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たぶん、それは紅葉よりも赤い花  作者: 松乃木ふくろう
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第15話  変と歪

 河川、田園、仏閣に囲まれている事もあってか、朝6時20分の学校は少し霧が掛かってっているように見える。

 箱根山の中腹なら兎も角、麓であるこの辺りは、霧は風に吹かれてしまう為、この時期に霧がたちこめる事はまずは起き得ない。そう見えるのは田んぼの用水路が水を引き始め、そこからの水気を初夏の早朝のみ薄く感じる事が出来るせいだ。


「よう、やっぱり今日から来ていたか・・・・・・なんか中学の時を思い出すな」

 そう笑うかのえは、春久が中学生1年の時もやはり陸上部の部長で早朝練習の際は、かなり早くから学校に来ていた。


「宜しくお願いします」

 春久は姿勢を正し深く頭を下げた。

「おう、こちらこそ頼むな。高校でも200で行くのか」

 200とは春久が得意としている男子200m走のことだ。

「そのつもりです」


 中学時代にはその走力と瞬発力を活かし、110mハードルやロングジャンプなどの競技も試してみたが、微妙に上背がモノを言うそれらの種目は身長が168cmの春久にとっては微妙に相性が悪く、良い成績を上げる事ができなかった。


「庚部長は10000mですよね」

 長身で持久力のある庚は昔から長距離走が得意であり、中学時代僅かに関東に手が届かなかったが、それでも十分な走力を持ったランナーだった。


「まぁな、中学時代から比べれば早くなったんだがな。まだまだだよ」

 動物をあしらったロゴの入った赤いトレーニングウェアの袖を捲りながら、そう自嘲的に笑う庚。その言葉からは深い思慮の様なモノを感じた。


「声楽部の方と兼務だから大変だとは思うけど、無理はするなよ。他の部員の手前、厳しく言う所もあるかもしれないけど、まぁ、地元のよしみだ、多少は贔屓してやる」

 そう言うと冗談だから聞き流せとばかりに軽く笑う。

 やはりその言葉一つにも器量を感じる。このあたりも、あの女王然としている井土ヶ谷部長が一目置いている所以なのだろう。

 学校指定のジャージに中学の時から愛用している練習用のシューズを履いている自分が酷く小さく感じてしまい、春久は卑屈とも取れる小さなため息を無意識にひとつ落とす。


「声楽部の方も色々大変みたいですね」

 ストレッチを始めた庚の横で、春久もそれに習い身体をほぐしつつ声を掛ける。

「さくらや井土ヶ谷から聞いたか……ハル、お前はどう感じた?」

 恋人同士であるため当然なのかもしれないが、獅子ヶ谷(ししがや)副部長の事を下の名前で呼ぶ庚がひどく大人に思えた。自分が一祈を呼ぶのとまた違ったニュアンスだ。


「正直、変な行動としか……聞いただけなので、そうとしか言いようが無いと言うのが本音です」

 肩甲骨を開くストレッチなのか、庚は肩をゆっくりと回す動作を繰り返しはじめた。春久もそれを真似て、肩を回しつつ答える。

「俺もさくらの事があってから警護の真似事を始めたんだが、アレは変というよりも歪と言う方が正しいな」

 変と歪の言葉のニュアンスは人により異なるだろうが、前者は肯定的に使われることはあっても後者の方はそう使われる事はまずは無いだろう。


「“いびつ”ですか?」

 春久はストレッチをする部位を腰に移しながら庚に尋ねた。


「あぁ、オレも上手く説明は出来ないけどな。まぁ、ハルと井土ヶ谷ん所の弟も手伝ってくれるんだろ? 当面は男が毎日出入りして、しっかり警護していくしかないだろ」

 男性部員が入れば収束していくだろうと安易に考えている春久と異なり、護る事とそれを継続する事を前提としている庚。この辺りが人徳の違いなのかもしれない。


「声楽部の方も、何かあればすぐに庚部長に知らせるようにします」

 春久は自分の安易な思いが少し恥ずかしくなって来ていた。

「ハルとは昔から何かとツルむ事になるよな。子共会の時からさ。きっと相性が良いんだな。ソッチも宜しく頼むな!!」

 それは集団から浮きがちな人間を放っておけない庚が何かと春久を気に掛けてくれた結果で相性云々ではない気もした。

「こちらこそ宜しくお願い致します。このまま収束してくれれば良いですね」

 腸腰筋を刺激するストレッチを行うため、深く呼吸を行いつつ春久は庚にそう語る。


「それは同感だ。もっとも犯人が分かれば只では済まさないけどな」

 その言葉の後半の声は庚にしては酷く低いもので、春久はそんな怒りを宿した庚の声を初めて聞いた気がした。



 一通りのストレッチが終わり身体に心地よい熱が籠もる。考えてみれば体育の授業以外で身体を動かすのは、去年の11月に中学の陸上部を引退して以来であるから約半年ぶりという事になる。

 すでにテニス部や野球部といった、今日グラウンドを使える割り当てになっている部は姿を見せ始めている。陸上部の練習は7時30分からと言う事もあり、まだ他の部員の姿はないようだ。


「アップに付き合ってくれるかハル?」

 それは庚からウォーミングアップがてら軽く走ろうとの誘いだ。


「おはようございます庚部長!! 今日も早いですね!」

 春久が返事をしようとしていたその瞬間、大きな声で挨拶。女性の声だ。

「おはよう中里なかざと。いつもながら元気だな」

 庚がそう笑いながら返答をした相手、それは春久と同じクラスの中里なかざと穂子ほこだった。


「中里、コイツが昨日話した中学の後輩、別所だ。少しとっつき辛い所があるけど宜しく頼むな。専門は200だ」

 庚が春久の事を改めて紹介してくれた。

「はい。別所君とは同じクラスなので上手くやっていけると思います。」

 そう明るく声をあげる中里は先日とはまるで別人のようだ。


「中里さん宜しく」

 とりあえず春久は頭だけペコリと下げる。

「うん。こちらこそ宜しくね。ガンバろうね」

 爽やか。どうにも変で調子が狂う。

「部長はこれからアップですか?」

 自身のトレーニングウェアの袖を掴みながら中里は庚にそう尋ねていた。


「そうだよ。ハルと今から行こうとしてた所だから、中里も来るか?」

 庚は事も無げに言葉を返す。

「ハイ。お供させてください。いつもの外周を反時計周りに酒匂川(さかわがわ)を辿る1.5キロのトレーニングコースで良いんですよね」

 嬉しそうに大きく頷く中里。

「だな。1.5をゆっくり走っていれば他の連中も出てきているだろ」

 庚はそう言うとゆっくりと走り出した。中里理穂子もそれに続く。その実、学校の外周コースがよく分かっていない春久は後に続く以外なく、黙って中里の後ろをついて行く。


 練習を始めた野球部の脇を通り抜け、学校の正門を出て左に折れ、昨日、様々な話を聞いた井土ヶ谷宅でもある剰願寺を右手に徐々に走るペースを上げていく。

 途中、登校中のバスケ部部員と思しき集団とすれ違う。彼らは全員が前を走る庚に深く頭を下げ挨拶をしていた。おそらくは2年生なのだろう。晴久もすれ違う際、頭を下げ挨拶を行う。廃れて来たとは言え挨拶に関しては体育会系の部活はかなり煩いはずだ。


 西棟を左手に見つつ、時計でいえば10時の方角に酒匂川の土手に出れる短い坂道が見えてきた。あそこを登り酒匂川に出るのだろう。先頭を走る庚が長いストライドを活かしその坂道をスイスイと駆け上がっていく。長距離走者らしい力みも無駄もないきれいなフォームだ。

 少し後ろに続く中里も軽快な足取り。庚の話からすると関東大会経験者であるはず。女子にしては長身と言える背丈は春久と同じかそれ以上はある。もしかすると専門は長距離、もしくはハイジャンプなのかもしれない。


 スロープを登り始めると右手に酒匂川が見えはじめた。朝の太陽に照らされ薄くハレーションを起こしている川面に思わず息をのむ。

 水質が年々低下し続けていると聞く酒匂川がこんな輝きを持っている事に素直に感動を覚え、この景色を見れるのなら毎日陸上部に顔を出すのも悪くない。春久は息を弾ませながら結構真面目にそんなことを考えていた。


 先頭を走る庚が大きな赤松の前でUターンをして、こちら向かってくる。あそこが折り返し場所なのだろう。庚は一瞬、目線を春久に送り、そのまま横を通り抜けていった。続く中里は春久に目線を一切向けず通り抜けていく。かるく腹立たしくも合ったので、いっその事一気に追い抜いてやろうかとも考えたが、庚の手前自制をする。

 はずむ息の中、校庭に戻ってくると多くの生徒が姿を見せており、砂場の前では色とりどりのトレーニングウェアを着た10人ほどの生徒がストレッチを行っていた。


「よーし、揃ってるな。集合!!」

 庚の号令に反応しすばやい動きで集まる部員たち。そして、それは春久の高校での陸上生活のはじまりでもあった。

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