大空へ
ガクンッと大きな衝撃があり、目を開けると、地面はまだ遠かったので下をぼうっと見つめていた。
「目ぇ閉じんなよぉ。練習にならないだろ」
真顔で小林が言う。まるで悪魔である。
そしてゆっくりと降下し、中村は地面に降り立つ。
「痛……うっ、ゔぇぇえ……」
地面に着地すると同時に、うずくまりフレンチトーストを吐いてしまった。左肩を押さえ、顔色は青い。綺麗な大地に、吐しゃ物は物凄くいけない気がして、中村は申し訳なく思った。
「汚ないなぁ」
蔑むように見て、眉をひそめる。
ユリとアミも降りてきて、中村のもとに駆け寄った。
「大丈夫?」
心配そうにアミが言って、小林に「やっぱりこのやり方は難しいんじゃないでしょうか」と言う。ユリは中村よりきつそうな顔をして、背中をさすっている。
「吐くとは思わなかった。でも危機感がないと、いつまでたっても飛べないかもしれないぞ」
「ち、違う……肩! 肩が! やばい!」
彼女は必死にそう訴えた。涙と鼻水で、顔はぐしゃぐしゃである。
「あ? 脱臼でもしたか?」
どれ、と小林はしゃがみ込み、中村の肩を掴む。ごきっとユリにもアミにも聞こえるくらい大きな音が聞こえた。彼女は声にならない叫びをあげ、小林をぼこぼこ殴った。
「酷い!」
それでも肩の痛みはマシになったようで、肩をさすりながらも落ち着いた。
「あんな高いとこから自然落下させておいて、手を引っ張ったら脱臼するに決まってる! 肋骨もおれたかもしんない!」
「あーうるさいうるさい。そんな吠えるな。脱臼だって治してやるし、肋骨くらい折れても大丈夫だ」
「そういうことじゃないッ!」
はぁはぁ言いながら言い返すも、小林は全てを受け流した。
「もっと低いところから落として、下に大きなクッションを敷いたらどうかしら」
アミが言う。中村は、それも嫌だなぁという顔。
「そしたらすぐ地面が来ると思うが……。ま、やってみるか!」
アミが頷き、両手を前に伸ばす。
すると目の前に、巨大な潰れたシャボン玉が現れた。そこにあった木と同じくらいで、比較が難しいが三階建てくらい大きかった。
これがクッションらしい。
吐いたのも涙もそのままに、彼女は小林に引きずられ立たされた。しくしく泣きながら上昇。叫んで下降。
「飛べるわけないじゃない!」
「そう思うから飛べないんだよ。いいか、お前には力がある。それを信じろ」
小林が真剣な顔つきで言うので、彼女はあぁ、この世界では常識が違うのだなと理解した。彼女が知っている科学や物理というものは、全く役に立たなかった。
シャボン玉は小林に引っ張られるより、ずっと安全だった。
何十回と落下を繰り返すと、慣れを通り越して楽しくなってくる。
「休憩するか」
小林は髪が額に張り付くほど、汗をかいていた。中村も同じだ。
二人は、肩で息をしてその場に寝転がった。中村が頭上を見ると、アミとユリが、退屈そうに座り込んでいる。
「あれ、グレィは?」
上半身を起こして、グレィを探す。
グレィは少し離れたところにいた。
「何やってるんだろう? ねぇ、小林さん」
「知らね」
相変わらず酷い。
爬虫類フェチになりかけている彼女は、小林にムッとした顔を向けてからグレィの方へ近づいた。小林は目も開けない。
「何してるの?」
グレィは必死に羽をばたつかせている。
「私も飛びタイのです! そしたら皆からバカにされなくなるから」
ふっと彼女の後ろに影が。
「じゃあグレィもコイツと練習だな」
「ハイッ!」
小林は優しく微笑んでいた。彼女はそれまで目にしなかった、小林の優しさに驚きを隠せない。
「そんな顔も出来るんだ」
彼女が言うと、小林は即いつもの仏頂面に戻る。
「うるさい」
そんな言葉も、彼女には照れ隠しにしか思えない。
パタパタ、パタパタ、飛ぶように羽を動かしながらグレィは歩く。二人はその後ろを付いていった。
「グレィは飛べないせいで今まで、散々な目に合ってきたんだ。生まれも掃き溜めみたいなところで……」
小林ははっとして、中村を見る。彼女は真面目な顔をして聞いていた。
「余計な話だった」
「意外と優しいんですね」
「優しいって言うな」
心底吐き気がする、というように顔をしかめる。彼女にとっては‘’優しい‘’は褒め言葉であったにも関わらず。
「休憩終わり! グレィも上から落としてやるぞ」
小林が大きな声で言った。少し前を歩いていたグレィは振り向き、ぽかんとした後に紫の顔を青くした。
小林はグレィの首根っこを掴んだ後、中村の腰に手を回し、二人を持ち上げた。
「あっ、ちょ、腰くすぐったい! やめ、離してっ……」
「私は地面から飛び立ちたいでスゥ〜」
「二人とも自分に甘すぎる。根性叩き直してやるよ」
小林は、生き生きしている。彼女がグレィの方をみると、つぶらな瞳から大粒の涙をぼろぼろ零していたので、可哀想に思った。
しかし、力が強すぎてその手からは逃れられない。どんどん上昇していく。
「せぇ〜のっ!」
それ、と二人は大空に投げ出された。
中村は何十回も同じことを繰り返した為に、慣れてきている。が、グレィは初めての空。空気抵抗も少ないその体が、今に飛ばされてどこかに行ってしまいそうだった。グレィはパニックになって、羽を開くことすら忘れてしまっている。
彼女は心配で心配で、グレィの方へ手を伸ばす。
「グレィー!」
声は届いていないようで、強く目をつぶったままだ。必死の思いでグレィの小さい手を掴む。しかし、落下速度は弱まらない。
――地面に落ちてしまう!
グレィのことに気を取られた為か、二人はかなり風で流されてしまっていた。クッションは二人よりずれた場所にある。
「助けてっ」
声は風に掻き消される。
しかしその瞬間、強風が二人の下から吹き上げた。身体がふわっと浮いたので彼女が目を開けると、風によってゆっくりと落ちるところだった。ふわり、と地面に降り立つ。
「あぁグレィ! 大丈夫だった!?」
彼女は、グレィを抱きしめて言った。
「死ぬかとオモッ……思いました」
「酷いよ! こんな小さいのに空に投げ出すなんて。助けてくれなかったら、二人共死んでたよ!」
小林が向こうから歩いてきた。
「俺は風を起こせなんて言ってない。飛べと言ったんだ」
「はっ?」
「風を起こしてグレィを助けたのはお前だよ」
面白くなさそうに小林が言った。
「じゃあ私、魔法使えたの?」
「……そうだな」
「やりましたね、チサ!」
グレィと中村は、目を輝かせて喜んだ。
「二人共、まだ終わりじゃねぇからな?」
感動的な達成感は、すぐに終わってしまった。
「グレィ、お前は地面で練習してろ」
さぁ、練習再開だ――。
あの世界の一日は、まだまだ終わらない。




