第32話 ラッキーカラーと3文字だけのショートメール
放課後。
グラウンドには運動部の様々な掛け声が響いている。春久は砂場の前でスパイクの紐を結んでいた。
「別所君は“左から”なのね」
そう話しかけてきたのは副部長の福浦だった。
「福浦副部長は“右から”ですか?」
「そうよ。私は右派。現行部員は庚クン以外、全員右派よ・・・・・・あっ! でも中里ちゃんは左派って言ってたわね」
“スパイクをどちらから履くか”
“紐の結び方”
陸上に限らず、スポーツに携わる人間は、スパイクやシューズの履き方に関して必ず拘りを持っている。
当然、履く順序を間違えてしまった時には、当たり前のように履き直しを行うし、靴紐の結び方のバランスが自分好みに決まった日などは練習のノリも変わってくる。まぁ、所謂ゲン担ぎの一種だ。
春久はスパイクを必ず左から履く“左派”だった。
野球部も練習をはじめたのか、金属バットにボールが当たる小気味良い音がグラウンドに聞こえて来る。
「そのスパイク、それに紐もあまり見かけない色合いね。」
春久の緑色のスパイクをしげしげと見つめる福浦。
「この色、左伊多津万色って言うらしいです」
「さいたま妻の色気?」
そんなアダルトな色のスパイクは恐らく存在しないだろう。
「……いえ、『左伊多津万色』です。虎杖の事みたいです」
「一応、捨て身のボケだったのよねぇ・・・・・・マジメに返されると悲しいわ」
福浦は赤らめた顔を両手でパタパタと扇いでいた。
「スイマセン」
「いいのよ。そんな所も別所君らしいわ。『イタドリ』って春になると田んぼに生えてくる草の事よね」
頭を下げる春久に照れ隠し代わりの苦笑いを見せる福浦。
「はい。虎に杖と書く『虎杖』です。その葉だか幹だかの色が『左伊多津万色』と言って、万葉集にもその名が出てくる色なんです」
全てはこのスパイクを買ってくれた姉からの受け売りだった。
「博学ねぇ。初めて聞いたわ、そんな色。虎かぁ……確かにスプリンターである別所君らしい選択ね」
福浦は、感心したように頷いていた。
「いや、そんな大げさなモノではなくて…… その、ラッキーカラーのひとつなんです」
照れ隠し代わりに早口に答える春久。
「・・・・・・ラッキー・・・・・・カラー?」
春久の言葉を聞いた福浦が目を丸くして、可笑しそうに口を押えて肩を震わし始めた。
「まさか別所の口から“ラッキーカラー”って言葉が聞けるとはなぁ」
いつの間に後ろにいたのか、3年の桜木も大きな身体を揺らしゲラゲラと笑い声を上げている。
「意外に可愛い所があるのね」
「お前、今のは少しズルいぞ! キュンとしちまったじゃねえか!」
「ギャップ萌えってやつ?」
同じく大笑いしている2年生たちの向うには、控えめに笑う中里の姿も見えた。
正直、春久は何がそんなに面白いのか全く分からない。
「いや、自分はホントの事を言っただけで・・・・・・」
先輩たちはまだ笑っていた。
「別所君って、さっきのやり取りもそうだけど、いつも真面目というか難しそうな顔していて、占いとか迷信、お化けや心霊、そう言ったモノと対極にいる男の子に見えるのよ。私なんて、別所君が“左派”だって答えた事すら驚いたもの」
ゴメンと謝る様に左手を軽く上げて、皆が笑った理由を教えてくれる福浦。
「そう言う意味の笑いなんですか・・・・・・」
皆に笑われたものの、不思議と不快感はなかった。
「まぁ、ラッキーカラーは兎も角、お前、中学の時も陸上やってたんなら、自前のウェアは持ってるだろ? そのナリだとスパイクが浮いちまってサマにならねえなぁ」
会話の流れを一旦堰き止めるように、3年の桜木が春久に尋ねてきた。
「ありますけど……」
練習の時にはウェアは自由にしていい。そんなニュアンスであるのは何となく理解できた。
「ウチには“1年は練習の時も学校指定のジャージ”なんて時代錯誤なルール無いわよ」
福浦も大きく頷いている。
「そうなんですか?」
言われれば、同じ1年の中里は、今も動物をあしらったロゴで有名なメーカーのウェアを着ている。
「庚君から聞いてないの? しっかりしているようで、その辺はズボラよねぇ。さくらが愚痴るのも分かる気がするわ。学校指定のジャージや体操着って、野暮ったい上に傷みやすいのよ。だから部活の時まで着ていると、かえって高くつくわよ。それに、そのスパイクに学校指定のジャージの組み合わせは、正直チョットないわね」
また、服装に関して女性からのダメ出し。
「教えて頂きありがとうございます。明日から中学の時に着ていたヤツで参加します」
春久は頭を掻きつつ、教えてくれた先輩たちに頭を下げた。
「どういたしまして。じゃあ、練習をはじめるわよ」
皆を代表するように、にこやかに笑いかけてくる福浦。
「あの・・・・・・福浦副部長、庚部長は?」
春久の背後からそう尋ねてきたのは、中里理穂子だった。
「・・・・・・美術室よ。一ノ瀬先生に呼び出されてね。庚君、芸術科目の選択が美術なのよ。すぐに来ると思うわ」
「アイツ、絵もスゲー上手いんだよなぁ」
福浦の返答に桜木が合いの手を入れた。
「そうですか」
お礼を言うようにお辞儀をする中里と、それを見つめ小さなため息をする福浦。
「よしっ! 別所、中里、今日はオレのアップに付き合ってもらうぞ!」
豪快な声と供に春久の頭をワシワシと擦る桜木。
「でも、桜木先輩の専門は砲丸ですよね・・・・・・」
春久は頭を擦られながら、上目で桜木に声を返す。
「投擲種目もアップはランニングとストレッチだから、お前らと変わらんよ。ただ、肩や後背筋、上腕についてはストレッチを念入りにやるから、お前らも経験して損は無いだろ?」
桜木は大きな笑い声と供に春久と中里にそう声を掛けていた。
「頼むわよ。桜木君」
後ろから福浦の声。気のせいか少し哀しげに感じた。
「まかせとけ! よーし! 俺の上腕二頭筋の美しさを別所にもたっぷりと見せてやるぞ」
ガッツポーズを見せて豪快に笑う桜木。その声は野太い割にやけに優しいものに聞こえた。
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「ハル、今日は月曜だが声楽部にも顔を出しておけ」
陸上部の練習を終えた春久にそう語りかけて来たのは、練習終了の40分前に漸く姿を見せた庚大介だった。
「どうかしたのか?」
余程怪訝な顔をしていたのだろう。庚が汗を拭いながら春久に尋ねて来た。
「いえ、少し考え事をしていただけです」
まさか昼休みの唐沢の言葉が気になり、今日だけは声楽部に顔を出す事が何となく嫌だったと言う訳にもいかず、春久は曖昧に頷いて見せた。
「……今から顔を出せば、良いものが見られるぞ。俺も行くからついて来いよ」
陸上部の先輩らに挨拶をしつつ、庚の後を追い、音楽室へと向かっていく。最終下校時刻が近い為か、文化部の生徒達が帰宅の為、西棟の階段を降りて来る。
「庚部長、良いモノって何ですか?」
階段を一段飛ばしで進んで行く庚に問いかける春久。
「ハルは声楽部の本格的な練習を見たことがないだろ?」
「はい」
言われてみればその通りだった。
「今の時間だと通しで課題曲を歌うのを聞けるはずだ。俺が言うのも何だが、なかなかのモノだぞ」
少し照れながらそう答える庚。
階段で4階まで上がり、音楽室手前の廊下を歩いていると、僅かに歌声が聞こえて来た。
「始まっちまってるか」
少し悔しそうにぼそりと呟いた庚が音楽室の扉に手を掛け、それをゆっくりと開いていく。聞えてきたのは、合唱コンクール課題曲「紅しらべ」
素直な歌声。それが春久の第一印象だった。
女性特有の澄んだソプラノには伸びがあり、そこに深く幅のあるアルトが調和している。また、ピアノによる伴奏も歌声を生かそうと押え気味に演奏しているのが伺える。
人数が少しさびしく見えるのは、反町がピアノ伴奏をしているため、宴台にいない事と1年生の姿が一祈しか見当たらないせいだろう。能見が休みなのは知っていたが、音楽室のどこを見ても瀬谷リリアの姿も見受ける事が出来なかった。
部屋の隅に座っていた井土ヶ谷順が後から来た2人の姿を認め、軽く会釈したうえ歩み寄ってきた。
楽曲は3番の大サビを終え、最終楽章に入っていた。
「別所、お前から見てどうだ? 」
正面を見据えたまま、静かに井土ヶ谷が尋ねてきた。
「どうだって、言われてもな・・・・・・」
春久は思わず言葉に詰まる。
「この中3人の中では、多分、別所が一番音楽に精通してるだろ?」
合唱が終盤を迎えるためか井土ヶ谷は声を相当押さえていた。
「精通って呼べるほどのモンじゃねえよ。それに井土ヶ谷だって、ベースが弾けるんじゃないのか?」
「オレのは文化祭限定のコピーバンドで独学なんだよ。お前と地金が違いすぎるよ」
少し嘘くさい。
特に根拠は無かったがそう思わせる何かがあった。
「オレのピアノも大して代わんねーよ。それより瀬谷は?」
「今日は急な家の用事が出来たとかで、部活は休みだってさ。姉貴の教室にまで来ての謝罪があったらしい」
家の事情なら詫びる必要などないとも思えるが、何とも律儀な瀬谷らしい行動に思え、春久は思わず笑みをこぼした。
「光景が思い浮かぶだろ? 別所!」
「ああ。瀬谷らしくて、何か良いよな」
井土ヶ谷弟も同じ事を思い浮かべたのだろう。クスリと小さな笑い声をあげる。
「二人とも、もう少し合唱をしっかりと聞けないのか? 」
ふたりのやり取りを聞いていた庚が静かに口を挟む。それと同時に軽いざわめき。どうやら練習が終わったらしい。
「別所君、私たちの合唱を初めて聞いた感想を聞きたいのだけど」
そう春久に尋ねてきたのは井土ヶ谷部長だ。その横には獅子ヶ谷副部長。庚に注意された所を見られていたようで、どうにもバツが悪いが、実は春久には気になる所が3点かあった。
その内の2点は全員が揃った状況下での合唱を聞いてみないと断言出来ない内容だ。が、残り1点は人数に関係なく断言ができる。
「自分は、先輩たちが合唱用の“笑顔”でない事に驚きました」
目を剥き、口角を上げて強引とも言える笑顔を作ったり、バタ臭いまでの感情表現を行う。それは合唱で良く見られる光景だ。
だが、今見た八千代部高校声楽部の合唱風景にソレは無く、寧ろ感情を抑えているように春久には見えた。
“よしっ!”
獅子ヶ谷副部長の口がそうにこやかに笑っている。
その後方では休憩の為、部員の殆どが水分補給を行う中、ピアノ伴奏担当の反町だけが指先を軽くマッサージしている姿が目に止まった。
「そこに気がついてもらえるのは嬉しいわ。別所君、キミが入部する時にチャレンジしたい事があるって言ったの覚えているかしら?」
一祈と供に合唱部に見学に来た日の事を言っているのだろう。
「はい。でもそれって、能美が作詞している自由曲の事じゃないんですか?」
「チャレンジしたい事はひとつではないんだな。ハルっち」
再度ニヤリと笑い春久の問いに答えたのは獅子ヶ谷副部長だ。
「さくらの言うとおりよ。ワタシたちがチャレンジしたい事のひとつは歌い方なのよ。もともと、頬の筋肉を持上げて目を見開いて歌うのは唄法はひとつに過ぎないの。つまりは通説。もっと言えば絶対的なものではないのよ」
「そうそう! 今は唄法も科学的に分析が進んでいるし、医学的な見解から今までの日本の唄法は間違っていたと唱える人も少なくないんだなぁ」
そう語る井土ヶ谷部長と獅子ヶ谷副部長の声には確かな熱量が宿っていた。
「旧態依然とした唄法に疑問を投げかけると言う事ですか?」
そうだとしたら確かに意欲的な取組だが、懇意的に摂らない人も多いはず。コンクールという場であれば尚更だ。
「根っこはそうね。でも最大の理由は課題曲、自由曲ともに情感を抑えて歌った方が魅力的で勝算が高いと判断したからなのよ。そして、それは楽曲の理解という側面からもワタシたちは正しいと思っているの」
自信も勝算もある。
井土ヶ谷部長と獅子ヶ谷副部長の表情はそう語っていた。
「唱法や戦略については、次のミーティングで詳しく話をするわ」
そこまで話すと井土ヶ谷部長は会話を切り、春久に静かに歩み寄ってきた。何かを察したのか獅子ヶ谷副部長もその後に続いていた。
「別所君、昨日は本当にごめんなさい。あなたと能美さんを危険な目に合せてしまったの私たちの判断の甘さだわ」
春久にそう深々と頭を下げる二人の声楽部3年生。
「やめてください。先輩たちが謝るなんておかしいです」
慌てて声を上げた為、他の部員の視線が春久に集まる。
「部を纏める者としてのけじめよ」
頭をゆっくりと上げたものの、2人は真剣な眼差しだった。
「わかりましたから、謝るのは止めてください・・・・・・だいたい悪いのはあのストーカー男なんですし、あの場にいたのが俺で良かったと思っている位ですし、それに・・・・・・」
目上であり、素直に尊敬しはじめていた先輩らに頭を下げられてしまい、シドロモドロになる春久。
「そのストーカー男の事で、今、噂になっている事があるんですけど、先輩たちは知ってますか?」
突然、そう声を挟んできたのは一祈だった。
「噂?」
井土ヶ谷部長が怪訝な表情を見せた。
「なになに? 教えて!!」
興味津々といったリアクションを見せたのは河野葵。
「あー!! もしかして例のヤツ?」
どうやら河野綾香も噂を聴いている様子だった。
「はい。SNSで出回ったストーカー男の顔写真を見た生徒の何人かが……
「大事な仲間が絡む事なんだぞ! その手の噂に乗っかるなんて、お前らしくもない! 」
少し興奮気味に語る一祈の言葉。そして、それを遮る春久の語気強い声。
部員たちが少し白んでいるのは、一祈に対してなのか自分に対してなのか。春久にはそれが分からなかった。
「……そのストーカーを学校で見かけた人が何人もいるって言う話でもダメなの?」
一祈は下唇を噛みしめていた。それは彼女が不機嫌になった時に見せるクセだった。
「えっ!?」
「なんだ、そりゃ?」
他の男性2人もその噂については、初めてて耳にした様だった。
押し黙ったまま、口を真一文字に結ぶ一祈。
「それ、噂じゃなくて真実よ」
一祈に庇うような視線を向け、そう語りかけてきたのは反町だった。
「・・・・・・どういう意味ですか? 」
春久は一祈に視線を向けたまま、反町に尋ねた。
「みんな学校の改修工事の案内は皆見たでしょ?」
一祈が“色酔い”を起こした告知広告の事だ。その場にいた全員が反町の言葉に頷いていた。
場の空気を変える重要な話。
反町の口調から、誰もがそれを理解していた。
だからこその沈黙。
だからこその静寂。
が、タイミングが悪い事にそれを壊すスマホのバイブ音。
その音は春久の胸元から発生していた。
「……スイマセン。メールです」
その場にいた全員を頭を下げつつ、電源を落とすために胸元からスマートフォンを取り出す。
“……けて”
スワイプしかけた指先から見える3つの文字。
指を止め、再度画面を確認する。
“助けて”
3文字だけのショートメール。
それは瀬谷リリアからの助けを求める知らせだった―――




