかっていた。
アンリが本当に心配しているのは、マウフェルとカストルの関係性だった。
(カストルには、失うものがない。大切なものだけがあり、失うものはない人間……それが一番危険だ)
訓練兵になりたてのトットのことを思い出しながら、アンリは住宅地を歩く。
カストルがトットと同じくらい喧嘩っ早い人間だと言うなら、問題を起こす可能性は十二分にあると言っていいだろう。
(こんなことトット本人に言っても聞かないだろうけど)
そんなわけでアンリは単身、マウフェルの家に向かった。
アンリを出迎えたカストルは驚きの表情を浮かべていたが、リーシェナ嬢が心配で来た、と嘘をつくと目に見えて安堵した表情を浮かべた。
アンリの予想通りリーシェナはせっせと家族会議の準備をしており、カストルも気を揉んでいたらしい。
「来てくださってよかったです。何かあっては、私一人では止められません」
「私が来たことでマウフェル様は胃を痛めるだろうけれどね」
そんな会話をしながら、特別に食堂へと通してもらった。
リーシェナもまた、証人としてアンリが同席してくれるなら都合がいいと快い返答をしてくれた。
そして、夜八時すぎ。
マウフェルが疲れた顔をして自宅に帰ってきたのを、アンリは食堂の一番奥の席に座って静かに見つめていた。
「……どういうことだ?」
「おかえりなさいませ、父様。少しお話がございます」
「座っても?」
「いいえ。一刻を争うお話です」
無理に座ろうにも、普段マウフェルが座っているだろう席は今はアンリに占領されている。
立ち尽くすマウフェルの目の前に、リーシェナが詰め寄った。
「わたくしに隠している、やましいことがございますね?」
「……カストルに聞いたのか。お前、どこまで話した?」
マウフェルはカストルに大声で怒鳴るが、カストルは答えない。そのようにリーシェナに言いつけられているのだろう。
しびれを切らしたマウフェルは、再びリーシェナに向き直る。
「どこまで聞いた? ナウネ――母のことは? 孤児院のことは。お前はどこまで覚えている?」
声が震えている。
その表情に強い後悔が滲んでいることに気がつき、アンリは思わず席を立った。
嫌な予感がしていた。
「すべて聞きましたわ。覚えていない母様のこと。わたくしを探すために、父様が働いた悪事のことも、すべて!」
「悪事、だと――」
「孤児院を襲ったのでしょう。わたくしを探して、幼い、親のいない、寄る辺のない子どもたちを攫ったのでしょう!」
正義感と、孤児院にいたころの記憶と、カストルのような身近な孤児の存在。
それらすべてがリーシェナを駆り立てているのだろう。彼女は必死な顔と声音で、父親を弾劾する。
「正直に話してください。何をしたのか。わたくしと、カストルと、王太子殿下の前で!」
「っ……」
娘の勢いに気圧され、マウフェルは口の端をわなわなと震わせる。
もはや白状するしかない、そんな雰囲気の中でマウフェルが左手を動かすのが見えた。
(――何をする気だ!)
反応したのは、アンリとカストルだ。
マウフェルは懐に手を差し込み、小さなスプレー缶を取り出した。缶の表面には何も書かれておらず、見るからに怪しい。
何かしらの薬品だろう、と想像がつけば、そこから推測するのも簡単だ。
もしかしたら、それを使うのは初めてではないかもしれない。
だって――少女の7歳までの記憶が、一切ないことなどありえるだろうか? 10歳のころ孤児院に自分を迎えにきた父親が、正門から来たのか裏門から来たのか、うやむやになるだろうか?
「嗅ぐな! 記憶が消される!」
「リーシェナ様!!」
二人は同時に動いた。
アンリはマウフェルの手の中にある小瓶を取り上げようとして。
そしてカストルは、マウフェルの動きを止めようとして。
その瞬間、カストルの手の中に、きらりと何かが光るのをアンリは見た。
――果物ナイフだ。
アンリは咄嗟に、体の向きを変えた。マウフェルではなくカストルに体を向け、ナイフが何にも当たらないように彼の体を拘束する。
誰の血も流れていないことを確認し、アンリが安堵したのもつかの間。
食堂の中に、スプレーの噴射される音が虚しく響きわたった。




