失うもの
小林はそれがどうした、というように中村を見た。
「この世界のことは俺には関係ない」
「そんな……でも……」
ユリとアミも立ち上がる。
「小林さん! 助けに行こうよ!」
「行きたいなら勝手にしろ」
――信じられない! 責任感とか正義感とかこの人には存在しないの?
中村はむっとして小林を睨みつけた。そんな中村を見て、小林はグレィの首を掴んで差し出した。
「グレィを寄越すから、本当に危なくなったら呼んでいいぞ。寝てるかもしれねぇけど」
「無責任な」
グレィはおろおろして、中村を見つめた。そんな潤んだ瞳で見つめられては、怒る気もなくす。いや、それがねらいだったのか。
「……良いよ。小林さんは待ってて。私達で行くから」
そう言ったものの、ロプトに勝てる自信などなかった。
「お前なら出来るよ」
小林は珍しく、少し優しい顔をして言う。中村はそれを見て、一瞬目を大きくして固まったが、すぐに目をそらした。
「ユリ、行こう」
焦ったように言う。三人とグレィは手をつなぎ、消えた。
「手を繋いで瞬間移動? 気持ち悪いな……」
ぽつりとつぶやく声が、静かな部屋に残った。
悲鳴。
焦げた匂い。
爆発。
――衝撃。
逃げ惑う人々が目に入った。
ああ、地獄とは、こんなところだろうかと思った。
その光景は、あまりにも信じられなくて。
非現実的だった……。
「祭りだぞー! お前ら、ひとつ残らず魂を持ち帰って、宴を開こうぜぇ」
嫌でもその声が聞こえた。
死んでも赦せない男――ロプトの声だ。
そこはショッピングモールだった。ショッピングモールの中央は吹き抜けになっており、エスカレーターの正面に噴水があった。その噴水は炎によってもう干からびていたが、そこにロプトは立っていた。
至る所で爆発が起こり、辺りは煙で視界が悪い。パニックの人々を黒い人影が突き飛ばしたり殴ったり、叩いたり切ったり。何やら大きな袋を持って、人々の口から出てきた白い光のようなものを集めていた。
地面は誰の者とも分からない血が飛び散っており、コンクリートはボロボロに剥げていた。
酷い、などと言っている暇はなかった。
「ママぁ~」
中村の目の前を、四、五歳くらいの女の子がきょろきょろしながら横切った。腕を掴む。
「危ないから。一緒にママを探そうね」
ひょいと持ち上げた瞬間、地面が破裂した。
「あらぁ? 女王サマは逃げたんじゃなかったぁ?」
振り向くと、ロプトがにやついた顔で立っていた。
「バリア!!」
とっさにその言葉が、彼女の口をついて出る。
透明な膜の向こうで、青い稲妻が襲ってきていた。
「大丈夫だからね」
女の子に語りかける。女の子は、不思議そうに目の前を見つめた後、不安そうな顔で中村を見つめた。
「いつまでもつかな~」
「お姉ちゃん!」
ユリの声がして、ロプトが見えない何かに突き飛ばされる。
「大丈夫?」
頷きかけて、口を開く。
ユリは後ろに引っ張られた。
「お前……あのときの……」
ロプトが、ユリの首の後ろを掴んで、持ち上げていた。怒りで震えている。
「忘れもしないぞ。お前が姉のふりをしているせいで……弟に足を切り刻まれたんだ。今度は殺してやるっ」
ユリの首にロプトの爪がぐいぐい食い込んでいく。血がにじむ。
「そんなの知らないよ!」
ユリは顔をゆがめて叫んだ。
「殺し損ねた時の、背中の傷があるだろう?」
ロプトがユリの背中に手のひらを押し付けて、火をつけた。背中が燃え上がる。
「あ、背中燃えたから、傷分かんねーわ」
真顔で言って、けらけら笑った。
「ユリを離せ! このナメクジ!」
頭上からグレィの声がした。と同時に、ロプトの顔に青い炎が降り注ぐ。
グレィが羽を広げ、宙を舞っていた。
「グレィ!」
飛べなかったグレィが、水を得た魚のようにバタバタ飛んでいるではないか。
「チサ! 飛ンでます! 飛ンでます!」
グレィは自分でも驚いた様子で、興奮して言った。
中村はキラキラした少女のような目をグレィに向ける。
「馬鹿にしやがって……」
ロプトは掴んでいたユリを、ぼとりと落した。焼けただれた顔で、身体をふらりと揺らす。
「いつもそうだ。……みんな、僕を馬鹿にする。白くて弱いイカレ野郎だってな――」
先程と口調が違う。静かに、語る。
「マズイです。皆さん、逃げましょう!」
焦ってグレィが言って、中村の胸に飛び込んだ。
逃げるって……どこへ? 中村は周りを見渡してみたが、黒い人影ばかりで逃げる場所はない。
「ど、どうしよう……」
「……違う。違う。俺は強くなったんだ。黙れ。うるさい。……言わなくても分かってんだ! 今も馬鹿にしてるんだろ! 黙れって言ってんだよ、クソが! あーあーあーそんな言葉聞こえないぞ。うるさいって。あーあーあ……」
ロプトは誰もいない方向を向いて喚いていた。遠くを見ているが、きっと幻聴だろう。耳をふさぎながら、ずっと「あー」と言っている。
「とにかく遠くへ向かって走りましょう!」
皆を避難させていたアミが、中村に近づいて言った。既に避難は終わっているようで、周りには人が見当たらない。
グレィは中村の胸元から降りて、歩き出す。
「こうなってはオシマイです。旦那を呼びます!」
中村は、ロプトが自分達を見ていないことを確認してユリに手を伸ばした。
「ユリ、立てる?」
「うっ……」
肉が焦げた匂いがし、背中は赤黒い。見るからに痛そうで中村は顔をしかめた。しかし、ユリは目をぎゅっと瞑り、歯を食いしばって立ち上がる。
「はぁ……に、逃げ……」
空気が漏れるような、微かな声を振り絞る。中村は頷いて、ユリの腕に自分の腕を絡めるようにした。
「逃がすわけねぇだろ……」
ロプトがユリを睨んだ。
「ユリ、行こう」
地面を蹴り上げ、二人は飛躍した。
追おうとするロプトの肩に、グレィが噛み付く。でもそれは、少しの時間稼ぎにもならなかった。
気が付くと、ロプトも後ろを飛んできていた。
二人は遅い。このままでは追いつかれてしまう。
「……お姉ちゃん。いいよ。ユリはいつも、お姉ちゃんの為に戦って、お姉ちゃんの代わりに逃げてきたんだから……」
何を言っているのか分からなかった。
「だからね、いつものようにユリは……お姉ちゃんの役に立ちたいの……」
ユリが力なく微笑んだ。その微笑みを見て、悟る。何をしようとしているのかを。
絡めているユリの腕が、重くなったような気がした。
「だめ。ユリ――!」
ユリの腕が、するりと中村の腕から抜ける。
中村の頭の中は真っ白になり、耳鳴りがしてきている。声は聞こえなかった。が、確かにそう動いて見えた。"ばいばい"――と。
次の瞬間、世界は真っ白で何も見えなくなった。太陽がまるでそこにあるかのような、眩い光。遅れて、爆発音。空気が痺れるような衝撃。周囲が見えるようになるまで、長い時間が経ったように思われた。
ああ、だけど。
ロプトはそのままこちらに近づいて来ていて。ユリが落下していくのが見えた。
「ユリー!」
叫びは届かない。
「許せない。何で、皆、死ななきゃなんないの。私だけが。私だけが残されて……」
空に闇が渦巻いてきた。
「ああああぁぁぁぁ!」
怒り狂う叫びは、空から黒い雲が滝のように落ちてきてロプトを押しつぶす。ロプトそっちのけで、落ちていくユリの元へ向かう。空中でユリをキャッチして、ふわりと地面に降り立った。いつの間にか、黒い人影も逃げる客も見当たらない。
「あぁ、ユリ。……起きて。死なないで」
地面に寝かせると、ユリの首筋に触れる。
「嘘……ユリ……」
それ以上、言葉は続かず呆然としている。向こうから、アミが駆けてきた。腕にはボロボロのグレィを抱えている。
「グレィちゃんは大丈夫よ。知幸は――」
そこに一陣の風が吹く。
「遅かった……か?」
声のする方に、小林が立っていた。ロプトが転がっている方角を見据えて。ロプトはピクリとも動かず、死んでいると思われた。




