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たぶん、それは紅葉よりも赤い花  作者: 松乃木ふくろう
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第30話 デートスポットと少女の涙

早朝。

 色とりどりのトレーニングウェア着た10人ほどの生徒が廊下で息を弾ませている。グラウンド同様、屋内にも部ごとにナワバリの様なものがあり、陸上部は代々南棟1Fの廊下をバレー部と共有する形でウエイトトレーニングの場としていた。


 昔から地味なトレーニング程キツイと言われているが、今行っている庚が考え出した朝レン用の体幹レーニングが正にそれだ。

 両足の甲にティッシュを1枚づつ乗せたら、直立した状態で両手は頭の上で組む。これが基本姿勢だ。そこから背筋を伸ばしたまま、片方の腿を10秒かけ上げていき、床と腿が平行になったら、そこで10秒間静止させる。そして、やはり10秒をかけてゆっくりと足を下していく。これを左右交互に30回繰り返す。ポイントは、足の甲からティッシュを落とさない事。

 一見、何の負荷もかけていないように見えるこのトレーニングだが、筋力、体力には自身のある陸上部部員でも20回を越えたあたりから、汗が滲み出し、30回を迎える頃には息まで切れてくる。


「ぐへっ、オレやっぱこの「カノエ(スリー)」苦手だわ」

 30回目を終えた3年生部員・桜木さくらぎが廊下にしゃがみ込み不平を洩らした。

「ワタシは「カモイⅡ・改(ツー・カイ)」の方がイヤ。あれって殆ど拷問よ」

 笑いながら合いの手を入れたのは副部長の福浦だ。

 八千代部高校陸上部のウェイトトレーニングの名称には、それぞれ開発者の名前を冠するのが伝統で、遊び心にも溢れている。

 因みに『カモイ』とは庚より2代前の陸上部副部長の名前らしい。


「コレなんて『シシガヤ(さん)』って名前にしておけば、もう少し優しい感じになったんじゃね?」

「それだと、かのえクン、ソレしかヤラなくなるわよ。一途だから」

「それはそれでウザイいな」

 3年生部員の息のあったやり取りに汗を拭く春久にも思わず笑みがこぼれる。

「おまえらなぁ」

 息を弾ませながらも抗議する庚も楽しそうだった。



 ――― ハルがいてくれて良かったよ。

 朝、顔を合わし、庚が掛けてくれた第一声。


 人格者で声楽部の内情にも詳しい庚大介が今回の一件を咎めたり、興味本位で詳細を聞いてくる事が無いのは分かっていた。それでもTVや新聞でも取り上げられた昨日の出来事を廻りがどう見ているのかは、流石の春久でも気にならないはずは無かった。


 そんな思いの中での庚の言葉は、春久の気持ちを軽くしてくれた。タオルで汗を拭きつつ、その庚に視線を向けると、同じ1年の中里と視線がぶつかる。


「よし、朝レンはココまでだ。ハル、中里、掃除を頼むぞ。じゃあ、解散、また放課後な」

 朝レンを締める庚の言葉に、視線を前に戻すと春久は大きく返事をした。




 先輩たち全員が教室に向かった事を確認した後、春久は使った廊下を手持ちの雑巾で拭いていく。

 地味な作業だが、最下級生がやらねばならない大切な仕事のひとつだ。


「別所君、もう少し気をつけてもらわないと困るのよね」

 雑巾がけを続ける春久に怒気混じりで話しかけてきたのは、同じく雑巾がけをしていた中里理穂子だった。

「拭き残しは無いと思うんだけど・・・・・・」

 廊下は満遍なく拭いている。


「・・・・・・天然? それとも私をからかってるの?」

「からかう?」

 言っている事がまるで理解できなかった。


「声楽部の問題で陸上部まで巻き込まないで欲しいって事よ。トラブルを起こして陸上部が“活動停止”になんてなったら、私、許さないから」

 使った雑巾を濯ぎつつ、春久に強い言葉をぶつけてくる中里。関東大会の準決勝まで進んだ実績のあるランナーだ。大会に出れなくなるのが厭なのは、当たり前の話だろう。


「騒がせたのは申し訳ないとは思うけど、あの時の行動で活動停止にされるような事は無いよ」

「そんなのは分かっているわ! 私が言いたいのは陸上部部員としての自覚を持って欲しいと言う事!」

 中里は文句を言いつつも濯いだ雑巾を絞り、それをバケツの縁に架けはじめていた。捲り上げられたウェアーの袖から覗く前腕の細さと白さがやけに目に付いた。


「気をつけるようにするよ」

 何気ない出来事でもSNSで火が付き、ソレが思わぬ方向へと向かってしまう時代だ。確かに中里の言うとおり、行動には注意する事に越した事が無い。

 春久は首を縦に振るほか無かった。


 雑巾を洗い終えた春久も手を洗い、間食代わりに鞄に入れてあったカロリーメイトを1欠片、口にへと放り込む。口の中の唾液が一気に吸われて渇きを呼ぶが、それでも腹の足しにはなる。


 2欠片めを口に入れようかと思った時に、ふと感じた視線。


「食うか? 結構旨いぞ」

 視線の主、中里に春久はカロリーメイトの箱を差し出す。

「・・・・・・いらないわ」

 春久に背を向けるように視線をそらす中里。


「まぁ、いらねえンなら、それでいいけどさ」

 少し、勧め方の言葉のチョイスが良くなかったのかもしれない。春久はそんな事を考えながら、カロリーメイトを口に含みながら鞄を肩に掛けた。


「じゃあ、教室へ行きましょ」

 その中里の言葉に、春久は一瞬、“何で?”と返しそうになる。

 考えてみれば中里は部活だけではなく、クラスも同じ1-E組なのだ。同じ場所から同じ教室へ向かうのなら、今の中里の言葉は、結構自然な流れなのかもしれないと春久は妙な部分に感心していた。


「ありがとう」

 何故か返答がお礼となっていたが、言葉を受けた中里は特に気にした様子も無く歩き出す。



 生徒の下駄箱が設置されていない南棟は、始業間際のこの時間、人通りも少なく基本的には静かだ。

  そんな南棟の1Fの西階段に差しかかる手前で春久は不意に肩を掴まれた。


「何んだよ、いきな・・・・・・」

 しかし、春久の抗議の言葉は、中里の掌により塞がれていた。

「しっ!」

 ”静かにしろ!” という意味なのだろう。

 中里は右手で春久の口元を押えつつ、左手は人差し指だけを立てて、ソレを自分の唇に当てていた。そして、その視線の先には庚部長と声楽部副部長の獅子ヶ谷さくらの姿。


 玄関の隅、ちょうど死角になるような凹みの部分で、巾着のような包みを受け取っている庚大介。そして、やけに照れている獅子ヶ谷副部長。

 2人は小声で何やら会話を続けている。


「・・・・・・中央階段から回りましょ」

 邪魔をしてはいけないという中里の心遣いなのだろう。中里は足音を忍ばせるように踵を返していた。


「お弁当ね、アレ。朝レンがあるとお腹が早く空くから。部長、1限目の後にでも食べるのかしらね」

 中里の言葉は妙に淡々としていた。


「なるほどね・・・・・・差し入れか」

「それ以外に何があるのよ。それに、中央階段のあそこ、八千代部高校(ウチの高校)の隠れたデートスポットのひとつよ。西階段ってあまり使われないでしょ?」

 校内でのデートがどの様なモノなのかは春久には分かるはずもないが、言いたい事は何となく理解できた。

「“ひとつ”って、校内にデートスポットが幾つもあるのかよ?」

「興味あるの」

「ねえよ」

「でしょうね」

 そう笑う中里の微笑は何処か寂しげに見えた。


「獅子ヶ谷先輩、才女だから料理も上手なんだろうな・・・・・」

「才女? 獅子ヶ谷先輩が?」

 春久があげた驚きの声は中里の耳には届いていないようで、彼女はただ黙って中央階段を2階へと上り始めていた。




 ***********************************



「おっ! 有名人のお出ましじゃん!」

「今日は別の女連れての登場だよぉ」

 SHRの始まる前の教室に滑り込んだ春久に何処からとも無く掛かる悪意ある声。別の女とは朝レンを終えて、一緒に教室に入ってきた、隣の中里の事を指しているのだろう。


「今日は能美さんがお休みだから、かわりに2号さん? いや2号さんはA組の方だから、3号さんですかぁ? お盛んな事で」

 悪意に便乗する別の声とせせら笑い。学校に行けば、昨日の一件で冷やかしがある。そして、それは昨日の事件だけでなく、普段の自分自身の態度が起因している。


 だから、ある程度は覚悟していた。


 そして、一祈と幼馴染である事で、この手の事でからかわれる事には慣れていた。


「申し訳ない・・・・・・」

 春久は言葉短く返す。

「あっ!? なんだよ別所、もう《《バンザイ》》かよ」

 リーダー格の男がせせら笑う。


「いや、ホントに申し訳ないんだけどさ・・・・・・キミ、まず名前教えてくれる? 俺、人の行動を観察する趣味が無いから、《《自分に関係ないヤツ》》の名前は、すぐに忘れてしまうんだ」

 春久は澄まし顔でそう返す。 


 男の顔が見る間に赤く染まっていく。


「名前くらい知っておかないと、会話が成り立たないだろ? キミは俺に感心があるみたいだから名前も知っているようだけど、、俺はキミにまるで興味がないから、名前も分からないんだ。だから教えてくれる? 悪いね」

 春久は尚も煽る。


 自分は本当に捻くれていて、底意地が悪いと痛感するが、一祈や能美の事を2号、3号呼ばわりされて、それを聞き流すつもりはなかった。高校生にもなって、売り言葉に買い言葉の喧嘩もどうかと思ったが、もう後には引けない。


「てめえ、調子こいてんじゃねえぞ」

「そっちこそ下衆の勘ぐりは止めろ。女の子を2号、3号(愛人)呼ばわりするなんて、クズのする事だ」


 教室の空気が張り詰めた。


「・・・・・えっ!」

 誰かが小さな戸惑いの声をあげた。そして、教室に起こる小さなざわめきの波。みなの視線は春久の方向に向いていた。いや、正確には春久の隣に立つ中里理穂子に。


 春久が見上げるように覗いた中里理穂子の頬には一筋の涙。


「お、おい・・・・・・」

 からかいの声をあげた長本人がバツの悪そうに周りに助けを求める。

「だから止めようって言ったじゃん!」

 その男の隣にいた女子が目の前の男に怒り出した。

「泣くなんて卑怯じゃん」

 せせら笑っていた男が悪態を付く。声の強さが本音である事を現していた。


「サイテー」

 教室の何処からともなく聞えてきた別の声。

「理穂子泣かしておいて、卑怯ってマジありえないんだけど!」

 拍車を掛けようとする声が何処からともなく沸き上がる。


 気が強く、プライドも高そうな中里が人前で涙を流している事に皆が驚いているのだろう。


「アレっ? 何でだろ? みんなゴメン。なんか、泣けてきちゃって、気にしないで・・・・・・」

 中里はそう言葉を残すと教室を出て行ってしまった。パタパタと2,3人の女子生徒がその後を追う。


 静寂


 何ともいえない空気が教室の中を流れる。



「昨日の事で聞きたい事があるなら俺に直接聞きに来てくれ。くだらない噂話で、同じ部の人間が泣かされたりするのは、正直、ムカつくだけだ」

 春久は出来るだけ押え気味にそう告げると、ひとり静かに席に着いた。能美や一祈がこの場にいなかった事が救いだった。


「オレも声楽部だから、昨日の事は、多分、みんなより詳しく知っている。けして愉快な話じゃない。当人たちなら尚更だ。能美さんや別所だって下手すりゃ死んでいたかもしれないんだ・・・・・・別所も気持ちは分かるが、敢えて煽るような言葉は止めろ! みんな、お前と違って教室の空気が重いのを無視できるほど鈍感じゃないんだ! 」

 井土ヶ谷にしては、珍しく怒気の篭った声。

 いつも穏かな井土ヶ谷が怒りを表したためか、2人をからかっていたグループは肩を凋ませてしまった。


 多分、一番教室の空気を重くしたのは、井土ヶ谷だ。そして、それについては井土ヶ谷本人が一番自覚をしている。それでも敢えて言葉を飛ばし場を納めてしまった彼は強かとも言え、そして誰よりも愚直とも言えた。


 再び、訪れた沈黙。頭を冷やすにはいい沈黙。


 ”自分の言動に悔いは無い。だが、言動には必ずツケが来る。”

 春久は、とある小説の主人公が口にしたセリフを一人噛み締めながら、難しそうな顔をして天井を眺める井土ヶ谷の姿を見つめていた。


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