第三項 まだ見ぬ世界(第37話)
第一部 新世界の産声編 第二章 英雄達の新世界紀行 第二節 平原の遊牧民
長による長老の説得はたった一言で済み、他の者達も最初は渋ってはいたものの長が婚期の話を持ち出した途端に快く了承した結果、その日のうちに我の同行者となることが決まった。
ただし、海上都市とやらまではそれなりの距離があるという事で、荷造りに数日を要した。
「……よし、私の準備は整いましたが、ドルさんは本当にそれで大丈夫なのですか?」
「うむ、我にはこの身一つあれば十分である」
「そうですか、では、出立は……明日の朝が良いですかね。今日はもう日が暮れていますし」
「我は今からでも構わんぞ?」
「今から出たところで少し行ったところで夜営ですが?」
「……おお! 失念していた。人種は睡眠が必要であったか」
「いや、大体の生き物がそうでしょう。むしろドルさんは睡眠がいらないとでも?」
「うむ、よほど消耗せぬ限りはな。普段の睡眠は娯楽のようなものにすぎぬ」
「どういう身体してるんですかまったく……では出立は明日の朝という事でよろしいですね?」
「うむ、構わんぞ。ああ、それと、明日からの移動はどうするつもりだ?」
「少し行った所に小さな町があるので、そこまで徒歩で向かい、車を調達する予定です」
少し行った所に町があるらしい。
うぅむ、やはり我の知っている大陸図の配置とは違うらしい。
我の知らぬ間にどれほど変わっているのだ?
いや、あの宰相が報告を怠るという事はあり得ぬはずだが……うぅむ、わからん。
この我にまだ見ぬ世界があろうとは思わなんだ。
こうなると、城を脱走してきたのはやはり正解であったな。
それはそうと、気になる名前が出て来たな。
「む? 車とは何だ? 馬車の事か?」
「いえ、車は車ですよ。まさか自動車を知らないという事はないですよね?」
「おお、自動車か、そういえば錬金術師がそのような物を作っていたな」
確か自走車と言っていたか? 自動人形の技術を応用したものだと聞いた覚えがあるな。
あくまで伝聞だが、馬車に足の生えたような物だと宰相が言っていたな。
「ああ……おそらくドルさんの思い浮かべている物が違う物だという事だけは分かります」
「む、いつの間にそのような能力を身に着けた?」
「ハハハ……経験からですかねぇ」
「ふむ、そうか。自動車というものに興味はあるが、それは海上都市とやらでも見ることは可能か?」
「ええ、それはもう、そこら中を走り回っているかと思いますが」
「ほう、ではあちらに着くのは早い方が良いな?」
「それはそうですが、どう頑張った所で数日はかかりますよ?」
「なに、安心せよ。我にいい考えがある」
よくよく考えてみれば久方ぶりの外であるのだし、我もたまには羽目を外しても良いだろう。
幸いにも口煩い宰相も居らぬことだしな。
「はいはい、魔法以外でなら何でもいいですよ」
よし、言質は取れた。これで心置きなく羽目を外せるな。
「うむ、魔法ではないから安心するがよい。さて、出立は明日の朝だったな、そうと決まればさっさと就寝すると良い」
「いえ、まだ夕飯を食べていないのですが……」
む、つい気が逸ってしまった。
何しろ羽目を外すのは久方ぶりの事であるからな、龍の姿になるのはかれこれ数百年ぶりではなかろうか?
「おっと、そうであったな。我も夕餉はまだであった」
「そういえば、睡眠は不要でも食事は必要なんですね?」
「うむ、食事は重要だぞ。特に我のような永きを生きる者ほどな」
「はあ、そうですか。ところで、今日の夕食は何でしょうかね」
「我の鼻で判断したところ夕餉は肉だな!」
「ざっくりし過ぎでは……?」
その日の晩餐は我の旅立ちと長の前途を祝う目的もあってか、大量の肉料理がふるまわれた。
翌朝、陽が昇り始めた頃に天幕を出た我は、短い間とはいえ借りの住まいとなっていた天幕に別れを告げた。
「世話になったな」
「いえいえ、こちらこそ~」
緑の大地の者達は物を大切に扱う為か、物持ちが良い。
我が借りていた天幕もそういった物の一つであり、驚いたことに精霊が宿っていた。
何せ、緑の大地の者達は誰一人として魔法の素養がないにも関わらず、このような存在がいたのだ。
精霊曰く、自分は付喪神で精霊ではないとのことであったが、我からしてみたら精霊にしか見えぬのだがな?
そもそも我は付喪神という存在を知らなかったのだが、当人曰く、永い時を経た物に意思が宿ったものが付喪神というのだとか。
詳しい所までは本人も知らぬという事だが、付喪神へと至ることで自然とある程度の知識が付くらしい。
うぅむ、永き時を経ることによる無機物の進化、否、これは昇華とでも言うべき現象か?
ともあれ、我にとっては未知の存在であった為、ここでの滞在中は暇を持て余す夜間などにはこの天幕と長らく語り合ったものだ。
「ところで、汝の存在は秘めたままでいいのか?」
「はい、おかまいなく~」
「我が去った後はどうなる?」
「今まで通り、時々使ってもらえるだけで十分ですから~」
「そうか。では、達者でな」
「はい、ドルさんもお元気で~」
天幕に見送られながら、ひっそりと静まり返った天幕の群れを抜け、長との集合予定場へと辿り着く。
と、そこには既に人影があった。
「おや、遅かったですね?」
「ドルさん。おはよう」
「おぉ、まさか我が先んじられるとは思わなんだ。ご婦人……長老も見送りに来てくれたのか」
「ええ、長老から長に逆戻りしてしまったけれど、ここはひとつ孫の為にも一肌脱ごうと思って」
うむ、すっかり元気というか、言動まで若返っている気がするな?
そう思いつつ長の方を見ると、頭痛でもこらえるような様子で言葉を吐いた。
「若返ったのを知ってからずっとこの調子で……本当に一肌脱いで若い衆を誘惑しないでくださいよ?」
「……してないわよ?」
「まさか既にっ!?」
「おほんっ、私の事はともかく、あなたはとっくにそういう年齢を過ぎているのだから、しっかりとお嫁さんを探してきなさいね? この際だから年齢とかは問わないけれど、身分だけはちゃんとした良い娘を捕まえてくるのよ?」
「いやいきなり祖母らしくされてもッ! 相手は誰ですか!」
「ちょっと、親みたいなこと言わないで頂戴。見た目だけならそう見えてしまうんだから笑えないわよ?」
「それはそうですが……ああもう! ドルさん! 急がなくてはならない理由が出来ました!」
「うむ、このままだと長老に先を越されるな?」
「その通りです! さあ、行きますよ!」
と、長は街があると思われる方へ走り出そうとする。
「まあ待つがよい。昨日言ったであろう? 我にいい考えがあると」
「へ? ああ、そういえばそうでしたね。魔法以外の手段で良い移動方法があるとか」
「うむ、その通りだ。どれ、少しそこで待っておれ」
そう告げて、長と長老、そして緑の大地の居住地から距離を取るように離れる。
「ふむ、このくらいでよいか……ふんっ!」
そうして十分に距離を取った我は、実に数百年ぶりとなる龍体を解放した。
『……ふむ、やはりこちらの身体の方が馴染むな。む、長よ。固まってどうしたのだ?』
「ば、ばばば、化け物ぉっ!?」
失礼な。まあ、昔はよく化け物呼ばわりされた物ではあるが。
「まあ……大きい蜥蜴のような……ドルさん、なのよね?」
『うむ、そうであるが、蜥蜴ではないぞご婦人。我は龍である』
「龍っていうのね。大きいわねぇ」
『これでも大きさは抑えている方なのだがな』
今の我の大きさは成人男性が二十人分と言ったところか。
本来の大きさとなると我の視点では人種が米粒程度の大きさになってしまうからな。
「ど、ドルさん? その姿は……翼がありますが、まさか……?」
『うむ、この姿の方が飛びやすいのでな。なに、我に任せよ』
「え、ちょっ! うわあああああああああああああああっ!」
「あら、もう行ってしまうのね。いってらっしゃーい!」
『長老、そして緑の大地の者達よ! 達者でな!』
咆哮に声を乗せて別れを告げ、長を掴み上げた我は大空へと飛び立つのであった。




