帰りたい
「お前の母親の知り合いだと言っただろ。俺もロディーに帰ってきてほしいと願う者の一人だ」
ロディーと、彼女のことを前世の名で呼ぶ。
「その呼び方、懐かしい。……もういい。あなたは助けてくれたもの。名前なんかどうだっていい」
ふんわりと笑う。その表情はもう中村知幸ではなく、光国の住人のものだ。
「あれから――両親が殺されてから、光国では何年経ったの」
彼女は今いる世界とあの世界とでは、時間の流れが違うことを知っていた。
「六年……だな。宮殿前ではずっと戦いが繰り広げられ、世界は混沌としている。皆は、お前が助けてくれることを待っている」
彼女は自分の使命を思い出した。母が殺されたので、次期女王はロディーなのだ。光国の女王はいつだって、国を守らなければならない。
「今はユリが女王代理としてやっているが、あいつもいっぱいいっぱいだ。助けてやれ」
彼女は静かに頷いた。
さぁ、あの世界へ帰ろう。
「ユリは今どこにいるの?」
「喫茶店だ。皆いるぞ」
「ねぇ、今更なんだけど、あの喫茶店って何なの。私がいる頃には無かったと思うんだけど」
「最近は異次元の世界に迷い込む奴が多いらしくてな。あっちとこっちを繋いで、案内所の役割をしてんだ。あの喫茶店は、あの場所に存在していて、存在していない」
最後の方で中村は、首を捻って固まった。
「本当は別次元にあるけど、視える奴には認識できて、店内にも入れる……あぁ、もういい。そんな顔するなら聞くな」
どういう顔かというと、炭をかじったような顔をしていた。中村は難しい話が嫌いらしい。
「まぁいいや。じゃ、喫茶店に行くから掴まって」
彼女は、勝ち誇ったような顔をして言った。小林は嫌そうな顔をする。
「それ、俺の真似じゃないよな?」
「早く」
ため息をついて、小林は彼女の肩に手を置いた。その瞬間、ぐにゃりと二人の体が歪む。次には、二人は喫茶店の前にいた。
「あれ、店内に移動しようと思ってたんだけど」
「それは出来ないんだよ」
小林はそう言うと、喫茶店の中へ入っていった。中村もそれに続く。
「お姉ちゃん!!」
彼女が足を踏み入れた途端、ユリの嬉しそうな叫びが店内に響いた。ユリとグレィはカウンターに座り、アミはカウンターの裏で紅茶を淹れている所だった。
「ユリ」
にっこり笑い、腕を広げる。その腕の中に、ユリは飛び込んだ。
「今までごめんね。お母さんとお父さんを守れなくてごめん。一人にしてごめん」
彼女のその言葉を聞くと、ユリは勢いよく顔を上げ、目を潤ませた。
「え……お姉ちゃん、記憶が……」
「思い出した」
ユリはお姉ちゃん、お姉ちゃんと言いながら、大粒の涙を零してまた抱きついた。彼女はユリの頭を撫でてやる。
「俺のおかげだな」
小林の言葉を聞くと、彼女は指差して反論した。
「違う! コイツ酷いんだよ、お母さん殺してどっかに消えちゃうんだもん!」
「俺はすぐそばにいたぞ! お前が親のことでいっぱいになって、見ようともしてなかったからじゃねぇか!」
「スミマセン、旦那がぁ」
グレィが彼女の前を、右往左往しながら謝った。グレィには笑顔を返し、小林には怒った顔を向ける。
「ダメですよ、コイツなんて言ったら。……殺すのはいけないことですけどね」
アミが注意して、中村をなだめる。
「前世が闇国の王妃だと知っていたら、助けに行こうなんて言わなかった。仕方ねぇだろ」
「どういうこと? なんで闇国の王妃が、お姉ちゃんの今のお母さんなの」
ユリは怒って小林に問う。
「……闇国のことは知らねぇが、余程恨みがあったらしいな。力が発現しないように呪っていたらしい。おかげで今まで闇国も光国も、コイツを見つけられなかったのは良かったのかも知れないが」
小林は、コイツと言う所で中村を顎でしゃくった。彼女は疲れ過ぎて、心を失っているが、これは重く受け止めなければならない事実だ。
「そんな……なんで、そこまでして……私達の代が闇国に狙われている訳が分からない。今まで、平和だったのに」
場は静まり返った。
「私が狙われている。あいつらは、私だけが欲しいと言ってたもの。……原因は私、だから、私が解決してみせる」
張り切った声で言うと、小林が耐えきれず吹き出した。
「……っは。お前急に人が変わったようにっ……くっ、ふっ……あんなにっ! 空を飛ぶなんか無理無理! とか言ってたのに」
「小林さん、本来ロディーは自信満々な子だったのよ」
アミが困った顔で言う。小林はアミの方を一瞬見ると、笑いを止めた。
「知ってる」
口を尖らせて言う。なんだか、不穏な空気だ。思えば、空を飛ぶ練習をしているときも、アミは小林を”困った顔”で見つめていた。二人は、仲が悪いのだろうか。
「なんで知ってるの」
ユリが聞く。
「リリーもそうだったからな」
――また出た。
リリー。中村の前世での母であり、女王。小林はリリーと知り合いで、彼女を助けているのだと言う。
「そっか」
ユリは納得して言うと、それきり黙った。母を思い出しているのだろうか。
「ユリ、ロディーに渡すものがあったでしょう」
アミが言うと、ユリがはっとして顔を上げた。
「そうだった! これ。執事の方がママから預かってたんだって。ユリのはネックレスだけど、お姉ちゃんのはママの手帳? かな」
ユリは襟からネックレスを引き出し、チェーンの先に付いた、水晶のような透明の石を見せた。そして、茶色い革の手帳を中村に差し出す。
彼女はゆっくりと手を伸ばし、それを受け取ると抱きしめた。
「お母さんから……」
これを残したということは、何か重要なことが書かれているのかもしれない。彼女は、手帳に巻いてある革紐を解くと、最初のページを開いた。
「ちょっと中を読んでみたんだけどね、ママの子供時代の物みたい。最初は普通の日記で……」
ユリがそう説明していると、小林が中村の手からひょいと手帳を奪った。戯れ合う二人を見ながらも、説明を続ける。
「あ、ちょっと……!」
「でも、途中から読めないの」
「読めないだと?」
小林は手帳を高く掲げて、中村が届かないようにしてからページをめくった。
最初は光国の文字なのだが、途中から直線的で乱雑に書かれた記号がずらりと並んでいる。この世界で言うところの、ルーン文字のようだ。だが、その形はアルファベットとは似ても似つかない。単純なように見えて、文字の種類が多いため難しそうである。
「なるほど。こりゃ、読めねぇな」
ふぅっと鼻でため息をつく。そして、中村に手帳を投げてよこした。
「調べたら、宮殿にある書物に載ってたんだけど、およそ三億年前の文字としか紹介されてなくて……」
「三億ゥ!?」
中村は素っ頓狂な声を上げる。地球で考えれば、恐竜がいる時代で、知性のある文明など存在しないのだ。
あの世界というものは、どれ程昔からあるのか、彼女は知らない。
「三億ねぇ……」
小林は中村の横から手帳を覗き込み、考える素振りをした。
「そういや、この文字、門に書いてある文字と同じだな」
「えっ! 本当?」
ユリは目を輝かせて、小林を見る。
「文字なんて書いてあったのね。知らなかったわ」
アミは関心するように言う。
「じゃあ、門に関する書物を探せば、何か分かるかも。ありがとう、小林さん。うわぁ〜こんなことなら、最初から小林さんに言ってみるんだったぁ!」
ユリは興奮して飛び跳ねながら、小林の手を握り、ぶんぶん振った。
「あー、ドウイタシマシテ。振動で酔いそうだから、もう手を離してくれ」
小林は言いながら、本当に具合悪そうに青ざめた顔になっていく。
「そうとなれば、早くアッチに戻らないと!」
ユリは、パッと手を振り離すと、中村の方に向き直った。小林はうぅとか呻いて、吐きそうに口元を抑えている。
「……そうだね」
小林の様子を見ながら、彼女は答えた。ユリはカウンター裏の奥にある、扉の前に早歩きで行くと、ドアノブに手を掛けてから動きを止めた。
「お姉ちゃんが扉を開けて!」
店内に向かって声を上げる。はいはいと言いながら、中村も扉の方に向かう。
グレィはカウンターから身を乗り出し、扉を見つめている。小林とアミは、遠目に見守っていた。
彼女がそこに行けば、全ての謎は、全ての問題は、解決するはずだ。光国を救う唯一の光が彼女であるのだ。
希望に満ちた扉を、ゆっくりと開いた――。
「……」
中村は口を薄く開けて、呆然とした。扉を開いている姿勢のまま、固まっている。
「そんな……」
ユリが絶望の呟きを口にした。
「どうしたの?」
アミの位置からは扉の向こうが見えず、不思議そうにそちらを眺めている。
「か、壁が……」
「え? 何?」
「だから、壁があって……」
気が動転しているようで、消え入るような声で中村は返した。ユリも言葉を失っている。
仕方なくアミは、扉の方へ近づいた。小林も扉を見に来る。
「な……」
アミは口を手で覆い、悲鳴ともとれる声を漏らす。
皆が見つめる、扉の向こう側は、真っ白なコンクリートの壁だった。
あの世界に繋がっていたはずだった。しかし、そこにあるのは冷たい只のコンクリートである。皆は声も出さず、絶望した。
「誰かっ、能力であの世界へ行けないの!?」
中村が焦って言うが、ユリとアミはうつ向いた。
「あの世界に行くのは簡単じゃないと言っただろ」
小林がため息混じりに言う。
次元を越える……。一体、あの世界はどこにあると言うのだろうか。今やあの世界はコンクリートになり、存在は見えない。いや、確かに在ったのだが、彼女はあの世界が今いる世界から見てどこにあるかなど、知らなかった。
「帰れなかったら……私はどうすればいいの?」
中村の問いに答える者は居なかった。




