第6話 初めての満月の夜は全裸で
夕暮れの感動的な乗馬デートを終え、すっかり機嫌を良くしたエリスが「おやすみ、シュン」と何度も俺の鼻先を撫でて去っていった。
冷えた空気の中に漂う干し草の甘い香りに包まれながら、俺は満ち足りた心地で目を閉じていたのだが、異変は突然深夜過ぎに訪れた。
(……ぐ、あ……っ!?)
突如、体内で不気味な音が響いたのだ。
骨が歪み、組み換わり、肉がメリメリと引きちぎられるような激痛が走り、俺は干し草の上で狂ったようにのたうち回った。
(な、なんだ……!? なんだこの熱は……ッ!痛ってぇ!!)
あまりの痛みに耐えかね、「ヒヒーン!」と悲鳴を上げようとしたが、喉から飛び出したのは掠れた、聞き覚えのある人間の男の声だった。
「が、あ……ッ、げほっ……!?」
荒い息を吐きながら、おそるおそる手元を見つめると、そこに広がっていたのは、硬い黒い蹄ではなく、見慣れた五本の指。
(え? 手……? 俺の、手ぇぇぇぇぇぇぇぇ??)
思わず驚いて立ち上がろうとして、二本の脚で地面を踏みしめていることに気づく。頭に触れれば、サイドのみ肩まで伸びたふさふさとした柔らかいショート髪に触れて、視界の広さも人間と同じ狭さに戻っている。
思わず天を見上げれば、厩舎の小さな天窓から巨大で美しい満月が覗いていて、光の粒が振り注ぎ幻想的な光景を作り出していた。
(は?いやまて。なんで俺人間になってるんだよ?まさか……満月の夜だけ、人間に戻れる体質とか!?いや、ゲームじゃあるまいし……って、違う、ここはゲームの世界だからありえるのか?)
嘘だろ、マジかよ、奇跡だ。神様は俺を見捨てていなかった!
これなら、馬じゃなくて自分の声で「俺は味方だ」「お前を救いたい」ってエリスに伝えられるかも知れない!俺がシュンだって分かってもらえたらの話だけどな。
大歓喜で心を踊らせたのも束の間。冷たい夜風が肌を直接撫で上げ、俺は最悪の事態に直面した。
(…………あ。服が、一着もない。やばい、全裸とか変態だァァァ!)
そりゃそうだよな。馬の姿から直で変身したんだから、着ているわけがないんだ。ここには人間の服なんて無いんだから。
やばい、とりあえず干し草でも腰に巻きつけて凌ごう!そう焦った瞬間、タイミング悪くギィと重い扉が開いた。
「シュン、夜風が冷えてきたから毛布を……」
ランタンを手にして立っていたのは、エリスだった。
「………………」
「………………あ」
静寂が、空間を支配する。
青白い月明かりの下、干し草の山の上で完璧な全裸のまま佇む、見知らぬ白銀髪の青年(俺)を見て、エリスの手から毛布とランタンがポロリと床に落ち、カランと虚しい音を立てた。
(まずい!エリスはまだ十歳なんだ!こんなもの見せられないだろ!!)
「え、エリス!違う、待ってくれ!俺だ、シュンだ!人間に戻れたんだよ!」
あまりにも焦ってしまって意味不明な事を言っているのに俺は気がついていない。エリスからしたら俺は馬だから、人間に戻れたもなにもないのだから。
だが俺はなんとか伝わらないかと、必死に手を振り言葉を尽くそうとしたのだが、エリスの深紅と翡翠の美しいオッドアイからパッと光が消え去り、底なしの暗黒が広がっていくのが見えた。
「……僕のシュンは、どこだ」
チャキン、と冷たい金属音が闇に響き渡る。
エリスがポケットから引き抜いたのは、護身用の鋭利な短剣だった。
「僕の……僕の愛するシュンをどこへやった……?不審者め、殺して……バラバラにしてやるっ……シュンを返せぇぇっ!!」
「ひぇっ!?待て待て待て!殺気が本物すぎるだろ!!」
十歳とは思えない刃の振りに驚く。月光を反射してギラリと光る短剣が、ガチの殺意を込めて俺に突き出される!
俺は全裸のまま必死でかわし続けていた。一歩間違えれば命がないだろうから。
俺は一瞬の隙を突き、短剣を握るエリスの細い手首をぎゅっと掴んで引き寄せた。
「落ち着けってエリス!俺だよ!ほら、昼間も一緒に散歩したろ!?お前が寂しい時、いつもこうやって……!」
俺は咄嗟に、馬の姿の時にいつもやっていたように、エリスの小さな身体を胸の中にぎゅっと抱きしめた。
(──……軽い)
人間に戻った手で抱きしめると、エリスの身体がいかに小さく華奢で、頼りないかが痛いほど伝わってきた。
公爵家の中で孤独と戦い、毒殺の恐怖に怯え、必死に強がっていた十歳の男の子。その肩の小ささに、胸が締め付けられるような愛おしさが込み上げる。
俺は大きな手で、彼の柔らかい金髪を包み込むように優しく撫でまわした。
「……ッ!?」
エリスの身体が、ビクッと硬直した。
(頼むから伝わってくれ!言葉じゃなくてもいい、この温もりと抱きしめ方で気づいてくれ!)
エリスは俺の胸に顔を埋めたまま、身体を小さく震わせた。指先から短剣が滑り落ち、床に転がる。
「お前なんで……。なんでシュンと同じ匂いがするんだ?触れ方も……頭の撫で方も一緒」
見上げられたエリスの瞳に浮かんでいたのは、憎悪ではなく──困惑と、すがりつくような微かな希望。
俺の胸から伝わる鼓動を確かめるように、エリスの小さな手が、すっと俺の背中に回された。
(よし……!伝わったか!?俺がシュンだって)
安堵で息を吐き出そうとした──その時。
天窓から差し込む青白い月光がすうっと薄れ、東の空がうっすらと白み始め途端に、体内の血液が再び猛烈な熱を帯びて逆流し始める。
(あ、やば……ッ!朝だ!タイムアップだ!!)
「ぬ、ぐあああああああっ!?」
「えっ!?あ、不審者さん……!?」
メリメリ!!と骨が再構築される激痛と恐怖。
俺はとっさにエリスを傷つけないよう突き放すと、光に包まれながら厩舎の奥の暗闇へと転がり込んだ。
「待って!どこへ行くの……!?あ……!」
光が収まり激痛が引いたあと、そこに残されていたのは──朝の光が差し込む厩舎で、口に破れた布切れをくわえ、必死にしらばっくれた顔をして首を傾げる一頭の白馬(俺だ)。
「……シュン?お前、ずっとそこにいたのかい?」
「ヒヒ~ン(ええ、ずっといましたとも。怪しい男なんて知りませんね)」
エリスは呆然と誰もいない空間を見つめ、それから自分の胸元をぎゅっと抱きしめた。朝日に照らされたその頬は朱に染まり、瞳にはどこか危険な恋の熱が宿っていた気がする。なんか乙女みたいな顔してるエリス。
「あの人、なんだったんだろう。服も着ていなくて……でも、僕を抱きしめてくれた手はシュンと同じ匂いがして、とてもあたたかかった……」
(待て。何だその初恋に落ちた乙女みたいな顔は。俺だぞ??ありえないだろ、俺だぞ!??)
「……シュン。僕、あのお兄さんにまた会いたいかもしれない。……でも、心配しないで。僕の妻はお前だけだからね」
(待ってくれ大混乱だよ!!一人で謎の三角関係を展開するな!!あの青年が愛人とかだったら俺どうするんだよ!ってか妻って言うの冗談だよな?)
こうして、人間に戻れることが判明した初めての満月の夜は、エリスの中に謎の初恋相手(全裸美青年)が爆誕するという、さらなる大混乱とすれ違いを巻き起こして幕を閉じたのだった。




