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たぶん、それは紅葉よりも赤い花  作者: 松乃木ふくろう
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第19話 低血圧とセミの声

「まだ寝ていたの?」


 電話口での反町の声がぼんやりとしか聞こえないのは、電波の調子が良くない訳でも、春久の耳が遠い訳でもなく、彼女の指摘どおり、今の今まで春久が寝ていた為だ。


「はぁ」

 欠伸ともため息とも取れる気の抜けた返事。ふと眺めた小学生時代から愛用している目覚まし時計が午前7時50分を指しているのが目に留まる。


「聞こえてる? 指の怪我の具合はどう?」

 心配してくれるのはありがたいが、反町の声はどうにも朝から圧力がある。そういえば、昨日の帰り間際全員と連絡先の交換をした事もぼんやりと思い出してきた。


「ありがとうございます。指は大丈夫です、多分。声も聞こえています、多分」

 ふて腐れ気味に答え、安眠妨害に対するささやかな抗議をしてみる。

「それは良かったわ。じゃ、本題ね。昨日話した通り歓迎会の買出しと飾りつけはアナタと2年の担当なんだから、待ち合わせには遅れないでよね。約束の場所と時間は覚えている?」

 こんなに朝早くから明確すぎるほどのハッキリした物言い。女性は総じて低血圧で朝が苦手だとモノの本に書いてあったが、どうやら反町は例外らしい。


「覚えてます。シティーモー○の入口に10時45分で良いんですよね?」

 春久は昨日の騒動が終わった後に聞いた“新入部員の歓迎会”について、まだ目覚めきっていない頭でぼんやりと思い出す。


「違うわよ。シティー○ールの“南入口前”に10時45分よ」

 修正が入った。


 とは言ってもシティーモールの北側は車専用の通用口であるため、人と待ち合わせとなると南口しかありえない。しかも、そこは広くもない入口であるため前も後ろもない。


「わざわざありがとうございます。こんなに朝早く、しかもわざわざ口頭で教えて頂いて」

「なにそれ嫌味? それとも皮肉?」

 どちらにしても良い風に解釈するつもりは無いらしい。


「反町先輩に朝から皮肉や嫌味を言える程の度胸を僕は持ち合わせていません」

 まだ、回転しきらない頭で春久は何とか言い訳を探す。

「まぁ、いいわ。今回は許してあげる。私もほんの少しだけ早く電話をしてしまったのは事実だから」

 更に小言を言われる事を覚悟していただけにありがたい話だ。


「電話については気にしないで下さい。僕もあと、ほんの少しだけ寝ていたかっただけですから」

「あんたねぇ」

「冗談です」

「・・・・・・」

 女性の無言ほど怖いものは無い。ましてや普段口数が多い女性なら尚の事だ。


「すいません。先輩に対してナマイキでした」


「・・・・・・」

 本気で怒らせてしまったのだろうか?


「反町先輩?」


「・・・・・・」

 いや、そんなに怒らなくてもいいと思う。


「むっちゃん? 聞いてますか?」

 アプローチを変えて、ピアノ教室に通っていた頃の呼び名で声を掛けてみる。


「・・・・・・」


 おかしい。


 彼女の性格なら何らかのリアクションがあるはずだ。春久の脳裏に無数の傷が付けられた一祈の写真が思い浮かぶ。よく耳を澄ますと、なにやら男性の声で英語のような言葉が聞えてくる。


「反町先輩、聞えてますか!」

 相変わらず電話口からは英語で話す男性の声。それにかすかに反町の苦しそうな声も聞こえてくる。


「先輩!」

 春久はベッドから、はね起きて声を荒げた。


「・・・・・・聞えてるわよ! そんな大きな声で叫ばなくても」

 電話口からの反町の声。


「何かあったんですか?急に静かになったからビックリして・・・・・・」

 かすかな笑い声も聞えてきた。


「ゴメンね、別所。今、家の近所のコンビニにいるんだけど、突然、外国の人、アジアのどこの人だろ? 道を聞かれたのよ。しかも英語で! それでビックリしちゃってさ」

 日本国内でアジアのどこかの人に英語で道を尋ねられた。それは驚きもするだろう。


「良かった・・・・・・」

 とにかく反町自身に問題は無いようだ。春久は安堵のため息をつく。

「良くないわよ! 道を聞かれてコッチは一生懸命頭を悩ましながらも英語で教えたのに、その人お礼も言わずに立ち去っていったんだから」

 反町の声が苦しそうに聞こえたのは悩みながらも英語で答えていた為か。何となく納得。


「失礼しちゃうでしょ。そんな出来事の何処が良かったのよ!」

 確かにその道を訪ねてきた人物は人間としてどうかとは思うが、良かったの意味が違う。


「いや、まぁ……そうですね」

 ここは変に言い繕わない方が得策だろう。

「それに、アンタの電話の声、全部じゃないけど漏れて聞えてたんだからね! 先輩であるアタシを“むっちゃん”呼ばわりしたでしょ!?」

 どうやら一部は聞えていたらしい。


「いや、あれはですね、その・・・・・・」

 適当な言い訳が見つからないのは寝起きのせいだけでは無さそうだ。


「分かっているとは思うけど、アナタも体育会系の人間なら上下関係はわきまえないとダメよ。只ですらナマイキなうえ、誤解を招きやすい性格をしてるんだから」

 言ってる事はごもっとも。

「はぁ、気をつけます」

 気の抜けた返事はいつもの事。


「分かれば良いわ。じゃ、約束には遅れないようにね……それとね」

 これ以上の小言は正直勘弁してもらいたい。

「何でしょうか?」

 おそるおそる尋ねる春久。


「……ありがと」

 そう短い言葉と共に切れた電話。


 何処かで気の早い事にセミの声が聞える。


 きっと彼らも毎年のように異常気象とがなり立てるワイドショーに騙されて起きる時間を間違えたのだろう。そう考えれば朝早くから連絡してくる反町の電話がモーニングコールであった休日の今日は、多分いい日なのだろう。 


 春久は昨晩巻いた指先の包帯を眺めた後、その右手だけを使いゆっくりと寝間着代わりに来ているTシャツを脱ぎ捨てた。

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