第7話 謎のブライダル雑誌と、愛馬へのドレスコード
初めての満月の夜、人間に戻った俺とエリスの間で起きたあの混乱から、数日が過ぎた。
「ねえ、シュン。あのお兄さん、一体誰だったんだろう?」
ぽかぽかと温かい午後の光が差し込む厩舎でエリスがぽつりと呟く。愛おしそうに俺の鼻先を撫でるオッドアイの瞳は、どこか遠くを見ていた。
「すごく温かくて……シュンと同じ匂いがして。思い出すと、なんだか胸の奥がくすぐったくなるんだ」
(へ?え、ま、まさかエリスそれって!ないよな?裸の不審者に惚れたとかないよな?)
大混乱する俺を置き去りにして、胸元にそっと手を当てふわりと頬を朱に染めるエリスに、あの一夜でこの少年の心に小さな恋の芽が芽吹いてしまったのではないか?と思ってしまう。
(ヒェ!頼むからそんな顔で思い出さないでくれ!それ俺なんだよ!全裸で抱きしめたのも、そのトキメキを与えたのも、全部目の前にいるこの俺なんだよ!!)
俺は必死に顔を背け、「ブフゥッ」とため息みたいな鼻息を吹き出した。
愛馬(俺)と、謎の全裸青年(俺)の狭間で無自覚に揺れ動く推しの姿。社畜時代の胃痛が蘇るような感覚で、俺の胃袋がキリキリと痛む。
(うっ、胃が痛いっ)
俺の胃痛が通じたのか、いきなりエリスはハッとしたように首を振り、俺の首筋にぎゅっとしがみついてきた。
「……ううん、ダメだ。僕が一番好きなのはシュンだけだよ」
(よしよし、それでいい!俺が本命だな!って、よくねぇ!どっちも俺なんだよなぁ)
どうしようと思っている俺の目の前で、エリスは脇に抱えていた一冊のぶ厚い本を俺に広げて見せてきた。
そこに躍り出ていたのは、煌びやかな金箔押しの文字。『月刊 ブライダル・ローズ ~極上の挙式と愛の誓い~』
(……は??)
俺は二度見どころか、馬の目玉が飛び出そうなくらいに目を見開いた。
なんだその本は!?乙女ゲームの世界に、なんで日本の『ゼク〇ィ』みたいなブライダル専門誌が存在してるんだ!?
(待て……?おかしいだろ。いくらファンタジー世界だからって、こんな現代的なデザインの商業誌がこの世界観にあるわけがない。ゲームの原作知識にもこんな本は出なかったぞ!?)
脳裏を?で埋め尽くされたが、エリスが嬉しそうにページをめくってきて、おもわずその雑誌を凝視する。
「王都の商人から買ったんだ。貴族の挙式用カタログらしくてね。見てごらんシュン、すごく綺麗だろう?」
そこには純白のドレスやタキシード、豪華なウェディングヴェールの写真が並んでいた。
「僕が大人になったら、シュンと挙式を挙げるんだ。お前にはこの一番高いヴェールを被ってもらうよ。商人にも『特注すれば馬の耳を通す穴くらい開けられる』って確認したからね!」
(商人も商売魂出しすぎて適当なこと言うな!馬にヴェール被せて結婚式挙げる公爵がどこにいるんだよ!!ってかそんな問い合わせするとか、エリスがどんどん変人で有名になっていってしまうのでは?)
「ヒヒィィィィン!(目を覚ませエリス!冗談だろ妻って!!お前には可愛い人間の妻を迎えて欲しいんだよ!幸せになるお前が見たいんだよ)」
「ふふ、やっぱりシュンも楽しみなんだね。興奮して鳴くなんて可愛いな」
(悲鳴だよ!!全力拒絶の悲鳴!!それに泣くの間違いだから)
頭を抱えたくなる俺を余所に、エリスは満足そうに本を閉じると、大きな革箱を開けた。
「今日は挙式の予行練習……とまではいかないけれど、僕のパートナーとしてのドレスコードを持ってきたんだ」
箱から取り出されたのは──漆黒のシルク地に繊細な銀刺繍が施された、特注の『馬用リボンとレース付き馬着』だった。
「あのお兄さんに会えたらお礼は言いたいけれど。僕の特別はお前だけだって、誰が見ても分かるようにしておかないとね」
(えええ、俺これ着るのか!待ってくれよ、お前より随分おっさんな俺がこれはキツイだろ、馬の姿でも)
エリスは手慣れた手つきで俺のタテガミに銀のリボンを結び、レース付きの豪華な馬着を背中に羽織らせた。今の俺は完全に、超高級・おめかし白馬(挙式直前ver.)だ。
だが──俺を飾っていくエリスの顔は、今までで一番輝いていて、年相応の少年の愛らしさに満ちていた。なんかこの笑顔で、全てどうでもよくなってきた。推しの笑顔、最高!
「似合っているよ、シュン。すごく綺麗だ」
愛おしそうに俺の首筋に頬を寄せてくるエリス。その温もりに触れると、ツッコミ疲れた俺の胸の奥が、ふっと柔らかく解けていく気がする。
(ったく。ブライダル雑誌だのヴェールだの狂ったことばかり言い出しやがって)
あの一夜、人間に戻った手で抱きしめたエリスの身体は、驚くほど小さく華奢だった。
孤独に耐えてきたこの小さな男の子が、俺のためにこんなにも笑ってくれている。
(覚えてろよエリス。俺がまた人間に戻れたその時は……沢山甘やかしてやるからな。あ、ただ嫁や愛人は勘弁してくれ)
俺が鼻先でエリスの頬を優しく突くと、エリスは鈴を転がすように嬉しそうに笑った。
──こうして、謎のブライダル雑誌という異世界の歪みを残したまま、未来のヤンデレ公爵による愛の暴走は、着々と深まっていくのだった。




