7.『仮初の約束』
内臓を掠める剣の感触が、今でも忘れられない。
今まで味わったことの無い感覚を教えてくれた、ギルには感謝だ。
植え付けられた恐怖はそう簡単には拭えない。
トラウマレベルの体験をしてからまだ1時間程しか経っていないのに、人間の感情というのは凄いもので、"恐怖"から"憎悪"へと感情は転換していた。
無理くり、自分を異世界の常識に捉えさせ、狂わせた。
目の前に現れた、かつての恐怖の存在。怖い、逃げ出したい。だが、それでもまたいつか、見つかってしまう。
きっと、何度も何度も、零の命を襲って来る。この恐怖は、永遠に終わらない。
奴が死ぬまでは。
であれば、殺してしまえばいい。
「...必ず、ぶっ殺してやるよ...。」
恐怖が目の前にいるのであれば、消してしまえばいいのだ。自分を脅かす諸悪の根源を、抹消する。
問題に原因があれば、解決する。それだけの話。
狂気ではないが、狂気スレスレなだけ。
怒りの感情を剣の柄にフルダイブさせ、自然と握力が強くなる。
目力が強くなり、ヒシヒシと緊張感を漂わせる。
その姿まるで、狂人の域だろう。
だが、黒澤 零は至って正常。狂ってなどいない。狂ったフリをしているわけでも無い。
エルナの『英雄』であるために、自分とエルナを守り抜く為に、諸悪を断ち切らねばならないのだ。
「ガンギマってんじゃねえか...。なんだぁ、やっぱり立派な大罪人ズラじゃねえか。」
「黙れよ...お前が俺をそうさせたんだろ?訳も聞かずに人をいたぶって、楽しかったですかぁ?」
「逆恨みか?そもそも、お前が殺されても文句言えねぇ程の罪を犯したんだろ?何でお前がキレるのか意味が分からねぇ。大罪人の思考なんか、知りたくもねえが。」
一言一言、気に障る。記憶喪失だっつってんだろ。
コイツは、きっともう聞く耳を持たないだろう。こんな会話ももう面倒だ。
「殺す」
そう言い、零は地面を力強く蹴り上げ、ギル目掛けて剣を振り下ろす。
「だあああああぁぁぁ――――!!!」
キンッ!と、金属が火花を散らして、路地裏の暗闇の中で小さく光る。
ギリギリと、両者の剣はまじり合い、拮抗したように、剣と剣が押しあっている。
剣なんて振ったことは無いが、恐らく、"ルイ・レルゼン"の身体は勝手に覚えて、反射でこなしているのだろう。剣の重みも特に感じない。筋力のおかげだ。
「――っ!だあああぁ!」
剣に意識がいってる所で、第二の攻撃へと移る。
零は膝を思いっ切り振り上げて、ギルの腹に直撃させる。
屈強な腹筋を割る勢いで、渾身の膝蹴りをお見舞いする。
「っ!おま....っく!卑怯な、クズ野郎が!」
「はは!俺は『大罪人』なんだろ!?クズ野郎がなんだってんだ!」
卑怯と言われようと、『大罪人』と言われたなら、それ相応の振る舞いだってしてやる。
膝蹴りの次は、ギルの胸ぐらを鷲掴みし、頭部を思いっ切り鼻に叩き付ける。
「――っ!おま!」
ギルの鼻から真っ赤な血飛沫が飛ぶ。
やがて、どちらも剣に力を持ってこうとせず、ギルは保身に、零は追撃に神経を注ぐように動く。
「っぐ!」
「おらぁああああ!!!!!」
今度はギルの黒髪を無造作に掴み取り、路地裏のザラザラした瓦礫の壁に顔面を叩き付け、何度も何度も動き回し擦り上げる。
皮膚と壁が摩擦を起こし、痛々しい傷跡が壁に赤く塗り付けられていくが、零はお構い無しに続ける。
ここで、殺さなきゃ。でなければ、殺されるのは自分だ。
そんな思考が、零の身体を操作する。
止まれないし、止まるつもりもない。
油断なんかしない、一切の隙を与えない。
「がっ!」
ドンッ!と、擦り上げた後、地面に顔面を突き落とし、脳が揺れる衝撃でギルは目をくらます。
「...おま、いい加減...に、」
「トドメだ。」
うつ伏せになるギル。そんな彼の背中を捉えるよう、零の剣先が光り輝く。
焦点は心臓を貫くことが出来るであろう、左肺部。
意外にも、ここまで圧倒できた事に驚きは無い。
何故か、この身体だと軽々しく激しい動きができ、素早い瞬発力があるため、一切の隙を見せることなく、完封出来たのだ。それもこれも、きっと"ルイ・レルゼン"のお陰だ。
初めて、この身体で良かったと思った。
「死ね」
零は躊躇うことなく、剣をギルの背中目掛けて振り下ろした、その時。
「――ははっ!どういう風の吹き回しだよ!ルイの兄貴ぃ!」
「っ!はぁ!?邪魔すんなぁ!」
キンッ!と、風を切る音と共に乱入して来たのは、銀髪の騎士 ソージュだった。
興味無いと、あれほど言っていた男が、今更になって乱入ときた。
「お前!どうでもいいんじゃなかったのか!」
「あぁ、言ったな。興味無いって、今までの、アンタはな。」
「あぁ!?意味分かんねぇよ!退けよ!」
身体が熱くなる程、昂揚している。頭に血が昇るという言葉をそのまま体現している感覚で、言葉がツラツラと流れ出る。
「ソイツは!殺さなきゃならねぇ!俺らを殺そうとする異物は!誰だろうと、殺す!それが!人間の本能だろうが!」
「そうだよ!!!そうなんだよ!!!ははっ!ようやく目覚めたか!!!本能にっ!!!」
「っ!?」
零が怒る怒鳴り声を上げると、それに呼応するように、ソージュも怒鳴り声を上げた。否、怒鳴ってはいない。ただ、高ぶる感情にブレーキをかけられず、自然と溢れ出てしまったように見える。
「前までのアンタは気持ち悪くて見ていられなかった!だけど、今のアンタは...最高に!"人殺しの目"をしているっ!!!」
ソージュは、唾を吐き散らしながら、血眼になって零の精神を揺らがす発言をしだした。
「...人...殺し?ふざけんな...俺は生きる為に必死で...!」
「ルイ!もうやめて、逃げるわよ!」
そう言い、零の腕を掴んできたのは、泣きそうな顔になっているエルナだった。
「え、いや、待てよ!ここでこのままにしてたら、また俺達を殺しに来るぞ!」
「それでも!人は...もう、殺さないって...」
彼女の瞳が潤う。震えた声が、零の感情を揺さぶってくる。
「...なんで...、殺さなきゃ、殺されるのは俺達なんだぞ!?」
「それでも!ルイは...私の知ってるルイ・レルゼンなら、そんな事しない!!!」
「...!」
エルナの言葉が胸の奥でキュッと締め付けられ、声すら出せずに、零は絶句する。
今、この瞬間、黒澤 零は理解する。
「...はは....なんだよ、それ...。」
「ルイは...『英雄』だから...!人なんて、殺したりしないから..!」
「――っ!」
そうだ、そうだった。
エルナは、零の事を見てくれている。記憶の無い"ルイ"を、別の人と捉えて、しっかり一人の人間として見てはくれていた。
でも、それは、この身体が"ルイ・レルゼン"だからだ。
"ルイ・レルゼン"の絶対的な味方の彼女は、必然的にこの身体の中に居る、零の事も大切に思ってくれていると、そう思っていたが、どこまで行っても、エルナは"ルイ"のもので、"ルイ"もエルナのもの。
エルナの理想の"ルイ・レルゼン"が、"ルイ・レルゼン"なのだ。
「おい、やんねぇのか?」
銀髪の騎士が、横からうるさい。
「.........分かっ、た。」
零は長い沈黙の後、唇をぎゅっと噛み締めてエルナの腕に引っ張られながら、走って行く。
この身体で、黒澤 零の思考はノイズだ。
彼女を、守りたいなら、彼女の『英雄』を演じるなら、彼女の言いなりになるしかない。
反論は死ぬ程したい。
どうして、何の罪も無いのに殺されかけた上、こっちが殺そうとしたらダメなのだ?やられるだけやられて、反撃はダメとか、信じられない。
「でも...俺が、ちゃんと...やらなきゃ...。」
"ルイ・レルゼン"であり続けなければ。
奪ってしまったのだから、この位の事はやれ、黒澤 零。自分にそう言い聞かせながら、零はエルナに連れられ、裏路地通りを走っていくのだった。
その後ろ姿に悪態をつくのは、銀髪の騎士 ソージュだった。
「...ッチ、中途半端な男だ。ギルさんもそう思うでしょー?」
「...」
ソージュの言葉に、倒れたままのギルはまだ何も言う気配が無い。
「油断しました?確かに、アイツからこんなに反撃されるなんて初めてでしたからねぇ。」
「...あぁ、俺の認識が...甘かった、そうか...ルイ、お前は徹底的に殺さなきゃいけないんだな。」
ギルは、ゆっくりと上体を起こして、鋭くも悲しい目で、そう呟いた。
△▼△▼△▼△▼
「...ルイ、約束、してくれる?」
「...何?」
「お願いだから、人を...殺そうとしないで。『英雄』で、あり続けて。」
「...うん。」
『英雄』『大罪人』、どっちだよ。
とは、ココロノナカだけにしまって置いた。
今、それを口にしてしまったら止まらなくなってしまう気がしたから。
まだ、我慢できる。まだ、演じ切れる。
こんな配役、もうら二度ごめんだから、さっさと変わってやりたい。
誰が、"ルイ・レルゼン"なんか、好き好んで演じなければならない。
「...それが、エルナの求める...俺なんだよな...。」
「私の求める...と言うか、ルイはそんな事しない人だから...。」
「大丈夫、分かってるから。俺は、君の『英雄』を取り戻すから。だから、そんな顔しないで。」
「...ルイ。」
路地裏を抜け、屋台の隅の影で、零はエルナに微笑みながら右手を差し出す。
彼女の心を安堵させるよう、必死で平静を保つ。
黒澤 零は、エルナの求める"ルイ・レルゼン"である為に、これ以上、彼女の前で『英雄』に相応しくない行動はしない。
確かに、人を殺すなんて事、『英雄』らしくない。
その点は確かに理解出来る。いくら憎まれようと、殺されかけようと、こっちからは手を出さない。
ふざけるな。
俺は何もしてないのに殺されかけてんだ。いいわけが無い。あの男は確実に殺してやる。
「俺は、人を殺したりしないよ。」
光の失われたその瞳から、放たれる戯言に、エルナは眉をひそめつつも、
「...うん、そうよね。ルイは、ルイだもん。」
と、複雑な微笑みと共にそうこぼす。
だが、零の頭は、もうあの男でいっぱいだった。
エルナには『英雄』であり続け、世界からは『大罪人』だと言われる。
だったら、零がどんなに『英雄』であろうとしても、周りの目は変わらない。
エルナの目を掻い潜り、ギルを殺す。
『英雄』でありながら、『大罪人』。
――必ず、エルナを守る為、生き抜く為、俺は俺を憎む全てを、殺してやる。




