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たぶん、それは紅葉よりも赤い花  作者: 松乃木ふくろう
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第17話 事件の始まりと声楽部

「別所!オマエの携帯鳴ってるみたいだぞ」


 陸上部入部1日目の練習を終え、着替え始めていた春久に2年生の駒岡が声を掛けてきた。

「スイマセン。ありがとうございます」

 自分の携帯が鳴る事などあまり無い春久は慌てて、置いてあったデイバックの中からスマホを取り出す。


 発信者は“能美由香”となっていた。急ぎ画面をタップする。


「はい」


 緊張なのか部活の疲れなのか、春久にできた返答はそれだけだった。


「別所君? 学校にいるよね。直ぐに音楽室に来て! お願い」

 震えると言うよりは怯えた能美の声。何かがあった。それだけは理解が出来た。


「わかった」

 春久は短くそう答えると、そのまま全力で音楽室へ向かって駆け出した。グラウンドを横切る途中で野球部の2年生に声を掛けられた気もするが、それを無視してそのまま全力で走り抜けていく。

 西棟の裏口で靴を脱ぎ捨て、階段を2段飛ばしで一気に駆け上がる。3階から4階へ向かう階段の踊り場で、昨日見かけたハーフっぽい女子生徒とぶつかりそうになったが“ごめん”とだけ残して、そのまま勢いを殺さず階段を駆け上がる。


 そして息がはずむ中、音楽室の前まで来ると、そこには青ざめた一祈とそれを抱きしめる能美の姿があった。


「中に……音楽室のピアノ……」

 春久の姿を認めた能美が言葉少なめに語りかける。


「分かった」

 一祈を軽く視線の端でもう一度だけ確認し、春久は静かに頷いてみせる。


 そして、音楽室の分厚いドアの取っ手に手を掛け、春久はドアを押し開けた。


 ぱっと見た感じ音楽室はいつもと同じで、特に目立つ変化は無いように思える。能美の言葉を思い出し、春久は音楽室の一番奥にあるピアノの前にまで進んでいく。

 換気の為か窓は開いていた。その影響で野球部の練習の掛け声が妙にハッキリと聞えてくる。


 ゆっくりとピアノの正面に回りこむ。


 鍵盤の上には等間隔にならぶ8枚もの写真。


 それは井土ヶ谷部長、獅子ヶ谷副部長、反町、能美をはじめとする面々から始まり、昨日、音楽室で見かけた全部員分の8枚もの写真だった。そして、そこには昨日入部したばかりの一祈の写真までもがあった。

 皆、学校での制服姿が撮られており、それが額に収められ鍵盤の上に寝かせた状態で置かれている。しかし、なぜか一祈の写真のみ剥き出しのまま。そして、重し代わりなのだろう、その写真の角にはゼラムクリップが挟まれていた。

 更に近づき、その一祈の写真を見てみると、あちこちに無数の傷が付いていている事に気が付く。そしてその細かい傷は特に顔の部分に集中している。カッターのような鋭利な刃物でつけられた傷跡だ。


 春久の奥歯がひとつ鳴る。


 “歪”


 今朝の庚の言葉が春久の脳裏をよぎる。


「ハルっ!」

 ふと、写真に手を伸ばそうとしたその瞬間、自分を呼ぶ声。同時に春久は我に返る。

「また、なにかあったのか?」

 声の方向、音楽室の入口の方に視線を向ける。そこにいたのは、庚大介かのえだいすけだ。

 春久は視線は写真に向けたまま静かに頷いて見せた。

「お前が西棟の方へスゴイ速さで駆け出すのが見えてな。もしかしてと思っ……」

 歩きながら春久の隣まで来た庚の言葉がそこで止まる。


「井土ヶ谷とさくらは?」

 鍵盤の上の写真に目を落としたままの庚の声は、いつもよりトーンが1つ低い。


「もう来る頃だと思います」

 音楽室の時計の針は12:20分をさしていた。


「廊下の2人からも連絡は行っていると思うが、念のため俺からも2人には連絡をしておく、お前は外の部員を中に入れて、廻りに気がづかれないようにしろ。あと、井土ヶ谷の弟にも直ぐ来るように連絡を入れておけ」

 庚が目を細め春久に指示を飛ばす。


「はい」

 意図する事は分からないが、状況から考えて今は従うの方が無難だ。


 春久がピアノの前から離れようとすると、ちょうど音楽室入口の扉が開いた。入って来たのは、1.2年生部員、そしてその一番後方には反町に連れられる様な能美と一祈の姿もあった。


「少し早く出てきてみれば、また、な……」

 肩を怒らせるようにしてピアノの前まで来た反町も庚同様、写真を見た瞬間に言葉を失った。そして、その顔を見る間に怒りで赤く染めていく。


「なにこれ! 酷い! 酷すぎるわ! 絶対に許せない!!! 和泉、気にしちゃダメよ。誰よこんな真似したの! 別所、あんたも何してんのよ、ボーっとしてないで側にいてあげなさい。コレ、命令だからね!!! 私は先生呼んでくるから」

 えらい剣幕で捲し立てる反町。こんな時に変な話だが春久は昨日、母が情熱的なピアノの演奏が出来ると反町を評価していた事が少しだけ分かる気がした。


「職員室はダメだ」

 そう冷静な声で反町を制したのは庚だった。

「はぁ? なに言ってるんですか庚先輩! こんな悪意に満ちた事されて、今までのも最低な行為ですけど、今回のは質が違います。いくら、さくら副部長の彼氏であってもコレは譲れません。アタシは職員室に行きます」

 反町の語気は凄まじい。まさに食って掛る勢いだ。


「質が異なるからこそ行かないで欲しいんだ」

 酷くゆっくりしたトーンに静かな視線。それには相手を冷静にさせる意図が感じられた。


「意味が解りません!」

 反町はそんな庚に苛立ちすら覚えているようだった。


「声学部が大会に出れなくなる可能性があるからだと思います。反町先輩」

 春久は目を伏せるようにゆっくりとそう告げた。庚を除く全員の視線が春久に集まる。


「それどう言う意味? 別所くん」

 そう春久に問いただしたのは、髪が銀に近い青色の女の子。瞳の色も天然のグレー。おそらくは昨日聞いたクォーターの一年生なのだろう。確か名前は瀬谷リリアと言ったはずだ。


 春久が目線だけを庚に送る。


 ――沈黙


「ハル、お前の考えを言ってみろ」

 しばらくの間の後、庚が静かにそう呟く。


「はい。自分の聞いた限り、今までのトラブルも確かに変質的です。恐らく井土ヶ谷部長の報告で学校側も変質的な行動である事くらいは理解していた筈です。ただ、悪意は低いと考えて様子を見ていたと言うか、対策を練っていた最中だと思うんです。更に言えば生徒には内緒で警察にも相談はしているハズ………それで今回はコレです。誰が見ても悪意だけしかありません。きっと学校も無用なトラブルを避けるために明確に動きます。一番手っ取り早い対応策が……」

 春久はそこからの言葉を躊躇したが、その場にいる全員がそこから先の言葉は理解しているようだった。


「ハルの言うとおりだ。部の活動を停止してしまえば、リスクは下がる。そしてそれが初動としては一番シンプルで効果的な手段だ。多分、判断としても正しい。だからこそ井土ヶ谷やさく……獅子ヶ谷(ししがや)が来るのを待って全員で相談の上、判断した方が後悔も少なくなる。キミらは今年、本気で全国を狙っているんだろ?」


 庚は続けた。


「それにな、俺たち3年は今年が最後なんだ。勝手な物言いかもしれないが、獅子ヶ谷には後悔の無い1年を送らせてやりたい」

 全く照れの無いその言葉に当てられたのか、音楽室の中はしんと静まり返ってしまった。



「おい! そんな静まり返るなよ」

 庚が少し照れたようにみんなを見回す。


「さすがにそこまで惚気られると……ねぇ」

 反町が隣にいる目鏡の2年生と目線を合わせながらポツリと声を上げた。

「うん。でも、いいよねぇ。あたしもカレシ欲しいなぁ」

 呼応した眼鏡の2年生。


「2人共彼女が絡むから真剣だもんねぇ」

 制服の胸の部分が窮屈そうにさえ見えるスタイルの良いもう一人の2年生が悪戯っぽく微笑んで春久を見つめる。


「わたし、階段あけ上がっていく別所君見たけど、スゴイ真剣な顔してたもん」

 クォーターの一年生、瀬谷が拍車を掛ける。

「さくら先輩も睦美むつみもいいなぁ」

 先ほどの眼鏡の2年生のポツリとした言葉。


「えっ!! なんで睦美!? 裏サイトの“別所君は和泉と付き合ってる”情報は実はガセで、能美と付き合ってると考えるのが自然だって、昨日、あおい言ってたじゃん!!」

 驚いたような声を上げたのはスタイルの良い2年生。


「違うよ綾香あやか! それを言ってたのは瀬谷だよ。実は別所君の初恋の女の子は睦美で……それで、えっーと……」

 反論しているのは眼鏡の2年生。話からすると眼鏡の先輩が葵と言う名前で、スタイルの良い2年生は綾香と言うらしい。


 しかし、たった昨日一日で、どうしたらこんな拗れた話になるのだろう。春久は思わず頭を抱えた。


「綾香! 葵! あんたたち変な噂流さないでよ!」

 反町が顔を真っ赤にして反論し始めた。


 こうして見ると確かにみんな個性的で魅力に溢れている。井土ヶ谷部長が言っていたキレイどころが多いというのも、あながち大げさではない。


「俺は誰とも付き合っちゃいませんし、と言うより彼女なんて持った経験ありません」

 春久は誰に話すわけでもなく一人そうもらす。そうでも言わなければ、この空気に耐える事が出来ない。


「そうなのか?」

 その言葉に反応したのは意外な事に庚だった。

「……はい」

 こんな大勢の前での公開自白は拷問にも近い。そもそも大会に参加できなくなるかもしれないと言う時にする話題では無いはずだ。


「それより反町先輩、飾ってある写真、声学部全員ですよね?」

 少しだけ和んだ空気を壊す事を承知で春久は尋ねた。

「全員ではないわ」

 反町は即答だった。彼女の顔はまだ赤いままだ。


「えっ!? でも写真8枚ありますよ」

「ウチの部員数は10人だから2枚足りないわね」

「10? でも昨日、井土ヶ谷部長が漸く8名集まったって言ってませんでしたっけ?」

 つまりは、写真にはない部員がいるという事になるのだろうか。


「ウチの部員数は昨日入部してくれた期待の星、和泉を入れて10名よ」

 その言葉は春久に向けてと言うよりは、どちらかと言うとさっきから言葉を失くしている一祈に向けての励ましのようにも思えた。


「ここに写真が並んでいない人間がいるんですね?」

 春久は反町に尋ねる。

「そうなるわね」

 反町の物言いには含みがある。

「あとの2人って誰なんです?」

 焦らす様な物言いに春久の語尾が少しだけ強まる。


「そのうち1人は少し生意気で、スカしていてそれに、うーん……」

 反町は考え込むように天井を睨んでいる。

「反町先輩! あと変に生真面目で、一見、怖そうに見えますけど結構照れ屋さんですよ」

 なぜか能美が割って入ってきた。

「そうみたいね」

 反町はなぜか楽しそうだ。


「それに冗談が通じない上にぶっきらぼうですね。ホントはすごく繊細で優しいのにわざと誤解されるように振る舞っているフシがあります」

 今まで落ち込んでいた一祈がぼそりと呟く。一祈が人前で特定の人物について、ネガティブな事を語るのを春久は初めて聞く気がした。


 ココまで聞いている限り、めんどくさそうな性格で関わりたくない人物に思える。


「わかる、わかるぅ!! そんな感じするなぁ。ウチのクラスでも“マジでよく分からない子”って噂になってた!!」

 合いの手を入れたのは一年生の瀬谷だ。


「それにファッションセンスもイマイチだし」

 一祈が更に繋ぐ

「髪型もあまり気にしてないよね。“適当でイイや”って感じで、寝癖とか付いてる時も多いよね」

 能美は何故か笑いを堪えるように話している。


「でもでもぉ、意外にマニアックなモテ方しそう」

 満面の笑みで話しに乗っかってきたのは葵と呼ばれていた眼鏡の上級生。

「言えてるっ!」

 同意を示したのは先ほどから合いの手を絶妙な間で打ってくる綾香だ。


「マニア好みねぇ。そうかもな。顔立ちも何気に整っているし、運動神経はかなり良いうえ、勉強もそれなりに出来ると聞いている。あと、困っている人がいると、自分の荷物を置いたまま慌てて助けに行く位のお人良しでもある。確かに誤解を受けるタイプではあるが、まぁ、隠れファン位はいそうだな」

 締めとばかりに庚までもが感想を述べた。


 どうやらみんな知己らしい。

 全員の話を総合すると、素直になりきれない捻くれ者で、はっきり言って春久のキライなタイプだ。


「こう言ってはなんですが、可愛げがない人物のように聞えますね」

 春久は遠慮がちに意見を述べた。


 途端、音楽室全体に大きな笑い声が響き渡った。


 その場にいる春久以外、全員が声を上げて笑っている。2年生トリオなど涙まで流している始末だ。


 何が起きているのか全く分からない春久の肩を庚が軽く叩いた。


「お前の事だぞ? ハル」


「ホント、昔から変わらないわね。ハル坊のまんま。昨日、あなたと部長の弟さんも入部の意思を示したでしょ?」

 庚と反町の言葉を聞き春久は漸く理解した。


「ゴメン! ふざけちゃった」

 一祈は手を合わせて謝っているが、笑いを抑える事は出来ていない。

「別所君、ゴメンね。でもやっぱり面白い」

 能美は目に涙を浮かべつつ、笑いを抑えていた。


「ひでぇなぁ」

 春久はそう洩らしたものの、不思議と怒りの様なものはなく、逆にあんな写真を見た直後の一祈や能美の気持ちが一瞬でも和むのであれば、それはそれで良いと思えていた。


 音楽室に笑い声が残る中、不意に入口の扉が開く。


「どうしたの? またトラブルだと聞いて飛んできたのにコレはどういう事?」

 息を切らせて音楽の入口に並んでいる井土ヶ谷部長とさくら副部長が、今の和やかな雰囲気に目を丸くして驚きの表情を浮かべていた。よく見ると後には井土ヶ谷弟の姿もある。


「桂子部長、実は……」

 状況説明を始める反町の声を耳で捉えつつ、春久は視線を一祈に移す。やはり表情には、まだ影がある。


 春久の奥歯がまたひとつだけ鳴った。


 窓からは相変わらず、野球部の掛け声が聞えてくる。ふと、昨日一祈がマネージャーに勧誘されていた事を思い出す。


「なるほど。ありがとう睦美。おおよその経緯は分かったわ。それで、その写真がコレね」

 気が付くと部員全員がピアノの前で鍵盤を、いや、例の写真を取り囲むかのように集まっていた。自然と春久はそれに取り囲まれる形となる。庚の横にはいつの間にか獅子ヶ谷副部長がちょこんと立っている。その姿があまりにも可愛らしく、何となく春久は顔の端に笑みがこぼれる。


「どうしたの別所クン?」

 井土ヶ谷部長が不思議そうな顔で春久に声を掛けつつ、飾られていた自身の写真に手を伸ばす。同じように全員が写真に手を伸ばそうとしていた。


 刹那、開いている窓から一陣の風。


 その風に当てられ、唯一額に納められていなかった一祈の写真がほんの少しだけ浮きあがる。反射的に写真を掴む春久。同時に指先に鋭い痛みが走る――


「触るな!」


 春久は咄嗟に大きな声を上げた。それがあまりにも強い口調の為か、側にいた能美が小さな悲鳴をあげる。


 同時に春久に集まる全員の視線。


 白と黒のコントラストを描く鍵盤の上に滴る赤。

 その赤は春久の指先から流れ落ちている血の色だった――


 今度は大きな悲鳴。


「ハル!」

「別所!」

 ほぼ同時に居合わせた男性2人からも声があがる。


「……くそっ! カミソリだ! 写真の裏側に仕込まれている。庚部長、井土ヶ谷、他の写真とピアノ、あと音楽室を直ぐに点検しないと!」

 右手の薬指と中指を左手で抑え、鋭い痛みに堪えながら訴える春久。


「ハルちゃん!!」

 声と同時に一祈が駈け寄り、ハンカチで包むように春久の指を押さえ始めた。

「一祈、手を離せ! オマエに血が付く!」

 鉄の匂いにが鼻をつき、脈動に併せてジンジンとした痛みが指先に走る。

「いいから! 取り合えずこのハンカチで縛って止血するよ!」

 反論を許さない程の一祈の強い口調。


「直ぐに保健室に!」

 能美も声を上げ春久の左袖を掴む。

「ダメだ! この傷の原因を聞かれる」

 下手をすれば休部どころでは済まなくなる。そんな言葉を飲み込んだ春久の口調は女性に対しての物言いにしてはかなり強いものになっていた。

「何を言ってるの別所君!! 血が出てるのよ!」

 能美も聞いた事のない程の大きな声をあげる。

「今は騒ぎを大きくするべきじゃない!」

 痛みに対する苛立ちか、それともこんな行為をした人物に対する怒りか春久の口調は尚も強くなる。

「こんな時にまでカッコつけないで!」

 能美も反論を許さないとばかり強い視線をぶつけてくる。いつも穏かな能美が強く大きな声を上げたためか、視線が二人に集中する。



 静寂が流れた。


 野球部の掛け声に混ざり、かすかにバスケットボールの弾む音も聞こえてきた。



「ひとまずは別所の言っている事の方が正しいかもしれない」

 静寂を破った穏やかで確かな声。その声は井土ヶ谷弟のモノだった。


「ちょっとシャレになってない」

 その声の方向を振り向くと、姉の写真が入った額をハンカチで包むようにして摘み上げる井土ヶ谷弟の姿があった。


「おいっ! まさか……」

 庚が珍しく慌てた声を出し、ジャージの裾を器用に使い獅子ヶ谷副部長の写真の入った額を持上げる。

「ふざけやがって!」

 額の裏顔を見るなり声を上げた庚が、同じ要領で次々に写真をひっくり返していく。


 春久も右手は一祈に預けたまま、左手のジャージの袖を使い能美の写真を摘みあげ、裏面を覗く。

 そこには一祈の写真同様、額の四辺に隠れるようにしてキレイにカミソリの刃が仕込まれていた。


「マジ!?」

「全員のに仕掛けられてるの?」

「やだ……」

 一気に部員に動揺が走る。


「みんな落ち着いて!」

 井土ヶ谷部長の声が飛ぶ。


「ハル、傷はどうだ?」

 春久を気遣う庚の声。結局カミソリの刃は全ての写真に仕込まれており、一祈に対する嫌がらせかだけかと考えていた当初より事態は深刻だった。

「強めに押さえておけば、なんとか」

 とは言うものの一祈が縛り上げてくれた白いハンカチは既に赤く染まっており、傷口はかなり痛む。

「もう少しだけ我慢してくれ。どうする? 井土ヶ谷、さくら。事が事だけに報告をすれば、まず部の活動は何らかの理由を付けられて最低でもしばらくは活動停止になると思う」


「考えるまでもない報告に行くわ。部員の安全が第一よ!」

 その言葉に迷いはない。

「そうだよね」

 獅子ヶ谷副部長も同意の意思を示していた。


「……そうか」

 少し口惜しそうに庚がそう呟く。


「私たちは職員室に行って来る。みんなはその間ココで控えていて。別所クンは直ぐに保健室に行きなさい。睦美、アナタが別所君に付き添ってあげて」

 井土ヶ谷部長はそう残し、獅子ヶ谷副部長と2.3言葉を交わしながら歩き出した。


「姉さん、少し待ってくれない?」

 そう声を上げたのは井土ヶ谷弟だった。全員の視線が自然と井土ヶ谷弟に集まる。

「どうしたの順?」

 立ち止まった井土ヶ谷部長が弟に視線を投げかけた。


「いま職員室へ行けば間違いなく、部の活動は停止させられる。それは相手の思う壺だと思う」

 井土ヶ谷弟は何処か確信めいていた。

「思う壺? どういう意味、順」

 音楽室内に小さなどよめきが走る。


「一連の嫌がらせは、部の活動停止することやモチベーションを落とす事……もっと言えば、部員を消耗させる事。最終には大会で失敗をさせる、もしくは大会そのものに出場させない。そのあたりが狙いに見えるんだよ」

 少し冷たさすら感じる井土ヶ谷の落ち着いた声が音楽室内に響く。


「それって、どういう意味?」

 獅子ヶ谷副部長はその場にいる全員の声を代弁していた。


「言葉の通りです獅子ヶ谷先輩。廃部を狙うのならもっと、あからさまな手を使えたはずですし、これまでの事を考えると部員の特定の誰かがターゲットでないのも明らかだと思います」

 確かに一連の流れを見るに井土ヶ谷の言う事に間違いはないように思える。


「なるほどな。 特定の人間をターゲットにしているとしたら、もっと直接的なアプローチをしている気もするな」

 庚は感心したように頷いていた。


「庚先輩の言うとおりです。嫌がらせのやり方もわざとストーカーチックと言うか、変質者を装っている風にしか見えない」

 井土ヶ谷弟の言葉は続いた。

「さらに自分が引っかかっていたのは、初期に嫌がらせを受けた人たちの特性なんです」


「特性?」

 春久は思わず言葉を挟んだ。


「別所、最初に嫌がらせを受けたのは声楽部でピアノを弾ける唯一の人材の反町先輩だ」

 視線だけを反町に向けながら井土ヶ谷弟はそう返す。


 井土ヶ谷弟の言葉は尚も続く。


「その人が辞めるなりモチベーションが下がるとなれば、どうなると思う?」

 春久は思わず唾を飲み込む。

「部は大打撃ね」

 そう答えたのは反町の横に立っていた綾香だ。

「次に副部長」

 井土ヶ谷弟はその言葉に軽く頷き獅子ヶ谷副部長を見つめた。

「さくら副部長はアルトパートが歌える希少な人材。やはりいなければ合唱が成り立たなくなる」

 眼鏡の2年生葵がそう呟く。

「次に姉さん。部長である姉さんは全員のまとめ役……言うまでもないよね」

 その場にいる全員が軽く頷いていた。庚同様に求心力が高いリーダーである事が覗える。


「そして、大会の出場最低要件は歌唱7名、伴奏兼歌唱1名の計8名。その最後のピースを充たしてしまった和泉さん。いや、今回の剃刀付き写真は誰でもいいって感じなのかも……」

 きっと同じ内容でも春久が口にしたのなら、もっと説得力に欠けていた。そんな気がするほど井土ヶ谷の言葉は整理されたモノだった。


「ただオレにも、能美さんについては、なぜ個別のターゲットにされたのかは、分からないんだ」

 井土ヶ谷弟はそう言いながら軽く息をついた。


「理由はあるわ」

 事も無げに返す姉。

「うん」

 獅子ヶ谷副部長もあっさりと頷く。

「確かに」

 反町も同様だった。


「昨日入部したばかりの3人には知らなくて当然だけど、能美さんは自由曲の作詞担当者なのよ」

 ゆっくりと語る部長の表情には、何処か諦めの様なものが漂っていた。

「えっ!」

 驚きの声を上げる一祈。


「“キミノミタソラ”に詩をあてるのが能美ということですか?」

 春久が返す。

「さすが冬美子先生の息子ね。もうそこまで調べているなんて……」

 反町は本気で関心している様子だった。

「いえ、僕もまだ詳しくは……それって、いつ決まったんですか?」

 たまたま知ったに過ぎない春久は部長に先を促した。


「決まったのはGW明けね。GW前日までに声楽部全員が1人1作“キミノミタソラ”の作詞を行ったの。そして、それを無記名で私のインスタに投稿して貰ったわ。そしてGW中に部員全員が全作品を読み込んで、一番良いと思った詩を選んで投票して貰ったの。その結果選ばれたのが能美さんの詩だった。誤解のないように言うけど、私のインスタは承認を受けない限り覗く事はできないように設定してあるからから、部員意外は覗く事は出来ないはずよ」

 なるほど。公平かつ誰もが気兼ねなく参加できる手法だ。


「そして選ばれたのが由香っちの詩だった。3番の歌詞の一部が未完成だったにも関わらず、本人以外の全票を集めるほどの詩だったんだよっ」

 能美を優しそうに見つめながらそう語る獅子ヶ谷副部長。

「未完成?」

 その発言に反応したのは庚だ。

「まだ、最後の大サビの部分の歌詞に合う言葉が見つからないんです」

 申し訳なさそうに視線を下げる能美。


「つまりは完成させない事が狙いなのか? すげームカつくやり方だな」

 春久は吐き捨てる様に言い放つ。その言葉の強さに驚いたのか獅子ヶ谷副部長の肩が少し揺れた。


「作詞の件はどの位の人間が知っていたんだ?」

 会話の流れを戻すように合いの手。声の主は庚だ。


「詩の内容までは兎も角、能美さんが作詞をする事になった事は知っている人はいたと思うわ。そもそも隠していた訳では無いし、顧問の三木先生にも進捗報告は入れたわ。職員室内でも話題になっているって先生方が話しているのを聞いた事もあるし、それに、先週の文科系の部長会でも何人かに話をしたわ」

 そう答えたのは井土ヶ谷部長だった。


 自分が入部してたった1日だが、女子とは、色んな噂が凄まじい速さで形を変えながら伝播すると言う事を春久は身を持って知っていた。


「わたしもクラスの何人かに話したよ。だから能美が担当になった事くらいは知っていた人間は結構いたんじゃないかな?」

「うん、あたしなんて詩が良すぎるから思わずインスタに上げたくなったくらいだもん」

 2年生部員からも同様の声があがる。


「つまりは能美が狙われたのも必然性があった、と言う事になるのか」

 春久の言葉に井土ヶ谷弟が軽く頷く。

「その通りだよ、別所。 だからオレは部の行動の阻害そのものが目的だと思えてならないんだ。だからこそ相手の思惑に嵌るのはどうかともね……まぁ、正直に言えば相手の思惑通りに事が進んでいる様でオレはそれが何より気に入らない」

 意外に負けず嫌いな一面を見せる井土ヶ谷。


「でも、やり口が明らかにエスカレートしているのも事実よ。確かに順の言うとおり、相手は狙いは部員の誰かというよりは、大会出場の妨害と取れない事もないけど、それでも部員が危険である事に変わりはないでしょ? だからワタシの考えは変わらないわ。行くわよ、さくら」

 部長は踵を返すように再び歩き出す。


「待ってください! 桂子部長」

 再び部長の足を止めさせたのは反町だった。

「どうしたの睦美?」

 反町の思いがけない呼び止めに少しだけ驚きを見せる部長。


「私、桂子部長やさくら副部長と大会に出たいんです。だからこの事はこの場だけの秘密にして頂けないでしょうか?」

 そう語る反町の瞳には確かな熱が宿っていた。


「何を言ってるの睦美っち! みんなが危ない目に合うかもしれないんだよ? 現にハルっちは怪我をした!」

 獅子ヶ谷副部長の言葉にも熱があった。


「コレはあまり言いたくないのだけど、睦美、あなたの指が狙いだった可能性もあるのよ」

 部長の衝撃的な言葉にどよめきが広がる。反町も顔色を無くしていた。


「それでも私は出たい……部長はどうなんですか? 去年あんな事があって一番悔しい思いをしたのは、3年生のお二人じゃないですか?」

 反町は尚も食い下がる。気になる言葉ではあるが、今はソレを聞くタイミングではない事くらい春久も理解していた。


「睦美、その事は……」

 葵が諌めるように反町の肩に手を置く。

「じゃあ、アンタは出たくないの? 葵!」

 反町はどこまでも情熱的だ。

「そりゃあ、出たいケド……綾香はどう?」

 少し困ったような素振りで葵は隣を見つめた。

「わたしに振る? まっ、わたしは睦美と同じ意見。出たいに決まってるじゃん」

 2年生は3人とも同意見のようだ。


「ナマイキ言ちゃいますけど、私も出たいです」

 1年の瀬谷が遠慮がちに答える。

「私もです」

 能美は一祈と見つめ合うように微笑んでいた。

「昨日、入部したばかりの新参者が言うのナマイキですけど、ゆかぽんが作った詩で自由曲歌ってみたいなぁ」

 一祈は大きく頷いていた。


 その様子に井土ヶ谷部長が静かにため息をつく。


「これで2対6だな。ちなみに俺はさくらの歌っている姿が見たいから部外者ながら参加賛成派だ」

 どこか面白そうに答えたのは庚だった。

「姉さんには悪いけど、オレも参加賛成だから庚先輩を入れれば2対8だね」

 井土ヶ谷弟は笑みを浮かべている。


 自然と最後の一人となった春久に皆の視線が集中する。


「俺は大会への参加そのものは反対です。ただ、それでも部の活動そのものは継続していて貰いたい」

 春久はゆっくりと少し前から考え始めていた事を皆に話した。


「それはどう言う意味だ?ハル」

 庚が腕を顎に当てながら春久に尋ねてきた。


「井土ヶ谷がさっき言っていた通りで、狙い通りに動かされると碌な事が無いと思っているだけです。そもそも休部したとしても、この嫌がらせが終わる保証なんてありませんし……ココまでの事をしてくる人間なら、色んなケースを想定している可能性もあります」

 春久は自分の中で言葉を整理しながらそう告げる。ただ、それがあまり上手く行かないのは、痛みのせいでは無く、何か言いようのない怒りから来るものだった。


 春久は尚も続けた。


「そういう考えると“部”という単位で纏まっていた方が、護りやすく効率的で反撃にも出やすい。だから部の活動を継続はして欲しい。しかし、一方で相手を挑発しないように派手な活動は控えて大会には出ない方がいい……自分はこれが選択肢として一番良い気がします」

 玉虫色と言えばソレまでだが、春久にはベストな選択に思えた。


 また静寂が流れた。

 指先の出血は完全にではないが、治まりを見せていた。


「なんで、それだけ色々見えてるくせに情け無い事や屁理屈ばかり言うの!?」

 そう呆れたように声を上げ、静寂を破ったのは一祈だった。


「いや、俺は現実的な打開策を言っただけで、決して情け無いとか屁理屈を言っ……」

 まさかの言葉に春久は思わずうろたえる。


「それが屁理屈なの! そこは男らしく“俺が護るから安心して大会に出場しろ”でしょ!! せっかく皆がまとまりかけていたのにさぁ……もう、台無しだよ!! さっき、颯爽と音楽室に現れた時とか、怪我をしながらも皆を気遣った時にはあんなにカッコよかったのに……このあんぽんたん!」

 あんぽんたんなんて今時死語だろうとツッコミを入れたら100倍くらいになって返ってきそうだ。


 とにかく一祈は、こういう時には昔から結構、辛辣な言葉を投げてくる。


「和泉の言う通りよ、まったく! イライラするわね。理屈は分かったけど、嫌がらせはどちらにしても続くんでしょ? だとしたら大会に出ようが出まいが同じじゃない! 嫌な思いをするのなら出た方が得に決まってるでしょ!? 違う? そして、それが上手く行くようにアンタが私を護る。それで解決じゃない!!」

 ヒステリックな言葉を投げてきたのは反町だ。


「“あたしたち”でしょ? 睦美! いつから別所君はアンタ専属になったの?」

「そうそう、庚先輩が殆どさくら副部長専属なんだから、1年生の2人はみんなでシェアしないのは不公平じゃん。年下の男の子に護衛してもらいたいのはアンタだけじゃないんだよ」

 葵と綾香の2年生コンビは悪戯っぽく反町をからかう。


 

「えっ!! ちょっと、綾香っち、葵っち」

「お前らな……」

 突然、矛先が向いた獅子ヶ谷と庚が顔を赤く染める。


「そ、それは言葉のアヤよ!」

 同じく顔を赤くし反論をする反町。どうやら2年生の3人がこの部のムードを作っているようだ。


「私も忘れて貰っては困るんですけど…」

 1年生の瀬谷も頬を膨らませて抗議する。


「瀬谷、その辺は大丈夫よ。弟クンもいるし、別所君と合わせて公平にシェアするから」

 綾香がウインクしながらおどけて見せた。


「え-っ! それはありがたいですけど、井土ヶ谷クンは1年生女子の人気上位だから、ちょっと周りの目が怖いかなぁ。声学部がまた逆恨みされる原因になるかも知れませんよぉ」

 北欧風の美少女然とした瀬谷は結構、洒落になっていない事をケロリと言う。


 それでも井土ヶ谷弟が人気があるのは、春久にも今日一日で納得が出来た。あの外見に加え、的確な判断力と鋭い観察力を持ち合わせてる事に加え、人の話をしっかりと聞く姿勢までも持っている。


「モテる男は大変だな井土ヶ谷」

 矛先が変わり安心した春久は腹いせ半分、委員長をからかう。


「別所、あのな、一応、忠告しておくが俺たちも学校男子生徒のやっかみや恨みを買う可能性も高いんだぞ」

 井土ヶ谷弟は呆れ顔で春久を見つめた。なるほど、言われるまで考えもしなかったがその手の事もありあるだろう。


「まぁ、その辺はなるようになるさ」

 春久は気軽にこたえる。

「別所は、変にのんきな所があるよな」

 井土ヶ谷は少し呆れ顔だ。

「そりゃ、どうも」

 笑って返す春久。


「男同士もうまくやれそうじゃないか」

 年長者らしく庚は優しい笑みで二人を見つめていた。


「なんか、部活って感じだね、ゆかぽん」

 先程とは打って変わって、笑顔の一祈から素直な言葉が出てきた。

「うん! これならきっと大丈夫。何があっても乗り越えられるよね。あと、そろそろ別所くんの指をちゃんと手当てした方が・・・…」

 能美は静かにそう語りながら晴久の指を見つめていた。


「確かにそうだな。で、どうするんだ井土ヶ谷? まぁ、聞くまでもないとは思うけどさ」

 庚は横目で井土ヶ谷部長に語りかける。


「わかったわ。一先ず様子を見つつ、練習を続けましょう。庚クン、順、それに別所クンは引き続き護衛を頼めるかしら」

 大きく息をつく井土ヶ谷部長。だが、その表情は嬉しそうだ。


「任せてくれ」

 庚の言葉には説得力がある。

「姉貴の頼みとあれば仕方がないね」

 井土ヶ谷の穏かな口調は安心感を与えてくれる。

「えーその、・・・・・・あー、はい」

 言葉を探してみたものの、春久が結局言えたのはそれだけだった。


 自然と沸き起こる笑い。と言うよりは失笑。


「別所君、キミって男は、その、もう少しだな……」

 何とも言えぬ表情で春久を見つめる井土ヶ谷部長。


「薄々感じてたけどハルっちって結構、天然さんだよね」

 獅子ヶ谷副部長の言葉にもう一度湧き起こる笑い。


 嫌味のない声楽部部員と庚の笑い声に少し照れながらも、春久は改めて皆を護る事、そして声楽部への正式な入部を心の中で固く決意した。


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