第4話 極上のブラッシングと、忍び寄る変態の影
変態騎士団長ジェラルドを追い払ってから数日。公爵家には、嵐の前の静けさとでも言うべき穏やかな時間が流れていた。
ぽかぽかと温かい午後の光が差し込む厩舎で、俺は今、人生──いや馬生最高の快楽に打ち震えていた。
「シュン、痒いところはないかい?ここはどうかな」
「フハァ〜〜〜〜……ッ(そこ! そこそこ! 右の肩甲骨あたり!)」
エリスが小さな手で毛ブラシを持ち、俺の白い毛並みを実に手慣れた手つきでブラッシングしてくれているのだ。
ザッ、ザッ、と毛並みに沿ってブラシが通るたび、全身の皮膚からコリがほぐれ、頭がとろけそうになる。
前世の社畜時代、マッサージ店に行く余裕すらなかった俺にとって、推しによる至高のブラッシングは天国そのものだった。気持ち良すぎて目蓋が重くなり、鼻から「フシューッ」と情けない脱力音が漏れ出る。
「ふふ、気持ちいいかい?シュンは本当に表情が豊かだね」
エリスは愛おしそうに目を細めると、今度は木製の細い櫛に持ち替え、俺のタテガミを丁寧に整え始めた。
「シュンの毛並みは本当に綺麗だ。陽の光を浴びると、まるで絹みたいに輝く……僕の宝物だよ」
鈴を転がすような声で、甘い言葉を囁きながらブラッシングを続けるエリス。
だが、その手がふと止まった。
「……こんなに綺麗なシュンを、あのジェラルドとかいう男に見せたくないな。……いっそ、誰も見えないように、ずっと僕の部屋に閉じ込めておけたらいいのに。目隠しでもしたら見られないかな?」
(……ん? 今、サラッとヤンデレ特有の監禁願望が漏れ出てなかったか?)
俺が思わず耳をパタパタと動かすと、エリスはハッとしたように笑顔を浮かべ、俺の首筋にぎゅっと顔をうずめてきた。
「冗談だよ。シュンを狭い部屋に閉じ込めたりしないさ。でもね、僕が大人になったら、絶対に誰も手出しできないくらい大きな牧場を買って、僕とシュンだけで暮らすんだ。……だから、僕を置いてどこにも行かないでね!約束!」
(エリス……)
刺さるような寂しさと、俺に固執する激重な愛。
だが、その根底にあるのは「もう誰も自分を捨てないでほしい」という切ない願いだ。
俺は首をぐっと下げ、エリスの小さな頭を優しく包み込むように鼻先をすり寄せた。
「ヒヒン(心配すんな。俺はお前の味方だし、どこにも行かねぇよ)」
「あはは、くすぐったいよシュン。……ありがとう」
エリスが心からの笑顔を見せ、厩舎の中に温かい空気が満ちた──その時だった、二人の邪魔が現れたのは。
「おおおおお素晴らしい!!なんという愛の交歓! 美しき少年と伝説の聖馬が魅せる至高の絵面……!!」
厩舎の小窓から、ぬっと現れたのは──双眼鏡を両目に叩きつけた騎士団長ジェラルドだった。
「ヒヒィィィィン!?(出たな不審者!!ていうか盗撮(覗き)すんな!!)」
俺の社畜センサーが「変態警察案件」と警報を鳴らす!ジェラルドは窓枠に手をかけ、熱烈な眼差しで俺の毛並みを凝視していた。
「エリス殿!そのブラッシングの手つき、甘い! 角度が甘いぞ!馬の毛根の毛の流れを理解していない!私に代われ、私なら最高級の椿油を使って三時間かけて全身を磨き上げてみせる!」
「気安く入ってくるな変態騎士。シュンに触れていいのは僕だけだと言ったはずだが?」
一瞬で笑顔を消したエリスが、壁に立てかけてあった鉄製のスコップを無造作に手に取った。10歳とは思えない殺気が厩舎内に満ち満ちる。
「……シュン、目を閉じていてね。汚いものが見えるから」
「ヒヒーン!(スコップで叩き殺そうとするな! 落ち着けエリス!)」
俺は咄嗟にエリスの服の裾を咥えて引き留めつつ、ジェラルドに向かって厩舎の干し草を後ろ蹴りでドカンとぶちまけた!
「ぶふぉっ!?ぐはっ、干し草の洗礼……!ほう、私に『出直してこい』という愛の鞭か……! 良い、実に良いぞシュン!明日は最高級の角砂糖を持ってまた来るからなー!」
爽やかな笑顔で去っていく不屈の変態騎士ジェラルド。
スコップを構えたまま不機嫌そうに息をつく推し(エリス)。
そして、毛並みを半分だけ整えられた状態で呆然と立つ俺(馬)。
(……ふぅ。ホワイト化計画の道は、まだまだ遠そうだぜ)
こうして、束の間の至福のブラッシングタイムは、変態騎士の乱入によって賑やかに幕を閉じたのだった。
──そして、この数日後。
ついに『あの満月の夜』が訪れることになるのを、俺はまだ知らなかった。




