第5話 馬として初めての乗馬レッスン!
またまた変態騎士ジェラルドの事件から数日後、公爵家の広大な馬場に、俺とエリスの姿はあった。
「シュン、今日は少しだけ。僕を背中に乗せてみないかい?」
エリスが申し訳なさそうに小さな乗馬用鞍を差し出してきた。
(乗馬!?俺がエリスを背中に乗せるのか……!?そりゃあそうだよな!俺は馬なんだからそれが仕事だ!)
馬に転生してからというもの、走る、蹴る、椅子に座る(これはおかしい?)などの動作はマスターしていた俺だが、人を乗せるという馬にとって当然の経験ゼロだったのだ。
(待てよ?もし俺がバランスを崩して推しを落馬させたら!?エリスを骨折でもさせたらどうする!?そんな事になったら俺は生きていけないぞ!)
元社畜のリスク管理センサーが過剰反応を起こし、俺の四肢は生まれたての仔鹿のようにブルブルと震え始めた。
だがそんな事は知らず、エリスの瞳は期待でキラキラと輝いている。ヤバい、これは断れるわけがない。何より推しの頼みを断るとか、万事に値する。
「よしありがとう!ゆっくり行くからね」
エリスが台座を使い、軽やかに俺の背中へと跨がったのだが、──軽い。子供とはいえ、あまりにも軽すぎる。ご飯をちゃんと食べられていない時期があったせいか、背中に伝わる体重は羽毛のように儚かった。これからはしっかり食べさせなければと心に誓う。
(よし、一歩踏み出すぞ!慎重に、高級料理を運ぶが如く、ゆっくりと慎重に乗せるんだ俺!)
俺は音を立てないよう、おそるおそる右前足を一歩踏み出した。
「あ、動いた!上手いよシュン」
エリスの歓声が上がっているが、俺は緊張が限界突破していてそれどころではない。
背中推しを乗せているプレッシャーのあまり、俺の歩き方は完全にロボット歩きになっていた。カチコチに固まった膝に、ぎこちない腰の動きでカクカクと動いているのだ。
(ダメだ!背中が張って乗り心地最悪だろこれ! 馬の歩き方ってどうやるんだっけ!?いや、俺は元人間だから馬の動き方なんて知らないだろ……)
「ふふ、あははっ!シュン、体がカチコチだよ! 大丈夫だからリラックスして?」
背中の上から、エリスの楽しそうな笑い声が降ってくる。緊張で強張っていた俺の耳や頭に、エリスの小さな手がそっと触れた。
「大丈夫だよ、シュン。僕を落としたって怒らないよ。お前と一緒に風を感じたいだけなんだ」
(エリス……っ、なんていい子なんだ!)
その言葉と優しい撫で方で、すーっと肩の力が抜けていくのが分かった。そうだった。俺はエリスを乗せる道具なんかじゃない。俺はエリスの味方で、パートナーなんだ。
俺は深く息を吐き出すと、ゆっくりと歩幅を広げ、スムーズな歩行へと移行した。ザッ、ザッ、と心地よい軽やかなリズムが馬場に響き渡る。
「すごい、すごいよシュン!まるで雲に乗っているみたいだ!凄く気持ちいいよ」
エリスが背中で嬉しそうに声を弾ませ、手綱を通じた微かな張りと、太ももから伝わる体温で、エリスが今どんな気持ちかが俺にダイレクトに伝わってきた。
(なんだこれ……めちゃくちゃ楽しいぞ!?俺は今、推しを乗せて風になっているんだ!なんて素晴らしい、推しを喜ばせられるなんて馬バンザイ!)
そんな事を思いながら、俺たちはそのまま夕暮れの中を、並木道に沿ってゆっくりと散歩した。
橙色に染まる世界の中、エリスが俺の首筋にぽてんと顎を乗せてくる。
「シュンの背中、すごくあたたかいな。……昔ね、お母様が生きていた頃、一度だけ馬に乗せてもらったことがあるんだ。でも、お母様がいなくなってからはずっと一人だった」
小さく呟かれた言葉にエリスの今までの全てが詰まっている気がした。
「僕ね、シュンに出会えて本当によかった。お前が僕の背中を押してくれなかったら、僕は今も誰も信じられずにいたと思う」
(エリス)
「だからね、シュン。これからもずっと、僕をいろんな場所へ連れて行ってね」
「ヒヒン(任せとけ。世界中どこでも連れてってやるよ、俺の推し世界一可愛い!)」
俺が力強く答えると、エリスは愛おしそうに俺の首をぎゅっと抱きしめた。
──言葉は通じなくても、確かに俺たちの心はこの時ひとつになっていたのだ。
……だが、この時の俺はまだ気づいていなかったのだ。
今夜の空に浮かぶ月が、見事なまでにまんまると満ちていることに。




