帰還
「私達、用事を思い出したから、帰るわね」
申し訳なさそうにアミがこちらに来て言った。
「えっ、帰っちゃうの」
彼女はアミの腕をつかみ、引きとめようとした。優しいアミはこの練習中、暴走する小林を何度も「それはやりすぎではないでしょうか」と、止めてくれていたのだ。そんなアミがいなくなっては、小林に殺されかねない。
「お姉ちゃんに渡すものがあったんだけどね。長い間会えなくてどこにあるか思い出せないから、探さなくちゃいけないの」
ユリもこちらに来て言う。
「じゃあ、私も探すの手伝うよ」
「いや、それは……」
ユリが言葉に詰まり、アミの方を見た。
「こいつらの家は宮殿だ。宮殿は狙われてて、付近は戦闘中。そんなところに今お前が行くのは危険だ」
小林が言う。
「ユリたちは大丈夫なの?」
「私達は毎日帰ってるから慣れてるの。抜け道もあるしね」
「そうよ、そんなに心配そうな顔をしないで」
アミとユリはそう言い、「じゃあね」とユリが手を振る。そして二人で手を繋いでふわりと浮きあがった。シュンと音がして風が吹いたかと思えば、二人は消えていた。
感心して見ていると、小林がなるほどなと呟いた。小林も二人が消えた空を、見上げている。
「何がなるほどなんですか」
「いや、二人でなら出来るかと」
そう言うと、小林は彼女の手を握った。
中村の手は”空を飛ぶ練習”によって熱くなっていたが、小林の手は驚くほど冷たかった。手が冷たい人は心が優しいのだという迷信めいたものがあるが、この人は身も心も冷たいのだな。彼女はそんなことをぼうっと考えた。
「集中しろ。飛ぶことを考えるんだ」
言われて、目を閉じ、飛びたいと心の中で繰り返した。気のせいか体が軽くなってくる。
「いいぞ、その調子だ」
目を開けると、中村の体は浮いていた。先程までと違い、小林にぶら下がってはいなかった。驚き、隣を見る。小林はにこりともしなかったが、よくやったというように頷いた。
二人は片方の手を放し、空中を滑るように移動した。体験したことのない浮遊感。澄んだ空気の気持ちよさ。開放的な世界。
太陽の熱に焦がされていくことさえ、心地良かった。
「チサー!」
下でグレィが手を振っている。彼女はにこやかに手を振り返した。
「危なっ」
小林が叫び、中村の手を振りほどいた。何かが彼女の横をかすめる。振り返ると、小林が重そうなロケット型のものを抱えていた。
「クソッ、なんでここがバレたんだ!」
「どうしたの……」
「降りるぞっ」
彼女の手を引き、物凄いスピードで地面を目指す。その間に何回も背後で爆発音がした。どうやら攻撃されているらしい。
やっと地面に降り立つと、地が唸り声をあげた。
地響きがして、大地が激しく揺れる。
小林に引っ張られる。地面は割れ、危うく地底に落っこちるところだった。
「ありが……」
言いかけると、手で頭を地面に打ち付けられる。遠くで雷が落ちたような音がした。また地面が揺れる。
「痛……」
音がした方を見ると、あの大きな木が轟々(ごうごう)と燃えていた。こちらにまで熱風と焦げた匂いが来る。小林もしゃがんでいて、目の前のほうを、じっと睨んでいた。
「女王サマが戻ってくるとはなぁ……」
がはははは……男はガサツに笑っていた。どす、どす、どす。歩くたびに地面が悲鳴を上げている。二メートルもあろうかと思えるほどで、筋肉が盛り上がった身体がさらに男を巨大に見せていた。
風が吹き、小林がうめき声をあげた。
「ひっ」
中村が悲鳴をあげる。
髪の長い女が、小林の腕に食らいついていた。ぼさぼさの黒髪の隙間から、血走った瞳が覗く。
「ごめんねぇ。そいつ、狂ってるから」
「なぁ、グレィと逃げろ」
「えっ、でも」
まだ食らいついている女と、腕から滴り落ちる鮮血を見た。小林はもう片方の手で女の顔面を殴り始める。女はけらけら笑った。
「早く」
目の前が急に明るくなる。大地が燃えていた。それを見た瞬間、彼女は立ち上がり後ろの方におどおどしているグレィを見つけると走った。
「逃がすかぁあ!」
彼女の背後から、男が大声で叫んでいる。ここに来るときにくぐった扉が、宙に浮かんで現れた。グレィを抱き上げ、扉のドアノブに手を伸ばす。
「俺の相手をしろ」
振り返ると小林は女を踏みつけ、巨体の男の首を掴んで片手で持ち上げている所だった。炎は辺りを焼き尽くし始めている。赤く照らされた小林の怒りに燃えた横顔が、熱風で揺らいでいるのを見て、彼女は扉の向こうに逃げ込んだ。
「はぁ、はぁ……グレィッ、だい、じょ……ぶ?」
息も切れ切れに尋ねる。扉の前に崩れるように座り込んだ彼女は、グレィをぎゅっと抱きしめた。
「私は大丈夫でスよ」
「小林さん、はぁっ、はぁ……大丈夫かな」
扉の方を見つめる。扉は静かだが、その向こうは今も燃え続けていて、小林は戦っているはずなのだ。
――何も出来ないことが悔しい。
力があれば、あの狂った奴らから小林を助けたかった。今まで何となく、巻き込まれた身であったが、狙われているのは中村に他ならないのだ。自分だけが何も覚えていないが、原因は自分にあるらしいということは分かっている。
「旦那は強いから大丈夫です!」
グレィは自分のことのように、胸を張って言った。確かに最後に見たのは、あの二人を圧倒している姿だった。
「うん……」
言いながらも、不安はつのる。
もし、小林が負けて、死んでしまったら。あいつらが、扉をくぐってこれるのだとしたら。
「グレィ、ここから出たほうがいいと思う?」
グレィの潤んだ瞳を見つめる。
「旦那が帰ってくるまで待ちましょう。外には弱いけど、黒い奴らがいっぱいだから」
「そうだよね……」
中村は立ち上がり、きょろきょろしてコップを手に取る。水道水を汲むと、勢いよく飲み干した。何となく、二人は扉の前から動けないでいた。
どれくらいの静寂な時が流れたのだろう。
多分五分ほどだと思うのだが、中村にはもっとずっと長く感じられた。
……ガチャ……
音がして彼女は顔を上げた。
「旦那ぁ!」
大丈夫と言いながらも、心配していたのか、グレィは小林に飛びついた。
小林は、血だらけの左腕をかばい、灰だらけの重い身を横たわらせた。グレィを引き剥がす気力も無いらしい。
「小林さん!」
なだれ込むように寝転んでしまった、小林の肩に触れる。
「久々だったから」
弱々しく呟く。彼女が知っている、無愛想で強気な彼の姿はなかった。
「よかった……」
安堵のため息をつく。しかし、小林は彼女の頭をこつんと弱くたたいて、恨めしそうな顔で見つめる。「良くはない。俺はあの地を守りたかった」泣きそうな顔で言った。
「あそこはリリーと出会った場所なんだ」
また昔話かと思い、尋ねる。
「リリーって?」
「……お前の母親」
そう言う時の顔がなんとも優しくて。彼女はなんだか悔しくなった。
――私といる時はずっと真顔のくせに。
「俺を立たせろ」
満身創痍で何をしようというのだろうか。中村は、じっとしていた方がいいのではないかと思ったが、小林の言葉に従った。
重たい身体を支え、立たせていると、小林と目が合う。小林は、彼女の目を見据えて言った。
「お前の家族が危ない」




