リリーと少年
●
「ねえ……貴方に、これをあげる」
白いワンピースの少女が言う。栗色の肩まである髪が、優しい風に吹かれてゆらゆらしている。髪色と同じ色の大きな瞳で見つめるその先には、黒い服を着た、黒髪の少年。
少女の手には、紫の妖しい光を放っている石があった。
「これを、俺に?」
少年が聞くと、少女は嬉しそうに頷く。
「どこでこんな……」
少年はゴクリと唾を飲み込み、伸ばしかけた手を止めた。
「闇国に入った時、お爺さんから貰ったの」
「リリーが闇国に一人で入れるわけがない」
少年は疑うが、石の魅力に抗えないようでついに少女の手ごと石を掴んでしまった。石はいっそう暗く鈍い色を輝かせた。
「一人で行って来たのよ」
少女――リリー――は、誇らしげに言う。少年は何かを言おうとして口を開いたが、何も言わずに悲しそうな顔をした。しかし、それは一瞬のことで次には掴んだ石を眺めていた。にんまりと笑って、ありがとうと礼を言う。それを聞くとリリーは喜びの表情を浮かべ、頷いた。
「そのお爺さん、門番の妖精さんなんだって。とても親切でね、帰りも見送って下さったの。会ったことある?」
少年はお爺さんに会ったことがないようで、首をかしげている。
「ずうっと昔から、門が出来た時からいるんだって。すごいよ……ね……?」
リリーは、急に押し黙った。
少年の手が、リリーの手に重なっていた。それはほんの少し、触れているだけだったが、リリーは手を小さく震わせ、じっとしていた。
「本当に、嬉しいの?」
不思議そうに重なった手を見つめながら、少年に聞く。
少年は答えない。ただ、優しい顔でリリーを見つめた。目と目が合い、リリーの頬はみるみる赤くなっていく。
「な、何……?」
少年の冷たい唇が、リリーの唇に重なる。リリーは石のように固まってしまった。唇を離すと、また見つめ合う。しかしリリーはすぐに目をそらしてしまう。
沈黙。
長い沈黙の後、リリーが口を開いた。
「なぜ、そんなことするの」
困惑しているように、伏せた目が左右に泳いでいる。質問の答えを伺うように一瞬だけ少年を上目遣いで見た。
少年も困ったようで、え……と声を漏らす。
「そんな感じだっただろ」
それを聞いたリリーの瞳から一筋、涙が零れ落ちた。
「は? 何で泣くんだよ。泣くなよ」
それを聞いて大きな瞳から更にぼとぼと涙をこぼした。
「意味わからないんだけど。おい、何か言えよ……」
リリーは何も答えずに泣いていた。少年は困って、リリーをふわりと抱きしめた。
●
――お母さんと一緒にいた少年は、誰だろう。
中村は目を開けて、そう考えた。ただ、少年のあの黒い服装は、光国のものではない。……闇国のものだった。闇国の者に知り合いなどいない。会ったことのあるのは、あの四人だけだ。ふと、冷たい目をした黒髪の男を思い出す。
――そんなはずはない。
少年は、お母さん……リリーとまるで恋人のように親しそうだった。それに、あの石。ユリが持っているものに形がそっくりだった。色はユリが持っているものが白っぽいのに対し、夢の中のものは紫だったが。でも、光国の女王が闇国の人と……そんなこと許されるはずがない。とそこで考えることを辞めた。これは所詮夢なのだ。妄想だ。そんなものを真剣に考えても意味がない。眠い目をこすりながら、リビングへ向かう。
あれから小林の家に戻り、床で雑魚寝したのだが戦いの疲労は全くと言っていいほど、とれていなかった。全身が筋肉痛になり、立ち上がると重く、だるかった。中村は夢を見ていたせいか、眠っていない気さえした。
「……怪我人は百人を超え……死亡者は……原因は分かっておらず、調査中との……」
ニュースキャスターの声。
「あら、おはよう」
スマホで動画を見ていたアミが、中村に気がついて言った。中村はあくびをする。
「ショッピングモールはどうなったの」
その質問にユリが答える。
「アミが魂を取り戻したから、死亡者はいないよ。怪我人はいっぱいいるみたいだけど。皆の記憶を曖昧にしておいたから、ネットに書き込んだり、警察が取り調べをしても無駄。真実は闇に葬り去られたってわけね。大々的に私達の存在を知らせることはあまりしたくないし、捕まるのも嫌だから。報道では、ガスが爆発したかって考えられているみたいだけど調査中だって」
「アミが何人か生き返らせてたりして」
中村は冗談で言うが、アミは微妙な顔をしてスマホの方に目を戻した。案外冗談ではないのかもしれない。何人ではなくて何十人だったりして……。
「ネットでは2000年代に入って最大規模の火災と言われて、爆発や建物崩壊が激しい中死亡者がいないのは奇跡だって。私達になら奇跡なんて何回でも起こせるよね」
『……そうですね。ネット上なんかでは、事件事故災害までをひとくくりにして考えて、今年は何か起こるんじゃないかとか、不吉だとか言う人がいますけどね。そんなの陰謀論みたいなもんに過ぎないですよ。事件事故なんか私達が知らないだけで、全国で一日何十件も起きてますし、それとこれとを関連付けて考えるなんて……』
アミが音量を大きくし出したので、聞き入る。
「このコメンテーターはこう言っているけど、あながち陰謀論は間違ってないのかもしれないわ」
「え? どういうこと?」
「闇国とこの世界がつながってきているかもしれない」
アミが、ネットニュースの画面を開いて見せる。見出しには、”集団失踪事件”とあった。
「集団失踪事件……?」
「そう。十七人の方が行方不明なの。これ以外にも失踪や行方不明が増えていて。もしかしたら、次元に歪みができているのかも……」
「それこそ陰謀論っていうんじゃ……」
中村は笑い出しそうになった。しかし、アミは真剣な顔をしている。
「私達はこの世界と別の世界があることを知っているから、一概に違うとは断言できないわ」
「そっか……」
そう言うしかなかった。
「そういえば小林さんとグレィは?」
「朝ごはんを買いに行ったよ」
「グレィ大丈夫かな。昨日翼がないって言って泣いてたけど」
あの時のことを思い出す。グレィが飛んでいるところ。ロプトに立ち向かっていくところ。
――ロプトを殺しても全然だめだ。心なんか晴れない。
もやもやする胸をぐっと右手で押して押さえつけた。
バタンと玄関が開閉する音がした。
「タダイマ戻りましたよ〜」
「グレィ!」
中村はトコトコ元気そうに歩くグレィに抱きつく。グレィは小さいので、殆ど床にスライディングしているような感じになってしまった。その硬く冷たい頭を撫でる。
「大丈夫だった〜?」
「私はコノヨウにぴんぴんしております!!」
グレィは胸を張って言った。しかし、その背中は火傷で赤く腫れ、ただれている。
「小林さん、治してあげられないの?」
「残念だが、この世界には空気中に含まれているエネルギーが少ないから無理だ」
「そんな……ユリは生き返らせてくれたじゃん」
「あれはただ魂を移して、自己再生しただけだ」
小林はレジ袋を床に置く。グレィは中村の腕をすり抜けて、レジ袋に飛びついた。手を突っ込んで探ると、コンビニのフライドチキンの袋を破り、食べようとする。
「グレィ、駄目だよ。手ぇ洗ってないでしょう」
ユリが言う。
「翼が無くても生きていればいいのです。手を洗わなくても死にません」
「それとこれとは違うよ〜」
ユリが嘆く。
「本人が悲観してないならいいんじゃないか。お前の考えは、おせっかいとか偽善だと俺は思うけど。なんならお前が助けてやればいいじゃないか」
小林が中村の方を見ながら言った。
「え……」
中村は自分の手を見つめ、それをグレィへ向けた。
「何も起こせない」
「自分ができる事を把握するべきだな」
中村はガックリと項垂れた。グレィはフライドチキンを貪りながら、ベトベトの手で中村の肩を叩いた。
「大丈夫ですヨ。私はもともと飛べなかったんですから、別に翼が無くても変わりません」
「うん」
……プルルルル……
電子音が鳴った。誰かの電話が鳴っているようだ。ユリがハッとしてポケットをまさぐる。携帯のようなものを取り出して、ボタンを押す。異世界の携帯なのだろう。
「はいはい〜あっ、うん。そうなの、扉が機能してなくて帰れなくてさぁ〜。……うん……うん、そうね。……でも私は女王にはなれない。女王はお姉ちゃんでしか成し得ないから。……そうね、どうにか考えてみる。何か方法はあるはずよね。ちょっと待って」
ユリは携帯のようなものから耳を離して、皆を見回した。
「宮殿が危ないから、助けてほしいって連絡なんだけど。今は喫茶店の扉が使えない。何か方法はないかな」
アミがゆっくりと手を上げた。
「闇国の人はこちらにどんどん来ているみたいだし、闇国の人がやってきた所から入って、闇国から門を通って光国へ行く考えはどうかしら」
「……闇国の人に見つかったら、殺されるんじゃない?」
中村が不安そうに言う。
「でもそれしか方法はない」
アミが断言した。皆は静まり返った。
「そうだね、行くしかないよね。女王がいても、帰る国が無ければ意味がないもん」
ユリが言って、アミと中村は口々に同意した。しかし、小林は乗り気ではない。そうだな……と呟いただけで、なにやら考え込んでしまった。
「でも、闇国の人が来ている出入り口をどうやって探したらいいのかな」
「まずは、さっき言った集団失踪事件があった場所に行って、手掛かりが無かったら、行方不明者の情報提供を求めるサイトがあるわ。そこを頼りにしてみましょう」
そんなサイトがあるのか……と、興味本位でアミのスマホを覘く。サイトには、行方不明者のことを家出人と表記して名前や性別、年齢や服装などの情報が書かれている。連絡が取れたなどと書いてある所もあるが、かなり昔に失踪してまだ見つかっていない人も多いようだった。
中村などは一瞬だが、失踪したいなどと考えたことがあったため、こうやって探されるんだなと複雑な気持ちになってしまった。
「このサイトは、家族の方からの依頼に限られているから、数は少ないのだけど。まずはこのサイトの中で、今年の失踪者に絞って……そうね、ここの近辺の失踪は無いかしら……」
画面をスクロールする。
「この市内に失踪した方がいらっしゃるわ。これだけで陰謀論を事実だと断言は出来ないけれど」
中村はアミが真面目に“陰謀論”という言葉を使ったことに不謹慎にも、にやりと笑ってしまった。




